「ロシア」「ウクライナ」に関係する内容の可能性がある記事です。
極端な内容・真偽不明の情報でないかご注意ください。ひとつの情報だけで判断せずに、さまざまな媒体のさまざまな情報とあわせて総合的に判断することをおすすめします。 また、この危機に直面した人々をサポートするために、支援団体へのリンクを以下に設置します。 ※非常時のため、すべての関連記事に注意書きを一時的に表示しています。
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読書会参加者に投稿いただいた読書の感想です(〜2022年9月30日)。

リベル

 読書会に参加した人とのちょっとした振り返りの時間として、参加できなかった人への読書会の様子や話題のシェアとして、読書会に参加いただいた方の読書の感想をこの場所に載せていきたいと考えています。「気が向いたら」という任意でいただいた感想です。引き続き更新していきます。

 最近の感想はこちらです。

〈リベルの読書会について〉
 事前読書のいらない、その場で読んで感想をシェアするスタイルの読書会を開いています。事前申込をあまり求めない、出入り自由な雰囲気です。日程などについてはPeatixをご覧ください。
Peatix

 読書会の形式や様子については、こちらに少し詳しく書いています。


2022年9月30日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『腸がすべて』
 食べ物には消化のスピードが3つあって、食べ合わせにより良くも悪くもなることが書いてありました。普段何気無く食べているものを少し意識するだけで腸も綺麗になり健康になるなら気になるところだけ、読んでみようかと思いました。

 対話では従順について、知らないうちに従順になっていてそれを疑問にも思わないようになっているのだなと考えました。何かおかしいのではと考える・感づくということ。自分の置かれている状況を客観視するのはなかなか難しそうだなと考えました。

2022年9月28日:読みたい本を気ままに読む読書会

おおにしさん『統一教会と私』仲正昌樹
著者と私の大学生時代がほぼ重なるので、当時の原理研についての記述がリアルに感じた。
私も原理研の人たちと何度も接触し、彼らのホームにも訪れたこともある。
著者が書いているように、当時の統一教会は組織的にマインドコントロールを行うようなカルト教団ではなく、原理研も統一原理を学ぶ学生グループだったという話には納得できるところがある。

私も統一原理は少し興味を持ったが、著者のように入信しなかったのはなぜか考えてみた。
著者は広島から上京して東大に入学後、大学での自分の目標を見失い、周りの学生が皆優秀そうに見え自信も喪失していた
そんな時に自分の悩みをじっくり聞いてくれた先輩に誘われて原理研に入ったそうだ。
対して、自宅生だった私は地元の友人と大学生活を満喫する毎日で、著者のように悩みを抱えて先輩に相談するという状況ではなかったという点が大きな違いだろう。
他には当時の私は仏教、神道、オカルトなど宗教に幅広く興味があったので、一つの宗教団体に入信する気がなかったこともあると思う。(オウム真理教にも興味があったのは事実)

宗教団体の勧誘に耳を傾ける人の多くは、何か悩みを抱えている人であろう。
宗教団体をすべて否定するつもりはないが、中には統一教会のようなカルト教団が存在するという事実には注意すべきだ。

読書会の中で障がい者マイノリティの話題がでたとき、最近夢中になった韓国ドラマのことを思い出しました。
それはNetflixで配信されている『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』。
自閉症スペクトラム障害をもつ主人公ウ・ヨンウが周りの人たちの暖かい協力のもとで弁護士として成長していく物語です。
他にもハンディキャップを持ったマイノリティが登場し、感動とともにいろいろ考えさせられました。
本でありませんがお勧めのドラマです。

匿名希望さん『信仰』村田紗耶香
 久しぶりに参加できました。皆で司会をシェアしていくやり方とても新鮮でいいなと感じました。参加者さんのうちの一人が紹介してくれた村田さん出演のラジオを聴き、この本を書いた経緯も語っており面白かったです。友達が宗教に入信するのを止めようとする村田さん自身のその手口が、入信させている側のそれと何が違うんだろう、自分の信じているものを正しいとして相手を救おうとするそのやり口は十分卑怯なんじゃないか。そう感じたことが「信仰」を書くきっかけになった旨話していました。私たちは生きてきた経験で認知が出来上がって、その認知でものを見ているから、完全にニュートラルな人はいないんだよなと再認識しました。私は自分の癖のある認知を少しでも広いものにしていきたいと最近切に感じます。自分と対極の人生経験をしてきた人(←その認識も私の経験からの認知に過ぎないけど)からもいろいろなものをもらって頭も心も柔らかくしていきたいです。ここはそんな場所のひとつです。これからもよろしくお願いします。

よしださん『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム著/日高六郎訳
 自由と不安や孤独の狭間でどう生きていくのかという話として読んでいます。ある意味では一つの答えが出たということが書かれているのかもしれません。

 中世の専制的な社会から自由になった人々は、経済活動などを自由に行えるようになりました。しかしその結果、上流層・中流層・下流層といった層に分かれる格差が生まれました。そのなかの中流層に焦点が当てられています。
 下流層は格差に対して不満を露わにします。しかし中流層は、比較的うまくやろうという意識が働いていたようで、表面的には穏健な振る舞いをしていたようです。僕の想像では、上流層に対しては不満はあるけれどもある程度は世話になってるというか取引関係にあるということがあったり、平穏を崩したくないから事を起こさないという意識が働くのが中流層なのかなと思いました。本の中では保守的と書かれていました。
 決して裕福というわけでもなく、個人で生きていくことになったが故の不安や孤独感をもち、上流層に対する嫉妬や羨望もある中流層はどうしたのか。それは外部に敵意を向けるというよりも、内部にその負のエネルギーを向け、自己卑下をし、そして努力をしたということのようです。
 なぜそうなるのか最初は理解できなかったのですが何度か読み返すうちに次第にわかってきたような気がします。向けどころがわからない負のエネルギーをどこに向けるのかという問いは救済を受けるのはどういう者かという問いへと変換されて、その結論へ向けて紡がれていきます。すなわち、次のような教えが人々のこころに受け入れられていきます[P109]。

「自己の無力さと人間性の罪悪性を徹底的に承認し、かれの全生涯をその罪業の償いと考え、極度の自己卑下とたえまない努力によって、その疑いと不安とを克服することができると教えた。」

このような教えを受け入れていたので中流層の人々は、上流層に対しては嫌悪感を持ちながらも救済を受けるに値しない者たちであるという見方をしていたようです。他方で自分に対しては、自己卑下の精神を根底にもち努力にあたりました。努力できる人物であるということ自体が救済を受けられる人間であるという信条をもっていたということのようです。だから必死に努力し、それは「われわれの産業組織の発達にとっては、蒸気や電気に劣らず重要なものであった」[P102]と本の中では書かれています。
 これは、産業のエネルギー源にするために誰かがそのような思想感情を植え付けたということでは必ずしもなく、自由によって孤独や不安をもった人々のこころにこのような思想感情がはまったということなのだと理解しています。努力によって孤独感を拭えるのであればそれは一つのあり方なのかもしれませんが、それは欠乏に基づく欲求であると言え、心理学的には(生理学的にも?)心身の健康にとって良くないことであると考えられています。
 自由を求めるならば同時に生じる孤独や不安の問題に向き合う必要があるのだと思います。そしてそれは個の強さを追求するだけでは克服できないように感じます。なぜなら、個ではどんなに己を強く持ち守りを固めても世界の不確実性には対抗できないと感じるからです。また、最近『孤独の科学』という本を読んでいて感じるのは、ヒトは独りであると感じると不安で居ても立ってもいられなくなるようにできているということです。自由を目指すということは、個を尊重しながらも独りで生きるわけではないという一見矛盾する問題を解くことであるのだと思い始めました。

2022年9月25日:読書のもやもやについて話す時間「本を読む意義って何か?高校生からの疑問」

 今回のテーマは「本を読む意義って何か?高校生からの疑問」でした。

〈出されたテーマとメモ〉
1. 読書、本を選ぶのに季節性はあるか。秋は小説多めなのか。テーマ性はあるのかな。
・小説好きの人は夏はこれ、秋はこれ、みたいなもの決まっている。クリスマスとかなら決まっているけど。季節がテーマになっているわけではなく、自分のなかでテイストとして決まっている。
・どうして読書の秋なのか。秋は気候がいいから?
・夏はレゲエ聞いていた方がいいかもしれない?
・行楽シーズンって秋な気がする。
・読書の春とかあるのかな。冬に哲学書読むと病む?

2.安定剤的な本はあるか?
・読みかけの本を読む、読むこと自体を安定剤にしている?
・江國香織なら読める、ビブリオマンシエって占いの本。
・突き詰める本を読み続けていると宇宙の本、哲学者の本でバランスをとっている。

3.★本を読む意義って何か?高校生からの疑問
・本を読む目的を設定する人は読書に向いていない?時間を味わい深くなれる。
・他の人の会話に触れられる、簡単に他の人の会話に触れられる。
・動画じゃなくて本の本質を見極められる時代なのかもしれない。
・言葉の直接性が高い、それによる効果高くて、人が思考する考えるところは大きい。言葉を直接受け取ってやるのがいい悪い。尖った体験な気がしている。
・本は人と向き合う、その人と向き合う体験。まとまった行の文章があって、情報量が多い。抽出されたもの。
・動画は本60冊分の内容。情報媒体として見ると動画と本は別物。
・毎日読む本を探している。救いを求めているので、本ない生活の方が幸せかもしれない。図書館の主人、悩んでいる人たちに本をすすめる。悩める人が本に行き着くのではないかと思った。

よしださん
 高校生からそう質問された人がいたということから始まりました。最近は動画も豊富にあるので、読書とは何を指すのかということがまた一段と定義が難しくなったように思います。知識を得ることも他者の考えを知ることも動画でできるようになったからです。でもそこから考え始めていては先に進まないので僕の中では結論を知るだけではなく過程をたどることという定義(?)で読書について考えていました。あくまでも切り抜き動画や要点をまとめたweb記事との比較ですが、本は著者と対等に思考の過程を追える媒体であるように思います。

 僕は人の認識とは、過去の経験や知識や記憶が複雑に絡まりあったものなのではないかと思っています。だからそれを変えていくためには、一つ一つ解きほぐしていく過程が必要であり必然的に時間がかかるものだと思います。過程のない答えをただ放り込まれても自分のなかには入ってこないのではないかと思います。
 あるいは全く無垢な領域に(例えば高校生にとっての「仕事とは」という問い)明確な答えが投げ込まれたらそれをただ信じることにもなりかねません。アニメの悪役がよく明確な答えを示して若者を洗脳していくのを思い出します。
 読書とはめんどうくさい面もあると思いますが、でも世の中もなかなかめんどうくさい面もあるので、めんどうくさい読書をしながらもやもや生きていくのもありかなと思ったりします。

2022年9月24日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしださん『同潤会アパートメント生活史』同潤会江戸川アパートメント研究会
 昨日図書館に行って、目的の本を見つけてカウンターに向かっていたところ、横目にこの本を発見。思わず手に取りました。団地に住む自分にとっては興味深い内容です。
 今日はこの本の舞台となる同潤会江戸川アパートメントについてネットで調べて、その後少し読んだところで終わりました。258戸もあった団地は、共用風呂があり、屋上には共用の洗濯物干し場があり、食料が乏しい頃は中庭で野菜を作ったりもしていたそうです。住人同士の交流が自然と生まれる造りになっていました。しかしそれは協力し合わなければ生きていけない時代であったからであるとも読み取れます。
 コミュニティが失くなることを問題視する考えをそれなりに多く見かけます。それはコミュニティが、犯罪の抑止や災害時の助け合いや孤独の解消につながっていくから。江戸川アパートメントの構造は古き良きコミュニティのある生活を想起させます。でも嫌なこともあったはずです。
 屋上に干された洗濯物は盗まれることもあったそうです。そして「同潤会アパートメント生活史』の題材となっている「江戸川アパート新聞」は住人同士のいざこざをいさめるために作られたようです。そして現代、少なくとも今私が住んでいる団地には住人同士の交流はありません。
 災害時などは別にして少なくとも毎日の生活で共用するものが過度に少なくなった現代では、昔とは違うやり方でコミュニティをつくり維持していくことが必要なのだろうと思いました。

2022年9月21日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『蚤と爆弾』
 大戦末期に実在していた軍医をモデルに書かれた小説だが、史実中心のほぼノンフィクションの内容で構成されている。北満洲ハルピンでの人体実験と細菌兵器開発。
 今日読んだところは、昭和16年12月、日本が米英蘭3国と先頭状態に突入、ハワイ奇襲に続いて南方作戦が開始されたところでした。この小説は何を問うているのか。
 映像にもなっているようです。眠れなくなりそうです。

 各自の感想では、孤独について、他人を理解するということについて、理解されないということについてなど。そういえば孤独は1日タバコ15本に匹敵する健康被害をもたらすとどこかで聞いたけどほんとかな?などと考えながら聞いていました。

2022年9月18日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『星のせいにして』
 1918年インフルエンザ大流行は、第一次世界大戦よりも多くの死者をだしたそうです。妊婦の発熱病棟で働く看護婦と手伝いの話。歴史小説です。リン医師だけが実在の人物。
 「星のせいのして」とはどういう意味です?と質問が出ました。中世イタリアでは、インフルエンザは「インフルエンザ・デラ・スティレ:星々の影響(インフルエンス)と言われ天体の影響だと思われてきたそうです。
 この作品のは会話分は「」がありません。原文にもないそうです。熱にうなされて夢を見ているような感覚を読者に味わってもらうためだそうです。リアルです。今日読んだところは後半でブライディがホワイト夫人の赤ちゃんの洗礼をするところ。

 対話では、「坐禅とマインドフルネスはどう違うのか」の話でマインドフルネスはdoing坐禅はbeingなのではないか・・目的があるかないか。19世紀の哲学は幸せを追求していて20世紀は論理?に偏ってきて難しくなってきた?哲学が生活の中でどういきるのかが見えにくくなっているのかな?など考えました。

つやまさん『臨床とことば』河合 隼雄, 鷲田 清一
 
臨床心理学と臨床哲学の専門家同士のことばをめぐる対談本です。今日読んだところでは、講演や講義をするときに、聞き手があまりにも真面目で、冗談を言ったときでさえ真剣に聞くようなべたべたした聞き方をされるとかえって話しづらい、ということが話されています。ドイツの学生で編み物をしながら講義を受け、でも大事なポイントになるとパッと集中するという人がいたそうで、むしろこういう聞き方をされる方が話し手としては楽で、講義も充実するみたいです。前に読んだ部分で、臨床で1対1で話す場面でも、一生懸命なあまりに言葉の一言一句を掴んでしまうような聞き方をすると相手の無意識が自由に動けなくなってしまう、相手と自分の境界が混じり合うような感じでふわーっと聞くことがコツだと書かれていて、聴くことの奥深さを感じました。
 また哲学は19世紀くらいまで幸福の追及を目的としていたのが20世紀に入ってだんだん立ち行かなくなり、代わりにハウツーのような即物的なものがポピュラーになるが、それも現代では限界が見えてきているということです。幸福は哲学やハウツーのように切れ味のよい一般論で語れるものではなくて、個々の事例において地べたを這うような「臨床の知」によって見いだしていくものだというのが著者たちの考えのようです。雑談の時間にお聞きした、幸福になりたくない人の幸福論というのが気になったので、調べてみようと思います笑

よしだ『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム著/日高六郎訳
 読書会の間に読んだ範囲では何を書いているのかわからなかったのですが、もう1ページ読み進めたらようやくみえてきました。自分なりの理解をまとめてみます。
 大まかにはルターの思想の心理的背景から、人はなぜ自由から逃走し例えばナチズムのような圧倒するような力に屈しようとしてしまうのかを考察した内容です。
 ルターはあるとき、次のような啓示を受けたのだといいます[P85]。

「人間はみずからの努力によって救われることはできない。人間は自分の仕事が、神にとって喜ばしいものかどうかさえ考えてはならない。」

これは人間の可能性や能力をかなり虚無的にみている考え方です。当時は、努力やそれによる可能性の追求はある程度は認められるところではあったようです。つまり、救済される人は神によってあらかじめ決められているという予定説が唱えられながらも、救済される人は善い行いをする人なのだろうという考えのもと努力が推奨されていたということです。しかしルターはそれらをすべて否定しました。それはなぜなのでしょうか。次のように書かれています[P85]。

「このような教義は、ルッターのような絶望と不安と懐疑にみたされ、同時に確実性を熱烈に求めていた人間があたえうるような、決定的な解答ではなかった。」

ここからは想像も交えた理解ですが、おそらく当時の人々は「神にとって善いこととはどういうことだろうか、こういうことなのではないだろうか」と模索しながら善い行いや努力をしていたのではないかと想像します。しかしそれでは不確実性が高い。なぜならその善行や努力が本当に善いものなのか・救済につながっているものなのかが"あいまい"であるとも言えるからです。そのあいまいさが、ルッターのような「絶望と不安と懐疑にみたされ」た人間にとっては不十分なものだったということなのだと思います。だからルターは冒頭に示した「人間はみずからの努力によって救われることはできない。人間は自分の仕事が、神にとって喜ばしいものかどうかさえ考えてはならない。」という思想に至ったということなのだと思います。そして次のように続きます[P85]。

「しかし人間は、もし信仰をもっているならば、救済を確信することができる。」

これは、善行や努力などといったあいまいなものではなく、とにかく信仰(信仰的活動)を深めていくことで救済につながるのだという確実性や直接性を高めた思想への転換であるといえるのだと思います。著者のフロムはこのようなルターの思想について次のように言います[P86]。

「確実性への強烈な追求は、純粋な信仰の表現ではなく、たえられない懐疑を克服しようとする要求に根ざしている。」

大胆に言い換えるとルターは、不安で仕方がなくて、確実な救済へつながるような思想を自ら創り出したということです。フロムは次のように続けます。

「ルッター的な解決の仕方は、いまでも多くのひとびとにみられるもので、ただかれらは神学的な言葉で考えないだけである。」
「すなわち、かれらは孤独となった自我を取りのぞくことによって、また個人の外にある圧倒的な強力な道具となってしまうことによって、確実性をみつけだしている。」

この本は1941年に出されたもので、主にナチスの全体主義に陥ってしまった人々について考察されています。中世の階層的・権威主義的な社会から抜け出して民主主義という自由を人々は手に入れたのに、なぜ権威に屈してしまう、あるいは権威に屈することを自ら求めてしまうのかという問いに対する考察です。民主主義や自由主義といった「個」として生きることをある意味では強いられる社会においては、個人は不安で仕方がない。その結果、その反動として強烈に自らを縛ってしまうような思想を求めてしまうということなのだと理解しました。
 自由とは個人にすべてを任せてしまうことでは実現されないように思いました。不安や孤独が伴うようでは、個人は自由を求めることはできず、逆に不自由かもしれないけど自分を縛ってくれるある種の安心をくれるところへ向かってしまう。それがとんでもない行為を強いるような思想集団であった場合、個人も社会も崩壊していきます。自由とは不安や孤独への手当てがあってはじめて踏み出してもいい領域なのではないかと思ったりしました。

2022年9月17日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『デカルトの憂鬱』
 皇女エリザベトとデカルトの手紙のやりとりがあったそうです、30年戦争で領地をなくしオランダのハーグで亡命生活を送るエリザベト王女は、憂鬱に苦しめられている。デカルトがそうだあったかは書かれていないです。本の引用と解説は全て作者の手によるもの。

 今日読んだ読んだところは「疑う」というところです。「そもそも何かを疑うということは」・・・。こういうことを考える、感覚は間違えるから気をつけようと振り返りをすることそういう行為が大事なのかななど思いました。
 グループでは、新聞記者について話しました。記事を書く以前に雇われたサラリーマンである。2019年に公開された映画「新聞記者」を思い出しながら聞いていました。正しいこととは?真実と事実はどう違うのかなど難しいなと思います。

2022年9月16日:読みたい本を気ままに読む読書会

うさじさん『「こころ」はいかにして生まれるのか』
本日もありがとうございました。

今日は対話について学ぶことができました。

ソクラテスの対話では、考えさせられるような質問をして、相手が応答することによって対話が生まれるようです。「問い」が生まれることによって、物事をより深く考えるきっかけになるのではないかと感じました。

ソクラテスの対話は、A⇔Bの一対一的な関係をイメージしましたが、オープンダイアログのリフレフティングという対話だと、Aが話したことについて、BとCが対話するという、A⇔B⇔Cの三角的な関係となっているようです。対話に第三者が入ることで、どのような気持ちや考えが浮かぶのでしょうか?

対話の方法にも色々あるのですね。
色々な場で、対話の方法や場の設定の仕方などに活かして行けれたらと思います。

yuさん『ある家族の会話』ナタリア・ギンズブルグ
 あの年の春、ドイツ軍がフランスを占拠し、イタリアが戦争に突入しようとしていたあの春は遠ざかる。作者は思い出してこの話を書いている。レオーネがいなくなりパヴェーぜはその話をしない。
 家族は店でバラバラに暮らしている。戦争って・・遠いようだけどそうではないのかもしれない。個人的な本当に個人的な回顧録だと思った。

2022年9月14日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『ある家族の会話』ナタリア・ギンズブルグ
 作者はイタリアの女性作家です。ムッソリーニが台頭してきた時代に生きた家族の出来事が末娘の目を通して、書いてあります。父がどうしただとか、母がどうしただとか。この本に出てくる場所・出来事・人物は全て現実に存在したものであるそうです。自伝的な小説です。よくこんなに覚えていられるなと思いました。

「あの年の夏パヴェーぜは私たちの家に来る時にはいつもさくらんぼを食べながらきた」
「なんというロバだ」が父の口癖。

よしだ『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム著/日高六郎訳
 
思想を分析するときは、その思想を唱える人の価値観や生い立ちを知る必要があるということが書かれていました。他の本で、人は客観的にはなれるけど中立的にはなれない、というのを読んだことがあります。また、人は合理的な生き物なのではなく合理化する生き物なのだとも。
 自己というものを通して考えたり何かを発したりするとき、自己に蓄積している記憶や認識などといったものは排除できないのだと思います。もっというと嫌悪感や大なり小なりあるトラウマ、あるいは自分が拠り所としてきた考えは思考をする上で無意識に強く影響するように思います。

2022年8月31日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『夏の嘘』ベルンハルト・シュリンク
 今日の読書会では「対話」に関する話題が多かった気がする。「持つこと」を重視する人の会話は議論的になり、「あること」を重視する人の会話は対話的になる(『生きるということ』)。「男」対「女」の二項対立を前提として戦うのではなく、「男」「女」とカテゴライズすることが妥当なのかを吟味するところから解決策を探る(『ジェンダー・トラブル』)。それぞれの意見が異なっていても、継続的な場を持つことで、妥協せずとも新たな認識が生まれ、それは生きる力になる(『対話のことば』)
 私が読んだのは『夏の嘘』という短編集の中の『リューゲン島のヨハン・セバスティアン・バッハ』という、対話が成り立たない父と息子の物語。感情的な交流を拒む父に長年わだかまりを抱えている息子が、唯一の共通する趣味であるバッハのコンサートが開かれる島への旅行に父を誘う。またとない機会に父の個人的なことを知りたいと会話を試みるが、相変わらず父は多くを語ろうとせず、息子は不満を募らせていく。この短編集は「嘘」や「秘密」が共通のテーマになっているが、誰にでも簡単には人に明かせない秘密があり、対話も強要すると暴力性を持ってしまうのかもしれない、というようなことを考えさせられる。バッハはどんな演奏家の解釈によっても揺るがない、という父親の言葉には何か決意のような強さを感じた。

tetsuさん『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』井庭 崇・長井 雅史 著
 
今日は、3つの枠組みの最後にあたる「≪新たな理解≫を一緒に生み出す」のところの理解が難しかったためもう一度読みなおしました。No.22「発生時の立ち上げ」(問題が起きているさなかで)、No.23「連続的な実施」(何度も頻繁に)、No.24「一貫した関わり」(同じメンバーでかかわる)には治療的文脈が色濃いように感じたのですが、参加者の方から「移ろいやすい現代だからこそ変わらないメンバーで話し合うことの意味は大きいように思う」とのご意見をいただいたことで少し見方が変わりました。患者や家族を想定しなくても、誰もが大なり小なり生きづらさを抱えて日々を過ごしているのだと思います。聞いてもらいたいことができたときに、同じ顔触れで時間をかけて互いにこの今について話し尽すことができたなら、たしかにその場のみんなにとって未来を生き抜くための特別な体験になるように思います。日常的にちょっと話がしたいと思ったときに立ち寄れる場所があるといいなと思いました。
 もう1つ、対話とは別に本書で関心を持ったのが「パターン・ランゲージ」という手法です。「経験則」「実践知」「センス」などと表現されるよりよい実践は他者に共有することが難しいのですが、パターン・ランゲージはその本質を抽象化して「言葉」として表現することで他者と共有可能にするもので、本書ではその手法に基づいてオープンダイアローグの本質を30の言葉にしています。それは、「いうならば、理念とマニュアル(行動指示、操作手順)の『中空』を結ぶ『言葉たち』」(P.94)であるとされています。
 実践領域においては理念に立ち返りながら日々自らの行動を起こすことを求められますが、熟達者には「経験則」でできても経験の浅い人にとってはどのように行動で表現すればいいのかがわかりづらく、かといってマニュアルでは理念が忘れ去れて行動自体が目的化してしまいがちです。実践領域に身を置く立場として、望ましい考え方や在り方をチェックリスト形式でまとめようとしたことがあったのですがなかなか難しく、まさにこの壁にぶち当たっていたのだと認識することができました。パターン・ランゲージはそれを乗り越えるためのコツを示してくれるのではないかと期待しています。この機会にパターン・ランゲージの書籍にも手を伸ばしてみたいと思います。

2022年8月30日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム著/日高六郎訳
 矛盾するようですが、社会が個人主義・自由主義的な方向に向かうのであれば、同時に個人にとっての居場所というか共同体が必要になってくるのだと読んでいて思いました。もっというと、個人主義と自己責任とは相性が悪く、自由はやさしさとセットでないと成り立たないというか、そんなことを感じました。ちなみにここでいう自己責任とは、周囲が個人に責任を負わせようとすることを指しており、個人が自分に対して責任をもつことを指してはいません。
 著者のフロムは、人は食欲などの生理的な要求と同じくらい、孤独を恐れ避けようとする要求が強いといいます。孤独を避けるには、ただ物理的に人が近くにいればいいということではなく、精神的なつながりを感じられる存在が必要であるといいます。競争や自己責任は孤独を招くように思います。競争や自己責任がすなわち個人主義なのではないとしても、個人で生きるということは社会と個人との関係や個人と個人との関係があいまいでゆらぎのあるものになっていくことを意味するとは思います。だからそうした不安定さを包含する何かが必要な気がします。
 この本のテーマは、なぜ人は自由を捨ててナチズムのような全体主義に傾倒してしまったのか、というものです。個人にいわゆる強さのようなものを求めるだけでは、どこかで暴走とも思えるようなことが起こるということなのかもしれません。今の社会はどこか片手落ちな感じがしてきました。

