団地の遊び 病院徒然

病院徒然

 子供の頃から実に病院にはよく行った。頭も悪いし体も悪い。まさに箸にも棒にも、というやつである。
 昭和の病院は、開業医の話だが、家と一緒という所が多かった。少なくとも、自分の回りでは、そういう感じだった。
 学級委員Rがいつも行っていた病院の話は、少し驚いた。ウチの号棟と学級委員Rの家は、同じ団地とはいえ、少し離れていた。
 よって、よく行く内科医院も違っていた。その病院は、保険証をいつも預かっていたという。病院に行って、受付で名前を言うと、受付のおばさんが箱にあるたくさんの保険証の中から探し出す、というシステムだったそうだーーーシステムという程のものではないが。
 保険証を預けると、他の病院に行く時は面倒ではないか、と思うが、そういう場合は、もちろん病院まで取りに行かねばならないのだが、必ず病院を紹介してくれて、ようはあそこに行けと言われたそうだ。
 そして、夜間休日でも、診てくれた。
 なんとなくいかにも昭和っぽく感じる。
 自分の行っていた病院は、保険証を預けるということは、なかった。でも、夜間休日でも診てくれた。先生が、なんだか妙に派手なワインレッドのガウンでも着てフカフカのスリッパを履いて、二階からノンビリと下りてきた。白衣を着ないときもあった。
 他の病院を紹介するという、システムはなかったーーーくどいようだがシステムという程の、ものでもないけど。
 外科は、駅近くに入院設備も整った、評判のいい病院に行っていた。
 学級委員Rが、なんかで怪我したとき、ここの病院ではなく、別のとこを紹介され、行けなかったのを残念がっていたのは、覚えている。
 そして、自分が怪我した時、付き添いで駅近くの病院に来たときは、「へえーここかぁ」と言って、妙に喜んでいた。
 ハッキリ言って、歯医者だけは、ヤブしかいなかった。どこへ行っても、ヘタだった。あそこはいい、なんて話すら、聞いたこともなかった。
 これはまったくもって自分の推測にすぎないが、1970年代というのは、歯科医療が確立しておらず、まだ未発達だったのではないか?と思っている。
 80年代になって、やっと落ち着いたという気がする。
 これはあくまでも、自分だけの判断なので、シロウトが何を言ってる!というのなら、謝罪します。
 しかし、実際問題として、ハッキリ言って歯医者に行って、みんな酷い目にあってる奴がいっぱいいたのだ。
 これは自分だけでなく、他の多数の人たちもだが、70年代におかしくした歯を、80年代になってやっと治せた、という奴が、実に多い。
 単に、みんながヤブ医者に当たっていた、という可能性もないではないのだが。
 一例で、歯科のことを書く。そこは、初めて行く歯医者だった。今まで行っていた所にウンザリしたので、友人の紹介で試しに行くことにした。
 ここが痛いと言ったら、キュイイイイン!という歯を削るやつで、削りに削り、そして神経を抜きはじめた。痛いの痛くないのといったらない。すさまじく痛い。麻酔なんかもちろんしない。小さな赤い神経を少しずつ抜いていく。全部抜くという。これは一種の拷問ではないか?と思った。結構、時間がかかった。ちなみに女の先生であった。
「もう大丈夫」まるで大丈夫ではなかった。数年たって、歯が真っ二つに割れた。この歯は、歯茎から上がない。よって、なんかサイコロみたいなやつをくっつけ、上から銀歯を被せた。とりあえずは、なんとかなった。
 そして今、フィステルという状態になった。完全には、もう治せない。もしくは抜く。というわけである。
 家から一番近い、内科医、夜間休日でも診てくれた先生は、良かった。いつも畑の道をデカいコリー犬に引っ張られ、引きずられるように歩いていた姿は、今でもハッキリと思い出せる。
 何年ぶりか、大人になって行った時でも、ちゃんと自分のことを覚えてくれていて、いきなり、検査でもしようか?と言われ、採血され、後日電話で、大丈夫、膠原病ではなかったと言われた時は、おどろき、そんな事を自分が子供の頃から気にしていたのか、と驚いたのも、はるか三十年近くも、前のことだった。
 先生は亡くなっているだろう。もし生きていたら百二十歳ぐらいである。誰が跡を継いだのか、病院は依然存在し、五十年以上の老舗じゃあないか、そんな事をグーグルアースで見た最近だった。






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