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努力は必ず報われるのか

自分の過去を振り返ってる中で、自分って努力に対して報われてきた過去なのかな?とふと思うことがあった。
そんな時、白血病を乗り越え、東京五輪出場を決めた池江璃花子さんが「努力は必ず報われる」と力強く答えている姿を見た。
今回は、超主観的に努力は必ず報われるのかについて、結論を出してみようと思う。

結論、僕は努力は必ず報われるとは限らないと思う。しかし努力は必ず報いるべきだと思う。

そもそも努力が報われるとはどういうことなのか

そもそも努力が報われるとはどういうことなのか。僕はこれには大きく二つの場合があると考えた。

①目標・成果を求め、その求めていた目標が達成され、成果が出た

②成果は出なかったが、努力を昇華して、今後に繋げることができるようになった

①は、ものすごくわかりやすい。今回の池江さんのように、僕では想像もつかないような努力をなさったことで、優勝・五輪出場決定などの成果がでたというパターンだ。

②は、考え方の転換の話だ。例えば僕は大学受験で第一志望校に入ることは叶わなかった。努力という話では、1年間1日10~12時間の勉強を続けたが、叶わなかった。でも今受験勉強を頑張ったことで、第一志望ではなかった大学に入り、悔しさをバネに挑戦でいっぱいの大学生活を送り、ほんとに充実した日々を過ごすことができた。

ここから、努力が報われていない状況というのは「求めていた成果が出ず、努力を昇華することができなかった」場合になる。

努力は報いるべきだ

努力は、成果として報われないこともあるし、そういう時の方が絶対に多い。でもそんなとき、僕は努力を昇華し、努力を報いるべきだと思う。

それは中学時代のサッカー少年だった自分の過去の経験からだ。
僕はチームでレギュラーを取り続けることを求め続けていた。
だから、チームの誰よりも早く練習場へ行って、練習後も誰よりも遅くまで残って練習をしていた。毎週のように帰りの車で吐いて、精神も肉体も極限状態で、ほんとにボロボロだったが、これを中学サッカー時代の約2年半僕は続けた。でも、レギュラーを取り続けることはできなかった。むしろ最初の1年はレギュラーだったが、2年生,3年生と年次が上がるほど、レギュラーから遠のいていった。

この時の僕は、僕を嫌いになっていた。どんなに頑張っても結果を出すことができない、ただ負け犬であり続ける自分を受け止めることができなかった。そんな自分から目を逸らすために、「苦しい。辛い」という自分の感情に蓋をした。結果が出せない自分が嫌いになって、自分に自信がなくなって、自分は下手くそでダメなやつなんだなーって思っていた。

多分、このまま僕が自分の努力に気づかず、努力を昇華して報いることができなければ、これ以降僕は困難な状況に立ち向かって努力することができなくなったと思う。

でも僕は努力を昇華し、報いることができた。きっかけは、言葉だった。ある時、「そんなに努力できる奴はこの家には他にいないし、これだけ努力をできることはほんとにすごいことだ」と親に言われた。
この言葉で、僕の僕に対する評価が変わった。「こんなにやってんのにダメな俺」から「こんなに頑張ることができる俺」になった。
そして、中学時代に続けた努力が、あんなに苦しい環境でも頑張れた俺なんだから頑張れるぞ、と自分を一生、一番勇気づけてくれる存在に昇華した。

ここで、結果が出なかった自分が、その自分の努力を昇華して、努力を報いることができたおかげで、その後何度も何度も失敗しながら、挫折しながらそれを乗り越えて、挑戦し続け、充実した日々を送れるようになった。

だから僕は努力は必ず報われないが、努力は必ず報いるべきだと考える。
それは他の誰のためでもなく、自分自身のために。

そして、自分の手で努力を報いるだけでなく、結果を残して努力が報われる自分に、池江さんのように自分の努力が報われることで、他の人を喜ばせられる、勇気づけられる自分になっていきたい!そんな宣言を残します。

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