短編作品とオムニバス公演

注:この記事は特定の団体や作品を指している訳ではありません。(前半で紹介している作品を除く)仮に読者の中でドキリとした方がいらっしゃっても、僕は貴方の批判をしたい訳じゃないので、悪しからず。


最近、短編映画(ショートフィルム)をよく見ている。「仕事から帰ってやることやったら、もう寝る時間だ」という生活の隙間に、右脳を動かす時間が生まれる。それだけで少し生活が豊かになった気がするものである。

短編映画好きの人はご存じのことと思うが、Youtubeで見れる、初心者でも楽しめそうな2作を記載しておこう。

Curve(9分51秒)
緊張感が半端ない、スリリングなホラー作品。
https://www.youtube.com/watch?v=ORgrHO0qOPA

viewers:1(2分19秒)
世界の終わり、SFのような世界でYoutuberがライブ配信する作品。
https://www.youtube.com/watch?v=FCIFAeHrkEE

短編映画は、アイデアに正直な作品が多い。小さなアイデアが輝いている。短い時間に凝縮された作品は、突として僕らの前に現れ、線香花火の如くその一瞬を彩って終わる。僕はその潔さが好きなのである。


短編は映画だけでなく、小説の世界にもある。そもそも流れとしては小説が先である。幼少期や学生の頃、星新一のショートショートを読み耽っていたという読者は多いだろう。例に漏れず、僕もその一人である。話は比較的短くて読みやすく、最後には奇想天外なオチが待っている。それは時にダークで、非日常で、なのにどこかリアルで、引き込まれたものである。

そういえば誰かに「短編小説」は「ショートストーリー」で「超短編小説」が「ショートショート」だと説明を受けた。この記事を書くにあたって調べてみたが、この定義は諸説あるらしい。でも、ここで言いたいのは「短編」は小説にもあるよね、という確認のみである。次。


そして短編は芝居にも存在する。そもそも脚本が短ければ短編なわけで、当然のことである。ただ芝居において、短編1本で上演という形は何かと都合が悪いので、しばしば「オムニバス形式」で上演される。すなわち、短編をいくつか同時上演して、トータル1時間~1時間半程度の公演を行うということである。芝居は書籍や映画と違い、作品を見られる場所が極めて制限される。上演時間が短いほど、労力に見合う満足感が得られるという期待が出来ず、客が会場に足を運ぶことのハードルが高くなる。だからオムニバス形式を採用してトータルを長尺にし、公演しやすくするのである。

ここで少し考えたいのだが、このオムニバス公演が、往々にして主催者側の都合に感じて、残念な気持ちになることがある。すなわち、短編が何本かあるから、これをまとめて上演しちゃえ、というだけの理由で構成されているように見えるのである。公演タイトルは各ストーリーの最大公約数的なものにして「これらの話はこのテーマが共通してあるでしょ」と見せているのである。

もし「それでいいじゃないか」と思った方がいれば、きっと自分の才能を信じているタイプの方か、まだ良いオムニバス公演を見たことが無い方なのだと思う。本当にそれでいいのだろうか。

僕は、オムニバス形式でやる意味を慎重に考える必要があると思っている。順に話を見ていくことで、何が得られるのか。客にとって、オムニバス形式が良い理由は何だろうか。よくあるオムニバス公演の構成で、何本かある話の最終話に、それぞれの作品のモチーフとなったアイテムや登場人物が出てきて大団円、という形がある。それが最低限であって欲しいのだが、そういうこともなく、ただ繋がりの無い短編を見せて終わっていく場合がある。そんな簡単にオムニバス公演をしないで欲しい。詰め合わせにした分、1つ1つの話が軽く見えてしまうし、ラストに向けてボルテージを上げていきづらい。感情が動かなければ、満足感は得られにくい。オムニバス形式は結構難しいことだと思うのだが、得意げにやっている大人を見ると、僕は辛い気持ちになる。

しかしこの話、過去や未来の自分にも大ブーメランである。長尺の脚本を書くのはとても難しいので、短編数本でオムニバス形式での上演を仲間に提案したことがあった。勿論、繋がりや仕掛けをいろいろ考えてはいたが、やっぱり反省する部分もあった。
オムニバス形式が悪いということではなく、気軽に採用してはいけない、ということである。ミュージシャンの楽曲アルバムだって適当な曲の寄せ集めじゃない。冴えない作品をセット提供するくらいなら、小さいけど光る作品を提供して欲しい。その潔さが良い作品を作るということである。それが良いアーティストというものだと思うのである。

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