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現実と仮想の関係性について〜「レディ・プレイヤー1」から考える

※全文公開、投げ銭方式

※本記事はこちらの記事の続きです。ネタバレ含みますので、ご注意ください

さて、今回は「現実と仮想の関係性」について、レディ・プレイヤー1を通して考えてみる。主に3人のキャラクターに焦点を当てる。

最初の一人は今回のヴィラン役「ノーラン・ソレント」。ライバルとなる世界第二位の企業、IOI社の社長であり、汚い手を使ってでもゲームをクリアしようとする悪役である。

彼はバーチャル世界を、あくまでリアルでの権力を得るための手段と考えている。オアシスはあくまでゲームであり、収益をあげる手段なのだ。だからこそ、彼は最後、思い通りにならない世界をリセットしようとする。またオアシス世界の住人が総出で殴り込んでくることに激しく動揺してしまうのだ。

もう一人はオアシスの開発者「ジェームズ・ドノヴァン・ハリデー」。彼はリアルを捨てバーチャルに逃げ込み、最強のゲーム世界を創った。しかし、バーチャルへの逃避により、共に創業した親友を失い、大事なシーンでキスも出来ず、バーチャル世界で死の直前に悟ったことは「リアルでしか得られないものがある」ということだった。この後悔が今回のゲームを生むわけだ。

最後の一人は主人公「ウェイド・ワッツ」。彼は前半、バーチャル世界のみに焦点を当てた存在として描かれる。アバター相手に恋に落ちるし、有名になれば有頂天になる。

だがストーリーが進むにつれ、彼が考えるバーチャルは、ソレントの悪事によってリアルに侵食し始める。そこから、バーチャルでの仲間がリアルの仲間と接続されていくのだ。このあたりから、ウェイドにとってオアシスはただのリアルの逃避手段ではなく、リアルと並行に存在する場として認識されているのではないだろうか。そのきっかけはやはり愛であり、仲間を見つけたことであった。

見てきた通り、彼ら3人は現実と仮想の捉え方が異なる。ソレントは、現実が主軸であり、仮想は手段として捉えている。一方でハリデ—は、仮想が主軸であり、現実は逃避対象だった。そしてそのことを後悔している。最後にウェイドだが、彼は前半はハリデ—と同じだが、徐々に現実と仮想が同じレベルで捉えられるようになる。どちらが主軸だと言うのではなく、現実と仮想を接続し、コミュニティも身体性も拡張させることで成長をしていくのだ。

この現実と仮想を並列に捉える考え方は、恐らく今の僕らの感覚に近い。仮想を手段としか捉えられない人は、これまでの枠組みから逃れることは難しいだろうし、仮想に逃げ込んだ人は現実を遠くから批判するだけの存在となっていくだろう。つまり、リアルに傾倒してもバーチャルに逃避しても、どちらも変化についていけないのだ。悲惨な結果に終わるソレントも、後悔を残したハリデ—もその象徴ではないだろうか。

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