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万年筆マネーの新しい説明の仕方


万年筆マネーと又貸し説

 世の中に出回っているお金(マネーストック)はどうやって増えるのか?これを説明したものに「万年筆マネー」と「又貸し説」というものがあります。

 ネットで検索すれば詳しい説明がいくつも見つかると思いますが、ここで簡単に説明します。

 万年筆マネーとは、誰かが市中銀行から借金する時に市中銀行がその人の口座の残高を増やす(銀行預金の発行。具体的には残高の数字を書き換えるだけ)ことでマネーストックが増える、と説明するものです。
 書くだけでお金が増えるので「万年筆マネー」、です。

 これに対して又貸し説は、誰かが市中銀行に現金を預ける(預金する)と銀行預金が発行され、その後別の誰かが市中銀行に借金をすると市中銀行から現金がその人に貸し出され(この瞬間にマネーストックが増える)、その人がお金を使うことで現金が市中を流通し、それを手にした誰かが別の市中銀行に現金を預ける、といったことが繰り返されることでマネーストックが増えていく、と説明するものです。
 預かった現金の又貸しが繰り返されることでマネーストックが増えていくので「又貸し説」、です。

 現実は、いちいち現金を又貸ししなくてもマネーストックは増やせますし実際そうしてますので、説明の仕方としては万年筆マネーの方がより正確ですしシンプルです。

又貸し説にこだわる人達

 しかし世の中には、万年筆マネーが現実であっても、それが犯罪でなくても、むしろそれのおかげで経済発展したとしても、それがどうしても受け入れられず、又貸し説にこだわる人が一定割合いるようです。その原因を考えたところ、以下のような要因によるものではないかと思いました。

・生み出されるお金は現金ではなく銀行預金であり、そして銀行預金は預金者にとっては資産だが市中銀行にとっては負債(現金の引き出しや他行への送金に応じるために自行の資産を減らす必要がある)、という認識が薄いため、「書くだけでお金を生み出せる」という万年筆マネーの説明に対して「ずるい」「詐欺だ」「こんなことを許したら社会は大変なことになる」などと、「道徳的に許せない」という感情がどうしてもぬぐえない

・「そもそも又貸し自体も不道徳な行為だが、書くだけでお金を生み出す行為に比べればはるかにまし」、と考えている

・「書くだけでお金が生まれる」よりも「預かったお金を又貸ししてる」の方が日常感覚としてわかりやすい

 要するに、理屈が理解できないのではなく「感情が邪魔して受け入れられない」のだと思います。この場合はどれだけ丁寧に説明しても無駄だと思います。対処法としては、本人が納得しやすいように説明の仕方を変えるしかないと思います。

万年筆マネーの説明の欠点

 一般的な万年筆マネーの説明では「誰かが市中銀行から借金するときにお金(銀行預金)が生まれる」といった説明をしますが、そこから転じて「誰かが市中銀行から借金をしない限りお金(銀行預金)は生まれない」と誤解している人をたまに見かけます。
 それと、銀行預金はマネーストックに含まれ、そして誰かが借金した時に銀行預金が生まれると同時にマネーストックも増えるので、「銀行預金が生まれると必ずマネーストックが増える」と誤解する人もいるかと思います。

 しかし現実は、誰もお金を借りなくても、市中銀行が「銀行預金に対する利子、自行で働く行員の給料、電気料金など」を支払うときも銀行預金は生まれますし、誰かが預金したときも銀行預金は生まれます。
 そして前者ではマネーストックが増えます。しかし後者の場合、市中を流通している現金はマネーストックに含まれますが市中銀行が保有している現金はマネーストックには含まれませんので、預金する(現金が市中銀行に移動し、その分の銀行預金が生まれる)場合はプラスマイナスゼロとなりマネーストックは変わりません。

万年筆マネーの新しい説明の仕方

 そこで万年筆マネーの説明を以下のようにするのがよいのではないかと思います。

 私たちは普段お金を支払う時に現金を渡したり銀行預金を相手の口座に振り込んだりと、自分の資産を減らすことでお金を支払います。
 しかし市中銀行は資産を減らすのではなく負債(銀行預金)を増やすことでもお金を支払うことができます。
 例えば、借金の申し込みがあった時、銀行預金に対する利子を支払う時、自行で働く行員へ給料を支払う時、現金が預けられた(預金)時などです。この時生み出される銀行預金は口座の残高を書き換えるだけで生まれます。

 この説明であれば、銀行預金を生み出したからといって市中銀行が得しているわけではなく、しかもその負債(銀行預金)には預金金利が付いているため時間とともに膨らんでいってしまうことがわかるので、「書くだけでお金を生み出せるなんてずるい」と感情的に受け入れられない人も減るのではないかと思います。
 また誰も借金しなくても市中銀行は銀行預金を生み出すことができ、色々な場面で日常的にそれを行っていることも分かります。

 さらに理解が深まれば、「市中銀行は銀行預金を自由に発行できる。しかしそれは市中銀行にとって負債なので考えなしに発行することはない」というところにも辿り着くと思います。

おまけ 「借りる、預ける」ではなく「買う、売る」だとより理解しやすい

 例えば私が1万円札を市中銀行に持って行ってそれを預金したとします。私は市中銀行に1万円札を預けたつもりなのに、その1万円札は私のものではなく市中銀行のものになっています。私は現金1万円を失う代わりに銀行預金1万円を手に入れたわけです。次の日に「昨日預けた1万円を返してください」と言いに行っても、違う番号の1万円札が返ってくることになります(偶然同じ番号の可能性もありますが)。

 普通はお金を「銀行から借りる」とか「銀行に預ける」などの表現をしますが、これでは無意識のうちに「所有権は移っていない」と考えてしまい、万年筆マネーの理解を妨げる恐れがあると思います。そこで、「借りる」や「預ける」ではなく「買う」や「売る」と考えた方がより理解しやすくなるのではないかと思います。

 例えば市中銀行がお金を貸す時は「市中銀行は借り手に銀行預金を支払って借用書を買い取っている。借り手は借用書を売って銀行預金の支払いを受けている」。市中銀行に誰かが預金する時は「市中銀行は預金者に銀行預金を支払って現金を買い取っている。預金者は現金を売って銀行預金の支払いを受けている」という感じです。

 これはあくまでも万年筆マネーについて考える時だけの話で、日常生活で「ちょっと銀行に現金を売りに行ってくる」なんて言うと周囲の人は「ハァ?」となってしまうので注意が必要です。

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