2022年8月28日:読書のもやもやについて話す時間「本との付き合い方」

 今回のテーマは「本との付き合い方」でした。

〈持ち寄られたテーマ〉
・老害を害とする境界は(知識や経験が煙たがられるのはどのようなときか)
・読書が楽しいのか苦しいのか。読書が苦痛になるときがある
・読書はフローかストックか
・本との付き合い方。タイミング。生きているうちにあと何冊読めるのか。どこまでして読み終えたことにしようかな。
 ・本読んでいても覚えていないことがある
 ・読み返したくなる本がある
 ・思考を変えたくて手放した本がある

tetsuさん
 
「読書のもやもやについて話す時間。」に初めて参加させていただきました。あらためて、本との付き合い方についてふりかえることのできる有意義な時間を過ごさせていただきました。読書に対して「メンターを求めている」と表現をされた方がおられ、たしかにそのような一面があるなと反芻しながらお聞きしていました。哲学などの学術や自伝・伝記、物語などさまざまな形で表現される考え方や在りように触れることは自分の人生を生きることにつながっているのだと思います。また、終わりの方で「結局は自分自身の中に答えがある」とのご意見があったことも印象的でした。
 読書をすることで、心が動いたり、視野が開けたり、想像が作り出す美しさに身を委ねたり。読書は、おそらく私にとって身近で、手軽で、自分のペースで「体験」を起動してくれる装置なのだろうと思います。そして、その体験に「ひらく」ことができるかは時機が大切であると思います。それは必要に迫られたからかもしれないし、その時の周りの人や環境の中で生じるものなのかもしれません。無理矢理にひらこう、よく噛んで咀嚼しようとしなくても、何も起きないときは起きない。限りあるこの先の一冊一冊の読書体験にできるだけ丁寧に向き合いつつ、いずれ準備ができたときにはあらためてお会いしましょう、ぐらいのスタンスで肩の力を抜いてみようかなと思いました。ありがとうございました。

としさん
読書が苦痛になることはある。
以前の私なら、理解出来なくても読んでいたが、
理解出来る私に変わりたくて、
疑問を飛ばさず、理解しながら読み進めることにした。
勿論、全然進まない。
なぜなら、今まで理解しなかったツケが回ってきているのだ。ここでやめたら戻ってしまう、という恐怖心から、私は苦しみながら本を読んでいる事に今回気がついた。

人生は自分を理解する旅だと最近思うようになった。
今まで分かっていなかった自分、
何が嫌いで何が好きか、
最近になってやっと分かるようになった。

文章を書くことを学んだのも数年前。
それまでの私は文章を書くことから逃げていた。
感覚人間なため、言葉なんて重要に感じていなかった。

占星術を読んだ時に書いてあったのは、
前半(若いうち)にし残したことを
後半になって回収するようになっているという事だった。
人間は、惑星の影響を強く受けている。
ただ、それは、そういう流れの中にあるけど
自分の意思でどうとでも変えられるという。

読書は娯楽。苦しみながら読む。
理解しなきゃいけないと思い込んでる。
そう。考えたこともなかった。

実は私はメンターと思える人にあった事がある。
色々な事情があって疎遠になった。
その人と同じような人を探しているのかもしれない。

新たな発見のあった会でした。
いつも有難うございます。

よしだ
 いろいろな話が出て、振り返ってみると「読書をしているとき何をしているのか」というテーマだったようにも個人的には感じました。
 何かをわかるためという人もいれば、そうでもないというような人もいます。ひとつの目的をもって読書をしているわけではないのでその時々ですが、僕自身はなんとなく何か(たぶん自分)を動かすために読書をしているような気もしました。もう何がなんだかわからない状態だと動きようもないので、何かをわかるために読んでいるともいえますし、でもそれで何かがわかったと思うわけでもない。でも求めている何かには近づくような気がするし、別のやりたいことが出てくるときもあります。ゴールがあるわけでもないしそれを欲しいともあまり思っていないけど、どこにいくのかわからないから本を読みながら考えているような気もします。

2022年8月27日:読みたい本を気ままに読む読書会

tetsuさん『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』井庭 崇・長井 雅史 著
 
昨日に続いて、3つの枠組みの残る2つである「≪多様な声≫が生じる場にする」、「≪新たな理解≫を一緒に生み出す」のところを読みました。
 「多様な声」では、メンバー全員で声を出し合うこと、気持ちを分かち合うこと、気づきを生じさせることを可能にする場とその中での振る舞いが示されていると認識しています。最近私の中に「居心地のよい居場所とはどういうものだろう」という問いがあるのですが、直接的に関係しそうなエッセンスがここにはあると感じました。中でも、No.16「全員の発言」(ひとり一人の声を大切にする)は、そのための大前提であると思います。No.18「応答の連鎖」(みんなで声をつないでいく)は、(知っていることを言いたい)、(白黒つけたい)、(自分が正しい)という陥りがちな誘惑から解き放ってくれる、モノローグからダイアローグへの転換点であると感じました。また、No.21「リフレクティング・トーク」(会話を外から見てもらうことで、新たな気づきが生まれる)はオープンダイアローグと言えば、という感じの代表的な技法なのによくわかっていませんでした。自分が会話を外から見る立場のシチュエーションを想像すると、相手は自分のことをどんなふうに理解してくれているのだろうと目の前で交わされる会話に興味津々になりそうです。「じっくり聴く」という行動を機能させるための工夫なのだと理解しました。
 「≪新たな理解≫」は、3つの中で最も抽象度が高い内容だと感じます。多様な意見が共存する混沌とした状態から新たな意味が生まれ、未来に向けた物語が立ち上がってくる過程とはどのようなものなのか。これは実際に体験してみないことには理解が及ばないのかもしれません。そのプロセスに身を置いたところを想像しつつ、残りの部分を読み終えたいと思います。

よしだ『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム著/日高六郎訳
 今回は読み始めのこんな文章に引きつけられました(P17)。

「抑圧された衝動は、文化的に価値のある努力にかわり、こうして文化の人間的基盤となる。」

最初は呑み込めなかったのですが、考えていくとすこしずつわかっていきました。たとえば今の社会では、学校や会社に行くときに朝決まった時間に起きることを求められ、行った先では期日や成果といった目標を求められます。そうした社会だから、規則正しく生活することや目標達成のための努力が生まれ、それらを価値とするような美徳が生まれるように思いました。そして、そうしたことを人間の基本とするような見方も、さもそれがあたり前であるかのように社会を覆っていくように思います。
 著者のエーリッヒフロムは社会心理学という、ヒトや個人が生まれながらにもつ気質によってのみ人間の心理がつくられるわけではないという学問に軸足をおきます。大雑把にいうと僕の理解では、社会によっても人間性というのはつくられていくという前提のもとに社会との重ね合わせのなかで人間を研究する学問です。フロムは、食欲などはヒトが基本として有するものだが、愛や憎しみなどは社会のもとにつくられるものだと言います。だから今の私たちがもつ人間観やヒトの本性などというものは、どこまでが基本的なものなのか判断が難しいというのが社会心理学のスタンスです。
 これは言い換えると、人間はこういうものだから変えられない、ということを疑う視点であるとも言えると思います。基本が崩れるのは怖いことだし、基本が違う他者がいると近寄り難いとも思うかもしれません。でも基本とはかなりあいまいなものだとすれば、自分自身のそれを疑ってみることも、他者の話を聴いていくこともしやすくなるのではないかなどとも思ったりします。そう簡単なことではないとは思いますが、変えられないと思っているより、変えられるかもしれないと思っている方が身軽な感じはします。

2022年8月26日:読みたい本を気ままに読む読書会

うさじさん『マインドフルネスストレス低減法』
 対人ストレスを感じた時、その相手とのコミュニケーションに注意を向けること、その状況や自分が感じたことや考えたことを意識化することで、相手との関係を友好的に保つ手がかりをみつけることができるそうです。
 対人ストレスに対して、衝突を回避してしまったり相手のことをあるがままに受け入れることが難しかったのですが、一つ一つの状況に対して、自分の気持ちや思考と向き合うことで、相手とのつながりのとらえ方を変えることができるのではないかと感じました。
 本日もありがとうございました。

yuさん『自転車泥棒』
 台湾の小説。第二次世界大戦の時には象がいる部隊があった。13頭いた象は7頭しか残っていない。兵士たちにとって象は象徴だった、ヒルに噛まれ膿が出た足。運搬するための薬物注射。何にも関係ない象まで巻き込んで戦争って・・・

 他の方と3人で対話について人の話を聞くことについて。聞くというのは相手を解りたいという姿勢がないと耳に入ってこないのではないかなあなどぼんやり考えました。

tetsuさん『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』井庭 崇・長井 雅史 著
 
精神疾患の治療方法であるオープンダイアローグから、日常の対話にも活かすことのできる心得を30個の「対話のことば」として体系化して紹介されています。30個のことばを構成する大きな枠組みとして、「≪体験している世界≫を内側から感じる」、「≪多様な声≫が生じる場にする」、「≪新たな理解≫を一緒に生み出す」の3つがあり、今日は1つ目のところを読み進めました。
 対等な人と人として出会い、じっくりと耳を傾けて応答し、相手の世界を深く感じていく。これはカウンセリングにそのまま通じるあり方であると思いました。このように自分のことを理解しようとして聞いてくれる人が目の前にいること、ただそれだけでも救いであると思いますし、その人の中にあるよりよく変化しようとする力が立ち上がってくるように感じました。どれ一つとして不要な「ことば」はないのですが、No.6「そのままの言葉」(相手の言葉を使って話す)に取り組んでみたいです。もはや癖だと思うのですが、言い換えて伝え返すことがとても多いように感じています。「それってこういうこと?」と相手と自分の理解を照合させるために用いているつもりだったのですが、頁を繰る手を止めて思い巡らしているうちに、自分の世界の枠組みで相手の世界を捉えようとしていたのではないか、「相手にこうあってほしい、あるべき」という価値観を抱合した上での言い換えをしてそちらに誘導しようとしていたのではないか、というゆらぎが湧き起ってきました。「○○と感じておられる」と、ぽんと2人の間に言葉を置いて眺めるだけでも十分かもしれませんし、素直に「○○っていうと?」と開かれた質問を投げかけて教えてもらったほうが相手の内側から見た世界を垣間見ることにつながるのかもしれません。
 わかりやすいようでいて、とても奥が深い。何度も何度も読み返したい本です。

よしだ『新版 動的平衡』福岡伸一著
 「すぐに役に立つ」成果を求められることに対する批判が今日読んだところでは見られました。創薬や産業につながるからこの研究をやっているということが求められるということです。生命現象や世界の成り立ちをただ解き明かすという研究は予算の面からも行うのが難しいと書かれていました。漠然と、そうだろうなぁと思いました。
 生命観や世界観は生きていくうえで必要のないことなのだろうかということに考えが巡ります。いやそんなことはないと、直感的には思います。そういうのがないとき孤独というものを感じやすかったりするのではないかと思ったりします。精巧にできているようでいて偶発的でもある生命や世界のことを知ると、その器のうえで生きていくという感覚であれるような気がします。

2022年8月24日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『自由からの逃走』エーリッヒ・フロム著/日高六郎訳
 今日はこの本の流れで自由の話にもなりました。印象的だったのは、自由には時間がかかるのではないかということでした。
 この本は1941年に刊行されたものです。著者のエーリヒ・フロムは、他に手がける研究がありながらナチズムの台頭によってその研究を切り上げてこの本を書くことになった、ということを書いていました(解釈含む)。18〜19世紀に君主制から脱して人々は自由を手にしたはずなのに、ナチズムのような思想に迎合して個を失っている。これは一体どういうことなのだろうか、人々は自由を求めて手に入れたはずなのにそれを自ら捨てようとしている。20世紀のこの頃はそんな困惑のなかにあったようです。
 民主主義へ移行する前、中世の時代が君主制であったのは、人々に知識がなかったり権力を固定化させる制度であったりという問題があったからだと考えられていたようです。もちろんそうした側面もあるのでしょうが、人々は民主主義という制度ができあがったからといってそのまま自由に生きようとするわけではないということがこの本からはみえてきます。人は一体どのような自由を望んでいるのかということへの考察がおそらく現代でもまだ足りないのだと個人的には思っています。
 話はすこし変わって、『学問のすすめ』で福沢諭吉は江戸幕府の支配が終わって自由な時代になったけど、それは個人が自分で考えて商売をしたり政治を監視して腐敗を防いだりしなければいけないことを意味する、だから勉強しなければいけないということを書いていました。それを読んだ時に、ずいぶん大変な要求だなと思ったのですが、個人の自由を前提とする社会とはきっとそういうことなのだと思います。制度が変わったりお上が何かしらの方針や思想を喧伝したりしてもそれだけでは変わらず、本当の意味で浸透していくには大変な労力と時間がかかるのだと感じました。

2022年8月21日:読みたい本を気ままに読む読書会

aiさん『いつも「時間がない」あなたに』
 副題に「欠乏の行動経済学」とあり、まさに行動経済学の本でした。本日は第1部「欠乏のマインドセット」の第2章「処理能力への負荷」を読みました。
 欠乏による心配が心を占めると認知能力・実行制御力ともにIQにして10程度下がるという実験結果を提示されていて衝撃でした。重い負荷をかけられて、欠乏のために普段はとらない悪手を打ってさらに窮地に陥る(本ではまぬけになる、衝動的になると書かれている)ということで、元はそうではないのかもしれない。貧困のサイクルにつながるのではということと、はまったら抜け出すのが難しい理由の一つではと感じました。

 この本を読むきっかけを聞かれたのですが、思い出せませんでした。積読の中でもなぜ買ったのか覚えていない本も多くて、なんだかもったいない気がしました。読書メモに手に取るきっかけを残していこうと思っています。

よしだ『新版 動的平衡』福岡伸一著
 生物同士が共存・共栄する生態系もすごいけど、生物個体の中で起こっている生命活動もすごい。今日はなぜかダイエットの話。
 太るというのは代謝に使った上でも余ったカロリーが体内に吸収されることで起こる現象です。言ってしまえば余ったカロリーが外にそのまま排泄されれば太ることはありません。それを蓄積しようと身体が機能するから太るのです。
 太るというのは脂肪として蓄えられるということですが、脂肪として蓄えるのは脂肪細胞の働きです。体内にブドウ糖が増えると、脂肪細胞にブドウ糖が透過するための通路のようなものが開きブドウ糖を取り込んで脂肪になって蓄えられます。その通路はブドウ糖しか通さない特殊な仕組みをもっています。
 脂肪細胞にブドウ糖が入り込むための通路はいつも同じように開くわけではありません。インシュリンというホルモンの分泌量に応じた通路が開かれます。だからインシュリンの分泌量が少なければ通路も少ししか開かずブドウ糖が脂肪細胞に入りにくくなり、あまり太らないということになります。
 そのインシュリンの分泌は血糖値が上がることで起きますが、血糖値の上がりやすさはカロリーに応じたもの(だけ?)ではなく食品固有のものです。その上がりやすさの指標がGI値と呼ばれるものです。低GI値の食品であればカロリーの割に脂肪細胞にブドウ糖が吸収されにくいので脂肪になりにくい、すなわち太りにくいということになります。だから低GI食品というのが注目されるわけです。身近な例でいうと、白米より玄米の方が、うどんよりそばの方が低GIです。だから日頃のちょっとした選択でもダイエットになるということです。
 と、そういう身体のメカニズムがわかっている著者の福岡伸一先生からすると、とんでも健康情報というのはあまりにも多いよう。僕たちには身体の中における生命活動など見ることも感じることもできないから、なんとなくそれらしい論理があると信じてしまうということが日頃から起きているのかもしれません。それにしても生命活動は複雑で精密でおもしろいなと思いました。

2022年8月20日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『「聴く」ことの力: 臨床哲学試論』鷲田 清一
 
伝統的な哲学では、語ることや書くことが重視され、内省(モノローグ)を深めることによって普遍的な思想体系を築くことを目的としていた。方法や形式には厳密さが求められ、言葉は論理的に正確かどうかが重要とされた。その結果、哲学は現実世界との接点が薄く閉鎖的なものとなり、力を失いかけているという現状がある。著者が専門とする「臨床哲学」はこれと正反対で、聴くことを重視し、生身の他者との対話(ダイアローグ)によって築かれる固有の関係性を通して、臨床という社会のベッドサイドでの哲学の実践的な可能性を探るものである。言葉は意味以前の微妙なニュアンスや、言い淀みや沈黙も含めて丁寧に扱われる。お互いの根底が「ぶれる」ような深い交流をするには、敢えて自らを傷つきやすい立場に置く強さや、どっちつかずの曖昧な状況で待つことができる忍耐力も必要となる。
 臨床哲学とは何なのかをまだはっきり捉えきれていないのですが、深いコミュニケーションとはどういうものか、ということを探求する方へと向かうようです。最後にちょっと長いですが引用します。
 「わたしたちはコミュニケーションといえば、意思の一致、つまりコンセンサス(合意)をイメージするが、もしコミュニケーションを動機づけているものが、そのなかで各人が他者の存在とともにその前にいま疑いもなく存在するものとしてじぶんを感じることにあるとするならば、そこにおいてもっとも重要なことは、他のひと、じぶんとは異なる他なる存在をそこにありありと感受するということであろう。他者との差異に深く思いをいたすことで、じぶんという存在の輪郭を思い知らされることであろう。つまりそれは、〈他〉なるものをとおした自己の経験として、意思の差異というよりもむしろ存在感情の差異とでもいうべきもの、あるいは感受性や思考のはたらきだし方の微妙ではあるが深い差異をこそ感受するものでなければならない。」

yuさん『自転車泥棒』
 台湾人の僕が,太平洋戦争のビルマのジャングルで中国人の敵部隊から象使いと一緒に脱したところを読みました。

 随分久しぶりに真ん中あたりから読み始め,語り手がだれなのかしばらく掴めないまま読んでいました。

 対話では聴くことが大事だという話と無意識を意識するという話がでました。前の時間に暗闇を考えたので暗闇を意識しながらききました。ビルマの自然も暗いと書かれていました。

てらさん『アダムスミスの夕食は誰が作ったか。』
最近、貨幣関係の本を読みあさっている。アダムスミスは経済学の始祖的な存在であり、経済の働き、仕組みの体系化は、彼から始まったといってよい。
アダムスミスが仕組みを整理、定義し、マルクスが社会との関わりを整理し、ケインズが動的な制御を検討した。
 この本は、それをジェンダー的に再整理したものである。この本の書くように、経済学、経済、社会ともにほぼ男性参加であり、家族内労働は経済から無視されてきた。
そして男性的な競争の是認が、今の資本主義自由経済を構成している事は間違いなく、また、経済への参加者が男性が多かったために、自由競争を是とした社会、経済に対する哲学が構成されたのも事実と思う。

tetsuさん『無意識と対話する方法 あなたと世界の難問を解決に導く「ダイアローグ」のすごい力』 前野 隆司(著),保井 俊之(著)
 
今日は、第2章「ダイアローグとはなにか」と、番外編「ダイアローグに関するQ&A」を読みました。興味深かったのは、ダイアローグについてアイザックスが示したコンセプトとして「リフレクティブ(内省的)・ダイアローグ」と「ジェネレーティブ(生成的)・ダイアローグ」の2つがあることで、前者が自分自身の内面に気づきをもたらす対話であり、後者が集合的フロー状態に入り新たな理解や意味付けが生じる対話と紹介されています。今もっている思いや考え(すでに意識していること)を表出し、相手に受け取ってもらう中で、自分の内面に眠っている思いや考え(まだ意識が及んでいないこと)が引き出されるプロセスだと捉えると、カウンセリングに通ずるものがあると感じました。聞き手と話し手の役柄が循環しながら、互いに気づきをもたらし合うことで思いもよらないアイデアを生むコミュニケーション。たとえ答えが出なかったとしても、それはとても心豊かな時間だと思います。

2022年8月17日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『チェベングール』
ロシアの作家プラトーノフの長編です。
昨日に引き続き、3部構成の小説の3部を読みました。
チェベングールからブルジョワどもの残り滓を一掃するぞとチェプールヌイと同志プロコーフィが固いおとなしさこめて同意するところ。
やさしくその耳を殴るってどういうこと?と思いました。
多くの半ブルジョワたちって誰のことだろう?

他の方は劇画から歴史を学ぶといいや、村上龍さんの共生虫など耳から入る寄生虫・ウイルスの話のようでしたが、それって噂の類でもそうなのかななんて考えたりしました。

tetsuさん『無意識と対話する方法 あなたと世界の難問を解決に導く「ダイアローグ」のすごい力』 前野 隆司(著),保井 俊之(著)
 
数年前にダイアローグに関心を持ったときに教えてもらった本で、当時さわりだけ読んでそのまま積読になっていました。こちらの読書会では「対話的」であることを大切にしておられることを先日noteで拝読し、居場所やその場づくりを考える上で欠くことのできない要素だと感じて再び着手することにしました。
 研究者のウィリアム・アイザックスがまとめた基本構造によると、ダイアローグの場をもたらすためには「聞く(listening)」、「大事にする(respecting)」、「保留する(suspending)」、「出す(voicing)」の4つの行動が必要とされています。とても簡単そうなのに、普段できてないな…と非対話的なやりとりの心当たりばかりが思いだされます。相手の意見を十分に吟味せずに意見をしたり、単に自分が知ってる知識を言いたいだけだったり。話を受け止めてもらえることは人や場に安心感をもたらし、良好な関係性を醸成することにつながります。どちらが正しいのかではなく、互いに作用してさらに良いものを生み出すための土壌として大切なことなのだと思いました。
 また、参加者の方からも、人の話を聴くって難しい、途中で口をはさんでしまいたくなるとの感想をシェアしてくださったことで、本書の第1章の中で紹介されているネイティブ・アメリカンのトーキングスティックによる対話形式は、傾聴を約束するための仕組みなのだなと実感することができました。
 本書はダイアローグのためのハウツー本ではないので、対話的であるためにはどうすればいいか、思いを巡らしながら読み進めたいと思います。

よしだ『新版 動的平衡』福岡伸一著
 生命科学の本なのにプロローグの入りは「ボスの憂鬱」。でもそこから生命科学の話にもっていくところが著者・福岡伸一さんのおもしろさだなと思いました。
 計画を立てるとか答えを出すというのはあくまでも人間の営みなのであって、世界はそういうことを前提にしてはいないのではないかということを思い出すときにこういう本を読んでいるような気がします。それでも見通しをもとうとするわけですが、それはあくまでもゆらぎのなかでということを思うために。

2022年8月16日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『チェベングール』
ロシアの作家。
3部からなる小説です。
生前に完成した唯一の長編小説だそうです。
読んだところは2部のチェルノフカ村に多くの権力が次々にやってきたが、それらはみな四散してしまって、ソビエト権力もまたおのずから瓦解してしまったところです。
なんとなく時代は違うけど、国の建設者たちってことから古事記や日本書紀みたいなイメージでした。説明がうまくいかず、よくわからないと言われましたが,その通りだなとおもいました。

なんにでもどこか満足いかない部分がありどうそれを認めるか、折り合いをつけるかという話に対話の場でもなり、わからないをわかろうとする過程のことを考えたりしました。

けいこさん『もうあかんわ日記』
 弟さんがダウン症、お祖母さまが認知症、お母さまが大手術という、笑うに笑えないような状況をこんな風にユーモラスに書けるなんてすごいことだと思う。わたしだったら絶対病むし、日記に書いたら誰にも読ませられない真っ暗な内容になるはず。他人を笑わせられるというのは、人間として素晴らしい資質だと思うし、物書きとして人気が出るのもよくわかる。

 終了後の雑談では、「ゾーン」の話が興味深かった。子どもの頃、夢中になって遊んでいたのが「ゾーン」に近い状態なのかもしれなくて、大人になるにつれそういうことがなくなってきた(少なくともわたしは)のだけれども、ゾーンに入るというのはトレーニングすれば可能なのだろうか。瞑想も苦手で全然うまくならないので、なかなか難しそうだと思った。

しょうごさん『ヴァリス』フィリップ・K・ディック
 
かなりぶっ飛んでる小説でした。大量の情報が整理されずに語られており、また、どこまでが現実でどこまでが狂った妄想なのか判別のつかないような内容となっており、戸惑いながら読んでいました。随所に難解な神学的、哲学的な議論がされており、断片的には面白い話がありましたが、その議論も結論が出ないまま結局何がいいたかったのかよくわからないまま終わることが多かったです。この『ヴァリス』という深い樹海のなかで、次に示すような解釈をしながら、これが道筋なのかな?と思い読んでいました。
 友人の自殺をきっかけに主人公は狂い始め、その狂った部分をと主人公の名前とは別の名前をつけ、記述し始めます。その狂った部分は主人公から離れ奇妙な神学思想を作り上げ、世界・宇宙の成り立ちを記述し始める。そして、後半部で救世主たる子供と出会い人格が統合される、というのがざっくり簡単なあらすじになっています。僕たちはなにか不幸があった際に何かしら原因を特定しようとします。例えばその不幸はーこの小説の主人公みたいに宇宙の成り立ちまで遡る人は少ないかもしれませんがー自分のせいかもしれない、自分以外の誰かのせいかもしれない、社会のせいかもしれない、というふうに考えます。その際、原因を突き詰めれば突き詰めるほど、元の部分からから分離していくように思えます。この事を考える上で、別の本になりますが吉本隆明『共同幻想論』で主張された、人間がその世界を認識し、生きていくための三つの幻想を紹介します。それは自己幻想、対幻想、そして共同幻想です。自己幻想とはその名の通り自分自身に関する像のことで、対幻想とは一対一の関係についての幻想で、共同幻想は集団が共有する目に見えない存在のことです。不幸という偶然性が起こって、その原因を特定しよう際に、この幻想の解像度がより鮮明になります。たとえば、自分が不幸の原因と考えた場合、自分自身はどういう人間か?というような内省をし、自己幻想を創作します。社会や人間関係に原因があると考える場合も同様の過程をたどります。幻想とはもとからあったものではなく、このように創作されたものです。この幻想と自分自身との乖離がこの小説での人格の分離として表現されていると僕は考えます。そして、後半部の救世主たる子供と出会い人格が統合されることをどう考えるか。僕自身この小説の中の救世主たる子供と同じ齢の二歳の子供がいるので感じるのですが、子供の前では、自分が考えてきたこと、前述した三つの幻想が全て無効化されるように感じます。この無効化がこの小説での人格の統合として現れていると思います。

