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 「おはよう、ございます! かあさまたち!」
 少女は目覚めるとすぐ、空に輝く星に元気よくあいさつをした。声は、虚空に吸い込まれて消えていく。だが彼女は気にしない。「かあさまたち」へのあいさつは、彼女の大切な日課だからだ。
「ふん、ふん、ふふーん、ふふん、ふふーん」
 彼女は自作の鼻歌を奏でながら、今日はなにをしようか、と思案を始める。だが、すぐにやめてしまった。いくら考えても、面白そうなことが思いつかなかったからだ。
 なにせ、ここには何もない。遥か彼方まで広がる不毛の大地以外、本当に何もないのだ。
 仕方ないので、彼女はいつものとおり散歩を始めた。散歩といっても、何もない場所をただひたすら、さまよい歩くだけである。あっちへふらふら、こっちへふらふら、飽きたら止まる。また歩き出したくなったら歩く。そして眠くなったら寝る。
 彼女はそうやって、永い時を過ごしてきた。たった一人で。

 ◇ ◇ ◇ ◇

「お早うございます。今日も一日、平穏な日でありますように」
 いつもより早い時間に目を覚ましたシノは、日課の祈りを神に捧げると、朝食の支度をするために立ち上がった。
 意図せず早起きしてしまったことに気づき、なぜかと考えてみたシノは、その原因に思い当たると頬を染めた。
 要するに、浮かれていたのである。
 今日は、彼女の住む島で年に一度だけとりおこなわれる祭りの日であった。その祭りの夜、土地の荒ぶる神を鎮め、来年までつつがなく平穏に暮らせるように、との祈りを込めて打ち上げられる大花火は、近隣はもちろん、遠く王都からわざわざ見物客が来るほどの、島の祭りの一大名物であった。そしてシノが浮かれていた理由こそが、その大花火であったのだ。
 この花火には、由来も分からぬ言い伝えが、いつのころからかまことしやかに語られていた。曰く、「大花火を見ながら愛の告白をした男女は、強い愛情で結ばれた真の恋人同士となり、永遠の幸福が約束される」というものだ。
 真の恋人、永遠の幸福かあ……えへへ。
「姉ちゃん、なんでにやにやしてんの。気色悪う」
「ぎゃあ! タ、タロ! いつの間にそこにいたの!?」
「さっきからずっといたよ、気づいてなかったのかよ……ねえ、姉ちゃん、朝ごはんまだ? 俺もう腹ぺこなんだけど」
「ご、ごめんね! すぐ用意するからちょっと待っててね!」

◇ ◇ ◇ ◇

「ふんふふん、ふんふふふん、ふーん……ふん?」
 半日ほど散歩を続けていた彼女が、突然顔をあげた。視線を、「空に輝く星」、そのある一点に向ける。
「あれ? かあさま、めがさめた?」
 不思議そうな顔をしながら、彼女はそうつぶやく。そうしてすぐに、満面の笑顔になる。
「かあさま! めがさめた! やった!」
 次の瞬間には、困り気味の表情に。
「かあさま……たたかってる?」
 腕を振り回し、笑顔で大声をあげながら跳ねまわる。
「かあさま! たたかってる! がんばれ、がんばれ! まけるな、かあさま! わたくしが、おうえんするので!」
 力強いその声は、虚空に吸い込まれて消えていった。

◇ ◇ ◇ ◇

「シノ、いるか」
「は、はいっ! おりますよ!」
「……なんで敬語なんだよ」
「な、なんでですかね!?」
 しどろもどろになる幼馴染を不思議そうに見つめながら、ハタは用件を切り出した。
「とりあえず落ち着けよ……あのさ、この間話した、今日の祭りのことなんだけど」
「……」
 ハタはシノから視線をそらすと、努めてさりげない様子で言った。
「改めて聞きたいんだ。花火、一緒に見に行かないか」
「……」
 返事がない。
 ハタは幼馴染に視線を戻した。
 そこいにいたのは、地味だが愛嬌にあふれた顔を真っ赤に染め、両手で自分の体をかき抱きながら震える、涙目の幼馴染。
「本当に、私で、いいの? 私、背もちんちくりんだし、肌も汚いし、髪もぼさぼさで……あと、あと、それから」
「シノ」
 ハタはシノの言葉をさえぎると、今度は目をそらさずに、ゆっくりと、告げた。
「お前じゃなきゃ、だめなんだ」
 ふっと、シノの力が抜ける。ぺたんと、地面に座り込んでしまう。
「シノ」
「あ、あれ? 変だな私。ごめんねハタ。なんだか力が抜けちゃって……うまく立てない」
「そうか。がんばれ」
「がんばれ、って……」
 少しむくれた顔をしながらハタの顔を見上げたシノは、ハタの顔もまた、真っ赤に染まっているのに気づく。
 ああ、そうか。
 必死だったんだ。勇気を振り絞って、誘いに来てくれたんだ。きっと色々悩んで考えて。私のために。
 シノの体に力が戻る。胸の奥に、温かい何かが宿る。
「行くよ、ハタ。あなたと一緒に、花火を、見たいです。よろしくおねがいします」
「そうか、じゃあ、夜に、またな」
「うん」

