音楽と文学

私は歌詞よりも音の方に耳がいってしまう方です。しかしそんな私でも「ああ、良いなあ」と思う歌詞がいくつかあります。
それらに共通しているのは、文字にしても美しいもの。

それでは紹介していきます。

それが愛じゃなければ何と呼ぶのか僕は知らなかった

米津玄師『馬と鹿』

単純に言ってしまえば「それは愛だ」の一言で済むものを、米津玄師さんは4小節にも亘り歌詞にしています。確かに文字にすると「それは愛だ」とするよりも味わいがあります。

そしてこの曲の一番高い音程のところで米津さんはこう歌っています。

君じゃなきゃダメだ

米津玄師『馬と鹿』

そう。こんなストレートな愛の言葉を伝える伏線として、敢えて長い表現をしていることが感じ取れます。

続いては同じ米津玄師さんのアルバム『STRAY SHEEP』から。

間違い探しの間違いの方に生まれてきたような気でいたけど、間違い探しの正解の方じゃきっと出会えなかったと思う

米津玄師『まちがいさがし』

これも一言で言ってしまえば「君と出会えて良かった」で済むものを、8小節に亘り想いの丈をぶつけています。

この曲はサビも秀逸です。

君の手が触れていた、指を重ね合わせ。
間違いか正解だなんてどうでも良かったんだ。
瞬く間に落っこちた淡い靄の中で、君じゃなきゃいけないとただ強く思うだけ。

米津玄師『まちがいさがし』

サビで満を持してストレートな愛の言葉「君じゃなきゃいけないとただ強く思う」が出て来ました。このストレートな愛の言葉の前振りとして、敢えて遠回りな表現をしていることが感じ取れます。

米津玄師さんはボカロPとして注目され今のキャリアに至っていますが、そこには歌詞の文学性も評価の対象とされていると感じます。

最後にジャンルも時代も違いますが、私たちの世代には避けて通れないこの曲に触れます。

絶え間なく注ぐ愛の名を永遠と呼ぶことが出来たなら、言葉では伝えることがどうしても出来なかった愛しさの意味を知る

GLAY『HOWEVER』

この歌詞の秀逸さは、シンプルなメッセージを長くしているだけではありません。もちろんシンプルなメッセージとしては「愛しさの意味を知る」ですが、この歌詞はもう少し複雑なテクニックを使っています。それは仮定法です。「絶え間なく注ぐ愛の名を永遠と呼ぶことが出来たなら」という仮定をしたうえで「愛しさの意味を知る」という構造になっています。

英文法で言うと「仮定法過去」というものがあります。それは「現実でない仮定は過去で表す」ということです。”If I were a bird, I colud fly to you.” 「私が鳥だったら、あなたのところまで飛んでいけるのに。(=私は鳥ではないので、あなたのところに飛んでいけない)」

その観点でこの歌詞を見ると仮定自体が非現実的な印象を与えます。「絶え間なく注ぐ愛の名を永遠と呼ぶことが出来たなら」という日常会話では絶対に用いない非現実的な仮定法過去は、それが叶わぬもの(=現実ではないもの)を意味し、さらにそれは「愛しさの意味を知る」ことができないということを表しています。

そして非常に文学的な歌詞も結局はシンプルな愛の言葉に形を変えます。

傷つけたあなたに今告げよう 誰よりも愛してると

GLAY『HOWEVER』

落ちサビ前でようやく「誰よりも愛してる」と告げます。これは最高の前振りがあるからこそ活きるフレーズですね。

シンプルなメッセージの前に、遠回しな表現をする。これが味わいにつながっていると感じます。

私自身もラブレターなんてものは書いたことが無いのですが、文学好き同士の愛の告白の際には参考になるかもしれません。文章で想いを伝えるなんて何だか平安時代の貴族みたいで優雅です。

今日はいつもよりも多めに書きました。最後までご覧いただきありがとうございました。

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