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カテゴライズできないもの

創作のアイデアは遍く、偉大なる先輩方のアイデアを基に生まれるものである。創作は「0→1」の作業と言うが、先人が作り上げた環境の中で、創作者が体験や学習を経て試みるものであるなら、正確には全くのゼロスタートでは無いはずである。既存のアイデアの掛け合わせによって創出されるものであるので(※1)無理やり「①×②→③」と表現してみる。では「この作品はどのようなカテゴリーですか」と聞かれれば、②の要素が強そうなので「②のカテゴリーです」と答える。「②なら興味ないですね」と返答が来る。「①なら興味あるんですけど」創作活動は往々にしてこのカテゴライズに悩まされるのではないだろうか。

分かりにくいと思うので、具体的に書いてみる。
僕は「仕立て屋のサーカス」という団体が好きで、頻繁に周りにオススメしている。本・飲食・雑貨等の出店があり、演奏・布の装飾・照明演出等が即興的に行われるので、食べながら飲みながら、見て・聴いて・嗅いで・味わって・触って・考えて・考えないで、楽しむような作品である。
オススメした際に、聞き手に「サーカスなの?」と聞かれれば、一般に認識されているサーカス――動物や空中ブランコが出てくる――を想像して首を横に振るし、「ライブなの?」と聞かれれば、ライブハウスのイメージ――ボーカルやギターやドラムがセッションしてセットリストに沿って演奏される――を想像して、首を傾げる。「インスタレーション?」と聞かれれば、僕の体感としてはギリギリその比率が多い気がして、悩みながら首を縦に振るかもしれない。結局、百聞は一見に如かずと呟いて、動画を見せるのである。

僕たちは物事を整理整頓して効率化するために、カテゴライズすることを身に着けてきた。心理学では体制化(organization)というらしい。SNSなら所謂「タグ付け」である。カテゴライズすれば、凡その系統が捉えやすく、故に伝わりやすい。しかし一方で誤解を生む危険性も孕んでいる。上記の例で言えば、サーカスだと思って訪れた人は象やライオンが見れなくてガッカリするかもしれないし、ライブと思って訪れた人は痺れるギターの歪み音が聴けなくてガッカリするかもしれない。(※2)これを恐れて沢山タグ付けをしてみれば、それはそれで「結局何?」という話になるのである。

先日お話させて頂いたあるダンサーの言葉が印象に残っている。
それは「障がいを持った方と作品作りをすることがあるものの、それは彼らの動き方に魅力を感じているから一緒にやっているのであって、福祉事業としてやろうとしているものではない」という趣旨のものであった。もし、作品の上っ面だけを見て「身体表現×福祉」とタグ付けされたら首を傾げたくなるのも当然のことであるが、実際に起こり得る話であり、このような危険性を指しているのである。

些か乱暴かもしれないが、結局のところ広報の問題である。正しく伝えることは難しい。それはカテゴライズしにくいものほど難易度が上がり、イメージが出来なくなる。2022年9月に行ったsub-document「Re:ving record」も、その点で苦労した。初の試みなのでビジュアルでイメージさせることも叶わず、その難しさと大切さを知る機会となった。

ただ、このカテゴライズしにくいものほど僕は魅力が大きいと思っている。「なんだかよく分からないけど、感動した」「○○のような、△△のような・・・」「とにかく見たら分かるから」という感想になるような作品。カテゴリーA,B,Cがあるとすれば、A∧B∧Cの共通領域で行われる作品。まだ見ぬ世界へ誘ってくれる強さがあるのだと思う。それが後々振り返ってみると――今までの芸術がそうだったように――似た作品が出来ていて、新しいカテゴリー名がつけられるのだと思う。すなわち、新しい芸術の誕生である。


(※1)皆が意図してアイデアを掛け合わせているわけではなく、出てきたアイデアを説明しようとすれば、結果的に既存のアイデアの集合体になり得ると考えている。
(※2)あくまでも例であり、この団体については、数多の発見と感動が待っているのでガッカリしないことを強調しておく。機会があれば、是非観に行って欲しい。


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