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世界の片隅で

駅から歩いて帰宅する時、あるアパートの前を通った。




アパートの住人らしき人が外に出て来て、じぶんの家のインターフォンを押している。



そうすると中にいる人がインターフォンに出て、それに応答する。


初め出てきた人は急いで玄関の扉から離れる。


ニヤニヤしながら玄関が開くのを待っていて、おそらくじぶんが仕掛けたイタズラに同居人?が引っかかるのを待っている。




なんてことない日常の一コマ。

よくあること。



しかしどこか既視感があるのは、これがSNSで時々あげられる投稿に似ていて、これに対して賛否両論が付き、炎上やら謝罪やらな騒動になっていることが多い。



それがどういう訳か遠い誰かにも伝わり、憤ったり、動揺したり、一喜一憂しているが、本来それらは、当事者以外の誰の目にも触れない日常の一コマに過ぎなかった出来事。


流れ去り、消えていく。
そして喜んだり、怒ったり、悲しんだりしてはいるが、それらを知っているのは当事者だけ。


それが基本であり、原則である。



そのことをつい忘れ、いろんなことを世界にシェアするが、シェアしていいものか、シェアしない方がいいものかの逡巡は、持ち合わせていたい。



日常はあなたと、身近な触れ合う人のためのものなのだから。



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