団地の遊び 団地のウワサ

団地のウワサ

 団地というのは、広いようでいて、狭い世界である。
 号棟数は多く、人も多いが、たいがい団地中央のストアや商店街で買物し、同じ建物に住み似たようなモノを食べる。顔見知りは、やたらと多く、至るところで、世間話をしている。
 団地内というのは、ウワサが広がるのが早かった。ネットなんてない時代でも、アッという間に、口コミで広がる。
 学級委員Rが、朝、病院に寄ってから学校に行った。あらかじめ届け出た二時間の遅刻である。知ってるのは、親と先生だけなのに、学校帰り、すでに団地中央のパン屋のおばさん、近所の人など、みんなが遅刻したことを知っていた。
 出どころがどこなのか、百パーセント判然としないが、台所はベランダ側にあって、そこから、外が見える。団地内の道が見える。よって、台所にいる確率の高い主婦たちは、窓の外を見る。すると、遅れた子供が歩いているのに気づく。
 まあ、そんなところではないかと、推測する。
 夜、パーン!パーン!という音が団地内に響きわたる。はじめは、タイヤが破裂した音ではないか?という話が、誰かが言う。「あれは銃声だよ」
 結論から言えば確かに銃声であった。ヤクザが銃の手入れをしていて、誤って撃ったというのが、正解であった。
 ところが、その正解の前に、さまざまな話が飛び交う。薬屋のおばちゃんが撃たれたとか、すりばち公園で銃撃戦があったとか、だんだん話が大きくなっていく。
 そのうち、時間がたつと、まあ多分これが本当だろう、という話に落ち着くーーーだからといって、本当に本当かは誰も確信がないのだけど。
 あの家には頭のおかしい人がいる。こういったウワサは、なぜか実に多かった。
 夜中にわめき声が聞こえるとか、物を壊してるような音がするとか、なんかそんな感じのが多かった。
 当時は認知症という言葉すら、一般的ではなかった。ようは、そういう方ではないのか?と後になって、友人たちと話している。実際、一軒だけ、クラスメイトのばあさんでそういう人がいた。
 閉じこもったまま、外に出てこない家がある。これも結構、耳にした。団地は、やれ回覧板だ、階段掃除の順番決めだ、とかなんやかんや、いろいろあった。しかし、外に出て来ない家の人は、そういったものを一切せず、閉じこもっている。深夜になると出てきて、ゴミ出ししたり、していた。
 当時はコンビニはなかった。なので、買物はどうしてるのだろう?何を食べてるのだろう?と言われていた。
 団地は、公団所有の土地で、畑があり、住人が借りて作物を作っていた。夜、耕し収穫している姿を見たとか、団地内の川の土手で、つくしなど食べられる植物を取っているとか、ヘビやネコを殺してる、きっとそれでタンパク質を摂ってるのだ、とか、結構真面目にウワサされていた。
 閉じこもってる家の人は、たいがい家族が何人かいるウチで、一人という奴はいなかった、と思う。そして、なんで閉じこもってるのかは、一回も一切、聞いたことがなかった。
 あの号棟のオッサンは、刑事で、いつも拳銃を持ち歩いている。見た目、太ったオッサンだった。少しハゲていた。「太陽にほえろ」の刑事みたいなものは、まったくなかった。そもそも刑事に見えなかった。
「刑事に見えないところがシブいのさ」誰が言ったのか、自治会長の息子高橋(仮名)が言ったような気がするが、なるほど、それも一理ある、と感心したのは、覚えている。
 ベトナム人のホンさんが団地のストアで買物している。団地スーパーで買ったものでホンさんはベトナム料理作ってんだぜ。誰だったか、そう言った。
 つまり、団地のショボいストアの食材で、ベトナム料理を作ることがてきる、というところに、驚きがあった。もっとも、当時、地図帳で見たベトナムがどんな国で、何を食べてるのかなど、まったく知らない。
 そもそもホンさんが、ホントにベトナム料理を作ってるのかどうかも、わからなかった。ウワサである。ご主人が日本人なので、和食だろう、という意見もある。 
 どちらにしろ、まったく余計なお世話であった。
 一人暮らししてるおばあさんがいた。団地ストアの近くの号棟の一階に住んでいる。
 年齢は、百二十歳だという。本人がそう言っている。自分たちは、まだ子供だったので、結構信じていた。
 実際、見た目、もの凄い年寄りだった。こんな歳とった人は見たことがない、というレベルであった。どんな容姿なのかを、説明するのは、自分の筆力では不可能である。二百歳といってもいいぐらいであった。
 そんなわけで、大人になっても、まだこんなことを覚えているバカな自分に、呆れている現在といえた。



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