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書くことがないことを書く

書くことだけが決まっていて、書く内容がなかったり、思い付かないほどしんどいことはない。




今日はそんな日なのでノープランで書き始めてみるけれど、でも案外この形ってよくある気もしてきた。



子どもの頃決まっていた学校とかはこれに近い気がする。
行きたいとか何をしにいくというよりも、まず初めに行くことが決まっている。



そこで楽しみを見つけたり、行く意義を見つけられた子は学校に行くことに抵抗がなくなるが、見つけられずに通っているとしたら行きたくないのは当然だ。


行くことだけが決められていて、かつ辞めることもできないのだから。




そうやって見渡すと意思や願望以前に案外決められていることは多く、そういうものの連続の中から、合うものと合わないものが発見されていくのかもしれないという気さえする。



それらの経験を踏まえて大人になると、じぶんのやることを、じぶんの意思や願望を元に決められるようになり、また続けられるようになる。



大人になるとなるべく子どもには自由で、選択権をと思うけど、はじめから選択はむずかしいのだとしたら、ある程度やるべきことは環境の中にあった方がよくて、ほんとうに必要なのはそれを続けるか辞めるかを選べるところにこそ、選択の意義深さが存在しているように思う。



どこまで選んであげて、どこまで選んであげないか、とてもむずかしい話に一旦到着してしまった。



みなさんならどうするだろう。




今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。
かけっこでビリなら絵を描けばいい。


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