2022年8月14日:読みたい本を気ままに読む読書会

tetsuさん『愛されなくても別に』武田 綾乃(著)
 武田綾乃さんの著書は初めてなのですが、「息詰まる『現代』に風穴を開ける」という紹介文を目にして以前から気になっていました。ある程度共通性の高い息詰まり感が取り上げられるものと想像していた分、女子大生である主人公と、同世代の登場人物たちが置かれている境遇の過酷さに戸惑いを覚えながら読み進めています。いわゆる「毒親」をもつ子どもたちが、どのように自分の人生を取り戻していけるのか。現代に普遍的なテーマとしての広がりにも着目して味わいたいと思います。

つやまさん『食べることと出すこと』頭木 弘樹
 20歳で潰瘍性大腸炎という難病になり、十数年入退院を繰り返す生活をした著者の闘病記です。闘病記といっても、病気の辛さを訴えたい、読んだ人に勇気を与えたい、というような動機ではなく、病気にならないとできなかった体験や、それを通して得られた人間や社会への洞察を「面白い」と思ってもらいたいという動機で書かれているそうで、同じ病気の人でなくても興味深く読めるようになっています。(それでも症状の苛酷さは、読んでいるだけでも辛くなるほどで、このような距離感で書ける著者はすごいと思います。)
 今回読んだのは「食コミュニケーション――共食圧力」という章で、食事が個人の生命活動の維持だけではなく、人間関係にも深く関わっているという事実に、病気になって初めて直面した著者の驚きと苛立ちが書かれています。症状が少し落ち着いて一時退院していた著者は、仕事上の関係者数人と会食に行きます。相手には難病のために食べられるものが極端に限られていると伝えていましたが、おすすめの店に連れて行かれ、食べられない料理を一方的に「美味しいから」と勧められます。「難病で食べられない」と断ると一度は引き下がってくれるものの、「少しなら大丈夫なんじゃないですか」と小皿に取り分け、なぜかしつこく食べさせようとしてきます。著者は結局料理に手をつけることができずに機嫌を損ねてしまったようで、それっきり仕事の連絡も来なくなってしまったそうです。また病院でも、見舞い客が持ってきたお見舞いを無理に患者に食べさせようとしたり、食事の介助を受けるときに美味しそうに食べる人の方が良い病人とされるという圧力を受ける場面にも遭遇します。これらの出来事から、人間にとっての「食」は、自分が差し出したものを相手が受け入れるという関係に大きな意味があり、食べ物を拒絶することは相手や場そのものを拒絶することを意味すると著者は気づきます。「食」で繋がることへの圧力は、難病というハードルを超えて、食べられない者を非難し、排除することがある。話は少し飛んで、「会食恐怖症」の背景にはこうした共食圧力があるのではないかという話や、新興宗教などで戒律で食べてはいけないものを定めるのは、信者同士の繋がりを深めるのと同時に、外部との繋がりを断ち切るためではないかという話もあって興味深いです。
 病人と老人はなってみないとわからないと著者は言っていますが、違う立場の人を理解したり理解してもらったりすることの難しさを感じるエピソードでした。

よしだ『ギヴァー 記憶を注ぐ者』ロイス・ローリー著/島津やよい訳
 今日で読み終わりました。自由というのはリスクや痛みや苦しさや悲しみが伴い、でもその分安全なままでは味わえない興奮や喜びや鮮やかさや骨身に沁みる感、なんといいますか生きている感を感じることができる。そんな結末だったように思います。自由の方がいいと僕は思いますが、それは相応の大変さとセットでね、という前提を掲示されたような感覚です。
 また、管理されるのがいいのか自由がいいのかという問いはそれはそれで大事だとして、管理することが果たして可能なのかという問いも大事だと思いました。物語のなかでは相当な無理や歪みのうえに管理が成り立っているように描かれていました。ヒトは自由にしか生きられない、という前提が実はあるのではないかという仮説も浮かびました。そうなると人生は苦行であるというのもまぁ仕方なく引き受けられるような気がしないでもありません。

2022年8月13日:読みたい本を気ままに読む読書会

Kameoka Kikoさん『落下する夕方』
 たくさんの人の本の感想が知れて楽しかったです

tetsuさん『クララとお日さま』カズオ イシグロ (著), 土屋 政雄 (翻訳)
 ちょっと前に読みおわったので、今日はふせん回収をしながら物語を振り返る時間にしました。知性と感情を備え持つAFであるクララについてうまくお伝えできなかったのですが、参加者の方からたくさん質問をいただく中で、人を人たらしめているものは何なのだろうという問いが湧いてきました。クララの純粋さに触れ、その半生を追体験するとき、心がざわめく思いがするのはまさにそのことを問いかけられているからのように思います。
 この物語はクララの回想による一人語り、つまり記憶を辿る旅であると言えると思います。記憶は事実そのままではなく、時に抜け落ち、時に美しく主観に基づいて再構成されるものです。まるで人のような感性をもつクララがその役目を終えるにあたって見出そうとした物語だと捉えるとき、その行間に思い巡らさずにはいられないという感慨を抱きました。語られないことによって、語られている。カズオ・イシグロさんの作品に覚える余韻の深さは、そういったところにあるのかもしれないと思いました。

2022年8月12日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『カラマーゾフの兄弟3』
 今日読んだところは、「第9編 予審」の箇所でした。
 ミーチャの目撃者たちの尋問が終わった後に夢を見るところです。「餓鬼」と書いて「がきんこ」とふりがながうってあります。「どうして皆貧しいのか、どうして餓鬼は哀れなのか」。夢から覚めた後、告発の苦しみをなぜ潔い態度で受け入れることができるのか不思議でした。手持ちの金が3千ルーブルだったか否かを長々と聞かれていてどうにもはっきりしない回答だったのに。
 自分が無実の罪で罪人になるより恥辱を注ぐことの方が大事なようでなんだかぼんやりと描かれていました。またミーチャにとっての恥辱が他の人にとってはそうでもないような感じもしました。裁判は終わったかと思いましたが、まだ終わっていないようです。

itoさん『マジック・フォー・ビギナーズ』
 普段は読んだ本の話をあまり人としないのですが、初めて参加してみました。
 この本は本屋で表紙の絵に魅かれて手に取った一冊です。難解なファンタジーでだいぶ戸惑っていたのですが、読書会で感想を話そうとすると何となく客観的に読めたように感じます。わけがわからない部分と、ここは面白いな、と思う点を整理しながら読むようになり、読書会のあとも不思議と読み進めやすくなったのが新鮮でした。

2022年8月10日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『破獄』
 刑務所を4回脱獄した人の話。
 一人の囚人に注目して話が進んでいっていましたが、戦争で原爆がおとされて、国中がそれどころではなくなっていく様のところを読みました。米の配給状況、捕虜の処遇、看守の勤務状態など、ふだん考えないことが描かれていました。刑務所を国や会社と捉えたらって後書きにあり、制度の中に組み込まれすぎるのもどうなのかなと自分を振り返ったりしました。
 平日朝の参加は初でした。他の方の読んでいた本,多和田洋子さんやほしよりこさん、有川浩さんの自衛隊3部作もお話が、きけてよかったです。

tetsuさん『クララとお日さま』カズオ イシグロ (著), 土屋 政雄 (翻訳)
 今回は、第二部の途中から第三部の初めまで読みました。ところどころで耳慣れない単語が出てきたり、どうも普通の様子ではない子どもたちや保護者の描写があり、クララたちAFが必要とされる社会には何か想像もしないひずみが生じているように感じます。違和感を見逃すまい!と楽しみながら手探りで読み進めています。
 クララは人工知能ならではの冷静な観察眼と学習能力をもち、言外のサインを察するなど心の機微まで感じ取ろうとすることができます。かといって人間心理を完ぺきに理解できるわけではなく、どこか幼さを思わせる捉え方をしている面もあります。AFであるクララの視点を通すことで、ある種不合理ともいえる人の複雑な心のありようが浮き彫りになっているように思いました。
 (これ、クララの立場だったら相当ストレスたまるな・・・)と考えずにはいられないのですが、その一方で、人ではないAFにだからこそ打ち明けられる本心や、共有できる秘密があるのかもしれないということを考えたりしました。

よしだ『ギヴァー 記憶を注ぐ者』ロイス・ローリー著/島津やよい訳
 雪や色彩を認識してこころが動く主人公。超管理社会では気候が安定するようにコントロールされており、画一的だからか色を認識することもなく人々は生きています。主人公はそういったものを感じる力に優れており、それもあって記憶を受け取るレシーバーの役割を与えられます。その記憶とは、かつては降っていた雪のような楽しいものもあれば争いや収奪といった苦しさを伴うものもあります。
 主人公は色彩の美しさなどを認識することで、もっと人はさまざまなものを感じたり考えたりして自分で選びながら生きていった方がいいのではないかと考え始めます。しかしその考えをすぐに自分で否定します。仕事や付き合う仲間を自分で選ぶなんて恐ろしい、と。失敗したらどうするんだという恐怖です。
 管理して安定させようという気持ちも失敗を怖がる気持ちもわかります。でもその一方で主人公が抱いたような好奇心や自由を求める気持ちも人にはあるのだと思います。そうでなければ人類の世界はここまで広がりをみせなかったように思います。安心と自由。この2つの間でどう生きようかと模索するのが人間の課題のような気がしなくもありません、なんて。

2022年8月7日:読みたい本を気ままに読む読書会

としさん『東日本大震災 3.11生と死のはざまで』金田諦應
一言でいえば、重かった。
本は、著者である金田さんが震災前に活動していた自死問題を、僧侶という立場で経験した話で始まった。

時系列で、話が進んでいく。
震災前、震災前日、当日、そして、その後。
短編のような形で、寄り添った被災者の物語が紡がれていく。
沢山の物語が、この本には書いてあった。言葉では言い尽くせない感情が沢山沸き起こった。

図書館で借りているため、限られた時間で読まなければならない。
けど、早く読み進めることが、どうしても出来なかった。
それ程、物語の一つ一つが重かった。
自分の中でその一つ一つをかみ砕いていかないと進めなかった。

著者がこの現状を世界に伝えていかないといけないという使命感を持って、様々なメディアの取材を受けてきたことも書いてある。
日本にとどまらず、アメリカ、イギリス、etc…
金田さんの活動をNHKの番組やロンドンタイムスで知った方もいるのではないでしょうか。

東日本大震災をきっかけに、被災者の心に寄り添う傾聴カフェ活動「カフェ・デ・モンク」を始めた。
その活動が繋がり、広がり、行政も巻き込んで大きくなる。
震災10年を振り返り描かれたこの本は、金田さんの成長も描かれている気がした。
使命感の強い宗教者は鬱になりやすいと、苦しみもがいてる姿もとても印象的だった。

震災前に、在宅医療(緩和ケア)の岡部健医師と出会い、医療の場に「生と死」の専門家(宗教者)が必要だと聞く。その意思を受け継ぎ、宗教の枠組みを超えた「臨床宗教師」という活動にも繋がっていく。
また、その出会いもドラマチックで、岡部医師は癌で余命1年もなく、震災もはさみ、彼の遺志も受け継いで東北大に臨床宗教寄付講座が開設した。
個々だったものが思いが一つになった瞬間だった。

金田さんは禅僧でもあるので、息子さんの話から禅僧の成長も分かり興味深かった。
とても内容の濃い本でした。
ここまで被災者に寄り添ったものは、今まで読んだ中でありませんでした。
心からお勧めしたいと思えた本でした。
会の開催、いつもありがとうございます。

tetsuさん『クララとお日さま』カズオ イシグロ (著), 土屋 政雄 (翻訳)
 
イシグロさんの著書を読むのは、『日の名残り』、『わたしを離さないで』に続いて3冊目です。2作品と同様に、物語はクララによる一人称の語り、もしくは回想で展開していきます。クララたち「AF」が必要とされているのはどのような社会なのだろう、他者への語りであるとしたら誰なのだろう、クララの「今現在」はどういう状況なのだろうと、探り足で読み進めました。
 作品を読み終えた参加者の方から、クララたちが抱える人工知能の特性についてヒントがありましたが、これから登場人物とのかかわりの中でどう影響していくのか、そして、クララの主観的である語りにどのように反映されているのか、これからの展開が楽しみです。

原有輝さん『「生きがい」と出会うために』
 
「生きがい」は、スポットライトが当たるような、きらびやかな場所にもあるかもしれない。しかし、市井の苦しみぬいた無名の人が詩などを書くことによって、はじめて発見される生きがいというものもあるようです。苦しみも悲しみもなければ、ほとんど生きがいなど考えずに平和に暮らせるかもしれない。しかし今、苦境に喘ぐ人も生きがいを見失っているだけで、生きがいはもともと各個人に宿っていて、なくなりはしないとすれば、いつか救いはあるかもしれないよ、というメッセージがこもっているようにも思えます。また、生きがいを失っている人の役に立つことをしても焼け石に水で、その人が役に立つことをしなくても、あなたは必要な人ですよ、という気持ちが大切なようです。

匿名希望さん『もう一度読む山川政治経済』
 今日もありがとうございました。

 資本主義経済と社会主義経済の特徴について学ぶことができました。
 それぞれの経済体制がどのような経緯でできたのかについて知ることで、国家間の争いや経済政策について知れる機会になれたらと思いました。

資本主義経済 
 ・機械や現材料などの生産手段の私有が認められる(私有財産制)
 ・利潤の追求のための自由競争OK(経済活動の自由)
 ・あらゆるモノ・サービス(労働力)が商品に
社会主義経済 
 ・工場や農地などの生産手段は国有または公有
 ・生産は政府の立てた計画に基づく(計画経済)
 ・その成果は労働に応じて分配される
 ・すべての国民は労働者と農民(生産手段を私有する資本家はいない)

よしだ『ギヴァー 記憶を注ぐ者』ロイス・ローリー著/島津やよい訳
 少し前にタイでマリファナが解禁されたという話になりました。日本ではマリファナは禁止だし、ここ数年でたばこも社会的な規制が一気に進んだような気がします。でもそうやって規制が進むと、今度は「酒は毒だ」という話も出てきます。つまり、あるグレーな部分が黒とされてしまうと次のグレーがターゲットにされるということです。昨日飲んだくれたから言うわけではありませんが、酒は規制しないでほしい!
 『ギヴァー』は超管理社会を描いた近未来小説です。管理とは嫌な気持ちになりますが、意外と安全で安心で悪いばかりではないなと思えてくる。でも人間には欲望がありそれを抑えられないのではないかと思うかもしれませんが、そこは安心してください、薬で抑制します。というそんな世界観です。明らかに過剰な設定なのですが、今の社会でもそれなりに実装されていると思える世界観です。管理社会は何がいけないのか、潔癖すぎる社会はどんな負が生まれうるのか、そんなことを思いながら読み進めたいです。

2022年8月5日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『100分de名著 ドストエフスキー』
 5代長編を解読する集中講義でした。
 カラマーゾフの兄弟の部分をすこし読みましたが、作者は反体制的な会合に参加したとして死刑になりかけて生涯に渡り政府から監視されてて、はっきりとしたことを書けない境遇にあったことで、こうも物語が複雑になったようです。層が4つに分かれていて長男と次男三男の母親が違うことにも意味が隠されていました。

 他の方のよんでいる、長い1日という何気ない文章も日本人の心象を言葉にしていて読んでみたいなと思いました。

tetsuさん『禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄』藤田一照/伊藤比呂美 (著)
 今回は序章の途中まで読みました。伊藤比呂美さんの疑問に、藤田一照さんがかみ砕いた表現で答えるというやりとりが続きます。「仏教」「仏陀」「ダルマ」「如来」「縁起」・・・と、藤田さんの答えが伊藤さんの次の疑問を呼ぶ形で水平・垂直に話題が展開していくのですが、もやもやしつつもなんとなくわかったような気がするという感じです。
 また、印象的な個所は「あなたが詩人なら一枚の紙に、雨、雲、木、大地、太陽、そういったものが全部見えるはずだ」というティク・ナット・ハンさんの言葉を引いて、「此れ有れば、彼有り」という縁起を説明されていたところです。前段に、人や物がそれぞれの個別に点として存在しているのではなく、最初からすべてがつながっている、全方向性の関係性のネットワークの中にあるという縁起についての説明があってあまりピンと来なかったのですが、「生きている」のではなく「生かされている」とも表現できる思想ではないかと今おもいました。
 「読むと坐りたくなる、坐禅のススメ。」という触れ込みに惹かれたので、その瞬間が訪れるのを楽しみに読み進めたいと思います。

よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
 文字というのは目に見えて意味もはっきりしているものなのだけれど、なんでそれでその意味として捉えられるのかよくわからないとも思う。隣のあの人が同じ文章を読んでいて自分と同じように頷いていても実はまったく違う解釈をしているかもしれない。
 それに比べると、音楽を聞いてこころが安らぐとか、怒鳴られて怖いと思うとか、朝日を見て元気になるとかいう方がよくわかる。文字とははっきりしているようでよくわからない。
 今日読んだところには文字を読めるようになった瞬間に世界が変わる、みたいなことが書かれていた。それはよくわかるような気がする。動画視聴と読書は違うと思うし、聴くことと読むことは違うと思う。それはなぜなのかはまだわからないけど、文字は自然界に存在しないものだから異世界感があるのかもしれないと漠然と思った。そして人間にとって異世界感は大事だとも思っている。つまり妄想や空想であり、それが世界というものを作っているように思う。文字を扱えるようになったことで人間の妄想力が上がったのではないかなどと妄想する。

2022年8月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

tetsuさん『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』
 ケアとセラピーはどちらかにすっぱりと分けられるものではなく、「成分」のようなものでるというお話が印象的でした。対人援助の支援のスタンスを指して「寄り添う」と表現されることがよくありますが、そこにはケアを土台とした関係性の大切さが示唆されているように思います。言い換えると、現状に対する肯定なしに地に足の着いた変化は立ち上がってこないということです。よりよい変化を求めているのは本人なのか、それとも支援者側なのか。「ただ、いる、だけ」に意味があるのかと変化に駆り立てる内なる声に気づき、対話できるようにありたいと思いました。

よしだ『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』東畑開人著
 今日は「シェアとナイショ」という補助線のところを読みました。
 不眠に悩むエリート会社員をモデルとして描かれています。眠るということは誰かがそばにいると思えるからできる。大人になれば一人でも眠ることができるようになるけど、それは安心させてくれる誰かが自分に内在化されたから。そんなことを前提として書かれていました。つまり不眠の原因は独りであると本人が思ってしまっていること。その不眠の原因がシェアとナイショの関係ですこしずつ取り除かれていったということなのだと思います。
 シェアの関係とは気の合う友達との関係のようなもので互いに傷つけ合わないし助け合う。でもそれだけでは不眠は解消しませんでした。
 ナイショの関係とはシェアの関係でも出さないようなナイショを共有する、家族や恋人などとの関係のこと。最終的にはナイショの関係によって不眠は解消されていくのですが、ナイショの関係は傷つけ合うことがある。壮絶な経緯があってその人たちなりのナイショの関係に落ち着いていく過程が描かれていました。
 補助線はあくまでも架空の線で、実際にはこんなにスッパリと線を引けるわけではないと思います。シェアの関係でナイショが共有されることもあるし、ナイショの関係でもナイショのことはたくさんある。シェアからナイショの関係になることもある。読み切れない波のなかを航海するとき、いろんな関係があることで安定を保つことができるということなのかなと思いました。

2022年7月31日:読みたい本を気ままに読む読書会

tetsuさん『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』
 
心の中にあるものを何らかの表現方法によって「形」を与えることで、「収まるところに収まる」ようになっていくのだろうなと思いました。自分の心の健康のためにも、表現できる何かをやってみたくなりました。ありがとうございました。

よしだ『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』東畑開人著
 臨床心理学者の著者がカウンセリングの経験と心理学の知識をもとにしながら書いています。架空の人物をおいて、そのひとのこころを著者と一緒にみるようなかたちで話は進んでいきます。
 著者はこころに補助線を引くことでこころをみえやすくしようとしています。たとえば馬とジョッキー。馬は抑えられない情動のようなもので、ジョッキーはそれをうまくコントロールする理性のようなもの。情動のままに生きていては生きることがままならなくなるからジョッキーが必要とされる。もしも社会がなかったらジョッキーは今ここにいるのだろうかとか、そんなことも考えてしまいました。

2022年7月30日:読書のもやもやについて話す時間「みんなスマホをみている」

 今回のテーマは「みんなスマホをみている」でした。

〈持ち寄られたテーマ〉
・対話はいかにして可能か。対話と会話の違い。まったく知らない他者と対話するか。誤解が生まれる。
 ・想像と理解 会話は一人相撲、対話は心象を想像したり理解する

・本やサイトなどが多くキャパシティが追いつかない。どのようなバランスをもっているか。
 ・何のために読書をするのか

・問題が起こったときに自分の問題として捉えているか。
 ・あたりまえが違うことについて

・村上春樹さんはそんなにりっぱ?読む人が読めば違うのだと思うから聞いてみたい。いろいろな解釈をする人がいるが、村上春樹さんの心のなかを覗いてみたいというのもある。

・★みんなスマホをみている。

おおにしさん
Soiさんの「東南アジアでは街中の人々がスマホをいじっている」という話から、スマホ社会が人々に及ぼす影響やスマホ社会の将来について話し合いました。
みなさんのお話を思い出しながら、自分の感想(もやもや)をまとめておきます。

(1)先進国も途上国もスマホはすでに人々の生活の一部になっており、スマホがないと生活できない人が大多数を占めているのが現実。スマホ社会の未来がディストピアになりそうな予感はするが、規制をかけることはなかなか難しく、企業も利潤を生むスマホ・サービスを手放すことはありえないだろう。
さらに、生まれた時からスマホが存在する世界で育ったデジタル・ネイティヴたちはスマホがない社会など想像できないだろう。そんな若者たちがせめてスマホ依存症にならないように啓蒙していくことは必要だと思う。

(2)日々膨大な情報が行き交うデジタル社会の中で、人々は少しでも多くの情報を吸収しようと様々な努力をしている。その一方で本を読むという非効率でアナログ的な行為は敬遠されがちだ。
しかし、脳の処理速度を超えた情報の流入は、思考停止や適切な判断を損なう恐れがある。
内容をよく吟味せずに脊髄反応的にツイッターで「いいね」やリツイートを繰り返すうちに誤った世論形成に加担してしまうことにもなりかねない。
デジタル社会に生きる我々にとって”自分の頭でじっくり考える”トレーニングは必要不可欠だ。
例えば、本を読んで感想を述べ人と意見を交換するという「リベルの読書会」はこのトレーニングにふさわしいものだと思う

よしだ
 今回はスマホを切り口にいろんなところに話が及びました。おおむね、スマホに時間をつかいすぎていることに対しては批判的な見方が多かったのですが、これは皮肉とかではなく、それでもみなさんたぶんスマホを使っています。最後の方に出た、なんでスマホをつかうことを抑える方向には世の中は進まないのだろうという疑問は印象的でした。
 たとえば一つの考え方として、自然とそれを使ってしまうのだからそれが自然体なのではないか・無意識に求めているのではないかというのもあるかもしれません。しかしこのような考え方は元々の自然環境から大きく離れたところで生きている今の人間には当てはまらないように思います。生き物の本能とは育ってきた環境に適応していると考えられますが、ヒトにとってのそれは草原の狩猟採集生活であると考えられるからです。そのときに適応した本能が今の環境で反応したからといってそれは自然体であるとはいえないように思います。
 感情や身体的反応に抗うことはとても難しいというか、体力がいるように思います。なんかでも大変だろうけど、スマホをつかう時間を減らす方法を考えてみようかなと思いました。でも持ち運びしやすすぎるし情報も更新されてるし、なにか仕組みみたいなものを自分で考えないと引き離すのは難しいだろうなとも。あるいはスマホは怖いという本を延々と読み続けるか。。

2022年7月27日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『移民たち』
4つの長い物語が副題。
ゼーバルトの文は、小説だか随筆だかわからない散文で書かれています。
今日読んだところは、
3作目のマックス・アウラッハがチューリッヒからマンチェスターまで夜間飛行して、宿にたどり着き、宿の夫人がティーメイカーを持ってきてくれてそれに心が安らいだところを読みました。霧の中を進んでいるような気持ちになりました。国を追われたわけでなく研究生活をする学生としてきたようです。作者自身のことなのかな?とも思いました。

よしだ『100分de名著 モモ』河合俊雄著
 児童文学『モモ』を心理学者の河合俊雄さんが読み解いている本です。
 印象的だったのは主人公・モモを「まれびと(客人、来訪神)」であると言っていることです。まれびととは、お祭りなどで出てくる例えばなまはげなどのことです。モモがくることで町にある問題が解決されていきます。なまはげとか、ただ子どもを戒めるものみたいなイメージしかなかったのですが、昔からムラの問題を解決してきたのだなと思いました。いつも通りのところに異物が現れることでその場が動き出す。お祭りとはそういう働きもしてきたのかなと思ったりしました。

2022年7月26日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
 文字に比べて音声や動画の方が優れているところをたくさん挙げられるようにも思います。音声は声の抑揚も込められるし、動画は表情や背景まで情報に含められます。さまざまな演出もしやすいでしょう。それに比べて文字は、、、というところへ、いやいやいや文字というのはね実は、ということを発見したくてこの本を読んでいるのかもしれません。少しまじめな仮説では、文字は情報量が少ないので読み手に想像や思考が委ねられる、書き手は文字にしか頼れないから例えば論述であれば論理の精密さを磨くしかない、というあたりが文字の優れているところ(そして疲れるところ)かななどと思っています。でも今のところ、ひたすら文字の歴史や文字認識に対する脳の使われ方などについて書かれています。これは、でも、こういう内容は僕の場合は本でしか理解を進めることができないようにも感じています。なかなか大変な本です。

