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集まって膨らんで、生活にもどっていく。 ー読書会で意識していることや方式について

(文量:約10,000字)

 休日の朝にZoomを開いて、読む本の紹介をして、本をもくもく読んで、感想を共有しあって帰っていく。それだけの読書会が、1年半以上、ほぼ毎週続いています。
 始めたのは2020年のゴールデンウィーク、コロナ禍にともなう緊急事態宣言が東京に出た頃でした。連休で時間がたっぷりとあるけど家でじっとしていてね、というなんだか不自由な休息が与えられたことをきっかけに始めました。
 読書会はリベルという屋号のもとで行っています。リベルとはどういうものなのかはまたあらためて考えて投稿してみたいと思っていますが、毎日の忙しさから抜け出すための時間、目の前の目標や問題などからすこし離れて自由に考えたり思いを巡らせたりする時間として始めました。実は読書会よりもコンテンツ作成と投稿を先に始めたので、リベル自体は2019年の9月からおよそ2年半続けてきたことになります。それなりの期間続けてきたので、一度振り返ってみたいと思い、考えをまとめて投稿していくことにしました。
 今回は、リベルの読書会で意識してきたことを振り返りながら、それぞれの意識・方式がもつ意味についてあらためて考えてみたいと思います。そしてその上で、この読書会はどういう時間なのかを考えてみたいと思います。大半の人がこの読書会には参加したことがなく興味の持ちどころがないかもしれませんが、こういうやり方でもひとつの続く場ができる、という事例として見てなどいただければ。
 それでは、読書会で意識してきたことを振り返っていきます。具体的な項目をどんどん出していって、最後に抽象的にまとめてみます。

自己紹介はしない

 思えば、一番最初に決めたことは、自己紹介はしない、だったような気がします。
 自己紹介は、肩書きの紹介になることが多いように感じています。そしてそれは序列的な意識を、抱きたくもないのに抱かせられることになったりはしないでしょうか。それはとても面倒なことです。仮にとても知的に思える肩書きをもっていた場合でも、なにか正しいことを言わなければならない感覚になったりするかもしれません。また、メジャーな肩書きをもたない場合には話しにくかったり、そもそも言いたくない人もいたりするはずです。
 自己紹介はしなければいけないのかと考えたときに、読書会ではしなくても大丈夫ではないかと思いました。読む本の紹介や、感想の共有があるからです。互いの話を聴いたり互いを知ったりするいとぐちは、それで十分です。変に緊張感を抱くことも、抱きたくもない序列感を抱くこともなく、過ごすことができるように感じています。
 ただ、自分のことを話してはいけないということではありません。話の流れで自分のことが出てくるのは自然なことだと思います。話そうと思っていない人から無理に聴きだすことはしない、という意味合いで自己紹介はしないことにしているということです。また同時に、わかりやすすぎるものが前面に出ないことで深いコミュニケーションができたりするのではないか、なんてことを感じてもいます。

