衆院選挙日

今日は衆議院議員選挙の日。雨が降ったから、投票率は下がるんだろうか。僕はまだ行っていないから、これを書いたらカフェを出て向かうつもりだ。

テレビやSNSを見れば、「若者の選挙率の低さ」と「みんな選挙に行きましょう」というお決まりの言葉が並んでいる。僕は教員をやっていて、教科も社会科だから、役割的には「選挙に行こう」と伝えることは仕事の1つだし、テレビやSNSで見るようなことを学校でも伝える側なんだろう。でも、僕の妻は今日仕事に行って、終わりの時間には投票は締め切られているから、選挙にはおそらく行けない。僕は最も近い人にすら「選挙に行こう」と伝えることに躊躇してしまう。

だって、「選挙には行くべき」なんて「勉強はした方がいい」ってのと同じくらいみんな分かっていることで、それでも行かない理由とか行こうと実際に行動に移せない何かがあるんだろうと思ってしまうから。正直僕自身、この後投票にはいくけれど、どこに投票したらいいか、現在の政治に絶望しすぎていてわからなくなっているくらいだ。政治に興味ない人は、大事なことはわかっていても、投票なんてする気持ちになれないんだろう。

いや、もしかしたら、自分の投票に責任を持ちたくないのかもしれない。電化製品を買いに行くとき、とりあえず店員さんに聞く人はいる。「どれがおすすめですか?」

その答えを聞くと安心して買える人がいるんだろう。「どこに投票すればいいの?」と聞けば、「自分で考えた方がいい」と返ってくるだろう。現代人は、それを考える時間がないんだろう。考える時間がないから、その責任を取ることももっとしたくなくなってしまう。

「選挙に行こう」というメッセージは、選挙に行く気がある人には響くんだろうけど、そのつもりがあまりない人には「あぁまた言ってる」くらいで済まされるんだろう。

僕が尊敬している哲学者、東浩紀がTwitterのハッシュタグは同じ考えを持っている人は反応するけど、それ以外の人には何も考えさせていないといったことを言っていて、そうだなって思った。「#選挙に行こう」は選挙に行った方がいいと思う人にはヒットするけど、それ以外の人はスルーだろう。

もっと言えば、たとえ選挙を大切に思っていても、今日は渋谷のハロウィンでする仮装のことを考える方が大事だって人もいるだろう。冒頭に書いたように、雨だから外出るのだるいとか、片頭痛してきて行きたくないとか、そんなのが人間のリアリティだ。

このリアリティを無視してはいけない。僕らは弱くて、情けない。そこからスタートしないと。必ずしも正しい情報が人を動かすとは限らない。

もちろん、それでも僕は投票に行くし、「投票には行った方がいい」と伝え続けるだろう。それが伝わらなくても、伝え、考えてもらう機会を作るだろう。人の考えが変わっているとしたら、それは僕が変えているのではなく、その人自身が変えているんだ。僕にできるのはそのきっかけとなる瞬間を提供すること。いや、それすらできないかもしれないけれど、それでも信じるしかない。僕らは弱くて情けないけど、だからこそ尊いんだ。

今日も今日とて僕は僕でいる。

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