団地の遊び 大阪の女

大阪の女

 いつも行く団地の公園である。小四か小五か、そのへんの時だと思う。
 何人か、いつものメンバーがいた。誰だったか、よく覚えていない。ところが、知らない女が一人いた。黒縁メガネをかけた髪の長い女の子が、ベンチに座っていた。
「こんにちは」そのコが、思いきり大阪訛で言った。
 この時、自分が大阪弁というものを知っていたのか知らないのか、定かではない。記憶としては、ないのだが、テレビとかで関西漫才師など見ていたから、多少の知識はあっただろう。
 誰かがこのコを紹介する。一時的に東京にいて、なんたらかんたら、と紹介する。まるで忘れている。
 ともかく、おそらく、生の大阪弁を聞くのは、初めてであった。
「指、どないしたん?」
 包帯を巻いた自分の指をさす。なんだか妙に馴れ馴れしかった。
「ケガした」「わかっとるわ。オシャレでホータイ巻いてますーー、なんて答え期待してへんわ」
 圧倒的な関西弁であった。これには焦った。ちなみにケガは、ブランコの鎖に指を挟んだ結果である。
 という説明をしたら、「アホやなぁ。めっちゃ痛そうやないか。気ぃつけなアカンでホンマに」
 アホ?これはあきらかな悪口ではないか?それとも問題ないのだろうか?怒りは湧かなかった。
「タコ焼き一個十円やねん」
大阪では、テキ屋のタコ焼きが一個十円だという。初めて聞いた話である。
 東京にも、テキ屋のタコ焼きは存在したが、バラ売りはしていなかった、知る限り、ていうか、ウチの回りでは。
 違う自治体から自転車でかっ飛ばして来る、野球少年の役川君(仮名)がいた。ボールとグローブを持っている。
 公園横にある、二十五メートルプール程の広さの、何をやるにも中途半端な所に壁があり、そこで一人ボール投げ練習をするのだった。
「大阪はな、タコ焼きオカズにご飯やで。あと汁物。東京は、そういうことせえへんのやろ」
「うん。それはなんかテレビで聞いたことがある」役川君が言った。
「せやねん。家によって、タコ焼きの中ちゃうねん」
 この手の話は、現代ではありふれていると思う。しかし、当時、1970年代、東京在住小学生としては、すごく新鮮な話題だった。タコ焼きがオカズになる?というのは、驚きであった。
「いつも新喜劇見てお昼食べんねん」土曜日はそうなのだという。ところで、よしもと新喜劇というものも、知らなかった。
 当時、関西芸人と言ったら、やすし・きよし両師匠、桂文枝(三枝)師匠、ぐらいしか知らなかったのではなかろうか。
 新喜劇というのは、毎週、舞台でやるお笑いのこと、と聞いて、役川君が、「ドリフみたいなもの?」と聞いた。
「せやで。ドリフは全国あちこちでやるやろ。新喜劇は梅田花月で毎週やるねんで」
 知らない世界であった。みんな感心し頷いている。
 それにしても、大阪の女は、ずっと一人でしゃべっていた。とりあえずは面白かった。
 しかし、この話はおそらくすぐ忘れるだろうと思った。なぜなら、差し当たり、自分が生きていく上で、まったく関係ない話だからで、おもしろいことはおもしろいが、どうでもいいと言えばどうでもよかった。
 そして今、五十年の歳月を経て、突然、思い出し書いているーーーというほど、たいそれたものではないけど。
「ドリフは人気あるの?」役川君が聞く。どうも彼はかなり興味を持ってるようである。
「新喜劇がそんなに人気あるなら、ドリフはどうなのかな、と思った」
 なかなか鋭い質問であった。
「新喜劇は、もう生活の一部やねん。せやけど、ドリフはちょっとちゃうねんな。人気あるでドリフ。ちょっとだけよ、女の子もやるで」
「ホント?」誰か女が本気の本気の驚き口調で言った。
 加藤茶さんの伝説的超ギャグーーーちょっとだけよーーーは、マネしてるやつは多勢いるが、女でそれをやる奴はいなかった。
 ハゲつら被りちょび髭つけて、ネグリジェ着て、タブーの曲に合わせ、寝転がって足を上げ、「ちょっとだけよ。あんたも好きねえ」ーーーいろんなバージョンがあり、服装格好に関しては一概には言えません。
 要するにストリップのパロディなのだがーーー多分そうだと思う。確認してないがーーーこの頃はもちろんストリップなんて知らないーーーませた奴で知ってる者もいたが。
 単に、加藤茶さんのそういうパフォーマンスが面白かったのである。子供たちには大ウケであった。
 ただ、それを女子がやるのは問題ではないか?というのは、本能的に感じていた。
 さすが大阪である。
 大阪の女は依然しゃべっている。
荒井注さんのこれまた伝説的超ギャグであった。
「This is a penやで」

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