2022年7月24日:読みたい本を気ままに読む読書会

西野さん『ナボコフ全短編』(作品社)から「暗号と象徴」
 別の方が紹介した小説ですが、感想を聞いているうちにどうしても読みたくなり、読みました。最初から最後まで言葉の一筋一筋にすぶぬれになるかのように浸ってしまいました。人生とは間違いの集積、つまらないけれどもどうしようもない間違いの集積であることが、宿命なのかもしれません。繰り返しかかってくるただの間違い電話がそうであるように。《…人生とはまさしく喜びをひとつずつ失っていくのを甘受するのに他ならないからで、彼女の場合それは喜びですらない――ましになる可能性にすぎないのである》 たとえば『コンビニ人間』のような小説は、コンビニ的な文学に親しむコンビニ的な日本の私にとてもふさわしいのですが、たまには、その対極にあるようなナボコフの小説を読むのも欠かせないことだと、つくづく思いました。

yuさん『ナボコフ全短編』
金曜日と同じ、暗号と象徴を読みました。
息子の病、不治の精神疾患とは何か。
3回鳴った電話はなんだったのか。
夫婦は幻想を見ていたのか。
元気なリスはなんの象徴なのか。

なぞが深まりました。

原有輝さん『読書のちから』
 著者の若松英輔さんは、キリスト教の影響を非常に強く受けた批評家です。キリスト教は言葉を重視するようです。今はコロナ禍で特に、会話もままならなくて、読書や人に魂の糧になるような言葉を求めるが、なかなかそうした言葉を紡ぐのも見つけるのも難しいのかな、と思いました。
 ひょっとしたら日々の楽しみの一部は、命や魂を燃やすような気の利いた言葉を、お互いにかけあうことかな、と思いました。

けいこさん『キラキラ共和国』
 代書屋(手紙を代筆する仕事)を生業としている鳩子が主人公の「ツバキ文具店」の続編です。「ツバキ文具店」は、奥さんを事故で早くに亡くして、カフェを営みながら小さなお嬢さんと暮らすミツローさんと鳩子が結婚するところで終わるのですが、「キラキラ共和国」は鳩子、ミツローさん、お嬢さんを中心に、代書屋に持ち込まれる仕事やミツローさんの高知の実家への訪問などといったエピソードが展開されていきます。小川糸さんの小説はだいたいそうなのですが、出てくる人物がみんなやさしくて、他者を思いやる気持ちをもっていて、読んでいると心があたたかくなります。読書会のあとで孤独の話が出てきて、わたしも子どもの頃からどうしても拭えない孤独感があるので(もっとも、子どもの頃ははっきり自覚していたわけではありませんでしたが)、こういう理想の人間関係が描かれた小説をある意味ファンタジーのように受け止めていて、現実では手に入らない憧れとして読んでいるところがあるかもしれないと思いました。

よしだ『ヒトの目、驚異の進化』マーク・チャンギージー著/柴田裕之訳
 今日は色覚のところを読んで、ヒトが色を区別できるのは肌の色を見分けるためなのではないかという仮説が示されていました。一般的には果物や若葉を見つける、つまり食料を獲得するために色覚が発達したという見方が強いようですが、それに対する違う意見です。肌の色は、体調が悪ければ白くなったり怒れば赤くなったりと感情や健康状態に左右されます。そのような肌の色への敏感さは集団生活の維持に役立ったように想像されます。人間はやっぱり社会をつくることで生きてきたんだなと思ったりしました。

 読書会の後の雑談の時間では、日本人の孤独、みたいな話になり興味深かったです。文化背景や社会のあり方によって孤独の質も違うように思えてきて、新しい関心ごととなりました。

2022年7月23日:読みたい本を気ままに読む読書会

原タカシさん『記号論への招待』(池上嘉彦)
<記号論を論じることはできるのか>、このような問題意識で、『記号論への招待』(池上嘉彦)をピックアップしました。『ソシュール 一般言語学講義』 の入門書としても最適とも聞いていました。
①「Iことばの再発見 ―言語から記号へー」(pp.1~34)を読んだ範囲では、「記号論を論じることはできるが、それが自家撞着ではないのか」という感想をもちました。
人間は「記号を使う動物」(pp.9~10)。その人間が、人間が記号を使う有様(ありよう)について、記号(=言葉)で以て論じる、そのようなイメージをもったからです。
②話しは飛びますが、人間である文化人類学者が「人間とは何か」を探求することにも似ている、と言えます。仮に、地球外生物が地球にやってきて、人間を観察し、インタビューを行って、人間を論じるのであれば、その人間論は、文化人類学者の論稿よりも<客観性>を担保しているのではないか。例えば、日本の文化とは異なる文化圏の文化人類学者(ルース・ベネディクト)の日本人論(『菊と刀』)が優れているように。
③往々にして、<自分のことは自分が一番よく知っている>という思いに駆られることがありますが、それは知的な驕りと反省しています。

小澤さん『メタ倫理学
本書は、本のタイトルにも書いてある通り、メタ倫理学を取り扱っている。倫理学のメタということでそもそも倫理とは何かという観点から様々な倫理学の考え方を整理している。

倫理学の考え方を大きく二分すると道徳的な事実や性質があるかないかで分かれる。あると考える人は道徳実在論になるし、ないとかんがえると人は道徳非実在論に分かれる。
道徳論のあるなしの中でもいろいろな考え方が本書に記載されているが、非常に長くなるので割愛する。この中でいうと一番自分の考えに近いのは解釈的虚構主義だった。

読書会で今回読んだところは、「準実在論」である。準実在論は道徳的な性質や事実がもつ地位は、純粋な実在ではなく、準実在であると主張する。

準実在論とは、実在する場合と同じ機能を果たしているのであれば、それはほとんど実在しているといっても構わないのではないか、という考え方をしていて、背景としては、投影説という考え方がある。これはヒュームに原型が帰されるもので、価値は世界の側に本当に実在するわけではなく、私たちの価値観の投影によって世界にあるように見えているのだとする考え方からきている。

非常にうまく説明しているように感じるが、本書の中でも2点、指摘されている。
1点目だけ紹介するが、投影されたものはやはり実在とまったく同じ機能を果たすとは言えないのではないか。つまり、正直なところ投影されたものというある種の虚構をそこまで真剣に思えないはずであるという指摘だ。

読書会で感想を話しているときには、上の説明がうまくできなかったが、話をしているなかでメタバースの話が別のところで出てきて、メタバースのたとえが一番しっくりくるなと感じた。つまり、今自分はメタバースの中にいて、非常に精巧な美しい桜を見ているし、感動している。ただ、確かに美しいのだけれども、これがメタバースに過ぎないということも分かっている。果たして、この状態でどこまでメタバースで見た映像に真実さを感じることができるのだろうか、ここでいう準実在論も同じ構造になっている、ということだ。

まだ中盤ではあるが、今後も読み進めたいきたい。

よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
 ソクラテスは自分で書物を残してはいません。僕は最初、そういうことに無頓着だったり単に興味がないからなのかなと思っていましたが、この本によるとソクラテスは書き言葉を話し言葉より下にみていたからのようです。
 ソクラテスはアテナイの街で知識人からそこらへんを歩く一般人にまで、対話を仕掛けていったとされています。何かを問い回答を得てはまた問う、それをひたすら繰り返すことで思考は吟味されていく。ソクラテスはそのような対話による思考の吟味に意味を見出していたのだと思います。
 それに対して本などの書記されたものは、何かを問うても当然応答はありません。また、文字で書かれていると何やら正しいように感じて鵜呑みにしてしまう、そんなことも気にしていたようです。ソクラテスの価値観に反することが書くこと・読むことには要素として多く含まれていたということなのだと思います。
 しかし僕のなかでは書くことと話すことは違うという感覚があります。書くことによってあいまいな考えであったことに気づいたり、自分でも予想していなかった方向に思考が進んだりします。文字を使うことの意味は何なのか、それを楽しみに読み進めていきたいと思います。

2022年7月22日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『暗号と象徴』
 ナボコフ全短編の中の一つです。登場人物は不治の精神錯乱の息子と年老いた両親。
 一体幾つなのかなどの説明は一切なく、不吉なことの連続で物事が淡々と進んでいきます。誕生日プレゼントを療養所に持参するのですが・・・。表現がどうしてこんな表現を思いつくのかっていうくらい言葉の組み合わせがすごいなと思います。

 他の方の紹介本の連想で別の方が紹介から連想した本の紹介をしてくださったのが面白かったです。音楽療法の話から、三島由紀夫「音楽」など。

2022年7月17日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『中動態の世界』
 わたしたちは、能動か受動かで物事を眺めている。強制か自発かでない中動態の世界のあるそうだ。ギリシャ語の動詞には、能動態と受動態と中動態の3つがあるらしい。今日は文法のところを読みました。
 日頃のもやもやはこれかな?とすこし思いました。

よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
 文字は身近にありすぎるから、元々そのようなかたちでそこにあったような気がしてしまいますが、違うのだということが少しずつ理解できてきました。
 日本語では平仮名と漢字がありますが、それらは大きく異なります。平仮名は話し言葉の音をそのまま表現したものでそのまま読めます。でも漢字は、話し言葉の音ではなく意味を表す象形文字です(たぶん)。家や象などは表す対象の形を文字で表現しています。
 それに対して英語や中国語は、そのどちらか一方の文字形態なのだと思います。アルファベットで構成される英語は平仮名的で、中国語は漢字のみです。いろいろと文字を開発・思案するなかで分かれ道があり、どちらかの形態が選択されていったのだと感じられました。日本語は、私のあいまいな知識ですが、平仮名は元々あって漢字は中国からの輸入だったと思います。
 そしてそのような文字の形態の違いは、脳の使い方にも違いを及ぼします。英語脳・中国語脳・日本語脳と紹介されていましたが、それぞれで脳の活性化される箇所が異なるということでした。人間は思考するとき、言葉をつかっていると思っています。文字は記憶の定着や想起に役立っているような気がしなくもありません。だからどのような言語や文字を選択するのかが文化や社会に影響したりしているのではないかと思ったりもしました。

2022年7月16日:読みたい本を気ままに読む読書会

キッコーマンさん『僕はイエローでホワイトでちょっとブルー』
 
傾聴のコツは気になっていた本なので聞けてとてもうれしかったです。とても楽しかったです。

よしだ『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン著/上遠恵子訳
 今日は若松英輔さんの寄稿の部分を読みました。『沈黙の春』にも触れられており、カーソンが生物学者(科学者)なだけではなく、詩人的であり自然環境の信仰者(?)であるという複眼があったから、他の多くの人が気づかなかった自然の均衡の崩れに気づくことができたという指摘は興味深かったです。複眼性が高いことが気づき力(?)を高めてくれるというのは、なんとなくわかりますがうまく説明ができないので、そのうち考えてみたいと思いました。

2022年7月13日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『JR上野駅公園口』
 東京オリンピック前に東北から出稼ぎにきた主人公が、高度経済成長ののちホームレスになる物語。2020年の全米図書賞受賞作です。
 今日読んだところは、東京の前に北海道での出稼ぎ、進学を希望する兄弟のための出稼ぎっていうところまで。12年の構想があり,小説というよりルポのような感じがしています。

よしだ『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン著/上遠恵子訳
 レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』に、4人の科学者や作家の寄稿を加えた本になっています。今回は福岡伸一さんの寄稿を読みました。
 子どもの頃のあの出来事というのは大人になっても忘れない。そして周りが思ってもみないような捉え方をしている。そんなことを思いました。

2022年7月10日:読みたい本を気ままに読む読書会

けいこさん『うつ病九段』
 わたし自身、常に睡眠障害があり気分が落ち込むことも多く、うつ病に近い状態かもしれないと思うこともあるのですが、この本を読んで入院が必要なほどのうつ病というのは次元がまったくちがうということをあらためて認識させられました。うつ病は回復の見極めが難しいそうですが、先崎さんは棋士であるため、将棋が出来るようになることが目安になったという話が印象に残りました。ちょうど入院中は藤井総太さんが活躍し始めて将棋がブームになった時期で、しかしそれをまったく知らず、あとから聞いて驚いたそうです。感想のシェアの時間に、うつ病の対処法として投薬のほかに最近はオープン・ダイアローグも有効というエビデンスが出てきているという話があり、病の原因が複雑に絡み合っているので何が効くのかというのも状況や人によってかなり変わってくるのだろうと思いました。脳の病なのかこころの病なのか、そもそも脳とこころはちがうのか、いろいろと考えさせられます。

西野さん『黄金虫変奏曲』
 私が読んだのは上記の本ですが、別の方が紹介した「対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得」に興味をひかれました。オープンダイアローグについては今回の感想の時間にも別個に話題になりました。読んでみようと思います。(私は一方的に話す傾向があるので、自戒のためにも)

yuさん『パッセンジャー』
 作者はアメリカの女性作家。パッセンジャーはすべてが伏線の翻訳ミステリー小説らしい。階段から落ちた夫の死体を見て、自分がやってないのに逃亡、なんで疑われることをわざわざ?
 二段組のレイアウトは『監獄の誕生』ぶり。翻訳は読みやすいし次どうなるのか気になります。

よしだ『デカルトの誤り』アントニオ・R・ダマシオ著/田中三彦訳
 今日もいろいろな話が出ましたが、どこまで要素還元していいのかというその難しさに私自身は関心が落ち着きました。鉛筆の芯もダイヤモンドも、ものすごく精度のいい顕微鏡で見ると炭素:Cです。でも顕微鏡から目を離してそれそのものを見ると、色も硬さも美しさも何もかもが違います。

 私はよく脳の本も読みますが、気になるのは、「この行為をするとき脳のこの部分が活性化」するという指摘がされることです。それにもとづいて、行為と脳の箇所が紐づけられて語られることがあるように感じるのですが、それで脳がその行為を生み出しているとは言えないのではないかと思います。脳は確かに身体のあらゆる情報が集まる場所だとは思っているので、なにかしらの行為に応じて活性化はするでしょう。しかしだからといって脳が基点であるとは言えないはずです。脳に多くの原因を求めることに僕はまだ懐疑的です。

 『デカルトの誤り』は思考や判断といった理性的なこころ(あえてのこころ)の働きに感情や身体がどう関与しているのかということが書かれていると思って読んでいます。今日読んで印象的だったのは「間断なく更新されていくわれわれの身体の構造と状態をじかに見渡せる窓をとおしてわれわれが見るもの、それが私の考える感情の本質である」[P25]という著者の考えです。なかなか難しい言い回しなのですが、今の私の理解では感覚器や内臓などを含めた身体全体の信号が感情として表現されるということだと思います。そしてその感情が思考や意思決定などに寄与します。

 感情が身体の反応や表現なのだとしたら、身体は周りの環境に影響を受けているはずなので、思考や判断も環境とともにつくられているはずです。信号の流れが、環境→身体(感情)→脳だとすると、脳で行われていると考えているものは、環境や身体とともに行われていると考えた方が妥当なように今のところは思っています。

2022年7月9日:読みたい本を気ままに読む読書会

ばたこさん『ヤンキーと地元』
知らない外国語の文法書を手に入れ、「彼らが言ってたアレは、ああそういうことだったのか!」といろいろ腑に落ちる感じで読み進める。そうしながら、「彼ら」を他者として対岸に突き放すような立ち位置に、自分の傲慢さ、居心地の悪さを覚える。

「社会からドロップアウトした人たち」という先入観を持っていたことに気づかされる。むしろ彼らは地域社会、地域経済の主要な担い手である。うっかり彼ら(全員ではないが例えば違法な暴走行為、暴力、それらによる逮捕勾留や受刑の経験を持つ人)を疎外して想定する「シャカイ」とは一体何なのか。それは私自身にとって住みやすい場所なんだろうか。

私自身は「地元」のいわゆるマイルドヤンキーなコミュニティに全く馴染めずに地元を離れて暮らしている。好きか嫌いかでいえば、この本で分析されるようなコミュニティの構造は、正直あまり好きではない。かといって、彼らを疎外する「シャカイ」にも、私の居場所はないんだと思う。

基本的にはクスリと笑わされる場面がたくさんある面白い本である。でも随所に後味の悪さや、自分の小ささやつまらなさに直面させられる居心地の悪さを覚える。それらも否認せず、読み進めたい。

***

ル・コルビュジエ、ハンナ・アーレント、中上健次、オープンダイアローグと、「ヤンキーと地元」読書の問題意識を携えて次に読みたいと思う本やテーマがつながっていくことが、面白いと思いました。読書会またぜひ参加したいと思います。

Takashiさん「ヤンキー社会のハンナ・アレント的解釈」(読んだ本は『人間の条件』です)
 今回は「ヤンキーと地元」という本を紹介された方がいて、私の読んだ「人間の条件」とつなげたら面白いなと思いながらお話を聞いていました。

 ハンナ・アレントは労働・仕事・活動の三側面のうち、活動こそが人間が人間たる所以であると言っています。活動とは、言論と行為を公的に明らかにすることであり、自らの人間性を暴露することだそうです。そして暴露された人間性を認めることが人間の尊厳を認めることにつながると言います。

 一方で、暴力で他人から食料や生活物資を搾取することもあります。しかし仮にその暴力が言論と行為を公的に明らかにしない状態で行われているとすれば、人間じゃなくても(動物でも)可能です。

 さて、ヤンキーといえば搾取のために暴力を行使する人達を連想しますが、それはヤンキー社会において本質ではありません。喧嘩は言語の一部分に過ぎません。彼等の強固な団結とヒエラルキーは個々人の「活動」による成果であり、少なくとも彼等の社会においては、活動の過程を通じて人間性の暴露と周囲の認知が十分に為されている結果だと思います。

 「活動」による集団形成は、ヤンキーだけでなく町内会や勤め先でも同じことだと思います。集団に加わる為にはとにかく臆せず隠れず、自らの人間性の暴露を恐れず、他人の暴露を受け止め、言葉と行動によって対話することが必要なのだと思いました。

 蛇足ですがもう一つ。ヤンキー社会と宗教は必ず派手な伝説を持っているというイメージがあります。この考察はまた別のところで。

よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
 今回は文字について書かれているところを読みました。

 世界には、文字よりも先に話し言葉がありました。文字とは話したことを記録するための記号として開発されたのだと思います(たぶん)。でも今は動画や音声を記録して保存していつでもどこでも聞くことができます。となると、文字はだんだんといらなくなるのではないか、ということも考えられます。いやそれよりも、記録するという大きな役目を他のものに代替されようとしているときだからこそ、文字の本質を考えることができるように思います。本とは関係なくそんなことを考えていました。

 いくつか思い浮かべていましたが、そのうちのひとつは、思考するときに使うワークスペースの量や質に文字は寄与しているのではないかということでした。

 人の話を聴くときや自分の頭の中で考えるとき、言葉を置きながら想像したり考えたりします。その言葉を置くところをワークスペース(作業机)というのだと思います。しかし話や思考がどんどんと重なっていくと、どこかでワークスペースに置ききれなくなります。そのときに文字をつかってまとめたり、その文字同士を矢印でつなげたりする。自分がもっているワークスペースだけでは足りなくなったとき文字を紙などに書き出すことでそれが拡張されます。

 ただ、文字はこのような図的な思考に使われるだけではありません。文章的な思考にも役立ちます。つまり、文章的な思考は話し言葉でも文字でもできますが、話すことと書くことは違うのではないかということです。いつも感じることですが、文章を文字で書こうとすると論理のほつれや考えのあいまいさに気づきます。これは文字がもつなんらかの力なのか、モノとして自分の外に現すことで冷静に客観視できるからなのか、なんなのかはわかりません。でも話すときとは違う。話すときも文章的な思考はしていますが、そのまま流れていくので、気づくことが少ないような気がしています。なので、少なくとも私にとっては文字を使って書き出すことは思考の精度を上げてくれることを意味します。ただし、識字や書記が苦手なディスレクシアの人が研究や芸術などにおいて偉大な成果を上げているので、私とは全く異なる特性をもった人も一方ではいるのだと思います。疑問は深まるばかりです。

2022年6月29日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『散文散歩』大貫妙子
 ミュージシャンの大貫妙子さんのエッセイです。捉えどころのなさと芯の強さが同居しているような不思議な魅力のある文体で、彼女が作る曲のイメージとも重なります。今回は読んだのは、アフリカのサバンナの真ん中、風の音と心臓の音しか聞こえないような場所に一人で泊まったときのことを書いた『星の話』。気絶するほど沢山の美しい星を眺めて眠りについたあと、深夜恐怖にうなされて目を覚ます。その時に感じたのは、声も思いも誰にも届かないという想像を越えた孤独。宇宙の無限や永遠がもたらす根元的な恐怖。思い出すと、胸の中で鉛のようなものが動く感じがするという。こういう話を読んだ後では、曲を聴いたときにも少し違って聴こえるような気がします。

ようこうさん『表象と批評 映画 アニメーション マンガ』
 
詩を読むのは脳力ではなくて、体力が要するという点はとりわけ印象的です。詩を読むというのは凡庸な日常との戦いだと感じる。今後は詩集をもっと読みたいと思います。

よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
 今回は人間が文字を扱い始めた頃、その時の文字について、みたいなところを読みました。およそ紀元前3000〜2000年頃のことです。
 鳥や家などをかたどった象形文字や、YやVみたいな形をした楔形文字、あるいは縄の結び目の位置を変えて表現した文字など、さまざまありました。文字とは記号でありルールなのだと思います。でもそういう無機質なもので日常に起きるさまざまな出来事や自然界にあるさまざまなものを表現しようとするのです。ただその一方で文字が複雑すぎると扱える人が限られてしまう。複雑なものを表せるのだけどなるべくシンプルに。文字とはとても長い開発の上に今の姿があるのだと思い知らされました。
 ところで、鳥や家といった漢字は象形文字的で、その形がそのものを表現しています。他方で、英語などは象形文字的ではないと思います。言語によって、どのようにしてそのものを想起させるか、覚えやすく読みやすくするのかの工夫が違うのだと思います。どの言語を使うかによって脳の構造が変わっていきそうだなと思ったりもしました。

2022年6月26日:読書のもやもやについて話す時間「非科学的なことをどう構想するか?」

 今回のテーマは「非科学的なことをどう構想するか?」でした。

〈持ち寄られたテーマ〉
・Zoomとリアルで話すことの違い。リアルの方がいいのは本当か。
・リベルの読書会の個性は何か。
・小説の読み方がよくわからない。生物系や研究者の本が多い。もっと深く読んでみたい。
・★非科学的なことをどう構想するか。科学は人の思考を縛っているのではないか(帰納法と因果)。その外側を構築する必要があるのではないか。選択肢の幅を広げる。
・科学は縛るのものなのか?

おおにしさん
「帰納法、因果律という科学的思考が人の思考を縛っているのではないか」という問いは、とても難しい問題ですが問いを立てた方の話を聞いて、この問いが出た背景が見えてくるといろいろな意見が出てきたました。対話には抽象と具象のスパイラルが必要なのだと改めて感じました。

先日の対話を振り返った時、頭に浮かんだことを少し感想として記しておきます。

例えば、原因不明の不調が続いたとき、医者に診てもらって病名が分かると治療する前でも何かほっと救われる気がします。昔なら祈祷師が先祖の霊が原因とか言ってお祓いをするだけで病気が治ったりすることがあったようです、自らの不幸の原因探しに救いを求めることは人の自然な行為だと思います。

一方で因果の法則を起きていない未来のことにまで拡張してしまうことはよくありません。「この大学の合格レベルは偏差値65以上だ」とか、「〇〇株式会社にはあなたの大学の出身者はいません」というようなエビデンス?(前例?)を見せつけられて、あっさり諦めてしまう人が多いように思います(私もその傾向がありました)。
蓋然性を因果性と混同してはいけません。

ちょっと考えてみればわかることですが、この世に出てきた原因が受精だとしても、どの母親から生まれるかは偶然によるものです(中には前世の因縁で決まっているという人もいますがエビデンスはありませんね)。
私の人生を振り返っても偶然の出来事が複雑に絡まりあって生きてきたのだと思うことが多々あります。

我々の生きる世界は偶然性に満ちあふれているのなら、”たまたま”起きたことに注視して適切に反応して行動することがベストだと思います。それが自分を縛っている科学的思考の枠から抜け出す第一歩ではないかと思います。

”たまたま”の出来事は日常的に発生しますが、自分に感受性がないとつい見逃しがちです。「心がはっと動かされるときはどういうときか」という問いが出ていましたが、まさにそれが偶然に対する感受性を高めることではないかと思います。

つやまさん
 ものごとを科学的な枠組み(因果律や帰納法)で捉えることで、何か本質的なものを取りこぼしてしまうのではないか、という今回のテーマは、日々の生活の中でふと感じる虚しさとも関連していそうで興味深かったです。ロジカル偏重への違和感の話から、言葉の不自由さや、人間の認識の限界の話など、だんだん哲学的な話になっていき、この問いの根の深さを感じました。後半は論理的思考の対極にあたるような、想像力や偶然性、魂、センス・オブ・ワンダーの感覚、などが話題にあがっていて、このあたりに人生の限界効用逓減を打破するためのヒントがありそうな気がしました。案外、「外側」は「内側」にあるのかもしれない?
 印象的だったのは、言葉には限界があるが真理の手触りは表現できるのでは、という話。言葉には世界を二分法で切り分けていく面もある一方で、文学は取りこぼされているものを言葉によって掬い上げようとする営みだと感じます。
 最近読んだ千葉雅也さんの『勉強の哲学』という本で扱っているテーマにとても近いものを感じました。無意識に囚われている価値観から自由になるための自己破壊としての深い勉強について書かれている面白い本です。

