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文化の資本(チャールズ・アイゼンスタイン『人類の上昇』)訳者コメント

Facebookでチャールズ・アイゼンスタイン『人類の上昇』の翻訳を紹介するときに書き添えていた前書きを、noteにもアップしてはどうかという提案をいただいたので、試しに本文とは別立てで書いてみます。

今回のは第4章5節「文化の資本」です。前編後編に分かれています。私たちの文化を構成している「知識」が、著作権と特許という形で囲い込まれ、所有され、金銭化されてきた流れを議論します。

今回の内容は私の生い立ちから職歴に至る流れの中に共鳴する部分が多くあったので、前書きにしては盛り沢山になってしまいました。(こんな分量を他の節でコンスタントに書けるかどうかは分かりませんけど。)


私は小中学生時代に「発明クラブ」でモノづくりに熱中していました。コンクールで賞を取るようなことがあると、大人たちは決まって「特許を取らなきゃイカンわ」と言いました。子供ながらに途方もない嫌らしさと違和感を感じていたのを思い出します。工作が純粋に楽しかっただけなのに、その先に生臭い闘争の世界が待っていることを知って、冷や水を浴びせられた気分だったと思います。

大人になって技術者になり会社で働くようになると、特許出願はノルマになりました。アイデアを提出する用紙は「権利譲渡書」で、自分のアイデアを会社に譲渡することが最初から決まっているのです。技術開発をする中で、自分で考えたと思ったアイデアが、実は他社の特許で既に押さえられていることが分かると、ライセンス料の支払いを回避するために別の、時には劣った方法を取らなければならなくなります。(劣った製品は売れないから競争に負けて会社は潰れる、それが嫌ならもっと良い方法を考えるので技術が進歩する、というのが特許制度の意図するところだと教えられます。しかしその主張の暗黙の前提はダーウィニズムがいう弱肉強食の競争社会で、チャールズが説く協調と共生の世界観とは食い違っています。アメリカ建国者たちが憲法に込めた理想とも食い違うかもしれません。)

特許の有効期間は20年で、エジソンの時代なら発明者が報酬を得た後に皆が使えるようになるような期間設定でした。ところが現代では技術進歩が加速してしまったので、特に半導体や情報処理の分野では、20年経って特許が切れたような技術は時代遅れで、発明者(の会社)が全ての利益を独占することが可能になってしまいます。

新自由主義の時代になり、大学が独立行政法人化された頃から、大学は企業との共同研究をしないと研究資金が得られなくなりました。企業絡みの研究は「守秘義務契約」の下に行われるので、研究室は関係者以外立ち入り禁止となり、ICカードでロックされ、母校を訪ねても入れてもらえないという世の中になりました。大学と企業の研究者が集う学会でさえ、懇親会は秘密が漏洩する恐れがあるとして出席を控える風潮になりました。以前なら異業種の知恵に触れて触発される機会だったのに、情報交換がなければ進歩は停滞するでしょう。

音楽のことも本文中に出てきます。音楽という文化資本には2つの側面があって、一つは歌うという行為がプロのミュージシャンに独占され商品になったこと、もう一つは歌の内容が著作権によって囲い込まれ商品になったことです。この両面で私たちは消費者にされてしまいました。

人は本来生まれ持った音楽性を持っているはずですが、子供の頃から既製品の音楽を聴かされ、学校では楽譜を習い既製品の音楽を「プレイ」するように教育を受けるので、生活の中で即興で歌を作ってうたうような能力は、あったとしても萎縮してしまいます。著作権の監視の目はじわじわと社会に染み込んできていて、大学の合唱団でさえ、演奏会のたびにJASRACに著作権料を納めに行かなければなりませんでした。最近では音楽教室での練習にさえ著作権料を要求されるようになってきました。

技術にせよ音楽や文章にせよ、クリエイターと称される人々が実際にやっていることは、それまでに学び体験した先人の作品の海の中から、いま直面している文脈に共鳴するものを組み合わせ、新たなものとして提示するということなのです。そこに所有権をかけて利用を制限するのは、人類にとって大きな損失だと思います。



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