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後世に残るのはその時代の異端

世界遺産でもあるインドのタージマハルは、愛妃を弔う墓廟である。


愛妃の遺言の一つに、後世に残る墓をとの願いを叶えるために建設されたが、その願い通り後世に残っている。


同じ時代を生きた民にとっては、そんなものはいいから我々の生活を何とかしろと思っていたかもしれない。




フランスのヴェルサイユ宮殿もルイ14世治世下に建てられ、絶対王政の象徴である建造物として知られ、こちらももちろん民は思うところがあったに違いない。



日本でも日光東照宮や高野山金剛峯寺などは、訪れるとなぜこのような場所に?と疑いたくなるような場所に建設されており、並々ならぬ覚悟を感じる。



そしてアクセスが決して良いわけではないにも関わらず、現代の人たちをも魅力する場所になっている。




これらの共通点は、その時代では異端であったということ。
少なくともその時代、よく見られた形式ではないということ。



それでも自分たちはこれをここに建てるんだという思いから、ほんとうに建ててしまい、建ててしまったあとはその迫力から、敬われ、守られてきた。


それはつまり今の時代の異端が、後世の当たり前、名所になるということ。



ボクらは今の時代で何かを作るとき、今の人の目を気にしがちだが、案外それ以上に周りの目を置き去りにした衝動や熱意が、それらを長生きさせるのではないだろうか。





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