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〜大きな挫折と大きな病〜(中学生編)

本日もお読み頂きありがとうございます。
そして幼稚園〜小学生編をお読みいただいた方ありがとうございます。
今回は中学生時の話をしていきたいと思います。
是非最後までお読み頂ければ幸いです😁

大きな病(学生編〜)

私は、京都の中ではマンモス校と呼ばれる中学に通っていました。
現在は分かりませんが、私が通っていた時は、中1〜中2までは10クラスの
40人学級、中3からは13クラスの30人学級と3学年合わせて、全校生徒1000人越えのマンモス校に通っていました。

学生時代の自分

早速、学生時代の自分はサッカーとは別にどのような人だったのかをお話したいと思います。
タイトルに気になっていた方、居るかもしれませんが、大きな病とは中2病です。
今思うとすごく恥ずかしいのですが、完全に中2病でした。
入学した当初、私は学校の部活に入っておらず外でサッカーをしていたので、最初は中々友達が出来ない、少し人見知りな帰宅部でした。
周りは部活動に入っている人が多く、自分のような外でサッカーなどしている人が同じクラスに居なかったので今思うと最初は友達作りに相当苦労しました。
ですが、初めての校外学習でキャンプ場に行き、カレーをみんなで作ろうと言う素晴らしい校外学習がありました。一年生全員で行くと言うのもあり我ながら友達も少なかったのにワクワクしていました。
いざ、当日になり、キャンプ場につきカレー作りをしていました。小学校のみさきの家ぶりの皆んなで作るのはとても楽しかった思い出があります。
しかし最悪の悲劇が起こります。
それは、カレーができてカレーを持って走って席に着こうとした時に、キャンプ場だったので地面が良くなく、木の枝的なものに引っかかって転けてしまいました(お皿の上に残ったのは少しのカレーだけ)焦ってしまった自分は周りに誰もみられていないか焦って確認しました。多分その時の焦り顔は相当面白かったと思います。この見出しの写真の2ショットで写っている友達(大親友)にその現場を見られていて、今もその話になると大爆笑しながらバカにしてきます。笑
中学1年生の頃の大きなトピックスはこれくらいしかないですが、少しずつ友達も出来ました。

母のブチギレ

中学生になると、小学校の時みたいなテストでは無く、中間テスト期末テストとすごく重要になってくると思います。
元々、勉強が大の苦手で大っ嫌いでした。
なので中学の1番最初のテストでそんなに重要なテストだと思っていなかった私は全く勉強をしないでテストを受けることに。
結果は当然のごとくボロボロ。ここでも言えないくらいヒドイ点数だったと思います。
そしてテストが返されて、点数を母に言うとブチギレです。
元々、勉強に対してや私生活についてはすごく厳しい母親でした。(当時はウザいババアなどど思っていましたが今考えれば当たり前のことで今では感謝しています)
ブチギレして何回シバかれたか分からないくらいシバかれ、その日に5教科分のテキストを近くの書店に買いに行かされました。
それからテスト期間が近くなってくると母と一緒にマンツーマンで勉強を始めることに。
真夜中(時にはオールで勉強)まで勉強するのが当たり前で、泣きながら勉強していたのを覚えています。怒られながら勉強していて地獄の雰囲気があった時なんかは、父親が来たら少し母の怒りも収まるのでラッキーと思ったり、眠たすぎてトイレ行ってくると嘘をつき、トイレの中で寝たりしていました。
今考えると、当時はウザいなどしか思っていなかったですが、母も次の日に仕事があったり、毎朝弁当も作ってくれていたので私より早く起きないといけなく絶対しんどいはずだったのに、よく辛抱して教えてくれたなと感謝しています。
母のおかげで、テストの点数も少しは良くなり、テストの点数を母親に伝えると褒めてくれたりとすごく嬉しかったのを鮮明に覚えています。

中2病到来

中学2年生になると恥ずかしながら中2病に。
少しヤンチャしたらカッコいいと思っていた私は、今思うとすごく痛いやつでした。
言葉遣いも悪くなり、学校の先生などにも反抗したりしていました(当時の担任だった先生には土下座して謝りたいくらい迷惑をかけました)
しかし、唯一反抗した事ない、いや出来ない方が居ました。それは母親です。母親には間違っても反抗などは出来ないくらい怖い存在でした。しかし学校生活の態度は悪く毎週のように家に先生から電話が掛かってきていました。そのような事が続き、家でも口の利き方が悪かったりもあり、ある日、母親から『父親が少しあんたの言葉遣いなどにイライラしてるよ』と言ってきました。しかし中2病だった自分は聞く耳も持ちませんでした(あの言葉は母からの最終通告でした)そんなある日、学校が終わり家に帰り、リビングにいる時に学校から電話が掛かってきて母親が対応して電話を切った瞬間、父親がブチギレて本を思いっきり投げられとてつもなく怒られました(父親にブチギレられたのは今までで数回しかないはず)その事があり言葉遣いや行動も見直すことになり、中2病も落ち着いてきました。