しょうごさん
 今回「非科学的なことをどう構想するか。」というテーマを出させていただきました。そこで「科学的」という言葉を使いましたが、これは実際の科学ではなく、人の思考を規定しうるなにかをあえて、「科学的」とかなり乱暴に名付けました。またこの人を規定しうる思考(読書会で出た話だと、因果、二分法、帰納法など)も悪だと思っているわけではなく、生きていく上で必要な思考だと考えています。ただ、それだけ生きていける人もいるかも知れないけど、少なくとも僕は、なにかそこで不自由さを感じてしまう所がある。この問いは自分の中で切実な問いだと捉えていました。しかし、人を規定しうる思考も不自由さも雲のように掴むことが難しく、正直何が問いなのかもよくわからず、結果的にたどたどしいしゃべりになっていました。ただ、このたどたどしくなるようなことの中にしか、僕にとっての切実な問いはないのではと感じています。この問いを考えるようになったきっかけとして、具体的に自分が急に仕事にいけなくなったことや、文章を書くときの不自由さを例として出しましたが、きっかけがあってこの問いが浮かんだのかも、昔から考えていたか、急に浮かんだことなのかも正直わかりません。また、僕自身この問いを心の問題として話し、解決策を提示していただきましたが、これが原因で精神的な不安に陥っているのかどうなのかもよくわかりません。この問いを心の問題と規定してしまったことに対して、今考えてみると多少違和感があります。なぜなら、心の調子がいいと感じていたときですら、この問いは傍らにずっとあったような気がするので。このよくわからないけど、切実な問いを考えること、道のない荒野でぼちぼちと歩くこと、これをやってみたいという衝動になりテーマに挙げさせていただきました。
実際にこのテーマで話してみて、やっぱりもどかしい気持ちで話していました。うまく伝えられない部分も多く、また、安易に話してしまい、読書会のあと後悔してしまう部分も多かったです。しかし、他の人の考えを聴けたことで、その中で自分にとって合う、合わない意見はありましたが、それによって、自分の考え方を再認識できたことは有意義であったと思います。
 読書会では様々な話が出ました。因果の外に出るという話と、必然性と偶然性の話になり、そこで「無人島に住む」「普段会わない人と会う」という実践的な話が出ましたが、そういった外的な方法論よりもーもしかしたら、それを実践することで何か考え方が変わるかも知れませんがー、内的な問題として語られていた時に、僕にとって必然性と偶然性というのは環境など外的なものではではなく、内的なものだと整理できました。人は常にどんな状況でも偶然性を感じることができる。それは生活のルーティーンだと思われているご飯を食べているとき、お風呂に入っているとき、仕事をしているときなど、全てにおいて感じることができると信じています。また、初対面の人に会う、行ったことのない土地に行くなどしても必然性しか感じることできない場合もあります。そして、偶然性に触れると、どうあがいても感情が動いてしまう、考え方のパラダイムシフトが起こってしまう。それは意識では操作不可能な体験です。もし操作されてしまうとそれは必然性になってしまいます。なので、偶然性に出会う方法論は存在しないのです。
 今回印象的だった発言をうる覚えですが挙げさせていただきます。

・どういった時に人は感動するのか

・知性に情報の保有量は関係があるのか

・自分がある対象に対してどう考えたのか、どう行動したのか、それをメタ的な視点から観察し、白紙の状態からそのプロセスを書き込んでいく

・鬱は悪いものではなく、人の心のバランスから考えて必要だという考え方

・千葉雅也『勉強の哲学』

原有輝さん
 あまり考えないことなので刺激になりました。話の広がりという意味で課題が残りました。今の時代に科学の外で思考するのは、難しいかもしれないと思いました。

よしだ
 因果関係などの定められた思考様式からどのように抜け出すのか、みたいな話をしました。僕個人としては、自分の内にあるものをなるべくそのままの形でどう表現するのか、という解釈で考えていました。
 因果関係などを用いて表現しなければならないといったことは、相手がいるから生じる考えなのではないかとも途中思ったりしました。そしたら無人島に行くのはどうだろう、みたいな話が出てなるほどと思いました。しかし誰かに伝えたいという気持ちもあるということで、それは確かにそうだと思いました。
 明確な答えは出ませんでしたが、終わった後の雑談の時間で、「文脈をつくる」という話が出て、これがもっともしっくりきた考えに僕には感じられました。なにかテーマがあったときに、一般化すればするほど、間違いではないのだけれど求めているものではないと感じることがあります。人と協力する場合など共通解が必要なときは別だと思いますが、個人の問題と向き合うとき、納得できる答えはとても個人的な文脈の上に成り立っているように今のところは思っています。そしてその個人の文脈で話をしたとき、不思議と周りも納得してくれるように思います。不思議。そして、個人の問題とはどこまでを個人の問題として捉えていいのか、という疑問も新たに生まれました。

2022年6月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
 こんなタイトルの本ですが、内容は脳に関するものです。読字をすることが脳をどのように変えるのかということについて書かれています。僕自身の関心は、動画を観ることと音声を聴くことと文字を読むこととでは、体験や得られる経験にどのような違いがあるのだろうかということです。
 この本で前提としていることは、ヒトは生まれつき文字を読める能力を備えているわけではないということです。動画(周囲の視覚的環境そのもの)も音声(鳴き声)も、文字が生まれ人間世界が文明化していく前から、自然界に存在していました。鳴き声の違いによる情報伝達を行うことはヒトだけでなくサルなども行っていると考えられています。しかし文字を使うのはおそらくヒトだけであり、文字が生まれたのもわずか数千年前です。文字が生まれて以降のわずか数千年で読字ができるように進化したとは考えにくく、ヒトは生まれついての読字能力は備えていないが生後の学習により文字が読めるようになっていると考えられているようです。
 ある見方では文字を読むことはヒトにとって不自然なことであると考えられるでしょう。元々は動画や音声だけで生きてきたのですから、文字を読む必要がなければそれに越したことはないように思えるからです。最近は動画や音声のコンテンツも豊富にあり、蓄積もできるので、文字による記録や情報入手は必要ないとも考えられます。でもこの本では、文字が誕生したことでヒトは新たな能力を獲得していき、それを失うことは得策ではないというメッセージも含められているように感じています。つまり、文字を読むことで文字を読める以外の何かも獲得しているのではないかということです。僕もなんとなくそう感じています。
 文字を読むことは今後オプションになっていくかもしれません。文字を読まなくても情報や知識を得られるようになっていくと考えられるからです。ディスレクシア(文字の読み書きの困難さに伴う学習障害)という特性も人によってはあるので、読字や書記がオプションになることはいいことなのだと思います。ただそんななかでも、文字を読むことがただ面倒なだけでなく思考などの面で動画や音声と違う効果を生み出すならば、それを知ったうえで使い分けていけたらいいななんてことも思います。

2022年6月24日:読みたい本を気ままに読む読書会

みなみさん『なるほどデザイン』
 デザイナーが1番初めに読む本と言われているデザインの指南書です。
 デザインに正解は無い、でも「目的地」はある。この「目的地」について深く考えていく本でした。
 まだ10ページくらいしか読めていませんが、10回以上「なるほど!」と言ってしまう、本当に分かりやすい指南書でした。

yuさん『26人の男と一人の女 ゴーリキー傑作選』
 
夕方にこの本の訳者と古典新訳文庫の方との解説を聞きました。マクシム・ゴーリキーはロシアの作家です。
 短編が4つ納められている文庫で、表題の作品は前の日読んだので、グービンを途中まで読みました。グービンは村の嫌われ者で、わたしを井戸掃除に誘います。さて、どうなることやら。月や自然の情景描写が綺麗です。

よしだ『地球進化 46億年の物語』ロバート・ヘイゼン著/渡会圭子訳/円城寺守監訳
 地球があることも、そこでヒトとして生きていることも、今の視点から見ると当たり前で必然のように思ってしまいますが、宇宙の初期状態が少し違うだけで、地球や人類というものは存在しなかったのではないかと思わされます。壮大な巡り合わせのなかで生きているのだなと感じました。

2022年6月22日:読みたい本を気ままに読む読書会

おおにしさん『夕暮れに夜明けの歌を』奈倉有里 著
 奈倉さんは2002年から2008年までロシアの大学への留学経験のあるロシア文学研究家であり翻訳家である女性。本書はロシア留学時代の日々をつづったエッセー集である。
 ちなみに奈倉さんと、本屋さん大賞受賞作『同志少女よ、敵を撃て』の著書逢坂冬馬さんとは姉弟の関係である。(岩波書店の雑誌「図書」6月号に二人の対談が載っている)

 奈倉さんが留学していた時代はチェチェン紛争のさなかであり、ロシア国内でテロ事件が頻発していて、ロシア社会はとても不安定であったようだ。
 ドイツからの留学生インガが、ロシアは国中に国旗があふれ人々は戦争の話ばかりしているように感じる。ロシアが戦争を続けるのは国旗を見せびらかしているからなのではないかと語るエピソードが印象に残った。
 今のロシアでは「Z」の文字が街にあふれている。プーチン政権は発足当時からロシアを好戦的な国家に作り上げてきたのではないかと思うと恐ろしくなった。

 著者のロシア愛を強く感じるこのエッセー集を最後まで読んで、ロシアのことをもっと身近に感じたいと思う。

よしだ『地球進化 46億年の物語』ロバート・ヘイゼン著/渡会圭子訳/円城寺守監訳
 今の生命に満ちた地球は相当な偶然の上にできたのだということが感じられました。たとえば、太陽のような恒星は大きいほど核融合が激しく起こり、寿命が短くなってしまうそうです。太陽にも寿命はあるのですが、太陽はそこまで大きな恒星ではなく地球が生まれて46億年経った今でも地球に生命が存在できるだけの状態を保っています。でも太陽がもっと大きければ、超新星爆発が起きたりもっと早くに太陽が膨張したりして地球は飲み込まれていました。
 この本の年表によると真核生物が誕生したのが27億年目、陸上動物が誕生したのが42億年目、人類が誕生したのは46億年目、つまり今です。太陽がもっと大きく寿命が短ければ人類の誕生までは到達できなかったでしょう。それだけの時間を経て今の地球の生物世界はあるのだと、年表をみていると感じることができました。
 宇宙の誕生や太陽系の誕生は、化学反応で語られます。素粒子から原子になり核融合反応で周期表をかけあがっていき、原子同士の反応で分子となり、結晶質の固体である鉱物が生まれ。惑星である地球がどう生まれたのかはまだ読めていませんが、木星・土星・海王星・冥王星は高圧のガスの集まりでできたガス星なのだそうです。惑星は固体だろと思っていたらガスの星もあるというのです。今地球でこうして生きていることが、どんどんと不思議なことに思えてきました。

2022年6月19日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『「カルト」はすぐ隣に: オウムに引き寄せられた若者たち』江川 紹子
 オウム真理教の事件を知らない若い世代に向けて、カルト宗教の恐ろしさとハマらないための心構えを伝えるためにこの本は書かれている。事件を起こした幹部たちの生い立ち、教団に引き寄せられ犯行に及ぶまでの経緯が、丁寧な取材に基づいて書かれている。今回読んだのは、地下鉄サリン事件の実行犯の一人である林郁夫の部分。もともと彼は有能な心臓外科医で、家族や患者をとても大切にしていたが、患者たちが本人の意思や努力に関わらず亡くなっていくという不条理に心を痛め、あらゆる問題が解決した理想的な世界を求める気持ちが強くなっていった。そこに、仏教の実践を通して人類を救済するという理想を掲げている教団に出会って感銘を受け、妻子を連れて出家してしまう。段々とエスカレートする犯罪行為に加担させられるうちに、正常な感覚が麻痺していき教団の価値観に染まっていく。遂には、人類の救済を実現するためには現世の汚れた人間を殺害することも正当化される、という教義を信じてサリンを撒くに至る。拘置所で阪神大震災のボランティアが必死に救援活動をするニュースを見て、ようやく教団の教えが間違っていたことに気付き愕然とするが、すでに手遅れだった。
 マインドコントロールの恐ろしさは、本人はあくまで自分の価値観に従って考えたり行動したりしていると感じていることにある。マインドコントロールによる価値観の置き換えを、部屋の模様替えに例えて説明しているのがおもしろい。今の部屋が何となくパッとしないなと感じているときに、誰かがセンスの良い家具をくれる。すると、他の家具がが古ぼけて感じられて、それも取り替えてもらう。次は壁紙が合わなく感じられて、張り替えてもらう。気がつくと、部屋の全てが他のものに入れ替わっている、という具合である。
 悩みや不安を抱えているときにわかりやすい答えを示すことで依存させていくというのが、カルト宗教の常套手段である。条件が揃えば、普段の人格や社会的地位などによらず誰でも巻き込まれてしまう可能性があると知っておくことが対抗策になる。また、何か違和感を感じたときにそれを無視しないことも大切である。

2022年6月18日:読みたい本を気ままに読む読書会

しょうごさん『罪と罰』ドストエフスキー
 『罪と罰』主人公、ラスコーリニコフは中々つかめないような人間です。たとえば、激高したと思ったらその直後、急に冷静になり前言ったことと矛盾するようなことを言ったり、自分がなぜこんな行動するのか説明できないような目的不明な行動をしたり、と読者の「ラスコーリニコフはこんな人間である」という解釈を拒んでいるような人物です。
 有名な殺人のシーンですらそうだと言えます。『罪と罰』のwikiには<「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という独自の犯罪理論をもとに、金貸しの強欲狡猾な老婆を殺害する。>といったことが書かれていますが、この小説を読むとこの独自の犯罪理論とはラスコーリニコフが独自に構築した考えではなく、他の人がこの犯罪理論について話しているのをたまたま耳にしただけであり、正直取って付けたような理屈であるということがわかります。また、ラスコーリニコフは殺人前に計画的に犯罪を遂行できるよう練りに練っていますが、そこでも「なぜこんな恐ろしい考えが浮かんでいるのか?」説明ができていません。
 ラスコーリニコフの動きを観ていると、なにか「意識」と「行動」が分離しているような印象をうけます。彼の内部には他者性をはらんでおり、それがが彼の行動、言動に作用してしまう。そしてこの他者性に対して彼は制御ができていない。なので彼は徹頭徹尾、受動的にならざるおえなくなっています。この受動的な態度はドストエフスキーの数々の作品で出てきているなと、『罪と罰』読んで考えました。(自分が読んだ中だと『地下室の手記』の地下室、『悪霊』のスタヴローギン、『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャ)ドストエフスキー自身がてんかんの症状を持っていたことと関わりがあるような気がします。

Takashiさん「鉄のお話(よしださんご紹介の本の内容)」
 私が読んだ本の感想ではなく、よしださんご紹介のお話が印象に残ったので書きます。

 宇宙が生まれた時、最初に水素が作られ水素が核融合されて次々と重い元素が作られました。ここまでは私も聞いたことがありました。しかし次の話は初めて知りました。

 鉄までは比較的順調に作られたけど、それより大きな元素はエネルギー的に難しくて少ししか作られなかったそうです。

 なるほどー。周期表をまじまじと眺めてしまいました。電気自動車を作るためにコバルト争奪戦が行われているのも、宇宙の生まれに関係していたんですね。

よしだ『地球進化 46億年の物語』ロバート・ヘイゼン著/渡会圭子訳/円城寺守監訳
 
今日もだいぶつまずきながらも宇宙の始まりのところを読んでいました。
 水素原子が集まって核融合して周期表をどんどん右下に進んでいく話です。鉄になると核融合が止まるのですが、止まると中心に向かう力が相対的に強くなり超新星爆発を起こします。核融合は外側に向かう力らしく、その外向きの力が働かなくなるからです(なぜ外向きの力なのかはわからず…)。
 「え、じゃー地球はもう超新星爆発後なの?」と思っていたのですが、これは自ら光を放つ太陽のような恒星の話らしく、惑星である地球は超新星爆発とは無縁のようです。じゃー地球はどうやってできたのか、という謎が新たに生まれました。

 最近「はやぶさ2」が小惑星・リュウグウから持ち帰った砂からアミノ酸が発見されたことで話題になっており、生命の起源は地球外にあったのか?という記事をよくみかけます。元々宇宙人だったなんて、知りたいような知りたくないような(まだわかりませんが)。宇宙に夢中になる人の気持ちがすこしわかったような気がしました。

Soi Tomsonさん『寝ながら学べる構造主義』内田 樹 著
構造主義を理解するための入門書だと思う。著者はフランス文学者、思想家、武道家となかなか興味深い。今回は著者が ”構造主義四銃士”とよぶClaude Levi Strauss, Jacques Lacan, Michel Foucault, Roland Barthes の中のミシェル フーコーの業績の部分を読んだ。
彼の業績を著者は
① 人間主義的な進歩史観への異議
② 権力という概念の時代的変化の言説
i) 標準的人間社会の到来
ii) 知(理性)と権力の結託:剝き出しの権力から輪郭のぼやけたものへ(著者はこの輪郭の曖昧な権力の方がむしろ強力だと言っている)
と自分は理解しました。
この本を読む前の構造主義への自分理解とは違うということが現時点での感想です。

一つの体系的な考えというよりも、”世の中には別の物の見方があるよね” と提案してくれるような考え方なのかなあと思っています。構造主義が広まった時代はちょうどグローバリゼーションの黎明期と重なり多文化共生、文化相対主義的な社会を目指す方向性としては自然なことだったのかと感じました。”今、ここ、私たち”の時代を切り取った価値観を数百年後の未来の人たちがどのように感じるのか、またどのような価値観に変化するのか、想像するのは楽しい。

読書会の感想:
シンカイさんご紹介の本『カカ』がとても気になった。
家族内で作られた方言で書かれた文章とはいったいどんな文体なんだろう。

小澤さん『禅とオートバイ修理技術』
 
1974年出版と結構昔の本でハヤカワから出ている本で、時代的なものなのかヒッピーといった単語がリアルタイムの感覚で出てくる。話としてはジョンとシルヴィア、息子のクリスと主人公の4人でバイク旅に出ていて、1つの章の中の旅の途中で何かトラブルなりイベントが発生する。そのときには物語というより主人公の一人称(に見せた著者語り)となり、哲学的な示唆を含んだことが書かれて、章を閉じるといった流れになっている。そのため、物語調ではあるけれども、そうではない雰囲気もあり、読んでいるときの感覚は不思議なものがある。

 今は上下巻の上の100ページくらい。600ページくらいあるからまだ序盤の100ページくらいである。ジョンはわりと技術的なところに嫌悪感というか興味がなく、主人公はわりと技術的な追及を行うという話が出てくる。単なる機械音痴と技術オタクという対比あるみたいな話に感じてしまうが、読書会で話している途中に、ふと英語タイトルを読んで、これは言い得て妙だと思った。「Zen and the Art of Motorcycle Maintenance: An Inquiry into Values」。つまり、An Inquiry into Values、価値への問いというものをバックグラウンドとした本なのだと思うと先ほどの対比の話も表面的な話ではないということが分かった。まだまだ話が続くが、序盤から知的好奇心をくすぐるいい本であると感じる。

2022年6月15日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『カラマーゾフの兄弟1』
神がかりとは。
神がかりの女性から生まれたスメルジャコフは人嫌いの料理人。
たぶんフョードルの隠し子。
信仰とは何か。
登場人物の言動で作者は何を伝えたかったのか。
キリスト教
あの世

心で思うことにも自由はないのか。
今日は、スメルジャコフのところを読みました。

よしだ『地球進化 46億年の物語』ロバート・ヘイゼン著/渡会圭子訳/円城寺守監訳
 僕はよく、生態系の本を読んでその複雑でありながら精緻な営みや縄文などの先史時代の本を読んで今とは違う人間の創造性に、感動や興奮をおぼえています(顔は無表情だけど)。でも宇宙の話はスケールが違うと思いました。宇宙は無から誕生し、原子核ほどの大きさから急速に膨張したとか。最初の頃の宇宙には、水素が大半で、ほかにヘリウムとリチウムが多少混在しているのみだったとか(スイ・ヘー・リー)。
 138億年前に始まった歴史のなかで私は生きています。そしていつか死ぬんだけど、地球も50億年後には膨張した太陽に飲み込まれるのだそうです。人間が死ぬとはなにか、そして生きるとはどういうことか。宇宙の本を読んでそんなことを少しだけ考えていました。

2022年6月12日:テーマのある読書会「読書」

原 タカシさん『本が死ぬところ暴力が生まれる』(バリー・サンダース著・杉本卓訳、1998年初版)
本は紙媒体で読むものと考えるので、電子図書を読むことを避けている。なぜ、そのようなこだわりがあるのか、ヒントがあるではないかと思って、上記の本を読んでみた。
「はじめに」で、次のように切り出している。
 「私たちが人間であることのとりあえずの基礎として当然のこととみなしている『批判的で自ら方向づける人間』という考え方は、読み書きという厳しい試練を受けてはじめて開発されるものだ、ということを本書で論じる。私たちが知っている意味での『人間』は、識字の産物なのである」(p. i)。

この言説に賛同するかどうかは棚上げにして、後半で次文章に出遭った。
「アメリカ合衆国憲法に並んだ単語は合衆国市民の憲法を記述するだけでなく、その憲法を存在するものとするためにある。識字を理解するためには、文字を超えなければならない。読み書きを学ぶことは、隠喩的な活動である」(p.228)。

中学3年生の担任(社会科)の先生を思い出した。
4月の授業で、先生は「1年間かけての宿題を出す」と言った。その宿題とは「ノートに日本国憲法を書き写して、卒業式の前までに提出せよ」というものであった。夏休みが終わるころには、わたしはその宿題をやり終えていた。いまにして思えば、憲法の単語や文字を学んだだけでなく、それらを超えたものを学んだのではなかったかと、感じ入っている。

よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
 この本の副題は「読書は脳をどのように変えるのか?」です。文字を読むことと動画を観る・音声を聞くこととでは何かが違うと感覚的に思っているのですが、その正体を考えたくて読んでいます。
 今回わかったことは、文章を理解するとはかなり複雑なプロセスを経て行われているということです。例えば以下のような文章があったとします。

「システム思考家は、世界を「フローの操作によってその水準を調整するメカニズムが付いているストックの集合体」として見ています。」(『世界はシステムで動く』P53)

この文章を読むときにたとえばこんな思考をするように思います。システムとは機械のこと?システム思考家とは機械の設計者?フローってなんのことだろう?「その水準」ってどの水準?そうかストックの集合体なのか、で何が?→文章を戻ると→ストックの集合体とは「世界を」そう見なしているということか。「その水準」っておそらくストックの水準のことか。「フロー...付いている」は「ストックの集合体」を修飾しているパートか。システムとは機械のことではなく物事を仕組みとみなすもっと抽象度の高いものだな。。などと。つまり、単語のひとつひとつの意味を保留にしながら文章を読み進めて、最後の方までいってその意味がわかっていきます。さらにそれらの意味ひとつひとつはその文章の前の文脈からも絞り込まれていきます。本などを読むときは、これを本のなかにある一つ一つの文章に対して繰り返し行なっていくということです。
 今回分かったことはまず、本を読むというのは疲れるということです。これだけ右往左往しながら文字を読み進めなければならないので脳をフル回転させているはずです。もう一つ思ったことは、この複雑なプロセスは自分のペースでないと実行しがたいのではないかということです。読書は自分のペースで先に進めるけど、動画や音声は相手のペースで進みます。この点はやはり大きな違いだと思いました。その一方で音声には声の抑揚が情報として乗っており、動画は色彩や表情なども情報として乗っています。またその進みの速さ自体も編集や演出の産物なのだと思います。そう考えると、本、音声、動画、加えて静止画というのは、それぞれにもたらす効果が異なり、それをうまく使い分けていくことが大事なのだろうなと改めて思いました。この本はまだ序盤なので、引き続き読み進めていきたいと思っています。

2022年6月11日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『ケアの倫理とエンパワメント』
 
文学からみたケアでバージニアウルフ、オスカーワイルド,三島由紀夫、平野啓一郎さんなどの多数の作品の解説,分析がなされていました。私有財産制が基盤となり、物質的に豊かな社会で押し潰されたものとは。

原 タカシさん『死刑』(森達也)
合法的に人を殺すことが認められているのは、①戦争における敵軍兵士殺戮、②死刑執行、③正当防衛における不可抗力の殺人。
③は止むを得ないが、①と②は、その是非については議論があろう。
課題図書は題名通り、死刑について考察する。
当初、死刑存置論者と死刑廃止論者の二派しかいないと考えて読み始めたが、死刑存置を支持するが、現行の日本の死刑執行のやり方には反対という立場があることがわかった。
では、どのようにそのやり方を変えればよいのか。いろいろ、提案してみたいと考えながら読んでいる。例えば、死刑執行を公開制にする。死刑執行は遺族が行う。遺族が辞退する場合は、裁判員制度の裁判員のように、国民から執行員を選んで国民の持ち回りとするなど。

このような提案にたいして、死刑存置論者や死刑廃止論者が、どのようにレスポンスするか、聞きたい。

2022年6月10日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『ダンゴムシに心はあるのか』森山徹著
 生物学とか科学の話ではなく、序盤はしばらく哲学的な論考が続いています。私たちが日常のなかで使う「心」という言葉から心について定義をしていっています。その定義を深める過程で生理学的な話は出てきますが、基本的には哲学な気がします。

 ほかの参加者の方も哲学系の本を読んでいたのですが、読んでいると「だからなに?」と言いたくなるとおっしゃっていました。僕が読んでいた本など、タイトルからまさに「だからなに?」です。僕もよく本を読みながら「だからなに?」と心のなかで言っています。
 哲学には2つの楽しみ方があるような気がしています。1つには、考えることそのものを楽しむこと。ダンゴムシに心はあるのか、心とは何なのかをひたすら考えること。そして2つには「だからなに?」と問い続けて自分の生活や今の社会につなげていくこと。つながったとき、ものの見方が大きく変わるときがあります。でもそれは、視野が開けて希望をくれる場合もあれば、秩序が崩壊するような混乱をもたらす場合も。
 ダンゴムシに心はあるのかを読み終わったとき、僕はどうなるのでしょうか。

2022年6月9日:読みたい本を気ままに読む読書会

なおこさん『教養としてのテクノロジー AI、仮想通貨、ブロックチェーン』
 伊藤穰一さんの対談動画を聞いて、テクノロジーを全然知らない、知ってみたいと思い一冊目として手に取りました。
 20分ほどの読書の時間で読んだのはほんの数ページ。理解があやふやな言葉や概念を確認するのに時間が取られて、なかなか進みませんでしたが、久々に学びの苦労を感じました。楽に慣れていたなぁと。

 今回読んだのは、「AIは労働をどう変えるのか?」という章。
 頭に残った言葉は、
・人間が〈働く〉ことをすべてお金の価値に還元
・指標を見直さないと、お金に換算できないボランティアや遊び、家事や子育てといった活動が軽視されやすい社会になってしまう
・人間はお金のためだけに〈働く〉のではない。ミーニング・オブ・ライフ(人生の意味)が重要になってくる

 このテーマが気になったのは、一歳の子供を育てているからかもしれません。この子が生きていく時代はどんななんだろうと興味があります。同時に不安も。
 今月読み進めたいと思います。