申し込んで来られなくなっても、申し込まずに来てもOK

 リベルの読書会は、近所にたたずむお店のようなイメージでありたいなと思いました。読書会はオフタイムに開かれるものです。今では土日午前に加えて、平日午前と平日夜にも開いていますが、いずれも平日の方が来やすい人や日中の参加は難しい人がいると思ったからです。なるべく、自分の時間をとりやすいときを選んで来られるように、開いていきたいと思っています。
 オフタイムをどう過ごしたいかを考えるときに、逆にオンタイムはどういう時間なのかを考えてみました。オンタイムは、学校や家事・育児などをふくめた広い意味での仕事をしている時間であり、そこには責任や時間的な制約がつきまとうのではないかと思います。つまり、決してわるいことではないとも思いますが、なにかしらの縛りがあるのがオンタイムです。
 オフタイムはそういった責任や制約からはなるべく解放された自由な時間でありたい。実際に私の知人からも、休日の予定はあらかじめ決めたくない、その日の気分で決めていきたいと聞いたりしていました。
 そう考えたときに浮かんだイメージが、近所のカフェでした。朝起きて時間があったときに散歩がてら訪れたり、買い物の帰りに立ち寄ってみたり。カフェに入るのに、申し込みや予約は要りません。そこでこの読書会でも、イベントページの性質上申し込み機能がつきはするので、申し込んで来られなくなっても申し込まずに来てもOK、とすることにしました。
 ですのでいつも何人来るかわからないのですが、Zoomを使ったオンライン開催なのであまり問題にはなりません。人数が多ければグループ分けをすればいいので、今のところ12,3人くらいまでなら、問題なく進めることができています。たまに申し込み人数よりもすごく多くなることがあり焦ったりもしますが、それもご愛嬌ということで。ただ、15人あたりから人数が多くて場に緊張感が生まれたり、互いの接点がなくなりすぎてしまったりするので、なにか方法を考えていく必要はあると思っています。でもその場合でも、今のような気ままに参加できる雰囲気は保っていきたいと思っています。

課題図書は基本なし、本のジャンルも自由

 そんな自由な参加イメージをもって始めたので、読む本ももちろん自由にしています。課題図書のようなものはありませんし、本のジャンルも自由です。たまに単発で、読む本を絞った読書会を開くこともありますが、これは読書会でみなさん共通の関心図書があるように感じた場合にやってみています。またテーマをゆるく定めた読書会も開いていますが、こちらも読書会で出た話題などからなんとなくテーマを決めてみています。ひとつの本やひとつのテーマをおくことで、自分にはない視点や関心の抱き方に触れることができます。なにかひとつの共通点をおくことで、逆説的ではありますが、視野の広がりや視点の多様性が生まれていくのではないかと思ったりもしています。
 ただ、今のところは、自由に、読みたい本を気ままに読む読書会を多めに開いています。それぞれにそれぞれの生活がある、とするならば読書会に来るときの気分もその時々で違うはずです。そのときの気分で本を選ぶことは、そのときの自分に合ったなにかをくれるきっかけにもなるように感じています。
 読む本がバラバラなのに、感想の共有でなぜか話題がつながっていくことが少なくありません。みなどこかで共通の関心ごとを持っているということでしょうか、それともこの読書会の雰囲気に合わせて本や話題を選んでくれているということでしょうか。その理由はわかりませんが、機会をみつけて考えてみたいと思っています。小説と理論書と俳句集がつながる、みたいなこともあり、これがバラバラの本を持ち寄るひとつのおもしろさだったりもしています。

むりに収束させない、拡散したままでいい

 バラバラの本なのに話題がつながることがあるとは言いましたが、つながらないことももちろんあります。そのような場合でも無理してつなげるようなことはしません。それは、それぞれの人が話したことを歪めることにつながるかもしれないからです。また、主催者がつなげることに労しすぎると、参加者も話題をつなげなければいけないのではないかと意識して、話すことをむりに変えてしまうかもしれません。あくまでも、そのときに読みたい本を読んで、浮かんだ感想を共有していくというのがいいのではないかと思っています。
 まとまること、つながることの良さはあるのだと思います。それを足掛かりとして行動や思考などの次のステップが見えてくることがあるからです。でも、まとまらない、もやもやしたまま残ることの良さもあります。それぞれに持ち帰って、それぞれに考えたり思いを巡らせたりするきっかけになることです。聴いていたけどよくわからなかったあの考え、触れたことがなくて話に入っていけなかったあの著者の本、感想の共有の最後に生まれて十分に考えることができなかったあの問い、など。拡散したまま終わることで、読書会が終わったあとも思考が巡ります。

