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ヒップホップ考

実は私はヒップホップも好きです。今はロバートグラスパーのレコードを聴きながら書いているくらいです。

SKY-HI曰く「世界の音楽シェア7割はヒップホップ」だそうです。現代に生きるものとして、この存在は無視できません。実際各国チャートを聴いていると、各週の上位3位には1曲はヒップホップがランクインしています。

ところで皆が当たり前の様に使う「ヒップホップ」というジャンルですが、その定義はできるのでしょうか?ここでは音楽としてのヒップホップに焦点を当てます。(ヒップホップという文化自体には、「DJ」「ブレイクダンス」「グラフィティ」という側面も重要であるため)

「ラップが入っていたらヒップホップ」という人もいるでしょう。しかしNujabesのアルバムには、言葉無しのトラックもあります。今聴いているロバートグラスパーエクスペリメントの「Black Radio Recovered The Remix EP」の「The Consequences of Jealosy」というトラックはミシェルンデゲオロチェロの歌の断片が聞こえますが、ラップはありません。つまりラップはヒップホップの必要条件ではないということです。

ではヒップホップを定義づけるものとは?と考えた時に有用なのが下記の書籍です。

ロックミュージックを社会学的に考察するという書籍です。論文等を書く際には、研究対象の定義が必要です。南田のこの書籍の秀逸な点は「ロックの定義」を明文化することを避けているところです。では、どうしているのか。南田はロックミュージックという現象を『「反体制」「商業的成功(エンターテイメント性)」「芸術性」という「場」をめぐる事象』と定義しています。これゆえに「〇〇はロックだ」「いやロックじゃない」という不毛な論争に終止符を打っています。

私はこの考えをヒップホップにも援用できるのではないかと考えています。

「反体制」はいわゆるギャングスタラップが当てはまります。日本で言うなら「悪そうなヤツは大体友達」的なノリです。今でいうと呂布カルマなども当てはまるかもしれません。

「商業的成功(エンターテイメント性)」は、ウィル・スミスやJay-Zでしょう。日本も90年代にはスチャダラパーやEast Endなど商業的成功を収めたミュージシャンが存在します。

「芸術性」は何回も挙げているロバートグラスパーが当てはまるかもしれません。

それに加えて「社会問題の提起」という側面もあるかもしれません。今年来日するケンドリックラマーは、「Blask Lives Matter」をテーマにしてきました。またPublic Enemyも黒人であるが故の問題をリリックにしてきました。

以上の「反体制」「商業的成功(エンターテイメント性)」「芸術性」「社会問題の提起」という「場」をめぐる事象が「音楽としてのヒップホップ」」ではないかと考えます。

ここまで書いて、自分の知識の浅はかさに気がつきました。今後も上記4点を念頭に置いて、色々なトラックを聴いてみたいと思います。そのうえで有用な気づきがあったら、新たに記事を書きます。読者の方で「○○はどれに当てはまるんだ?」という疑問を持たれた方は是非コメントください。参考にさせて頂きます。

それでは最後までお読みいただきありがとうございました。

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