印象深い3年6組

中学3年生になると少し落ち着いてきました。
なんにせよ中学3年生の頃が、学校生活、サッカーの方と1番記憶に残っていて印象深いんです。
学校生活では、素晴らしい担任の先生(最近会えてないからご飯行きたいな)にも出会えクラスみんな仲が良く、行事ごと(合唱コンクール、体育祭など)は全力で楽しんだり、合唱コンクールでは良い成績を収める事が出来てすごく頑張ってよかったと心の底から思うくらい必死で取り組んでいました。
修学旅行では東京だったのですが、サッカーと被ってしまい、私自身、修学旅行には行く事が出来なかったのですが、みんなお土産を買ってくれてすごく嬉しかったです。
修学旅行に行けなかったぶん、両親が年末に東京旅行に連れて行ってくれて修学旅行で皆んなが行った所などに連れて行ってくれました(念願だった月島でもんじゃ焼きが食べれました)
学校生活と私生活では落ち着いていて怒られる回数も減っていて、とにかく毎日学校に行くのがすごく楽しみにしていた思い出があります。
今はみんな仕事などが忙しくご飯にいったり出来ていないのですが、先生を含めてご飯とか行けたら嬉しいです。

中学3年生の頃

大大大挫折(サッカー編)

お待たせしました。
ここからはサッカー編を書いて行きたいと思います。

同期

私は、大阪のガンバ門真ジュニアユースに入団しました。
よくガンバのパチモンなど言われバカにされていました。
練習は平日3回と土日に試合か練習という流れでした。
京都の中学校に通っていたので、平日の練習はいつも着いた頃には始まっていて途中からの参加でした。
学校が終わり、急いで家に帰り着替えて、母親か祖母に駅まで送ってもらい電車に乗って通っていました。
送り迎えをしてくれた母と祖母には感謝です。

しかし入団してすぐに大挫折をしてしまう事に。
京都ではある程度やれると言う自信があり、余裕でしょと思っていたのですが、周りのレベルが高すぎて自分のプレーが全く通用しなかったんです。完全に舐めていたしその時は勘違い野郎でした。
ガンバ門真は1学年40人くらい居て、公式戦などは選ばれた人しか行けないのですが、ほぼ1年間選ばれる事がありませんでした。
なので土日はOFFの事が多く、当時兄貴が別のチームでサッカーをしていたので見に行っていたのですが、またOFFで暇してるんかなどと言われすごく悔しかった事を覚えています。(中1の時はサッカーを辞めて違うスポーツをしたいって真剣に思った時もありました)
当時、小学校からボランチやトップ下をしていたので中学に入ってもボランチやトップ下をしていたのですが、通用しなさすぎて、当時のコーチがサイドバックをやってみろと言われサイドバックをする事になりました(このコーチが居なかったら今の自分は無いと思います)
元から内田篤人選手が大好きだったのでサイドバックに抵抗は無く楽しんでやっており、試合にも段々と絡めるようになってきました。自分は当時から能力が高いわけでも足が速いわけでもなく、運動能力はあまりよく無いほうだったのですが、唯一できた事は身体を張る事でした。チームで1番スライディングをしていた自信がありますし、とにかく目の前の相手に負けないようにと意識をしていました。その部分を評価をしてくれて中学2年生の頃には試合に出る回数も増えました。
そんなこんなで自分達が最終学年になりました。
リーグが始まったり、大会が始まったりとすごくサッカー面でも充実した中学3年生になりました。
人生で初めて全国大会に出場する事が出来たり、全国の強豪チームと試合したりとプラスになる事が多く、チームメイトもみんな上手く仲良くて毎日が楽しくてしょうがなかったです。

夏の全国大会決めた時


その分、冬の全国大会の関西予選で負けてしまった事はすごく悔しい思いをしたのを覚えています。


いつも母と話すのですが、中学生の頃に厳しい環境に身を置いて、試合にも出られず悔しい思いをしたけど、ガンバ門真に行って正解だったんじゃ無いと話すのですがまさにその通りだったと思います。
ガンバ門真に入団していなかったら、挫折を経験する事、サイドバックにポジションを変えた事、素晴らしい仲間に出会えた事、全国大会に出場した事、全てにおいて経験できなくて今、サッカーを続けていなかったかもしれません。
自分の中ですごく感謝しているチームですし、大好きなチームです。
恩返しまででは無いですが、毎年、全国大会に出場すればスポーツドリンクを送らせて頂いています。
近年のガンバ門真は自分達の代より全然強くなっていてビックリしているのですがOBとして嬉しい限りです。
これからも少しづつですが恩返しが出来ればと思っています。

同期の集まり

以上、中学生編でした。

次回予告

次回は高校生編を投稿いたします。
〜入る高校間違えた?高校生編〜

今回もお読み頂きありがとうございました。
中々、文章能力って上がらないなと思いながら書いていて、読みにくいかもしれませんが自分という人間はこんな奴だったんだと少しでも思ってくれて知ってくれたらすごく嬉しいです。
また次回の投稿をお楽しみに‼️😁









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