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紅剣鬼 一

―――これは、「紅剣鬼(くれないけんき)」と呼ばれた、一人の剣士の物語である。

◇ ◇ ◇ ◇

 都が、燃えている。千年の伝統と共に。
 
 各所から上がった火の手は、折からの強風に煽られ、瞬く間に津波の如き業火となっていた。

 そこで暮らす人々も、その貴賤、富貴、老若を問わず、等しく炎の波に飲み込まれ、灰と化していく。「死は万人に平等である」という、言わずもがなの真理を突きつけながら、炎はその勢いを増していく。  
 
 後の世に「大炎禍」と呼び習わされることになる大火。その阿鼻叫喚の地獄の中で、何者にも注目されない、一つの闘争の火蓋が切られようとしていた。

◇ ◇ ◇ ◇

 夜闇の中、赤々と染まる都を見下ろす塔――都の象徴たる九重の双塔、その東塔である――の屋根に立ち、東雲(しののめ)は大火の元凶を見据えていた。

 視線の先には東塔と対を成す西塔、その屋根に立つ一人の男。夜の黒と炎の赤が渾然とした、心落ち着かせぬ色を背景に、抜身の刀を右手に持ちながらたたずむ偉丈夫。

 ぼろ切れかと見紛う装い、その表情は虚無ながら、青みがかった眼には異様な力が宿っている。

 頭の後ろで束ねられた男の蓬髪は、炎よりも赤い色をしていた。

「暁月(あかつき)さん」
 東雲が呼びかける。反応はない。二つの塔の間は九間(約16メートル)ほど、声が届かぬはずはないのに。

「暁月さん!」声を荒らげる。やはり返事はない。だが、暁月と呼ばれた男、その右手に握られた刀がゆるりと持ち上がった。

 切っ先が真っ直ぐに東雲に向く。彼女の耳に暁月の意志が、その声なき声が届いた気がした。

―――言葉は無用。為すべきことを為せ。
   ―――お前は、俺を、斬りに来たのだろう?

 東雲は暁月から視線を外し、唇を噛んだ。たしかにそうだ。斬りに来たのだ。だが、だが!

 顔を上げ、再び暁月を見据える。視線を外していたのは長くもない時間であったが、その間こちらに向けられた意志が揺らぐことはなかった。

 為すべきことを、為せ。

 東雲は無言で腰の刀に手をかけた。ゆっくりと抜かれた刀身が炎の赤に照らされ、不吉な光を放つ。暁月の口角が、かすかに上がる。

 刹那、火災による旋風だろうか、激しい風が吹き付けた。その風に散らされたのだろう、無数の細片が双塔を覆う。街道を彩っていた桜、その花びらが舞い上がってきたのだ。

 薄桃色の花片に囲まれながら、東雲は刀を肩に担ぐように構えた。そのまま真っすぐ、暁月に向けて歩を進める。足取りは次第に軽く、疾く。屋根の端まで至ると、構わず空へと踏み出した。

 ―――彼女ら剣士のことを知らぬものが見れば、いかなるまやかしかと己の目を疑うであろう。東雲は、まるで見えない道でもあるかのように空中を駆けていた。

 否、否である。それはまやかしの術などではない。東雲の足元を見るがいい。舞い散る桜の花片、その一つ一つを足場にしているのだ。

 彼女の修める流派、その名を「美留禰子(みるねこ)流」という。その深奥は、その肉体の全てを極限まで己の意のままにすることにある。髪の毛一筋から心の臓まで自由自在に操る彼女らにとって、自らの体重を「消す」ことなど造作も無いことなのだ。

 七間、六間、五間まで間合いが縮まったとき、微動だにしなかった暁月が突如動いた。こちらも一切の自重を感じさせぬ跳躍。空を駆ける東雲に切りかかった。

 一合、二合、三合。瞬時に三度切り結ぶ。火花を散らし、文字通り「鎬を削る」両者。お互いにかすかな花片を足場とし、双塔の中間、その空中にて必殺の斬撃を繰り出し合う。

 そう、暁月の修めた技もまた同じ「美留禰子流」。二人はかつて同門の剣士であり、兄妹弟子であった。

 その二人が何故互いに剣を向け合うのか。
 
 全ては、一年前に遡る。

【続く】

そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