 大声で何やら叫びながら走り去る幼馴染の後ろ姿を眺めながら、シノは祭りに何を着ていくか考え始めた。
 気合を、入れなくちゃ。髪も整えて。化粧は、母の形見が少し残っていたはず。
 なにせ、一生に一度の、そしてきっと、一生残る思い出の日になる。ふさわしい姿で望まなくては。
 シノは腕まくりをすると、両手で軽く頬を叩いた。
 さあ、がんばるぞ。

◇ ◇ ◇ ◇

「がんばれ! かあさま!」
 「かあさま」と「敵」の戦いは続いていた。彼女の応援にも力がこもる。
「がんばれ! がんばれ……ん?」
 彼女の鋭い感覚は、「かあさま」の変化を余さずとらえていた。
「かあさま、ほんきだ! すごい! すごいほんき! がんばれ! あいつをやっつけろ!」
 跳ねまわり、駆け回り、大騒ぎをしながら応援し続ける。
「あぶない! あぶない! みぎ! やっぱりひだり! ちょっとななめ!」
 だが、彼女の応援は届かない。
「あー! かあさま、あぶない! あー! あー! あっ」
 彼女は頭を抱えてしまう。「かあさま」の気配、魔力が消えてしまったからだ。
「うー!」
 じだんだを踏み、頭をかきむしる。胸の中に、もやもやしたものが生まれる。
「かあさま、しんじゃった! ころされた! わるいやつに!」
 もやもやは、次第に大きくなる。彼女はその不快さに耐えられない。
 だから彼女は、仇を取ることにした。
 右手を上に。力を、魔力を込める。
 同時に、彼女の立つ大地が鳴動を始めた。赤い光が、脈打つようにそこらの地面を駆け巡り始める。
 いつしか彼女の掲げた右手、その直上に巨大な魔力の塊が形成されていた。塊は雷光のような光を放ち、妖しく輝く。
「わーるーいーやーつー! しんじゃえー!」
 彼女は右手を振り下ろした。

 そうやって魔力を解き放った瞬間、彼女の心に語りかけるものがあった。遠い遠い記憶の彼方。彼女がここに来る前、「べつのかあさま」から告げられた、約束。
『いいですか。あなたのその力、むやみに解き放ってはなりませんよ。なぜならあなたは――』

「あ! わすれてた! どうしよう? えーっと、えい!」
 彼女は慌てて魔力塊の軌道を変える。ひとたび放ってしまったものを消しさることは叶わない。そこで彼女は、魔力塊の進路を変え、それを目の前の星、その青く輝く場所――「海」に落とそうとしたのである。
 あそこには、みずしかない(と、かあさまにおそわった)。だからだいじょうぶ。きっと、だれもきづかない。よかった!
 魔力塊は青い輝きへと向かって、歪んだ軌道で落下していく。
 彼女は知らない。紅い光が落ちていく先に、小さな島があることを。

◇ ◇ ◇ ◇

 花火が、予定どおり始まった。
 シノとハタは小高い丘の上に立ち、次々と上がる花火を眺めていた。赤、青、橙、緑、次々と空に描かれる幾何学模様の光が、二人の顔を照らし出す。
「きれいだね」
「そうだな」
 不意に、シノの体がびくりと震えた。ハタの左手が、シノの右手に軽く触れたからだ。シノはハタを見た。ハタは花火ではなく、シノを見ていた。
 ハタがシノの手を握る。シノがそれを握り返す。
 ひときわ大きな花火が上がった。二人は見つめ合っていた。
 二発、三発。四発。花火が続けて打ち上がる。耳元に響く音が、花火なのか自分の鼓動なのか、よくわからなくなっていく。

「シノ」
「……うん」

 空が真っ赤に染まる。
 花火にしては、明るすぎる。

 二人は同時に、紅く染まる空を見上げた。
 そこに、天から落ちる光を見た。


 その夜、一つの小さな島が消えた。

 そしてその半日後、島が消えたという事実すらも消え去った。

◇ ◇ ◇ ◇

「あー、あぶなかった! これでひとあんしん! ふわー」
 安心すると、急に眠くなってきたので、彼女は寝ることにした。
「きょうもいちにち、いいこですごせた! かあさまたち、はやくおむかえにきてくれないかな! わたくし、こんなにいいこにしてまっているのに!」
 彼女は知らない。
 彼女の言う「かあさまたち」こそが、まさに彼女をこの天の牢獄――「月」につなぎとめている張本人だということを。
 その「かあさまたち」が、制御の効かぬ彼女を滅ぼすために、青く輝く星にて暗躍し続けていることを。
 そして先程、「かあさまたち」の一体、“忌み野の竜"を打ち倒した女が、彼女と同じ白磁の肌、青い瞳、そして彼女の白髪とは異なる、腰まで伸びた黒髪の持ち主であることを。

 彼女の名は、"無色の竜"。
 "四色の竜"によって産み落とされた、最も新しき神である。

【完】

この短編は自作小説『白磁のアイアンメイデン』の外伝です。本編を読んでいないと分かりづらいかと思いますので、よろしければソチラもドーゾ。面白いですよ。


そんな…旦那悪いっすよアタシなんかに…え、「柄にもなく遠慮するな」ですって? エヘヘ、まあ、そうなんですがネェ…んじゃ、お言葉に甘えて遠慮なくっと…ヘヘ