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秦基博の「鱗」に救われた話。

緊急事態宣言の最中で申し上げにくいが、今日は一日予定がある。このnoteも移動中の電車で書いているし、恐らく端的な文章のみで挙げることになるので、有益な情報を調べてまとめてというのは難しい事情がある(大していつも有益ではないが)。

そこで今日はつらつらと思い浮かぶであろう、思い出話を綴っていくことにする。大半の方には興味のないことだと思うが、自分の好きなことを書き殴るのがnoteである。暇であれば一読いただければと思う。

治安が良く物資に恵まれたこの日本に生まれ、勤勉な両親から目一杯の愛情を注がれた私であるが、人生でほんの一時期だけ、死ぬことを考えていた。あれは高校生の頃だった。
正確には、唯一嫌いな人間を殺して、自分も死んでしまいたい、そんな風に考えていたのだ。

今思えば、結局実行に移さなかったし、そういう「てい」でやり場のない気持ちを昇華していたのだろうが、少なくとも、その頃はそれだけ精神的に追い詰められていた。

ほとんど友人のいなかった私は、誰にも相談できずに自分の部屋で泣いていることが多かった。
家族にも気丈に振る舞っていたと思う。今思えば、勘付かれていたのかもしれないが。

そんなある日、数少ない趣味であるラジオの「吉岡聖恵のオールナイトニッポン」を聴いていた際、ゲストとして秦基博さんが出演されていた。
私は彼を知らなかったので、大変失礼ながら「無名アーティストが名前を売りにきたのか」と勘繰ってしまった。

そんなラジオも終盤まで進んで、弾き語りのコーナーとなった。
その時彼と聖恵さんが歌ったのが「鱗」だった。

全身に鳥肌が立った。第一印象なんて、こうも簡単に消し飛ぶものなのか。
こんなに素晴らしい音楽が存在しているのかと衝撃を受けた。自分の今いる世界からは考えられない音楽で、自分の悩んでいることが馬鹿馬鹿しく、ちっぽけに思えた。
大袈裟に聞こえるかもしれないが、世界が広がって、救われた感覚さえ覚えた。

「今の環境も悩みも、違う世界には存在しないのかもしれない。」

不思議なもので、新しい感覚を味わうと、漠然とではあるがこんな風に思うことができたのである。
閉鎖的な人間関係に悩んでいた私にとっては、十分な思考であった。

それから私は、高校で抱えている悩み以上に、大学という新しい環境が楽しみになった。鱗のような、まだ知らない素晴らしいものが溢れているかもしれないと、ワクワクすることができたのだ。本来苦しいはずの受験勉強も、希望を持って取り組むことができた。

今、私が持っている好奇心や探究心、ほとんどの経験をポジティブに捉えられる思考は、その経験に基づくと思っている。
あの時、「鱗」を聴いていなかったら、別の人生になっていたかもしれない。

ということで、ぜひ聴いてみてください。
The First Takeの「鱗」、最高です。

鱗を勧められたところで本記事を終了とする。

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