オンライン

 読書会はZoomで行っています。Zoomで始めたのは、コロナ禍をきっかけとしていたためというのもありますが、始めてみると他にも良さがあることに気づきました。

 ひとつには、いろいろな人が参加できるということです。開催場所という制約がなく、主催者の住む場所に縛られることはありません。私は東京在住なので、もしリアルな読書会を開けば東京に住んでいる人だけの参加になっていたと思います。しかしZoomで開くことで、南は沖縄から北は岩手あたりまで、そして海外からも参加いただいています。私は地方出身なので感じることがあるのですが、東京などの大規模都市圏と地方とでは、時間の流れやライフスタイルが異なります。必然的に考え方や価値観が違うくなり、話していてお互いに気づくことが出てきやすくなるはずです。
 また、場所の制約がなくなるからだけではなく、時間的な負担が少ないからいろいろな人が参加できるというのもあると思います。リアル開催ではどうしても移動時間がかかります。読書会のおよそ1時間半に移動時間1時間〜1時間半が加われば、参加のハードルも上がるはずです。パッと開いてパッと終われるという特徴は、自分の時間をなかなかとれない人にとって参加のしやすさにつながるはずです。そう思って夜開催なども試みています。
 いろいろな人が参加できるということは、趣味や興味の幅を広げたり、異なる価値観に触れたりすることにつながっていくと思っています。会社や学校の仲間や、身近で親しい友達といったつながりは、どこか偏りがあったりはしないでしょうか。さまざまな人の興味関心や価値観に触れることで、想像できる幅が広がっていくように感じています。それは豊かになっていくことであると、言えるのではないでしょうか。

 より多様な価値観や興味関心に触れられるという利点の他にもうひとつ、自分のなかで考えたり思いを巡らせたりするのに適しているという利点がオンラインにはあるように感じています。
 オンライン飲み会というのがコロナ禍とともに流行り、そして鈍化していきました。オンライン飲み会はどこか物足りなさがあった、ということなのだと思います。しかしそのネガティブな要因が、オンライン読書会にとっては逆にポジティブな要因として働いているように感じています。
 私も何度かオンライン飲み会に参加したりしましたが、たしかになにか物足りなさがありました。それは何かと考えていたのですが、ひとまずの結論は「場の一体感のなさ」なのではないかと考えています。オンライン飲み会ではどこかそれぞれが自分の話をしているだけで終わってしまう。飲み会というより情報共有会、近況報告会に近い感じを受けてしまいました。飲み会を終えたあとの、変に結束を高めたような変なテンションにはならないのです。
 その原因は、それぞれがそれぞれの部屋にいることにあるのではないかと思いました。自分のホームにいるから自分のペースでいられるのだけど、それは逆にいうと相手のペースや場の雰囲気に合わせていくことが起きにくいのではないかということです。リアル飲み会では、ひとつの場所に集まってひとつのガヤガヤ感やBGMなどを聞きながら同じ料理を食べます。そして隣の人との距離は近いものです。そうしたある意味では強制された共通性が一体感を生み、飲み会楽しい!となっていたのではないでしょうか。オンラインではそれがなく、言葉のキャッチボールだけで終わってしまうのです。
 しかし読書会では、それがプラスに働いているのではないかと感じています。もちろん読書会の趣旨にもよりますが、この読書会ではさまざまな興味関心や視点や価値観に触れながらも、自分の時間を過ごすということを大事にしたいと思っています。ほかの人の考えをしっかりと聴くのだけれど一方では自分だったらどう思うだろうかと自分に聴いてみたり、いつもと違う場所に緊張することなく普段の自分のままで話せたり聴けたり考えられたり。そういう、主体を自分に置きやすいのがオンライン読書会なのではないかと感じています。