よしだ『世界はシステムで動く』ドネラ・H・メドウズ著/枝廣淳子訳
 困ったときはお互い様とか、嘘をつかないとか、そういう規範意識のもとに生きられるかどうかはどんなシステムのもとで生きているかにも大きく影響されるのではないかと最近考えており、ブックオフでこのタイトルを見て思わず手にとってしまいました。
 今回はストックとフローのことが書かれているところを読みました。たとえばダムには水が溜まっている貯水池(?)というストックがあり、そのストックに対しては雨や雪によるinのフローがあり、放流というoutのフローがあります。そして「個人や組織の意思決定の多くは、ストックの水準を調整しようとするものです」(P53)とも。たしかにダムの放流や節水の呼びかけは貯水池の水量をみて行われるものです。ほかにも、冷蔵庫のなかのストックをみて買い物に行ったり減らすという名目で大量に食べたりします。
 ストックがあることでフローに変動があっても安定します。冷蔵庫のストックがあることで雨で買い物に行くのが嫌な時は行かなくて済みますし、ストレスで爆食いしたい時にも対応できます。その一方で、ストックが確保できなければ稼働は安定せず不安で仕方ないでしょうし、またストックの測定を誤ってフローの調整が不適切になれば決壊したり枯渇したりします。身の回りのストックに注目したくなりました。

2022年6月5日:読みたい本を気ままに読む読書会

原 タカシさん『飼い喰い・三匹の豚とわたし』(内澤旬子)
「はじめに」で著者は次のように語る。
「この本は、2008年10月から2009年9月までの1年間をかけ、三頭の肉豚を飼い育て、屠畜場に出荷し、肉にして食べるまでを追ったルポルタージュである。
(中略)彼らをかわいそうだという感情を抱いたことはない。・・・」
挑戦的な書き出しです。はたして、300頁の本を、私は最後まで読み通すことができるだろか。そのような思いをもって、読み始めています。

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追伸:
シンカイさんの図書『私小説書きの日乗』から西村賢太という作家を知り、ネットで経歴を検索して、この作家に関心を持ちました。『苦役列車 』を読みたくなりました。

2022年6月4日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『超国家主義の論理と心理』
 
最近の太平洋戦争のテレビ特集は誰も彼もが戦争に反対していたという内容が多くて違和感があった。しかし、本書によるとそれは強ち間違いではない。当時は軍のトップでさえ本気で戦争に反対しつつ戦争推進に加担していた。本書はこの矛盾を明晰に分析している。

 日本軍組織の欠陥を書いた「失敗の本質」という本があるが、これは軍を批判する立場で読めばよかった。しかし「超国家主義の倫理と心理」は日本全体の話なので、批判的立場を取ろうとすると自分自身への批判も避けて通れない。

 読み易いとは言えないが、かなり刺激的な本だ。

よしだ『ブループリント(下)』ニコラス・クリスタキス著/鬼澤忍,塩原通緒訳
 人間に限らず生き物は個体では生きていない、みたいな話をされているような気がします。
 例えば、ある原虫に寄生されたネズミは、ネコの尿を嫌悪する気質を失いネコに食べられてしまう、しかしそのおかげで原虫が次の寄生先であるネコに移れるとか。つまりその行動は個体自らが起こしたものではないということですが、人間の咳なども実は細菌がその行動自体を制御しており細菌が次の感染先に移りやすくなっているのではないか(あくまで仮説)、とか。他にも、遺伝子もそれをもつ個体単体では何ら役に立たないものもあり、周りの個体の遺伝子との協調によって生存に有利になるとか。例としては、言葉を発するのに適した形質をもったヒトが突然変異で現れてもそれが一人だけでは会話ができないので生存に有利にはならない、しかし二人以上現れた途端に情報伝達の面でものすごく有利に働くとか。
 生かされてるなぁと思いました。

2022年6月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『クララとおひさま』
 向上措置って何をするのだろう。なぜ病気になったのだろう。AFってなんだろう。元エリートのお父さんの今関わっている集団ってなんだろう。貧富の差と階級の差。時代が変わってもSFの世界でもあまり変わらないのかもしれない。クララはなぜあんなにおひさまを信じていたのだろう。おひさまがエネルギーだから?感情はあったの?
 前提条件が語られることのない物語だけに色々と考えました。

イトさん『僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう』
 
対話も難しいというお話をしました。

2022年5月30日:読みたい本を気ままに読む読書会

Soi Tomsonさん『氷の城』タリアイ ヴェーソス著
本について:ノルウェーの小さな村が舞台 作家はノルウェー人
シスとウン、二人の少女の物語。
冒頭はシスが暗闇の中ウンの家へ向かう場面からはじまる。北欧の晩秋の日没は早く、突き刺さる寒さと暗闇の森の中を恐怖と勇気をもってウンは歩いていく。
転校生であるウンにシスは話したこともないのに惹かれていく。ウンもまた同様にシスに特別な感情を抱いている。

感想:森の中で、シスの描写が森の暗闇と対になって絵画を見ているような感覚になった。
冒頭部分で曖昧な付箋と思われるような情報がちりばめられているがまだよくわからない。

読書会の感想:あらゆるいきものに心があるのか、というテーマについて興味深い考えを知ることができた。他の方が仰っていたように心という言葉が何を指しているのか自分の中にもはっきりと定義できない。近い将来自分も是非読んでみたいと思う。
自分の考え、信念は絶えず揺らいでおり、意識、無意識のアップデートの大切さを再確認させてもらった。
今回もありがとうございました。

よしだ『ダンゴムシに心はあるのか』森山徹著
 この本はおそらくダンゴムシに心はあるという結論があり、その結論へ導くなかで心とは何かを考えていくものなのだと思っています。内容は思いのほか哲学的で、そこに生物学・科学的な知見も織り交ぜられていくもののようです。今日から読み始めですが、著者が考える心の正体にいきなりせまっていました。
 著者は心の正体を「隠れた活動部位」であると考えているようです。隠れた活動部位とは、外に出すことができている言動や表現の裏でうごめいている外に出すことができていない言動や表現の源のようなものなのだと今のところは解釈しました。例えば、カフェで友人の悩み相談を聞いているとします。真剣に聞いていてきちんと応えたいと思っているのですが少し長くなり疲れを感じはじめました。そこに、隣の席に人が座りストロベリーフラペチーノを飲み始めました。疲れた脳は糖分を渇望しています。しかし真剣な話をしているのに「私もストロベリーフラペチーノ飲みたい」とは言いにくいですし、見知らぬ隣の人に「ちょっとちょうだい」とも言えません。こうして真剣な表情の裏で隠れているような言葉や行動、欲望などが心なのではないかというのです。今のところはそう解釈しました。そしてその隠れた活動部位(=心)は気配となって表れており、五感以外の第六感で感じることができるとも。
 隠れた活動部位が心なのだとすると、表に出ているものは心ではないということになります。悩み相談のときに表に出ている真剣な表情は心ではないのでしょうか。なんとなく思うのは、受け手の立場からすると真剣な表情をしているから真剣に聴いてくれていると感じるのではないと思いますし、真剣な表情をしている側も自分は真剣な表情をしているから真剣に聴いていると思うわけでもないと思います。心とは外に表れているものではない、私たちはそれを心とは呼ばないというのもなんとなくわかるような気がしました。

2022年5月29日:読書のもやもやを話して考える時間「本当かフェイクかの判断をどのように行なっていますか?」

 今回のテーマは「本当かフェイクかの判断をどのように行なっていますか?」でした。

〈持ち寄られたテーマ〉
・世界の境界について。ジャンルの分類など(フィクション/ノンフィクションなど)。分類そのものに対する疑問(日本人/日本人以外など)。
・本当かフェイクかの判断。どうやって感じているのか。
・言葉は現実を表せられないような気がするが、一方で人間は真実をもとに生きていかなければならないことについて。
・本当かフェイクかの判断をどのように行なっていますか

おおにしさん
・本当かフェイクかの判断をどのように行なっていますか

私がこのテーマで本当に聴きたかったことは、皆さんは何かを判断するとき
どのような基準で行っていますか?ということでした。後で気がつきました。
後半、神さまの話へシフトしたのは、私が持論を述べたことが原因しているかと思います。

私の持論は、何か判断・決断する時、自分自身の思考だけでない神秘的な
サムシングがそこに寄与しているのではないかということです。
それを私は「神」と仮に読んでいます。守護霊の方が言葉としては近いかもしれません。
「神」は私が何かを決断しようと悩んでいる時にヒントをくれます。
ヒントはどんな形で私に現れるかはわかりません。他人からのアドバイスだったりたまたま立ち読みした雑誌の中の言葉だったり様々です。
アクシデントという形で現れることもあります。
実際、電車に乗り遅れて運命が変わったことがあります。
これは私の「神秘主義」と言えるかもしれません。

「神」からのヒントに気づかず、失敗したこともあったと思いますが、ここまで無事に生きてこられたのは、私の「神」のおかげだと思っています。
これは私の「神秘主義」といえますね。

私の持論について、皆さんがどう思われるか機会があればぜひ聞いてみたいです。

よしだ
 本当かフェイク(ウソ)かというよりも、正しいか正しくないかの判断という話がされたように思います。そして後半は神についても話が及んだことは興味深かったです。なかなか普段話さないことなので。
 神については、たとえば神の教えを信じるというよりも、神のような超越したものが在り自分あるいは人間は部分的な存在であるという意味合いで話がされていたように僕は解釈しました。そのような認識をもつかどうかは判断に影響を及ぼすのだと今回考えることができました。仮に自分たちを絶対視した場合、他は正しくないという見方になる可能性があります。そうではなく自分たちは部分であり過程である・大きな世界や時間軸のなかの一部でしかないという認識であれば、正しいとしたものでも状況依存的なものであるという前提が伴います。その前提付きであれば、他をただ間違っているとみたり正しさの基準を変えられなくなったりということが起きにくくなるはずです。
 神の存在を考えることはすなわち自分のことを考えることであり、正しさの判断について考えることにもつながっていくことに驚きました。おもしろかったです。

2022年5月28日:読みたい本を気ままに読む読書会

原 タカシさん『献灯使』(多和田葉子)
著者は、ここ数年、隠れノーベル文学賞候補。(多くの人は知らないようだ。)
https://books.j-cast.com/2020/10/07013166.html

『献灯使』は全米図書賞(翻訳文学部門)受賞作品(2018年)。
登場するのは、無名(むめい)少年と義郎(よしろう)老人。
「大災厄に見舞われ、外来語も自動車もインターネットもなくなり鎖国状態の日本」(裏表紙から引用)における言葉の変容を、たとえば、次のように紹介する。

用もないのに走ることを昔の人は「ジョギング」と呼んでいたが、外来語が消えていく中でいつからか、「駆け落ち」と呼ばれるようになった。「駆ければ血圧が落ちる」という意味で初めは冗談で使われていた流行言葉がやがて定着したのだ(p.9)。

今はいている韋駄天靴は、天狗社が最近発売を始めたもので、はき心地が大変よく、どこかで草鞋を思わせる。天狗社は岩手県に本社があり、靴の中に「岩手まで」と毛筆で書いてある。この「まで」は、英語を習わなくなった世代が、「made in Japan」の「made」を自分なりに解釈した結果できた表現だった(p.10~11)。

「診断」が「死んだ」と響きが似ているため、「定期診断」という言葉はいつからか使われなくなり、「月の見立て」と呼ぶ医者が増えてきた(p.26)。

言葉遊びでもなく、ブラックユーモアでもなく、言葉の軽やかな存在感の呈示であろうか。
小説の基調は、「老人は百歳を過ぎても健康だが子どもは学校に通う体力もない。義郎は身体が弱い曾孫の無名が心配でならない」(裏表紙から引用)大震災後のデストプア。

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追伸です。

『倫理学入門』の感想・意見交換に触発されて。
下記はウキペデイアからの引用。出典元が明記されているので、いい加減な情報ではないでしょう。(最後の文学者の言葉は、参考資料としては余計。)

イエス・キリスト
 人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい(『マタイによる福音書』7章12節,『ルカによる福音書』6章31節)

孔子
 己の欲せざるところ、他に施すことなかれ(『論語』巻第八衛霊公第十五 二十四)

ユダヤ教
 あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな。(ダビデの末裔を称したファリサイ派のラビ、ヒルレルの言葉)、自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない(『トビト記』4章15節)

ヒンドゥー教
 人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない(『マハーバーラタ』5:15:17)

イスラム教
 自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである。(ムハンマドの遺言)

文学者
 戯曲家のジョージ・バーナード・ショーは黄金律というのはないというのが黄金律だ"the golden rule is that there are no golden rules".といい、別の人にしてもらいたいと思うことは人にしてはならない。人の好みというのは同じではないからである "Do not do unto others as you would that they should do unto you. Their tastes may not be the same" (Maxims for Revolutionists; 1903). という言葉を残している。
[ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E5%BE%8B ]

『名画読解観察力をみがく』の感想・意見交換に触発されて。
「影」の作者の名前を思い出しました。高松次郎です。参考までに。
[ http://www.kansaiartbeat.com/kablog/entries.ja/2015/07/kokuritukokusai-takamatsujiro.html ]

さくらさん『倫理学入門』
 倫理学の重要性が分かった。倫理学は抽象的で観念的だが、生活に落とし込んで考えてみると倫理は色んなところに散在している。だから生きた学問だと思った。

よしだ『ブループリント(下)』ニコラス・クリスタキス著/鬼澤忍,塩原通緒訳
 ヒトは社会を築き維持しながら生きていますが、そのように社会性高く生きることの利点は、場所を移動しても社会(集団)がそのまま移動することになるので、一定程度の環境がそのまま移動されることを意味し、変化の影響が軽減されることにあるようです。
 本の趣旨からは逸れるかもしれませんが、だから一人旅というか、そういうことをしたくなるのかなとも思いました。海外旅行に行くとき、友達数人と行くのと一人で行くのとでは、刺激や不安感の面でだいぶ違う気がします。友達と行くと、案外旅行後感は国内にいるのと変わらないかもしれません。いつも自分はなにかの社会に属しながら生きている。自分を確認したり変えたりしたいと思ったとき、いつもの社会から離れて一人旅のようなことをしたくなるのかな、そういうことを求めるのかなと思いました。

2022年5月26日:読みたい本を気ままに読む読書会

Soi Tomsonさん『The art of surviving under the Taliban』 (NIKKEI Asia)
今回は”タリバン政権下”において人々の芸術活動の現状について書かれた記事を読んだ。
2021年8月にアメリカをはじめとする各国の支援撤退、その後のタリバン政権復活以来、アフガニスタンに住む多くの芸術家の活動が制限され(忖度も含む)、芸術活動は疎か日々の生活さえも何とか食いつないでいる状況らしい。ある芸術家の壁画作品の多くはタリバンによって白いペンキで上塗りされ、アラーを称える文言に変わったという。ある女性音楽家達は身の危険を感じながらもYouTubeでアフガニスタンから発信し続けている。「音楽家になれないのならほかに何ができるのか本当にわからない」と訴える。
現在タリバン政権は、公共での芸術を全面的に禁止しているわけではないということだが、2001年までの前タリバン政権での悲惨な抑圧について未だ鮮明に記憶にある芸術家は、公に活動できないということだろうともある。

感想:戦争、紛争、不安定な情勢、または伝染病の流行のような非常事態下で芸術家の生活は真っ先に窮地に追いやられる。しかしこのような苦しい状況下でも湧き上がる創造性と向き合い活動を続ける人々はとても強く美しい。

よしだ『ダイアローグ』デヴィッド・ボーム著/金井真弓訳
 ダイアローグは日本語では対話と訳されます。
 "誰の"意見が正当かを競うような討論や、決定事項を通達するトップダウン型のコミュニケーションとも違う。かといって一つの総意をまとめ上げるボトムアップ型のものとも違う。ただ聴き・話し、それぞれの人のなかで考えやイメージがつくられていく。対話とはそのようなコミュニケーションなのだと理解しました。
 このような個別性の生じるコミュニケーションでは協調活動に向かないように思われますが、ムラの寄り合いなどがそれに該当するとのことです。おそらく、周りの人の気質を理解したり、本当に困っていることや望むものに対する察しがついたりすることで、自律的な思考や活動が生まれるということなのではないかと思いました。
 読書会のなかで、対話は時間がかかるという話も出て納得しました。時間がかかる代わりに押し付けにはなりにくいと思うので、個別性を大事にしたいときには必要とされるコミュニケーションなのだとも思いました。

 また、他の話題として、望むことができるものは社会によって大きな違いがあるということを改めて知り、世の中は平等ではないということを感じました。平和なところに生まれた身としてどう生きるのかということは、すこし重たいですが、自分なりに考えておきたいことであるように思いました。

2022年5月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『アウシュビッツの小さな姉妹』
 物語かと思って読み始めたら実話でした。作者は4才のときアウシュビッツへ。奇跡的に生き延び、いまはホロコーストについて最も影響力のある1人でもあるそうです。

 子供の目線から描かれているらしいです。
 大変な状況での人間の様子が読んだだけでも辛いのに、実際子供の時体験するとはどういう風なんだろうと思いました。

2022年5月22日:読みたい本を気ままに読む読書会

原 タカシさん『君が異端だった頃』(島田雅彦)
小説を読むときは、登場人物の考え方・行動・生き方に感情移入しないように心がけている。そして、全ての登場人物を等しく「愛する」ように読みたい。例えば、登場人物Aの正義感も登場人物Bの裏切り行為も共に「愛する」ように読み、その書き方を味わいたい。ところが『君が異端だった頃』は、そのような読み方が出来ない。
小説は次のような書き出しで始まる。

誰にでも少年時代はあるが、誰もがそれに呪われている。
(中略)
まだ君が何者でもなかった頃、周期的にふさぎ虫に取り憑かれ、ため息などついていたが、そんな時を見計らったかのように、裏山からこんな声が聞こえてくるのだった。
ここは何処? ここは何処?

小説の主人公は「君」。作者自身に違いない。しかし、読者であるわたしは、自分が「君」と呼びかけられているかのように、反応している。

himaさん『野火』
 中学生向けの本や高校?の教科書を読んでいらした方がおられました。どういう動機で選ばれたのか、気になりました。
 また、自分一人ではなかなか読み進めにくかったり挫折しがちな難解な本は、このような機会があると大変助かると思いました。

てらもっち七等兵さん『心豊かな価値創造を実現するDX原論』
良い点 包括的に利他と経営の関係について述べてるところ。
足りない点 経営にフォーカスしすぎて現代の問題点に対して言葉足らず。成長から脱してない。

Soi Tomsonさん『森の生活-ウォールデン-』H.D.ソロー 著
著者が森の中に家を建て、ほぼ自給自足で暮らした体験を通して著者の思想、知識、哲学が書かれている。
本日は森での生活の食糧事情、家計簿が細かく記されている部分を読んだ。
食糧の種類、食べて失敗したもの、良かったものなど書かれているのだが、これは著者の主観的意見で好みの問題なのではないのか?と突っ込みを入れながら読み進めた。
また今日読んだ箇所で、著者は過去に学校経営や商売に関わった経験があるという。その経験で著者は労力、時間、支出に対する収入がつり合わなかったという。(生計のためにやったことが失敗の原因とも言っている)確かに、自分もある仕事に対してささげたエネルギーと時間が収入とつり合わず虚しさを感じた経験を思い出した。
現在読んだ箇所までの時点で、著者は徹底的なミニマリスト生活を実験的に行っていると理解している。

読書会の感想:
『野火』大岡昇平著 にある人肉食への欲求について言及された。欲求と言ってもそれが飢えからくるものなのか、嗜好的なのか(恐ろしいが)それぞれ事情は違うが、どちらにしろ動物の中で共食いをする生き物は霊長類の中の限られた種のみだと以前何かの本で読んだ記憶がある。他の動物と比べて大きく脳が進化した我々のみが共食いをするとは、何かこの進化と関係があるのだろうか。『邪宗門』(高橋和巳著)や柳田国男の文献にも母食い、人食いについて書かれていたと記憶する。
自分が究極的な飢餓の状態で一体どのような行動をとるのか、それはその状況になってみないとわからない。強く生きたいという生理的な欲求が優先されるのか、それともそこまでこの世にしがみつかなくてもよいという気持ちになるのか。
砂漠地帯、極寒地帯での食料調達は厳しいが、地球は恵まれた惑星であり、人間同士の争いがない限り知恵と技術でつつましく生きられるだけの食糧は確保できるはずだ。
人肉食のような悲惨なテーマを問題としなくてよい社会を作るのは人間には不可能なのだろうか。

よしだ『ブループリント(下)』ニコラス・クリスタキス著/鬼澤忍,塩原通緒訳
 今回は友情に関することが書かれていました。
 助け合いには大まかに3つのパターンがあるように思います。1つには助けたら短期で必ずリターンがあるもの、2つにはいつになるかわからないけど何かの形で返ってくるだろうという不確実なリターンを期待できるもの、3つにはリターンがほぼ期待できないもの。1つ目の例は経済的な取引で物々交換やお金を使う買い物、契約をまいた上での受発注などがそうだと思います。2つ目の例は近所の人へのおすそ分けなど。野菜が多くとれたからとおすそ分けすれば、あげた人がそのうち同じようなかたちでお返しをくれることが期待されます。3つ目の例は少し過酷な状況ですが夜逃げするから逃走資金を貸してくれという場合や、狩猟採集の時代では手足に大怪我を負った人に食べ物をあげることなど。
 助けられる側にたった時、一番助けてほしいのは3つ目の状況の時です。でも助ける側からすれば、個の合理性だけを考えれば3つ目の状況では助ける意味はないとするのが妥当なのかもしれません。でもそこまで過酷ではなくても、見返りを求めない助け合いにしばしば遭遇します。そのような関係が友情であると理解しました。
 仮に人間が情の湧かない生き物であった場合、強い個がどんどんと肥えていくことが想像されます。でもそれでは状況が一変したときに、あるいはいっぺんに多様な問題が起きたときに対応できません。少し合理性に寄りすぎた表現をするならば、情とは人類の長期的な生存に寄与してきたと言えそうです。でも一方で、これは読書会でも出た話ですが、情は相手の顔を見たり相手の人となりや家族のことを知ったりすることで湧いてくるものだということも言えそうです。相手を記号的な何かでしか見られなくなった時、そこに情は湧かないのだろうなと思いました。

2022年5月21日:テーマのある読書会「読書」

Takashiさん『ギリシア・ローマ神話』岩波文庫
 学術書や哲学書を読んでその論理展開に感動することはあるが、それは理解のフィルターを通った後の心の動きだ。しかし物語は直接心に響く。

 本書は物語の古典中の古典と言える神話を紹介している。

 ここで語られる神々の能力はスケールの大きなものばかりだが、神と神が紡ぐ物語は極めて人間臭い。それぞれの物語の何が私の心に響くのか。確かめながら読みたいものだ。

よしだ『プルーストとイカ』メアリアン・ウルフ著/小松淳子訳
 漠然と、読書と動画視聴のなにが違うんだろう、実感としては違う気がするというのがあり、買って積読になっていた本です。副題は「読書は脳をどのように変えるのか?」で、脳科学や認知科学といった科学視点の本です。
 印象的だったのは、ホモ・サピエンス(=今の私たち)は文字が読めるように進化してきたわけではないという前提です。文字が誕生したのは数千年前で、それに対してホモ・サピエンスの誕生は数十万年前です。そのほとんどの歴史をおそらく乏しい言語で過ごし、文字が誕生したのはほんのごく最近です。文字が誕生したからといっていきなり遺伝子レベルで脳を含めた身体が変わるわけではありません。すでにもっていた身体を、文字を読む・書くという行為に応用していったのだと考えられるのです。
 人のすごいところは、その変えられるところにあるのだなと改めて思いました。文字がまったくなかった時代を過ごしながら、それ自体を生み出し使いこなせるように変わっていくなんてやっぱりすごい、信じがたいとしか言えません。

2022年5月19日:読みたい本を気ままに読む読書会

オオタシンヤさん『夜露死苦 現代詩』都築響一 編
『綱 よごすまじく首拭く 寒の水』
 ある死刑囚が遺した俳句(詩)です。こんな文芸とは異なる角度からの言葉が並ぶ一冊でした。
 言葉のエネルギーに驚きました。

yuさん『人新世の「資本論」』
 作者の斉藤幸平さんは、このまま資本主義を続けていけば地球環境が持たないと書いていました。普段生活していて、便利なものに慣れていますが、それが周辺部の犠牲のもとであること、もはや人類にはどうしようもできないような危機的状況に地球はあるそうです。
 他の参加者との対話を通じて、答えのない問いにどう向き合うのかを考える時間になりました。

2022年5月17日:読みたい本を気ままに読む読書会

Soi Tomsonさん『楽園のカンヴァス』 原田マハ 著
NY 近代美術館にあるアンリ ルソー作”La Rêve”に酷似した絵をめぐる話。舞台はスイスの工業都市バーゼル。アメリカ人と日本人、二人のアンリ ルソー研究者が7章から成る物語を手掛かりにその絵が真作かどうか読み解いていく。

本の感想:未だに評価の定まらない(あくまでも個人的な意見)アンリ ルソーの作品を題材にするところがとても面白い。著者のルソー個人、彼の作品への深い愛情と尊敬の気持ちを感じることができた。
著者の絵画の味わい方を知ることができ、とてもeducationalである一方で、池波正太郎作品にあるような人情話のような要素も織り込まれており、そこもまた楽しめた。

個人的には鑑賞のための絵の真贋は、見る人にとってさほど重要ではないと思っている。その時に出会った作品に心を動かされ、その人にとって意味のある出会いであったならばそれで十分ではないだろうか。読了後お気に入りの美術館を再訪したくなった。

よしだ『ギヴァー 記憶を注ぐ者』ロイス・ローリー著/島津やよい訳
 管理社会を描いたディストピア児童文学です。すべてが管理されている、けれども普通の平和な日常を送れているところにこの物語のポイントがあるのだと思いました。
 家族は4人、子供は男1女1と決められている。子供は1歳になると家族に供給される。いつ生まれようとも1歳になるのは12月。名前ももちろんあらかじめ決められた上で供給される。家族内では今日の出来事を共有する時間がある。でもそれも規則でそういう時間をとることが決められている。その時間の呼び方は「感情共有」。言葉使いも独特なのです。家族は「家族ユニット」、学校に遅刻して謝ることは「公式謝罪」。でも描かれているのは平和的な家庭であり学校であり社会なのです。
 今日読み始めなのでまだ先はわかりません。でもこのような管理社会が生まれた背景なども描かれているといいなと期待します。管理といえば聞こえは悪いのですが、例えば恋愛結婚よりお見合い結婚の方が数十年後の満足度は高いという調査結果も見たこともあります。管理はされたくはないけど管理されることは本当に悪いことなのか、今も本当は結構管理されているのではないか、そんなことも頭の片隅に置きながら読んでいきたいと思っています。

2022年5月15日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『語りえぬものを語る』野矢茂樹著
(本書の内容とは異なります)

 「AIは自我を持つか。」という問いに対して私は「わからない」と答える。チューリングテストが示すように、AIに自我があるように見えてもそれが本当の自我かどうかを判断したことにはならないからだ。理由は「自我」という言葉の曖昧さばかりではない。

