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誰のためでもない、「私のための時間」の過ごし方

「さて、と…」

マレーシア時間の19時、子供たちを寝室に押し込むと、私は神妙な面持ちで振り返った。

今日は日曜日の夜。

私は週に一日、日曜日の夜だけは、「好きなことをして自分の心身のケアに当てる」ことにしている。

題してわたし時間。誰のためでもない、私のためだけの時間という意味だ。

誰もが「自分の時間がない」という嘆きを耳にしたことがあるだろう。自分の人生の時間は、全て自分のもののはずなのに。

人間は社会的動物であるから、他者と繋がりを持って生きている。そうなると、どうしても他者のために自分の時間を割く必要が出てくる。

時間は有限だ。自分の時間の100%を他者のために使ってしまうと、当然自分のために使える時間は0%。他者のためだけに生きていると、自分のために生きることができなくなるのだ。

私は自分の人生の主導権を取り戻すつもりで、このわたし時間を導入した。さて、どうなることやら...。

いつもならこの時間は、カウンセリングの仕事の待機をしながらブログやnoteの執筆活動をするが、日曜日の夜はそれらは厳禁だ。

「今日は何をしようかな〜」

私はキッチンに赴き、お湯を沸かした。棚を開けてほうじ茶のティーバッグを取り出す。前職の同僚だった看護師さんが退職時にプレゼントしてくれた、とっておきのお茶だ。

マグカップにティーバッグを入れ、お湯を注ぎ込む。お茶を少し蒸らしている間に、子供たちがぶちまけたブロックを片付け、ホウキで掃除をする。子どもは永遠に部屋を散らかす生き物なので、親は永遠に掃除をしなければならない。

「あっ!」

掃除に夢中になって、お茶を蒸らしていたことを忘れていた。急いでティーバッグを取り出す。結構濃くなってしまった。まだ熱いほうじ茶を軽くすすってみる…うん、大丈夫、悪くない。

私はテレビの電源を入れ、YouTubeを立ち上げた。お気に入りのヨガチャンネル「B-Flow(旧B-life)」を見ながら、ヨガをするのだ。

ヨガのインストラクターは、Mariko先生。いつも綺麗。

育児をしていると首と肩がバキバキになる。私の肩はもはや瀕死状態。いつもMariko先生に「助けてください!」と泣きつく羽目になる。

テレビ画面の中で、Mariko先生が言う。

「はい、まずは真珠貝のポーズから〜」

あぐらをかいた状態で背中を丸め、上半身をギリギリまで床に近づける。まるで二枚貝になったかのように。

「あ、もう寝そう。先生、もう寝そうです」

現場でヨガのレッスンを受けていたら、挙手をして先生にそう訴えかけてしまいそうだった。それくらい強烈な眠気に襲われた。

自分が疲弊しているのか、ヨガの効果が絶大なのか分からないが、いつもヨガ中に眠気をこらえるのに必死だ。  

床に顔を近づけるポーズをすると、床のホコリが気になって仕方がない。おかしいな、さっきも掃除したのに…。掃除をしたいという衝動に駆られるが、今はヨガの真っ最中。ぐっとこらえる。

Mariko先生が、「私も子どもを育てているので、肩がバキバキなんですよ」とおもむろに言う。

急に親近感が増した私は目を輝かせ、

「ですよね?なんででしょうね、抱っことか重い荷物持ったりとかするからですかねー。あと私は、雑魚寝も良くないと思うんですよ。枕も掛け布団も子どもたちにとられて…子どもたちが群がってきて重いし…」

テレビ画面に向かって話しかける。変な人だという自覚はある。だが、わたし時間には変なことをしてもいいのだ。

ヨガを2プログラム終えると、貧乏神が乗っていたかのような重い肩まわりが、羽が生えたように軽くなっている。

日本で医師をしていた頃に「肩コリが酷くて…」と受診する患者さんは多かった。筋肉の緊張をほぐす薬や湿布を処方していたが、今だったら「ヨガをやりましょう」と指導したくなるくらい、ヨガはオススメだ。

リフレッシュした体で、私はリビングの掃除を始める。あのホコリを見て見ぬふりはできない。部屋をひと通りホウキで掃き、倉庫にホウキを戻す。

そしてリビングに戻ると、またホコリが目につく。今掃除したばかりではなかったか。

「ま…まさか、タイムリープ!?」

などという事はないので、もう一度そのホコリを掃いて捨てる。

やれやれ。だからロボット掃除機を買ったのに、稼働してわずか1時間で故障して、現在修理中なのだ。

マレーシアでは初期不良はよくあることらしい。そのため、購入時レジの裏で動作チェックするのが一般的だ。

ひと息ついて、ぬるくなったお茶をぐびぐびと飲んでいると、外から破裂音が連続して聞こえた。

「花火だ!」

マレーシアではよく花火を見る。そういえば、明日6月17日はハリ・ラヤ・ハジと言うイスラム教の祝日なのだ。私たちのコンドミニアムからも、赤や緑の小さい花火が見えた。

寝室に飛び込んで、「ねー花火だよ!」と子どもたちを窓際に連れて行くも、4歳娘は「わーすごい」という気遣いの一言を発し、またiPadのゲームに戻っていった。2歳息子に至ってはNintendo Switchから全く顔を上げなかった。

花火に喜んでいるのは36歳のおばさんだけだった。すごすごとリビングに戻る。

日曜日の夜は21時に就寝すると決めているのだが、この時点であと20分しかない。時の流れ早すぎない?2倍速?(YouTubeの観過ぎ)

急いで爪を切って、耳掃除をして、残っていたお茶を飲み干すと、

終了〜!!!カンカンカン!

…今日のわたし時間はわずか2時間だった。だがそれでも、こうやって自分の心身をリセットすることはとても大切だ。

この時間を確保しておかないと、きっと私は倒れるまで働き続けてしまうから。

わたし時間の効用がもうひとつ。それは、子どもの寝かしつけだ。

いつもは仕事が遅くまでかかるので、子どもたちだけで寝てもらっている。「もう寝る時間だよ〜おやすみ〜」と声をかけながら寝室の電気を消すと、子どもたちは「もっと遊びたい」、「怖い」とギャンギャン泣き出すが、10分もすれば身を寄せ合ってスヤスヤ眠りについている。

しかし日曜日の夜、私が21時に寝室に行くと、子どもたちがまだ起きていることが多い。(本当はもっと早く寝てほしいのだが)

娘が「母ちゃんお仕事終わったの?」と尋ねてくるので、
「うん、今日は母ちゃんと一緒に寝ようね」と答えると、子どもたちは飛び上がって喜ぶ。

子どもたちは、どちらが私の腹を枕にするか激しい争奪戦を繰り広げる。私は、娘からリクエストされたストーリーを語らう。

寝付くのは少し遅くなってしまうが、こうやって子どもたちをたっぷり甘えさせてあげられるのも、仕事をセーブする理由として十分だろう。

…さて、来週のわたし時間は何をしようかな。ウトウトしながらぼんやり考える。

とりあえずホコリに翻弄されなくて済むように、ロボット掃除機には早く帰ってきてもらいたい。

あとは…その時の自分が決めることだから、考えても仕方がない。

私は目の前のすべきことに集中しよう。つまり心地良く眠りにつくことだ。

おやすみなさい、今日もありがとうございました。と、姿を見たこともない何者かに祈りを捧げながら。

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