話す順番はバトンタッチ方式で

 参加者それぞれの時間にしていくためには、主催者の存在感を強めすぎないことが大事になってきます。主催者は主催者であるというだけで存在感が強くなってしまうように思います。だから存在感を消していくような工夫が必要です。
 そのひとつはたとえば、話した人が次の人を指名するバトンタッチ方式で場が進んでいくようにすることです。最初のうちは、私が話す人を順々に指名していくという方式で行っていました。しかしそれでは、指名のたびに私が登場し、しかも指名した手前なんとなくコメントもしなければいけないような気になってしまう。学校の先生みたいでなんだか具合がよくないなと思っていました。そこで、参加者同士のコミュニケーションに近いかたちにするために、参加者同士で指名してもらうことで場が回るようにしました。おかげで、感想のあとの質問なども出やすくなったように感じています。そして主催者はよりラクになり、いち参加者に近づくことができました。そうなると、参加者の人たちがよりいろいろと話してくれるようになっていき、話題が広がっていきます。

その場で読書をする

 この読書会では本を持ってきてその場で読書をします。その理由のひとつは、ひとりだと読む時間をなかなかとらないからというのがありました。読みたい本はあってもなんだか面倒で後回しにしてしまう、つまり怠けてしまうからです。
 ただ一方で、読むときは各自もくもくと読むのなら集まって行う必要はないのではないか、とも考えられます。集まって行う利点があるのは、読むパートではなく、話すパートにある。時間的な効率を考えるなら、本は事前に読んできて、読書会では本の紹介と感想の共有だけ行えばいいのではないかということです。
 このように考えたことは何度かありましたが、結局今でもその場で読むスタイルにしています。その理由は大きくふたつあります。
 ひとつは最初にあげたように、ひとりでは読む時間をなかなかとらないから。人によるのだと思いますが、私の場合は読まなければならない本は読むのですが、読みたい本は読みたいのだけど積読になりがちです。読書会で読書の時間があることで、あまり自分を律することなく読みたい本を読むことができています。
 もうひとつは、その場で読んですぐに感想の共有に入るので整理するいとまがない、というのがいいと思っています。事前に読んだ上で参加する読書会では、本の紹介や感想が整えられたものになる可能性が出てくるのではないかと思ったりします。読んでから話すまでの時間が空くので、自分のなかで整理することになるのではないかということです。もちろん整理することの良さはあると思いますが、整理されていないことの良さもあります。それは、話し手がたどたどしくなりがちな分、聴き手が入っていく余白が生まれることです。たどたどしくて未完成感があると、自然と聴き手も耳を傾けたくなり、一緒に考えたり思いを巡らせたりすることにつながるのではないかと考えています。
 読書会のあとは、任意ではありますが、読書の感想をテキストでもらっています(その読書感想はこちら)。読書会ではなく読書の感想です。自分で読んで、読後感をそのままに話して、質問などを受けながらまた話して、そうして感想としてまとめていく。収束させるまえの広がりが生まれるためにも、その場で読書をするスタイルがいいのではないかと感じています。

ゆっくりと、流暢さは求めない

 リベルの読書会は、その場でつくられていくことを大事にしているのかもしれません。読む本が自由だから、どんな本が持ち込まれてどんな話題になっていくかわからない。主催者があまり口を開かないから(いや、そこそこ開いちゃいますが)、誰が自分の読書に加わってくるかわからないし、どっちに進んでいくのかもわからない。その場で読書をするから、自分もどんな内容かわからないし、だからどんな感想を抱くのかも話すのかもわからない。誰にもわからないから、そのとき・その場での思考や言葉が生まれていきます。
 流暢に話すことがもったいないと思い始めたことがあります。流暢に話せるのは、すでに自分のなかにまとまりとしてあるからではないか、前に考えたことや話したことがあるからではないかと思ったからです。同じことを話すにしても、昨日と今日とでは経験や気分がすこしだけでも違うはずだから、出てくる言葉は違うかもしれない。一緒にいる人や場の流れによっても違うかもしれない。そのときに出てくる言葉をひとつひとつ重ねていく。すでにあったものではなくて、その場でつくりだしていこうとすると、話す調子は必然的にたどたどしくなっていくはずです。
 ゆっくりと、流暢さは求めないというのは、感想を話すときだけにとどまりません。主催者の進行もたどたどしくあっていいですし、その方がいいのではないかなんて思ったりします。場の進行をする主催者が、速かったり流暢な話しぶりだったりすると、この場はこういう雰囲気なのだという風に感じ取られていくのではないかと思います。だから、主催者も率先してたどたどしくあっていいように思うのです。もちろん、流暢にいけるところをあえてたどたどしくすると、それはつくられたものになって違和感や緊張感を生むように思います。だから、いつも同じ進め方ではあっても、たとえば初めて来た人がいれば説明をすこし丁寧にしようかなとか、前回いまいちに感じたことをすこし変えてみようかなとか、そういう心持ちでいると、自然とたどたどしくなることができます。すこしおかしな言い回しになってしまいましたが、ゆっくりで流暢さは求めないというのが、その場かぎりのユニークな時間を生んでいくように思います。