 AIがAIの概念枠を持つと仮定すると、それは人間の概念枠とは異なるに違いない。なぜなら人間の概念は個別の人間のあいだのすり合わせによって成立するが、AIの概念は論理の積み上げであって個別のAI間のすり合わせは存在しないからだ。

 仮に個別のAI間で概念を共有することがあっても、概念の変化による書き換えと共有は一瞬で終了し、齟齬もないだろう。

 人間の概念はそれぞれに必ずずれがあり、個体間や集団間で常に齟齬を伴ったすり合わせが行われている。それが社会であり、社会は論理の積み上げとは異なる次元で成立している。

 AIはおそらく社会という概念を持たないだろう。AIの自我を扱った映画や小説がディストピアを描くことが多いのも、ここに人間が恐怖を感じるからかもしれない。

よしだ『ブループリント(下)』ニコラス・クリスタキス著/鬼澤忍,塩原通緒訳
 今日もいろんなところに話が及びましたが、変わるってなんだろうと思ったところで終わったような気がします。読んだ本とは関係ありませんが、未消化なことを自分のなかで整理してみます。
 歴史に関わる本が多かったこともあると思いますが、すこし壮大に社会が変わることについての話題が持ち上がりました。明治維新や太平洋戦争によって日本は変わった、でも震災ではおそらく変わらなかった、というのが前提として話されていたような気がします。
 変わることは暗黙のうちに良いこととされているような気がしますがそれは本当にそうなのでしょうか。どういう変わるを期待してるのでしょうか、個別具体的な何かではなく社会全体をガラガラポンすることなのでしょうか。変わるというと劇的な何かを期待するような気がしますが、本当にそれがいいことなのでしょうか。社会が変わるということは大きな事であり、ストレスや痛みが伴い、個人が期待してもそう起きることではないように思います。それよりも個人として自分や周りと向き合い、実感できるいいと思えるものを作っていくことなんかが大切なのではないかなどと思ったりもしました。大きなものを目指すにしても一足飛びにそこには行けないと僕は考えます。

2022年5月14日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『旧約聖書 ヨブ記』(岩波文庫)
 読みたいと思わせる本には迫力がある。私はキリスト教徒ではないがヨブ記にはとんでもない迫力を感じる。
 どうしようもないことに人はどう向き合うべきか。正しいとはどういうことか。心の咎と犯した罪はどう違うのか。幸せに理由があるなら災いにも理由があるのか。そんなことが書いてあるような気がする。

原有輝さん『100分de名著 パスカル「パンセ」』
 
無為が耐えがたいというパスカルの考えは、今の僕に非常によく当てはまります。人から尊敬されないと生きづらいという考えも、非常に納得できるものです。

2022年5月13日:読みたい本を気ままに読む読書会

ナツメマサルさん『キャサリン・マンスフィールド 園遊会(ガーデンパティ―)』
 この短編の最後がカミュの「異邦人」の最後のように主人公たちが人の死を神秘的で未知のものとして捉えるシーンで終わるのですがそこが宇宙的な静謐を感じる素晴らしいエンディングだった。

としさん『HSPと発達障害』高田明和
本文の一部を抜粋します。
 HSP(Highly Sensitive Personの略)は、日本語では「人一倍敏感な人」とか「過敏性症候群」と言われています。
 アメリカの心理学者エレイン・アーロン博士が提唱したもので、どんな社会にも一定の割合(15~20%)で存在していて、人類だけではなく犬や猫、なんと昆虫にもある気質で、生物が生き残るための生存戦略の一環として身に着けたものらしいです。

 本文中では、それと発達障害(ADHDやアスペルガー)などと比べており、精神科や心療内科へ受診すると、HSPは心理用語でここ数年で出てきた言葉であるため、知らない医師には、精神障害やうつと診断されやすいようです。

 生きづらさを抱えた現代人。実は、あなたもHSP気質かもしれません。子供にも多いようで、子供の場合だとHSC(CはChild)と言われます。まず自分がどんなことが得意でどんな症状に困っているかを知ることが非常に大切だそうです。なぜなら、一人ひとり症状が違うから。これは、病気があるない関係なく言えることかもしれません。
 自分のことが分かると、生きる指標になるかもしれません。どんなものでも、それを個性として受け入れ、皆が生きやすい世の中になるといいなと思います。

 他にも数冊読みましたが、「繊細な心の科学~HSP入門」が研究者目線で書かれており、興味深く読めました。会の開催、いつも有難うございます^^

2022年5月11日:読みたい本を気ままに読む読書会

原 タカシさん『夏の流れ』(丸山健二自選中篇集)
 1966年文学界新人賞・芥川賞受賞作品。死刑執行を担当する刑務官の、執行前の数日から、執行当日、執行後の翌日までの「流れ」を描く。テーマは、一言でスパッと言い切れるような、例えば「死刑」や「その是非」と言うようなものに非ず。読後の余韻は<生きて在ることの居心地の悪さ>。2020年に改稿版を出しているので、それも読みたい。

よしだ『ブループリント(上)』ニコラス・クリスタキス著/鬼澤忍,塩原通緒訳
 持続する社会にはそのための要素1セットがある、ということを前提に話が進んでいきます。
 その1セットは今のところ明記されているわけではないのですが、その方が楽しく読めるような気がしています。船が難破して乗組員がたどりついた島でどういうコミュニティを築いたのかを追ったり、オスとメスの関係を他の動物も取り上げながら考察したり。
 最終的にはブループリントのタイトルの通り、持続的な社会の"青写真"が示されるような気がしていますが、それを知ったとして良いと思えたとして素直に実行することがヒトに可能なのかとも思ったりします。いやいやいやと別の方向に行きたがるのもヒトの性だったりはしないでしょうか、なんて。

2022年5月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

Soi Tomsonさん『宗教と道徳』梅原 猛 著
〈本の感想〉
哲学者、宗教学者、シナリオライターなど様々な顔を持つ著者のエッセイ集。
今回は埼玉県にある「ものつくり大学」設立をめぐって、様々な困難や著者の日本人の”ものづくり文化”に対する強い思いについて知ることができた。大学の名称に大和言葉を採用するというこだわりの理由も興味深かった。

〈読書会の感想〉
最近気になることの話題として、「教育と洗脳」が提案された。
自分はこれまで教育とは良いものから悪いものまでとしてのイメージを持っていたが、一方で洗脳という言葉には悪いイメージをのみを持っていることに気づいた。それも幼いころに洗脳のようなものを家族が体験したこと、また宗教に関わる社会事件などでも度々洗脳というキーワードが使われていたために”恐怖”というイメージを持つことになったと考える。

教育も洗脳もそれぞれの国家、集団において、長期間にわたる洗脳なのだとしたら、洗脳もある意味良い面、悪い面があるのではないか。

つまり教育、洗脳どちらも肯定的な側面をもち一方で危うさも含んでいる。
どのような主義、思想が有意義なのか否か、どのような世界でまたどのように生きたいのか。長い時間かけて洗脳された自分の脳にはもう手遅れなのかもしれないが、この読書会のような貴重な機会を通して自分を俯瞰して考える作業を続けられたらと思う。
物事を善悪でとらえるとしたら森羅万象はFair is foul, foul is fairということか。
今回もありがとうございました。

えりかさん『そして誰もいなくなった』
・何が正しいとか正しくないとか本当はその行動自体にはなくて、罪ってなんなんだろう、って考えてしまった。

・殺人とか命を奪うまではいかなくても、自分の態度や行動が誰かの心を傷つけたり、逆に傷つけられたりすることは無数にあって、それをいちいち立ち止まってうーん、って考えてると生活が立ち行かなくなるから見ないふりするようになって、どんどん感情の機微に鈍感になってくふしはあるなと思った。

よしだ『群衆心理』ギュスターヴ・ル・ボン著/桜井成夫訳
 個人を尊重しながら生きるとはどういうことなのか、みたいなことを思い読み始めました。自分で考えることや個人で意思決定をすることなど、「個」としての存在感を強めることがなんとなく時代の流れかなと感じていますが、それは同時に不安を生み出しやすいと思います。外部からの強烈な思想が付け入る隙がその不安にあるのではないか、などと。
 本当はハンナ・アーレントの『全体主義の起源』を読みたいと思ったのですが、5000円×3冊で手が出ず…。ひとまず手に入れやすい集団心理や社会心理などの本を読み進めたいと思っています。
 集団を重んじすぎると個人としては窮屈だったり、気が付いたら決める人やしっかりと考える人がいなくなっていたりとさまざまな弊害があるのだと思います。その一方で「個」を求めすぎると不安が生じたり責任に対するストレスが強くなりすぎたりするように思います。また、「個」として生きるとは自分だけが良ければいいとか、自分の考えと周りの考えとの乖離に目を向けなくていいとか、そういうことでもないはずです。集団と個人とは、どちらをどのように重んじればいいのか、最近の関心ごとはそんなことです。僕はどちらかというと個を重んじるタイプなので、そちらの方向に思い違いを進めないためにもそんなことに関心があります。

2022年5月1日:テーマのある読書会「会うこと」

yuさん『緑の天幕』
 リュドミラ・ウリツカヤのはロシアで最も活躍する人気作家らしいです。読むのは初めてです。709pで辞書みたいに分厚いなと思いました。ソヴィエトからロシアへ。この国で人々は何を愛し、どう生きたのかが描かれているそうで、6人の男女の生まれた時から老年に至るまでが描かれています。今大学生くらいのところを読んでいます。不穏な空気が立ち込めてきました。

よしだ『手の倫理』伊藤亜紗著
 触れることは会わないとできないのでテーマ「会うこと」の読書会では触れることをキーワードに読書をしていました。といっても相手に物理的に触れるって相当な仲の人でないとできないのですが。
 今日読んだところでは、著者の考えを述べていく前段として西洋哲学における触覚の位置づけが紹介されていました。あまり違和感がないことかもしれませんが、西洋哲学では触覚は下位の感覚として扱われていたそうです。上位は視覚と聴覚で、下位は触覚と嗅覚と味覚です。僕はいつも目だけに頼るのはどうかと思いつつ、「ものの見方を変えてみる」などと認識全般に関して「見る」という視覚的な言葉を伴わせてしまいます。かといって他に適した言葉も見つけられない。視覚とはなんとおおきな感覚なのだろうといつも感じています。
 でも博物館などに行けば触れてはいけないものに反射的に触れたくなってしまいます。目で見るだけでは物足りない。実際に触れてみてその存在を確認したいのです。さすがに匂いを嗅いだり舐めたりはしないけど…。
 目や耳は最初にものの存在を捉えるものなのかもしれません。でもどうしてもその後に手で触れたり、口に入れたり、鼻を近づけてみたくなる。そうやっていくつもの知覚を駆使して存在を確かに感じ、経験として自分のなかに蓄積しているように思いました。

2022年4月30日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『三人姉妹』
 チェーホフの戯曲です。物語は変化なく人々が長々と話をしています。
 人々は好き勝手なことを饒舌に話しているがなんだか噛み合っていないみたいです。
 ワー二ャ伯父さんでも出てきましたが、「今でこそあなた方は少数かもしれないが、やがてそれが人々に良い影響を与え、200年度、300年後には素晴らしい世界が訪れるでしょう」とあり急に先の時代の人々に思いを馳せる所があり、これは何を意味しているのだろうかと思いました。

今永さん『もういちどベートーベン』
 色んな方のお話を聞けて楽しかったです。

Takashiさん『語りえぬものを語る』野矢茂樹著 講談社学術文庫
 今日は「以下同様」について書かれた章を読んだ。いくら具体例を挙げても「以下同様」を厳密に決めることは難しいらしく、人によって多少の誤解(ずれ)が生じる。大事なのはその誤解を認め合い、誤解を修正するために話し合うことだそうだ。

 でも実際は、自分は正義で相手が悪の方が気持ち良いし、話し合うのは疲れるし、忙しくて時間ないし、早く誰か決めろよなって思う。多分そう思うのは良くないことだろうけれど。

よしだ『はてしない物語(下)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 今日で最後まで読み終わりました。さまざまなシーンが出てきてまだ全然解釈することができないのですが、きっとそれぞれに想像や思考を膨らませられるような気がします。僕はこの本を哲学書を読むような感覚で読んでいました。

 訳者あとがきのところに書かれていたのですが、東京で開催された基調講演でエンデは「無目的の遊び、これが現代に最も欠けているもの。」と言っていたのだそうです。
 エンデの他の作品『モモ』では「時間」をテーマにしていました。時計で区切られたようなきっちりとした時間、たとえば期日や計画といったものは無目的な遊びと相性が良くないように思います。時間を気にしていては遊びに没入できない、遊びは無計画に広がっていくのに時間で強制的に打ち切られる。そう考えてみると今の大人的な世界と子ども的な世界は合わさることが少し難しいのだろうなとも思ったりしました。
 『はてしない物語』は少年がファンタジーのなかに入り込み冒険をしていく物語ですが、"あっち"の世界で経験したことが現実の世界に持ち帰られています。これは私たちの世界でも起きていることのように思いました。旅行の体験が元の世界の見つめ直しになったり、本を読みながら思索したことを現実で試してみようと思えたり。現実を生きることと現実を離れることととは少し不思議な感じですが密接に関わり合っているような気がします。無目的な遊びがとても大切なことのように思えてきました。

2022年4月27日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『赤い魚の夫婦』
 「菌類」を読みました。メキシコの女性作家の短編です。音楽家の主人公の日常、いや体に菌が!菌を通しての人間の考察や心の動きの表現が事細かに書かれていました。

 他の方がよまれていた本で「文学は糠漬けのようなものだ」が印象に残りました。

2022年4月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

Soi Tomsonさん『宗教と道徳』 梅原 猛 著
哲学者であった梅原 猛のエッセイ集
 2000年前後の著者の身のまわりで起きた事、時事的な出来事など幅広いテーマで綴られている。2000年当時のプロ野球、セリーグの監督であった長嶋茂雄を性善説の人、野村克也を性悪説の持ち主と言い放つ。性甚だ善な長嶋監督は相手を騙すという狡猾というの精神が欠如しており監督として適任ではないという。
 また横山ノック前大阪府知事の強制わいせつ事件裁判に触れながら、人間の恨みは歴史的に伝承されると説く。(上方人の徳川に対する長年の恨みがノック氏の当選へと導いたらしい)
 またある日は新作狂言「ムツゴロウ」の執筆について…etc

感想:学生時代に彼の書物を読み違う惑星に住む人だという印象を得たが、(自分の未熟さと不勉強が原因)今回のエッセイで随分近くに感じられた。ほかの作品も今では読破できるか再チャレンジしてみたいと思う。

読書会全体の感想:一人の人間に生じる心理的葛藤を臨床心理士が”馬とジョッキー”にたとえつつクライアントにとってより良い解決に導く話に大変感動しました。面倒だったり負担だと感じ、視野が狭くなってしまった状態で相談することなしに逃げてしまうことをしがちな人間が、ほかの方法もあるんだと補助線を使いながら新たな解決策を模索する経験はそのクライアントにとってのその後の人生に大きく影響したのではないでしょうか。
 
右に左にさまよいながら生きる中で、Updateできる場である読書会。いつもありがとうございます。またよろしくお願いいたします。

おおにしさん『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない
本書は臨床心理士東畑開人さんが書いた”読むセラピー”本です。

人生の中で迷子になってしまう時期、それを”夜の航海”とユングは呼びました。
そんな時は、舟の行き先をしっかり示してくれる処方箋が必要です。
自己啓発本や人生論などは処方箋になりますが、どうしても自分へのアドバイスが見つからない場合に役に立つのは”心の補助線”です。
悩んでいる心の混沌とした状態を整理するために、心に補助線を引くのです。

最初に登場するのは、転職するかしないかで悩むクライアントのタツヤさんです。
ある日のカウンセリングでタツヤさんは、「もうこれ以上悩む時間はもったいないので、会社を辞めて独立することしました」と突然言いました。
東畑さんは急なタツヤさんの変化に驚き、ここでタツヤさんの心に補助線を引いて、馬とジョッキーを登場させました。会社を辞めて独立しようとする暴走馬と、振り落とされないと手綱を握るジョッキーが今のタツヤさんの心の状態だと告げます。
そして、馬の声を聴くようにアドバイスします。実はタツヤさんの馬は傷ついていたために暴走していたのでした。この後タツヤさんは会社を辞めずに、独立の準備を進めることになったそうです。

こんな感じで、心の補助線をつかったセラピーの実例がいくつか登場します。

現在の私は夜の航海にでるほどの状況ではありませんが、今後人生の迷子になりそうになったときヒントを与えてくれる本だと思います。
周りで悩みを抱えている人がいたらせひ紹介したい本です。

よしだ『はてしない物語(下)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 現実世界でいまいち学校になじめていなかった主人公が、ファンタジーの世界に飛び込む物語です。ファンタジーの世界で主人公は自分が望むものをなんでも叶えることができるお守りを得て、力をもっていきます。
 お守りを手にしてファンタジーの世界を冒険することは、きっと主人公にとってリアルに匹敵する経験となっています。しかし一方で現実に帰ることを避けてしまいます。そして力を奮ってファンタジーの世界の帝王になることを目指します。それは力をもった全ての人が目指す道であるとされ、それを目指した帝王は決まってこころを廃していくのだと描かれていました。帝王となった者は過去の記憶を失い、それゆえに未来へ向かうことができないということのようです。エンデの描写は相変わらず刺激強めです。。
 主人公はすんでのところで帝王になることができずに済み、こころを廃した元帝王たちを目の当たりにしてその道を引き返します。でもその道中でさまざまな問いにぶつかっていきます。まだその道中の途中のところですがきっと、自分が本当に望むものは何なのか、自分は何者なのかといった問いです。

 お守りをつかって望みを叶えるごとに記憶を失っていくという設定になっているのですが、それはどういうことなのでしょうか。あまりにも外的で非連続的な変化があると自分でもついていけなくなり、望みが叶った今に記憶が一気に塗り替えられるということでしょうか。それとも苦々しかった過去を忘れ去りたいという無意識的な欲求を描いているのでしょうか。そうした自分を伴わない人生では、自分で未来に向かうことができなくなっていってしまうということなのかもしれません。自分の人生には自分でしっかりと向き合いなさいとエンデは言っているのでしょうか。いろんな問いが生まれ思考が巡る本だと思いました。

2022年4月24日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『梶井基次郎』ちくま日本文学028
 本書は梶井基次郎の短編集だ。文章にキレがある。キレッキレだ。内容は陰鬱なものが多いが、読んでいて気持ちがいい。

 「夕凪橋の狸」という短編は作者の子供時代の回想で、真ん中の弟と末っ子が夜遅く帰ってきて皆に心配をかけたという話だ。末っ子は駄々をこねて真ん中の弟について行き帰宅が遅れてしまった。帰ってきてただ甘えて泣きじゃくる末っ子に対する母の態度の記述があるので紹介する。

 以下引用ー 彼をただ泣かしておくだけで何ともかまってやらない母の正当な処置が私には快く思われた。 -引用終わり

 たったこれだけの文章で、私の気持ち、末っ子の気持ち、母の凛とした気持ち、そして母の態度から何かを感じるだろう真ん中の弟の気持ちが鮮やかに浮かんでくる。

 若くして亡くなった著者だが、日本文学全集に必ず名前を連ねるだけのことはある。やっぱり読んでみなくちゃ分からない。

つやまさん『人間とは何か』マーク・トウェイン
 「老人と青年とが話していた。老人は、人間とは畢竟機械にしかすぎぬと主張した。青年の見解は反対であった。」ということで二人の対話がはじまり、人間の自由意思や利己心について、そして人間とは何かについて、思索が深められていきます。老人が言うには、人間は予め与えられた資質に、外(環境)からの力がはたらいて自動的に何かを為すというだけの機械と同じような存在で、自分自身の力では何も生み出せないということです。それは、凡人であろうがシェイクスピアのような偉大な作家であろうが同じことで、そこにはただの機械鋸かゴブラン織の織機かという程度の違いしかないと言っています。したがって、そこに人間的価値を認めたり、本人が誇りを感じたりするのは、人間の真実を見誤っていると主張します。また、人が何かの行為をするときに、その根本にある動機はただひとつしかなく、それは己の心の満足や安心感であり、どんなに自己犠牲や利他的に見える行為にも当てはまると言います。
 『ハックルベリー・フィンの冒険』や『トム・ソーヤーの冒険』などの世界的な児童文学の作者が、このような身も蓋もない悲観的な人間観をもっていたのは意外な気がしましたが、人一倍暗い影の部分を抱えていたからこそ偉大な作品を書くことができたのかもしれません。また他の参加者の方から、うまく表現することができないだけで本質的には誰もがすごい才能を持っているのかも、というような感想をいただきました。他者に対して競争心や劣等感を抱くことの無意味さを心底納得できるようになるというポジティブな面もあるのかもしれません。老人と青年の対話がはたしてどこに行き着くのか、とても気になります。

小澤さん『NOISE』
 本書が扱うのはヒューマンエラーである。バイアスすなわち系統的な偏りとノイズすなわちランダムなばらつきはどちらもエラーを構成する要素である。著者は「ファスト&スロー」でも有名なダニエル・カーネマンで、前作がバイアスの本であるとするならば、今回はノイズをテーマとしている。

 第一部はどういったノイズがあるのかといった内容であった。犯罪の量刑にだいぶばらつきがあった話があり、たとえば偽造小切手の現金化であれば、担当者により懲役15年と30日が判決が変わったりとバラツキがかなりあったという記載があった。1970年代にマービン・フランケルという著名な連邦裁判刑事がばらつきを減らすためのガイドライン策定を提案し、バラツキは多少軽減されたようだ。逆に言えば、完全に抑えることはできなかった。理想的にはつねに同一であるべき判断に不可避的に入り込む好ましくないばらつきを「システムノイズ」という。システムノイズは保険の分野での事例もあり、保険という指標が定まっていそうな分野でも最大5倍のずれがあることが判明した。

 本筋からそれるが、量刑に関するガイドラインは機械的な判断になってしまうということで反対勢力があったようだ。個人的にはこういったガイドラインは賛成のため、新しいものに対して、反対勢力が発生するのは組織的な力学において常に発生するものかなと感じた。

2022年4月23日:読書のもやもやを話して考える時間「教養とは何か?」

 今回のテーマは「教養とは何か?」でした。

〈持ち寄られたテーマ〉
・地球外知性が必ず読書をすると思いますか?(知性があるものは読書をするはずなのか?)
・生活に影響を与えるほどの衝撃的な本との出合い、そういう体験を聞いてみたい。例えば三島由紀夫の『金閣寺』など。
・教養とは何か?ある本によると、社会のリーダーが最低限もっておかなければいけない知識とあるけど。

つやまさん
 今日は「教養」をめぐって話しました。以下ような話題が特に興味深く感じました。

・本には文字情報以外の内容が含まれているのか。(言葉による伝達の限界について。)
・教養は社会や他者のために活かしてこそ意味があるのか。(教養は書斎にあるのか、現場にあるのか。)
・教養は否定神学と同様に、「~でない」という否定形でしか定義できないのではないか。
・生きるのに教養は必須か。教養には知識量だけではなく、常識や品の良さ、想像力などが不可欠なのではないか。
・既存の価値体系の外側や先にあるものを想像、志向することの大切さ。(いったん知識を全部捨てることも必要なのかも。)
・資本主義の良いところ、自由と豊かな生活。

最近読んだ茂木健一郎さんの本で、人工知能の知性と人間の知性は根本的に異なっており、前者が圧倒的なデータ量と計算速度を根拠にしているのに対して、後者は生物としての身体性をもって「生きる」ことが根底にあると説明されていました。また、既にわかっていることの外側を想像する能力が、人間の知性を発展させてきた、とも。今日の対話でも、教養と生きることや想像力とのつながりが指摘されていて、通じるものを感じました。ところで、茂木さんは世間的に「教養人」として認識されているのかどうか、少し気になりました。教養って難しいですね。

よしだ
 今日のテーマも何か明確な答えが出たわけではないのですが、個人的には想像力と教養が関連するもののように思えました。思えば、「教養がない」と非難されるシーンをテレビや最近ではSNSで見聞きすることがありますが、それは多少なりとも軽薄な言動をしたときにそう非難されるように思い出されます。(図らずも)軽薄になってしまうのは他の誰かの気持ちを想像することができないからではないかと考えると、教養と想像力がつながります。学問としても文学や歴史などが一般的には該当すると思われ、それらが人間や社会そのものについて考える学問だとすると教養は想像力とつながっていきます。
 教養とは考えれば考えるほどよく分からないもので、よく分からないものなのに言葉や概念として使われていることが不思議でなりません。でも人について想像するための知だと考えれば、よく分からないけれども漠然と必要に思えるもの、少なくとも気になってしまうものなのだと納得もしてしまいました。

2022年4月22日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』カント著/中山元訳
 短編が合本されたような本で、今回は『啓蒙とは何か』を読みました。冒頭の「啓蒙の定義」のところからカントはとばしています(?)。

「啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。」

人間が啓蒙された状態とは、自分で考えて、その考えにもとづいて選択や行動や議論をしていくような状態を指しているのだと思います。誰かの考えをそのまま自分に投影させたり自分で考えずに教えを請うたりはしない状態です。
 カントはさらに「人間性の根本的な規定は、啓蒙を進めることにあるのである。」とも言います。これは人間は啓蒙に至ることを自然と求める性質をもっているという意味だと解釈しました。これはマズローの自己実現欲求に対する考えとも似たものであると感じ、他方でそこに至らない未成年状態とはフロムの『自由からの逃走』で同様の指摘がされたりハイデガーが「世人」(100de名著で観ただけですが)として批判したりする状態であるとも言えそうです。つまり、啓蒙とはそこに至るのは相当難しく一般的ではない、であるならば人間性の根本的な規定と言えるのだろうかと思ってしまいました。啓蒙とは相当に特別な状態なのではないかと。
 そんな感想を読書会で共有すると、でも啓蒙の兆候を例えば子育てにおいて見ることがあるという話がされました。啓蒙へ向かおうとする芽を人は確かに出すことがある、でもそれが摘まれてしまうことも簡単にされてしまうのではないかということです。人の本質とは何なのかとは難しい問題なのだと改めて感じました。ある性質をもっていたとしてもちょっとしたことで別の方向へ進むことがあり、その方向転換の連続の上に今の自分や社会の状態があるのだと思いました。

