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集団生活が教えてくれること

人の子どもは多くが親、親族と共に暮らします。


仮に知らない人と出会うとしても、多くの場合は養育者とセットの時に出会い、保護やケアが受けられるような体制になっていることが多いはずです。



ですから子どもにとって、我が身一つで社会と接し始めるのは幼稚園や保育園などからの場合がほとんどで、そこでは集団の中でじぶんで何とかしなければならず、また子どもだからと特別扱いされることも横並びなため減っていきます。



その時子どもはじぶんが最優先される家の環境が特別だったと知るわけで、これは相対化されなければ、養育者と離れなければわからないことです。


自宅以外の世界を知り、扱いの差を味わう。
じぶんは変わっていないから、接するものが変わるとじぶんへの対応も変わり、またじぶんの対応で相手の対応も変わることを、同級生とのやり取りを通じて学んでいきます。



最近は減っていると聞きますが、足の速さをかけっこで競ったり、みんなで同じことを始めれば絵がうまい子、音楽が得意な子などいろんな差分が出てきます。


そんなときもじぶんは何ならそこそこできて、何は苦手なのかを知ることができます。
義務教育というのは、そういうものを確かめる時間かもしれません。



そしてそれはボクら大人も同じです。


集団でいることで、相対化することでじぶんの輪郭がハッキリとして気付けること。

どこで誰とどんなことをしたらいいのか。


案外それは頭の中や机の上ではなく、集団の中にいるという経験から導き出されるものかもしれません。



私という人は触れ合ったときに、見えてくるからです。



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