思いやり

 来たいときに来て、読みたい本を読んで、浮かんだことを話し、聴いて、帰っていく。オンラインだから自分の部屋から参加できるし、その人と会うのはたぶん読書会でだけ。自由で便利で、自分の内を向いているような時間がこの読書会なのかもしれません。実務的にも精神的にも忙しい毎日に自分のための時間を、と思って始めたので、いいかたちでできてきているのかもしれません。しかしいかに自分のための時間を過ごす場であるとはいっても、思いやりを置き去りにしてはいけないのだと思います。
 それぞれが自分の感想を話すだけとはいっても、それを聴いている人がいます。相手の立場を想像して、、なんて言いながら自己紹介はしないのだから相手のことを想像しようがないではないかと、今書いていて自分に突っ込んでしまいました。これはひとつの課題なのかもしれません。思いつくひとつの解は、コミュニティ的であること、くり返しの関係のなかでなんとなくバックグラウンドや価値観を想像できるようになっていくこと。あまり多くなりすぎない人数のなかで、継続していくことも大事なことなのかもしれません。
 Zoomを開いて、読んで話して、閉じて終わりという便利さは、向こうに相手がいるという感覚を麻痺させることがあるように思います。そんな麻痺感のなかで、加えて主催者には時間通りに終わらせなければ(終わってないけど)という焦りもあるので、話しの途中で切り上げてもらわなければならないこともあります。大切なことを考えさせられるのだけど同時に戸惑いも生むような問いが出てきても、それについてじっくりと話している時間がないときもあります。あっさり切り上げるしかないときがあるのです。あの切り上げ方はさすがに唐突すぎだったのではないか、いい問いは生まれたのだけど戸惑いだけが残るような終わり方だったのではないか、そんなことが気がかりです。しかし、オンラインで気軽に自由でいきたいからこそ、こういうことは気にし続けなければならないのではないかと思ったりもします。

まとめ

 それぞれの生活のなかにあるひとつの時間。そのときに読みたい本を持ち寄って、読んで、話して聴いて、そして帰っていく。職場や学校も違うし、住む場所も違うから、それぞれの日常とはまた違う思考や言葉が生まれる。そんな風な時間になっていけばいいなと思っています。
 一言でわかりやすく言うとするならば、視野を広げる時間、です、か。でもそう言ってしまうと、視野を広げましょうという目標を掲げるようでなにかが違います。訪れた人をあおるようで、心拍数が上がってしまいそうで、目指すものとは全く逆です。そもそも視野を広げましょうと掲げられると、逆に狭まりそうですし。
 自分がそのときに手にとった興味関心や、不意に持ち込まれたテーマに集中してみる。そうすると、毎日の忙しさでぎゅっと固くなったものがほぐされていったり、新しい視点をえて編み直されていったりする。しかしそれはきっと結果論。目的はたぶん、そのときに出てくるおもしろさや驚きや戸惑いに浸ってみること。正確に、時間通りに、目標通りにしているだけでは、バランス的にあまりよくないのではないかと漠然と感じています。そしてそのバランスのいまいちさは、発想や考えや、健康さなどに影響をおよぼすような気がしています。目標や責任に向き合っているオンタイムからは離れた、自由で無秩序で広がりのある時間が生まれる場は必要だったりはしないでしょうか。

