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21世紀へ #08


 彼女は、とても寂しそうな顔を
していた。

 ここで、僕の心の中に迷いが生
まれた。
 僕はこの子が好きだ。しかしな
がら、社員として雇っており、彼
女の田舎のご両親からは、「娘を
よろしくお願いします」と頼まれ
ている。
 無責任なことは出来ない。
 僕には彼女を守る責任がある。

 部屋の中に入り、彼女をソファ
ーに座らせた。
 彼女は焦点の定まらない眼で、
上半身をゆらゆらと揺らしている。
「ちょっと待って。水を飲んで、
少し、酔いを醒ましなよ」
 キッチンに行って、コップに水
を汲み、彼女のもとへ持って行く
と、彼女は既にソファーの上で無
邪気な顔をして寝ていた。
 ベッドから毛布を持ってきて、
彼女に被せると、僕はそのまま、
アパートを出た。ドアはオートロッ
クだから、このまま帰っても問題
ないだろう。

 僕は井上綾香のアパートを後に、
そのまま帰路についた。

「おはようございます」
 休日も終わり、何事も無かった
ように、井上綾香が出勤してきた。

「社長、先週はすみませんでした。
あたし、いつの間にか自宅で眠っ
ていたんです。社長と赤提灯で、
飲んだのは憶えているんですけど、
その後の記憶がなくて……」
 飲んでいた、コーヒーを吹き出
しそうになった。
「井上君! 憶えてないのか?」
「はい」と、罰が悪そうな顔をし
ている。
「しょうがないなぁ。僕が、タク
シーで君の家まで、送ってあげた
んだぞ」
「ええー?本当ですか?」
「本当に、憶えてないのか?」
「すみません……」
「そうか」
 あの時、玄関先で僕の二の腕を
掴んだ彼女は何だったんだろう?
 僕の勘違いか?
 それからの僕は、仕事中の彼女
の横顔を見る度に、心のもやもや
が晴れなかった。

 とうとう、僕は決心した。
 今度の休みの日に、彼女を映画
に誘った。
「ねぇ。今度の休みの日、映画み
に行かない?チケットを友人から
貰ったんだ」
(もちろん、チケットは自分で2
枚買ったのだが)
「え?どんな映画ですか?」
「『タイムトラベル西暦2300年 
未来への旅』SF映画なんだ」
「おもしろそうですね」
 彼女は喜んで行くと言ってくれ
た。まずは、デートの誘いOKだ。
 次の休日が、待ち遠しかった。

 待ち合わせは、元住吉駅の西口の
ブレーメン音楽隊の銅像の前にし
た。当日の彼女は花柄のワンピー
スを着てきた。見慣れたスーツ姿
の彼女と比べると、とても新鮮だ。
 改札のエスカレータを降りて、
こちらにやって来る彼女のワンピー
スの裾が春風に揺れて、素敵だっ
た。

「じゃー。行こうか」
 新宿歌舞伎町まで、繰り出して、
映画館に入った。
 映画の内容は僕が住んでいた、
2321年の世界とはだいぶ違ってい
た。
 映画はだいぶ誇張されて描かれ
ているが、実際の人の生活や思想
は、さほど変わるものではない。
 重力、エネルギー問題、人口問
題などは解決され、幾分人々の暮
らしは豊かになったが、人間の思
想、行動は変わらない。

 所詮、空想の世界はこんなもの
かと、思いながら見ていた。
 彼女を見ると、熱心に映画を見
ている。

 映画はいつの間にか、未来の世
界でのベッドシーンになっていた。

 隣の彼女の手を握ってみた。
 僕の手が、彼女の手に触れた瞬
間、びくっと彼女の体が震えた。

 彼女の手を握ってみると、彼女
の手は柔らかくて暖かかった。
 しばらく、握ったままで、映画
を見ていると、お互いの手のひら
が、汗でじっとりと潤ってきた。

 試しに、彼女の手のひらを人差
し指で、ツツーとなぞってみた。
 すると、彼女の体は敏感に反応
し、ビクッっとした。
 それを何度か繰り返してみると、
そのたびに彼女の体は反応した。
 女の人は、手のひらにも、性感
帯があるのか?

 やがて、彼女の口から、悩まし
気なため息が出てきた。
 体を硬直させている。エクスタ
シーに達したのか?

 そんな訳だから、映画の内容な
んて、ろくに憶えていない。

 映画を見終わって、映画館を出
ると、あたりはすっかり日が暮れ
ていた。
 映画館を出た僕達は、食事をし
た。
 食事の席で、彼女の家は農家で、
一人っ子だとか、生い立ちや、両
親の話を聞いた。
 逆に僕の方の話はあえて避けた。
 未来人の僕には、生い立ちを話
せるような環境が無い。

 両親は早くに亡くなって、親兄
弟はいない。天涯孤独だとか、
適当に話した。彼女にウソをつく
ことに対して、心は痛むが、しょ
うがない。

 食事が終わって、店を出た後、
新宿駅で、彼女と別れた。

 次回は、レンタカーを借りて、
僕の運転で、ドライブに行く約束
をした。

つづく

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