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学生の頃には、嫌でも文字に触れる機会がありますが、社会人になると途端に本を目にする時間が減ってしまう人って多いんじゃないかと思います。

それは、社会人となって仕事を始めたばかりの頃は特に、自分に与えられた仕事を覚え、こなして行くことに一生懸命で、余裕がないという人が多いからでしょう。

僕も今の職場に就職してから13年、ずっとお世話になっていますが、最初は本を読む時間がかなり減っていました。

僕は元々、読書嫌いではなかったので、少しは本を読めました。読書家と言えるほどのものではなかったんですが、本を読むことにそれほど抵抗がなかった方なんだと思います。

それでも、社会人になってすぐは本を読めませんでした。やっぱり、実務に必要な学習が最優先になっていて、正直余裕がなかったんです。

その後、少しずつ仕事に慣れて、本を読む時間が少しずつ増えてきました。読書の時間は現在も増え続けています。

僕の場合、読む本はそれほどこだわりがなくて、気になったら読むようにしています。だから、気になった本をすぐ買ってしまって、すぐに読めなくて詰んである本がいっぱいあります。一生積んだままなのかもしれない。それも運命。

そして、いろいろな本を読んでいく中で、少しずつ感じていることがあるんです。たくさんの言葉に触れるというのは心地よく、それは段々と膨れ上がっていくということです。(もちろん読むのが辛い文章もありますが)

なぜ心地よいのか考えてみます。

さまざまな言葉に触れ、知るということは、事実を知識として得るという側面もあるけれど、いろいろな人間の価値観(思想・思考・考え方と言い換えても良い)、物語に触れる機会にもなるということだと思います。

自分一人の人生だけでは、知り得ないような物語に出会うこともできます。

人間の価値観は様々です。1人として全く同じ考えを持った人はいない。そもそも厳密には確認できませんしね。その様々な価値観というのは、自分にとって正しいと思うことを言っていることもあれば、誤りだと思うことを言っていることもあります。

ある人にとっては大切な価値観でも、ある人にとっては不要な価値観であったりする。

それは、言葉に触れる機会が増えるほど、多く感じるようになる。

そして、自分1人が持っている価値観や判断の良し悪し、考え方というのは誰もが納得しうるものでは当然ないだろうし、状況(時代、世界の情勢、会社の方針、仲間内のルールなどいろいろ)によって変化しうるものなのだと、言葉に触れつづけることで気づきました。

自分1人の考えってこんなに不安定な存在だったんです。状況によって簡単に変わってしまう。

自分の価値観を俯瞰して捉え、状況と照らし合わせながら、一つの考え方に捉われすぎない判断をする。言葉を通して、いろいろな人の価値観に触れることで、あまりにも多様で、それが時代や社会背景によって簡単に変動してしまう事実を知り、状況を正確に認識して判断することの大切さを感じています。

これは教養を身につけるということになると思います。

大人になっても様々な言葉に触れるということは、己の価値観がいかに不安定なものかを知るために役立ちます。(間違っているということではありません。状況によって簡単に変わるという事実です。)

大人になっても本を読む。僕にとってこれは、教養を身につける最善策です。
教養は人生を豊かにする。だから、心地良いんでしょう。

言葉が記された本ならなんでもいい。読みやすい本から読んだらいい。
僕が本を読みつづける理由は、多くの言葉に触れることで人生を豊かにするためです。少しずつでもいいから、毎日1行でもいいから、とにかく言葉に触れること。

それが大事。

#私の学び直し

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