 この読書会は対話的に感じることがある、という感想をいただくことがあります。そんなことを言われて気を良くしたりするのですが、たぶん今のやり方にもういくつか工夫を加えないと本当の対話に近づいていくことはできないのではないかと感じています。対話とは、問いに対して深くダイブしていくこと、お互いの考えを深くわかろうとし、その結果自分のなかの常識や前提が脅かされてもシャットアウトしないこと、変わることをおそれないこと。いくつか本を読んだだけですが、そんな風に書かれていました。それは会話の延長にはない。掛け合いではなく相手の話をじっと聴く・待つ、感情だけを表に出すのではなく未完成でも頑張って考えを紡ぎ出す、人それぞれだよねで済ませるようなことはしない、そしてきっと戸惑いや混乱も生まれるだろうからなんらかのケアがあって終わる、そんなことが必要になるのではないかと感じています。今の読書会スタイルでは特に後半の2つは意識したことはありません。
 これまで読書会で何度か問いが生まれて、しかし時間の関係や私の配慮不足で取り上げられずに終えることがありました。たとえば、多様性は大事と言われるがどんなことでも受け止めなければならないのかとか、この世をどう捉えるか・今や自分そのものをどう捉えるか、といった問いです。哲学対話と呼ばれるものでも、答えが出て終わることは求められず、時間がくれば自然と終わりを迎えるのだそうです。読書会で出たこのような問いも、各自で持ち帰って考えたい人は考えてみる、ということでもいいのかもしれません。しかし、大きな問いだけを抱え込まされて帰るのでは、考える材料やいとぐちがなさすぎて孤立感のようなものを感じてしまうかもしれません。これまでは読書会と雑談のような時間をつくってきましたが、テーマや問いをもって深くもぐっていく対話的な時間も別につくっていきたいと考え始めています。

 今回あげてみた読書会で意識していることや方式については、まったくのゼロからイメージしていったわけではありません。場のイメージとしては、レイ・オルデンバーグの著書『サードプレイス』に原型があります。サードプレイスとは、家庭でも職場でもない第三の場所。地域に根ざした赤提灯あかちょうちん居酒屋あたりが日本の典型的なサードプレイスなのだそうです。いつでも訪れられる赤提灯居酒屋は、飲食だけを目的にしているにあらず。かといって何らかの目的や目標をたずさえて訪れる場所にもあらず。なんとなく行きたくなって、なんとなく過ごして、なんとなく楽しかった余韻を残して帰っていく。リベルも、なんとなく、なにをやっているかよくわからないものとして存在しつつ、しかし私なりにはその意味をすこしずつでも探求していきたいと思っています。さきほどあげた対話的な時間のように、やった方がいいのではないかと思えることが少しずつでも出てきます。逆にコンテンツ作成・投稿は今は宙ぶらりんになりつつあります。これからどうなっていくのかはわかりませんが、学んだことや得た気づきを重ねながら、おもしろくて豊かだと思える時間が生まれる場をつくっていきたいと思っています。


〈読書会について〉
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 これまでいただいた読書感想はこちらです。


〈ご興味をもっていただけた方〉
 先々のことも考えて、開き手側として関わってくれる人がいないかとすこしずつ探しはじめています。また、必ずしもリベルを通してだけ、ここで紹介したような時間や場をつくっていきたいと思っているわけではありませんので、もしご興味をもっていただけましたらつながっていければと思っています。メッセージなど、お待ちしています。
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(吉田)

カバー画像出典元

リベルというのをやっています。 http://liber.community/