団地の遊び 宿題の続きと洞窟

宿題の続きと洞窟

 夏休みの宿題で、結構な量が出た時があった。小五か小六か、そのへんである。
 とても一人ではできないので、友達同士で分担してやる奴らがいた。自分もその一人である。
 学年一位の成績優秀者であり、女学級委員でもある山岡と一緒にやった。とはいえ、社会以外、残りは山岡がやってくれた。
 山岡は今で言う理系女子であり、算数とかのほうが圧倒的に得意であった。トップの成績を維持はしていたが、唯一、社会だけは苦手にしていた。なかでも地理は苦手というより理解できていなかった。「フランスの横ってアメリカだっけ?」山岡がこんな発言をした時は、コッチがパニックになりそうであった。
 そんなわけで、社会の宿題だけは、まかされた。
 自分のやつは、新幹線ひかりに乗車。午前0時二分岡山着。この時代、新幹線は岡山までが終点だった。五分しか時間がないので、カバンを持ってホームを走り階段を上りまた下りて、長崎行きの寝台車に乗る。三段ベッドの中段で寝る。
 こんな感じのものを書いた。これは本当の実体験の、九州旅行である。
 山岡のは、午前8時15分新幹線こだまに乗る。熱海に着き、旅館に落ち着く。箱根などに行った旅行記を、自分が創作した。
 夏休みが終わる。
 みんな、海に行って泳いで楽しかったです。とかそんなことを書いている。
 ところが自分と山岡のだけは、ガイドブックや時刻表を見て何時何分の電車に乗り、何時に着く、どこに泊まる、そういったものを細かく書いたので、それが先生の評価を高くした。
 先生は、クラスの前で読み上げた。そして言った。「なぜだか、この二人だけが、こういう書き方をしている。なんでだろうなあ?」
 もうみんな、知ってるのである。宿題の量が多いので、分担してやった者は、ほかにもたくさんいた。
 先生は、よほど気に入ったらしい。後ろの壁に、それらを貼ったーーー正確には、貼ったのは先生ではなく、掲示係だが。
 みんな、山岡が書いたものだと思っている。なんといっても成績学年一位の女である。
 こっちは走るのが速いだけの、バカで有名なバカである。誰も、自分がやったとは思わない。
 それでも、夜中に新幹線降りてホーム走って寝台車乗ったのホントの話?とか質問された。自分の話は、全て本当なので、特に困ることはないのだが、山岡の二泊三日、箱根、熱海旅行は完全な自分の創作である。困ったのは、山岡の方であった。一度も行ったことないのである。
 箱根に親戚のおばさんいるっていいね。彫刻の森良かったでしょ?そんな質問をされ、ああ、うん・・・と答えていたが、結局真実を話した。「ごめんなさい。これあたしじゃない」
 すると、バカで有名なバカが書いたということで、ものすごく驚かれた。
 ちなみに山岡の通知表は、社会が苦手でも、オールAである。こんな通知表が、存在することに、自分は心底、驚いた。
 自分の通知表は、バカの通知表である。足だけは速かったが、だからといって、Aになった記憶は一回もない。一回だけ、体育でAの▲というわけのわからない評価を受けた記憶があるような、気がする。
 冬休みになった。K先生は宿題を出さない良い先生だったのだが、なんかだんだん出すようになった。
 電車かバスに乗ってどっか行け、というのが、社会の宿題だった。これは、学級委員Rから聞いた話だが、君が夏休みの時あんなもの出すからだよ、という未確認の理由らしい。
 他の宿題の大半は山岡に頼むと、ブツブツ言いながらもなんとかやってくれたが、社会に関してだけは、「なんとかして」と頼まれた。コイツは地理が嫌いどころか、ものすごい方向音痴で、一人では団地からは出られない女と言われていた。何度も迷子になっているーーー最近、思い出した。
 近場のお出かけみたいなことを書けばいいようであった。冬休みだから、初詣に行ったとか、そんなものだろう。
 そこで何人かで、読売ランドに行った。真冬の読売ランドは、すさまじく寒かった。昭和の冬は例外なく寒いのだが、当時、読売ランドは山であった。そして、田舎だった。あきらかに、団地より、温度が五度ぐらい低かった。 
 細かい事は忘れてるが、みんなで洞窟に入った。弁天洞窟の中は、外に較べて暖かかった。闇に目が慣れると、思ってる以上に狭いことがわかり、すぐにも道を覚えた。
 みんなで走り回って、追いかけっこした。極度の方向音痴の山岡も、狭いからなんとかなった。
 外に出ると。夕方でさらに寒くなっていた。ガラガラの電車の中で、山岡が言った。
「あたしが洞窟のこと作文に書けるなんて、嬉しいよ」
 洞窟入ろうと言ったのは自分である。すると友達しかいない車内で、回し蹴りの練習をしながら三村夏子が自分に言った。
「.よくやった」ーーーなんだコイツ。



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