2022年4月21日:読みたい本を気ままに読む読書会

Yamaneさん『沖縄と国家』
 二人の作家の対談で、読みやすいです。でも、内容は、やはり重いです。それは、批判が、日本国という国家だけでなく、本土出身の私にも、向けられているのを感じるからです。偽善的な傍観者である自分を認めざるをえません。いや、傍観者にさえなっていなかったでしょう。ほとんどなにも知らなかったわけですから。『沖縄「戦後」0年』という言葉が、印象に残りました。

つやまさん『母性社会日本の病理』河合隼雄
 日本人や日本社会に起きている諸々の問題について、その深層にある「母性」との関連から考察されている心理学の本です。今回は『「夜の意識」とイメージ』という章を読みました。
 普段私たちは知識や合理的性にもとづく「昼の意識」によって安定した日常生活を送れているが、意識のもう半面には不明瞭で非合理的な「夜の意識」がある。「夜の意識」は言葉にして説明できるような明確さには欠けるが、イメージがもつ生命力がある。その非日常の力は人を惹きつけ魅了することで日常を生きる活力を与えるが、時には破滅をもたらすこともある。神話や物語として語り継がれてきたことは、「夜の意識」で体験されたことであると考えられ、論理的な整合性よりイメージの豊かさが重要である。例えば日本神話のイザナギとイザナミの話では、地上の世界では産み育くむ愛情深い神であるイザナミが、地下の世界(黄泉の国)では生命を滅ぼす恐ろしい死の神として描かれている。イザナギは常識が支配する地上の世界から、イメージが支配する地下の世界に降りることによって、「母性」の二面性という真実を知ることができた。現代人は「昼の意識」ばかりを重視しがちだが、昼と夜の両方があって1日であるように、夢などを通して「夜の意識」に耳を傾けることも大切である。
 「母性(原理)」には「包含する」はたらきがあり、産み育てるというポジティブな面がある一方で、呑み込み死に至らしめるというネガティブな面がある(ちなみに「父性」には「切断する」はたらきがあり、やはり建設的な面と破壊的な面がある)。欧米社会は個人の自立と自由を前提とした「個の倫理」が強いのに対して、日本社会は集団の均衡を第一に考える「場の倫理」が強く、誰もが「場」の被害者であると言ってよいほどであるが、これは日本が「母性」優位な社会であるためと考えられる。不登校や対人恐怖症といった日本人に多い現象も、深層に「母性」のネガティブな面の影響があると考えられる。日本人が(戦時中などに)見せる曖昧さと極端さは矛盾しているように見えるが、母性のはたらきによって集団の内に向けられる平等性と、外に向けられる排他性という二面性から説明できる。

yuさん『赤い魚の夫婦』
 メキシコの女性作家の短編です。5つのうちの3つ目「牝猫」を読みました。20pくらいでちょうど読み終わりました。メキシコに住んでいて外国の大学院に進学をしようと思っている大学生が捨て猫を飼うことになるところから始まります。同時期に予期せぬ妊娠をするのですが・・私たちは選んでいるようでいて何一つ選んでいないのかもしれない。進学と生殖。動物と人間の関わりなど、ぎゅっと詰まったお話しでした。

 グループで話した時に国連はカントの思想を参考にしているや、沖縄の問題など話しました。返還までドルが流通していり、反対運動して投獄されたりしたそうです。
 ドイツからの参加者もいらっしゃいました。

2022年4月17日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『奇跡のリンゴ』石川拓治著
 無農薬・無肥料のリンゴをつくることに成功した人の物語です。著者はご本人ではなくライターの方です。
 無農薬・無肥料をリンゴで達成することは驚くほど難しく、無農薬にした途端に虫や病気にやられて葉は変色して落ちていき、花も実も全くならなくなったそうです。しかし取り憑かれたように試行錯誤し、なんとか続けていくなかで、8年目の春にようやく2つの実がなりました。つまりそれまでの間は全く収穫なし、収入なしだったのです。
 あらゆる試行錯誤が全くだめだったなかで実をつけられるようになったきっかけは、「もうこれまでだ」と夜中に森を徘徊するなかで見つけた自然に自生するどんぐりの木でした。どんぐりの木は農薬も肥料もないのに葉は虫や病気にやられることなく、実をならせている。そのどんぐりの木だけではなく他の自然の木々や葉や実も同じく無農薬で無肥料。なぜそんなことに気づかなかったのかと思うかもしれませんが、没頭するとはそういうことなのかもしれません。
 それから自分のリンゴ畑に生態系を再現していったのだと私は解釈しました。でも生態系はとても複雑で、自分でコントロールできるようなものでもありません。菌や虫や雑草に、この畑ではこういう風に活動しなさいと命令することなどできないからです。よく観察しよく知り、どうにか成ることができたリンゴを分けてもらい自分の生計をたてる。自分も生きていく。人間も生態系の一部となることではじめて無農薬・無肥料のリンゴができたのだと思いました。
 こういった不可能を可能にしたような人に対してどう思うのかと考えていました。すごいとも尊敬とも違う。ありがたい、なのではないかというのが今日思ったところです。

2022年4月15日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『はてしない物語(下)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 主人公は魔術師の手下・甲冑軍団(のようなもの)と戦い勝利します。魔術師は抵抗するでもなくあなた様のもとに仕えますとあっさり降伏しました。
 魔術師は主人公のもとに実際に仕え、よいしょするような態度や言動でいます。その魔術師に主人公は聞きました。手下の甲冑軍団はなぜ中身が空なのに動いているのか、と。魔術師曰く、私の意志の力で動いている、中身が空だから私の意のままになる。

 すこし話は戻って、この物語では主人公の望みが叶う度に記憶がひとつ消えるという設定になっています。たとえば、容姿がかっこよくなりたいという望みが叶えば、かっこよくなかった自分に対する記憶が消えました。

 魔術師は甲冑軍団を中身が空だから意のままに操ることができました。これは別の見方をすると相手の中身を空にしてしまうことが自分の意のままに操るための第一歩とも言えます。そして魔術師は主人公をよいしょしています。
 時代劇などを思い出せば、若い殿様が老獪な側近に懐柔されて操られていくことがあるので、主人公と魔術師はそんな関係になっていくのではないかと想像できます。加えて、望みが叶うことで記憶が消えることも中身を無くしてことを意味しているように推測できますが、望みが叶って過去の記憶が消えることがすなわち中身が無くなり誰かに操られていくことを意味するのかというと、まだそれは合点がいっていません。ただの過ぎた推測なのかもしれませんが、先を読んで確かめていきたいと思います。

2022年4月13日:読みたい本を気ままに読む読書会

あじこさん『モンテレッジオ 小さな村の旅する本屋の物語』
 イタリアのベネツィアにある古書店の店主から、「自分の祖先が住んでいた村は皆、本の行商で生活をしていたんだ」ということを聞いて、現地に行って話を聞いているうちに、著者はその村が大好きになっていきます。
 その村では、出稼ぎの行き帰りに頼まれて本を探してきて売ったり… そうこうしているうちに本の行商が本業になったようです。
 行商人たちは文字が読めなかったにもかかわらず、要望に合った本を探しあて、お客さんに届けたそうです。

 雑談の中で、大学のはじまりについて聞きましたが、あたりまえに享受しているものも、誰かの「これをどうしても…」という情熱や、「こうなったらいいんじゃないか」という工夫で今の形になっているということを確認できました。ふだんはすっかり忘れていますが。

よしだ『はてしない物語(下)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 読書会後もすこし読み進めて、、主人公はファンタジーの世界から現実の世界へ戻ろうとするのだけどなかなか戻れないというシーンでした。僕たちの世界でいうと足がどうしてもそちらに向かわない、学校に行かなければいけないのはわかっているけどどうしても朝起きれないという感じでしょうか。
 主人公は、一直線に現実世界に戻る道を見つけることを諦めて、ある人のところへ向かうことを決めます。その人はきっとなにかを教えてくれるはずだと信じて。
 物事を厳しく捉えるならば、人に頼らずに自分で考えて、意志を強くもって、ただ一直線にそこに向かうのみ、と言われちゃうかもしれません。しかしその人が目的地に着けばいいということだけ考えれば道のりはどうであってもいいはず。真っ直ぐに向かうことはそのときの主人公には合っていなかった、できない方法だったということなのだと思います。だいぶ脚色していると思いますが、そんなこともあるねと思いながら読んでいます。

2022年4月10日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『はてしない物語(下)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 現実世界からファンタジーの世界に飛び込んだ主人公は、容姿や運動神経など望むものはなんでも手に入れられる力を手にしました。でもそれは、あるお守りを持っているからで自分の力によるものではありません(ところで自分の力とは何か、という疑問はありますが…)。その力の正体を知っている主人公の友達は、主人公が遂げたことをすこし訝しがるようにみています。その友達に一番認めてほしいと思っている主人公は、現実世界で自分が最も得意としていた物語をつくる力を発揮していきます。
 このあと、主人公はファンタジーの世界から現実世界へと戻るはずですが、現実世界では望んで手に入れた容姿も運動神経も元に戻ってしまいます。主人公は容姿や運動神経が元から今のままだと思っており、現実世界での自分の姿を忘れてしまっています。現実世界に戻った主人公は自分の姿をみてどう思うのか、というのが今の読書の関心ごとです。
 本当の自分の姿を知ってがっかりするというのもあるかもしれませんが、ファンタジーの世界で得た経験をもとに自信を培っていくという方向もあるのかなと思っています。ファンタジーの世界と現実世界で、主人公の精神的な部分はおそらく変わっていません。であれば、現実世界でイケていなかった自分(そういう設定です)は、認識の問題でありある種の幻想と言えるのではないか、そんな風に考えていくのではないかと勝手に想像しています。特に子どもの頃はちょっとした出来事で立場が大きく変わることもあったような気がしますし。現実と幻想のどっちが現実なのだろうと、そんな変なことを考えてしまう本です。

2022年4月9日:テーマのある読書会「会うこと」

yukikoさん『ほどよく距離を置きなさい』
 1か月ぶりの読書会でした。
 やっぱり話をすると自分の頭が整理されて、対話って大事だなあと再確認した次第です。

 紛争の渦中にいると大事なものが見えなくなり、俯瞰でものを見ると見えなかったものが見えてくるらしいです。
 話す=離すという考えは、問題の解決にはならないかもしれないけれど、一度、問題を手放すことで先に進んで行けるという視点は今後の人生の指針になるかもと思いました。

つやまさん『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学』磯野 真穂
 帯の「自分らしさはあなたを救うか?正しさは病を治せるか?生の手ざわりを求めて」という言葉に惹かれて手に取ってみました。現代社会で一般的な通念となった個人主義やリスク管理が徹底されることによって、私たちは他者や世界の「手ざわり」を感じることが難しくなってしまっているのではないか、というようなことがテーマのようです。
 人間にとっての「現実」は、実際に自分が体験していることだけではなく、個人を超えた文脈からも影響を受けて形作られます。また、「経験」には、自分や身近な人の実際の体験に基づく「近い経験」と、専門家の知識などが体系化された「遠い経験」の二つに分けられます。予防医学が発達した現代ではメディアなどを通して様々な「遠い経験」が共有されるため、病気になるリスクを現実の苦しみとして感じやすくなります。また、リスクの感じ方はどのような文脈を選ぶかによって変動するため、情報や選択肢が多い現代では不安定になりがちです。結果として、現代人はリスク回避に多くの労力を割くのが当たり前になってきています。例として、食べ物に含まれる食品添加物の情報に敏感になるあまり、もはや味そのもので食事の美味しさを判断できなくなってしまった人の話などが紹介されていました。
 環境をコントロールしたいという欲求によって人類は進歩してきたのだと思いますが、それによって生きている実感が希薄化してしまうのは皮肉だなと思います。著者はどんな対処法を提案しているのか楽しみに読み進めたいと思います。

2022年4月7日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『はてしない物語(下)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 主人公はファンタジーの世界に飛び込んで、望むものをなんでも叶えられる力を手にしました。まずは容姿をシュッとしたものにし、次に運動神経の良さを身につけました。その次には試練を求め、それを乗り越える過程で勇気も手にします。
 主人公は何かを手に入れたあと、手に入れる前の自分のことを忘れてしまいます。最初からその状態だったと思い込み、手に入れる前の自分がどうだったかを忘れてしまうのです。
 変わっていくことのいいところは、その人自身が生き心地が良くなることとともに、変わる前と後の2つの経験をしていることにあるように思います。いろいろな人の気持ちがわかることは、なんとなく、平和に近づくひとつの方法のように思います。
 自分が最初からその姿であった、力を持っていたと思うことにも何か問題があるように思います。それを自分の力で得たと思っていれば、分配しようとは思わないでしょう。助けるから助けてもらえる(その保証はないけどそう信じる)のであれば、成果の出どころをしっかりと認識しておくことは、長く生きていく上で重要なことのように思いました。
 著者のミヒャエル・エンデは随所にメッセージを込めているような作家だと思っているので、いろいろと詮索しながら読んでいます。

2022年4月6日:読みたい本を気ままに読む読書会

JPさん『詩を書くってどんなこと』
 今日はまた続きを読みました。
 参加者の方から「詩が好きなのですか」と訊ねられて、すぐにイエスといえない自分がいたのでハッとしました。そもそも、どうして私はこの本を手に取ったんだっけ。。思い出せない。不意をつかれました。
 本を読み進めながら、「詩」というものの正体が少しずつ明らかになるにつれて、私にとっての「詩」はこれまでとは違うものになっている。対象としてみれなくなっているというのが、今の感覚です。質問をしてくださった参加者の方にお礼を言いたいです。また続きを楽しみに読みたいと思います。
 国語の参考書を読書として読んでいらっしゃる方がいて楽しそうだったので、私も学生時代の教科書を今読んでみたらどうだろう、と考えていました。詩も小説も読むべきときというのがあるのかもしれない。それは人によって色々で、いつになるかはその人の成熟にもよるだろうし、「出逢うべくして出逢う」みたいな魔法が起こったりするかもしれない。教科書を持たない年齢になって、ようやく教科書を開く年齢になるってこともある。

yuさん『現代文解釈の基礎』
 2人の編者がいる国語参考書です。短文と例題。解答がついています。小説を読むときに最も大切な部分、主人公の輪郭について読みました。テスト問題もありました。

 他の方との会話では「詩」についての話になりました。科学者で詩人がいて「言葉にはならない領域」と、「自然や宇宙の広大さ」と、「ちょっとしたこと」の大事さについて考えました。

よしだ『いつも「時間がない」あなたに』センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール著/大田直子訳
 天動説から地動説へと適切とされるモデルが変わった糸口は、それまで常識とされていた天動説に則るとある星の動きがわずかにズレてしまうところにあった、みたいな話を読んだことがあります。船乗りたちの長年の疑問をある人物がこんつめて考えた結果、地動説の方がうまく説明できることを発見したというのです。ほかにも、かの有名な科学者が「自分は先人たちが残した功績のわずかなほつれを直しているだけだ」と言っていたとかいないとか。
 ほんの小さなズレやほつれに実は大発見が潜んでいる。でもそれに打ち込んでいる人がいたら、そんなところ気にしなくても…と思ってしまうかもしれません。効率とは何かと考えさせられました。
 また同時に、過去の偉大な科学者は神を信じていたという本を読んで意外な印象をもっていたのですが、その謎も少し解けたような気がします。ほんの小さなズレやほつれを解消し、より完璧で美しい物事のあり様を発見したとき、これは神の存在がなければ説明できないほど完璧で美しいと思ったのではないかと思えてきました。世界をじっとよくみていくと、どんどん不思議に思えていくのかもしれません。
 自分の読書とは関係ないですが、そんなことを思った読書会でした。

2022年4月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『はてしない物語(下)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 主人公が現実世界からファンタジーの世界に飛び込んでいった後のところを読んでいます。
 主人公は求めるものをなんでも叶えられる力を手にしています。「汝の 欲する ことを なせ」という言葉をもとに前に進んでいるところです。
 印象的だったのは、助言役として居るライオンが、望む通りに生きることはむずかしくて危険な道であると言っているところでした。こんな言葉を主人公に対して発します[P69]。

「この道をゆくには、この上ない誠実さと細心の注意がなければならないのです。この道ほど決定的に迷ってしまいやすい道はほかにはないのですから。」

 自分が望む道とは、誰かが望む道ではないという意味で、周りから自分を引き離すことが伴うように思います。孤独を伴うことであるように思いました(だからシチュエーションが砂漠だったのか…!)。なにかに惑わされることも多くなるし方向を失うこともあるということなのではないかと思います。エンデがこの後どのように描いていくのか楽しみです。

2022年4月2日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『クオリアと人工意識』茂木健一郎
 昨今の人工知能の目覚ましい進化を背景に、人工知能の知性が人間並みの水準に到達したとき人間と同じような意識やクオリア(感覚や体験に伴う質感)が芽生えるのか、知性の面で人工知能が人間を圧倒したときに人間の存在意義をどこに見出だすかといった問題に対して、脳科学や量子物理学や情報工学、哲学や心理学や文学など様々な学問分野の知識に基づいて探究されています。以下は特に印象的だったところです。

・人工知能が人間の知性を遥かに凌駕したとき、人間の存在意義を支えるのは「知性」を持っていることではなく、ただ「私」が「今、ここ」に「意識」を持って在ること、になる。
・人間は、今知っている範囲の外にある「真理の大海」の存在を想起する能力によって知性を発展させてきたが、人工知能がこのような能力を持てるかは現時点ではわからない。
・「意識」や「クオリア」についての認識は人によって大きく差がある。あまりに当たり前の現象であるため、メタ認知の能力が必要になる。
・事物を様々な質感で表象する「クオリア」と、特定の事物に注意を向ける「志向性」は意識の基本的な性質である。クオリアには「感覚的クオリア」と「志向的クオリア」があり、私たちが何かを認識するときには、両者が結びついて意味づけがなされる。
・私たちはクオリアの「オーバーフロー」の中に生きており、そのほとんどは認識や記憶をされずに消えていく。意識は脳全体の情報をクオリアを通して「私」という枠組みの中で統合する役割を果たしている。
・人工知能の研究者の中には、人工知能の知性が向上していくと、自然に意識が「創発」すると考えている人も多い。しかし、意識の本質は生命がもつ「いきいき」とした感じにあり、それは身体性をもつ生命が現実の時間と空間に適応して生き延びようとする生命力に由来する。人工知能の前提になっている抽象的な計算には「いきいき」のクオリアは宿らない。意識は「生命」の随伴現象であるが、「計算」や「知性」の随伴現象ではない。
・私たちが自分で様々な選択しているという「自由意志」の感覚は、脳が作り出している壮大な幻想である。意識が物質である脳に介入してコントロールすることは、現在の科学の常識では不可能である。
・人間は身体性と結び付いた直観という形で判断基準を曖昧にできており、「無意識なる偽善者」であるがゆえに正気を保てている面がある。
・覚醒している間は、「心理的現在」がつながって「意識の流れ」が生じることによって「私」の継続性が保たれる。睡眠などで意識が途切れてもその前後で「私」の継続性が保たれるのは、記憶を手がかりとした統計的推定が無自覚に行われた結果である。
・脳全体をコンピュータ上で完全にシミュレーションできたとしても、それは意識が発生することを意味しない。気候変動のシミュレーションで実際に異常気象が発生するわけではないのと同じ。
・哲学者のベルクソンは、過去のイメージの痕跡を「純粋記憶」と呼んだ。これは、意識が体験するクオリアうち、明示的な記憶としては脳に残らなかったものの、それを体験したという事実は存在したということを指していると解釈できる。
・人工知能の研究者の間では人間的な領域から離れていく極端に「否定神学」的な論調が目立つが、人間の生命や身体性、意識について掘り下げていく「肯定人間学」的な態度が大切。
・一人ひとりの意識が別々にあるというのは幻想で、この宇宙にはたった一つの「意識」(の「在り方」)しかない。

 サイエンスの本というよりは哲学書を読んだような読後感でした。。読書会での対話も興味深かったです。

小澤さん『人類が進化する未来 世界の科学者が考えていること』
 本書は世界の科学者に自身の専門分野も含めて、今後の未来をインタビュー形式で話してもらっている。もともと雑誌のインタビュー記事を集めた物なのでさっくり読むことができる。

 本日読んだ章は「目に見えない」宇宙の秘密、人類は「自己家畜化」に陥っているの2つ。後半の章を話をすると、著者はジョセフ・ヘンリックさん。人類学者。「文化-遺伝子共進化」という考え方を出している。(著書を読んでいないので誤読しているかもしれないが)文化(環境)と遺伝子のどちらが重要か?という二元論ではなく、相互作用をしているという考え方。

 最近ではクリスパー・キャス9といったゲノム編集の分野で進歩があり、人類に対するさらなる変化が出てきているように見える。しかし、ヘンリックさんからすれば人類ははるか昔から「文化-遺伝子共進化」をすすめてきているという。たとえば、アーチ状になっている「土ふまず」は狩猟時代にできた進化である。そこから考えるとゲノム編集などもその延長といえるというのがヘンリックさんの考えのようだ。

 個人的にもそういった技術はできてしまう以上、進歩させてしまったのがこれまでの人類の歴史だし、うまく付き合う方法を考えたほうがいいのだろうなと思った。

yuさん『変身』
 印象に残っているのは、煙たがっていた存在の虫になった長男がいなくなった時の家族の反応です。隠したい存在だけど大事な存在。世間体とか社会とかなかったらそういう反応にはならなかったのでは?と思いました。そして読んだことあるようなきがしていましたが細部にわたって覚えていなかったことです。

2022年3月31日:読みたい本を気ままに読む読書会

JPさん『詩を書くってどんなこと?ーーこころの声を言葉にする』
 「縄文時代に生きた人びとには「自己」という観念がなかったのでは」という他の方の仮説について興味を持ちました。本当にそうだったとして、「自己」が集団からもぎ取られる瞬間てどんなときだったんだろう、とか、そもそも「自己」が観念できないってどんな感じだろうと考えようとしました。自転車が乗れなかったときの自分に戻れないような感覚になりました。

yuさん『変身』
 古典新訳文庫で読んでいる所です。
 虫になったら虫の目線から、物事を見るようになる所が、与えられた環境に適応するってこと?かな。書かれていることのそのままの意味ではないような。誰にどう思われるとかそんなの人間のちっぽけな悩みなのだろうなと思いました。ユーモラスです。

 詩についてや生きがい・哲学、目に見えないし意味は掴めないけどないところにあるものがあることを考える時間でした。言葉にすると無くなってしまうもの。

よしだ『14歳からの哲学』池田晶子著
 この本はとてもわかりやすく書かれているのですが、読んでも自分のものになることはないように思います。知識や情報が載っているわけではありませんし。でも読んでみて、自分で考えなきゃ、と思わせてくれる本です。今日は「自分とは誰か」という章を読みました。勝手に自分で想像を巡らせながら。
 「自分とは誰か」に一足飛びにいくまえに、自分というものがなければ生きていくことはできないのか、ということを考えていました。たとえば現代では、「自分で考えなさい」などと言われ思考や言動には個人の責任が問われます。法律でも、罰則などは個人に与えられることが前提です。「自分って何ですか?」などとは、本当はそう思っていても現代では通用しません。
 それに対して、たとえば狩猟採集時代ではどうかと、あくまでも想像ですが考えてみました。夜、たき火を囲みながらこんな話をします。「最近、猪が獲れなくなってきたなぁ」「木の実とかも獲れなくなってきたし猪が食うものもなくなってきたんでねぇか」「そろそろ、時期かねぇ」と話し、そのまま寝ました。翌日起きると、大人たちは石斧などの良くできた道具だけを束ねて次の地への移動の準備をしていました。前日の夜に「明日はこうするぞ」と誰かが言ったわけでもないのに。
 いつも一緒にいる人たちだけで生活しているとき、個人の意見や意思決定などといったものはなくてもいいのではないかと思ったりしました。また狩猟採集時代、人間は協力し合いながらでなければ自然界を生きていけないので、他者は一蓮托生の仲間であったといいます。そのような「あいつが死ねが俺も死ぬ」状態であれば、自分と他人という分けもあまり意味のなさないものであったのではないかとも思ったりしました。
 狩猟採集までさかのぼると少し行き過ぎに思われるかもしれませんが、ムラの寄合などで見られたであろう合議制や空気による決定などもそこまで「自分が」というのは問われなかったのかもしれません。みんなで状況をともにしているから、なんとなく答えは決まっていく。
 「自分」というものは絶対的に存在してきたものなのではなく社会環境によって生み出されたもの、そんな風に思えてきました。自分というものへ少し近づけたような気がします。

2022年3月29日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『いつも「時間がない」あなたに』センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール著/大田直子訳
 今日は欠乏が思考力に影響を与えるというところを読みました。
 知識量などではなく推論力などを測るテスト(IQテスト)をするのですが、その間に質問をはさみます。質問1は「自動車が壊れて修理費用"3万円"がかかる。費用は保険会社と折半になるが、その修理を行うか判断してください。」というもの。質問2は修理費用を10倍の30万円に変更したもの。これを1人の被験者にぶつけます。すると、質問1の後のIQテストよりも質問2の後のIQテストの方が結果が悪くなるというのです。しかもその悪くなり具合は優秀(質問1後)から平均(質問2後)に落ちるほどの影響具合なのだとか。学力偏差値でいうと50台後半から50まで落ちるイメージなのだと思います。
 1万5千円(3万円の折半)は頑張れば払えます。しかし15万円は工面する必要が出てくる金額です。だから被験者は質問2の後は工面の仕方にあれこれ頭を巡らせてしまいます。そちらに気を取られている分、IQテストに割ける処理能力が減ったという説明でした。テストにどのような精神状態で臨むかでここまで差が出る可能性があることには驚きでした。

 他の参加者の方でマインドフルネスの本を読んでいる方がいました。マインドフルネスとは身体が受け取った刺激や内部で起きている反応そのものをそのまま受け取ることと解釈しました。今ここに集中する、という言い換えもよく耳にします。
 私が読んでいた本の他のところでは、消防士は、現場に駆けつけること・救助の段取りをすることに集中しすぎるあまり、現場への移動中にシートベルトをし忘れて交通事故の死亡率が高いという事例も紹介されていました。マインドフルネスに対する理解は浅いのですが、消防士の現場への急行もマインドフルネス的であるような気もします。しかし結果は交通事故での死亡率が高まってしまいます。
 生活はいくつもの出来事が並行して起きていることも多いような気がします。その分マインドフルネスであれる時間というのは貴重だといえるのかもしれません。そういう時間を大事にしたいと思いました。

2022年3月26日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』東畑開人
 第6章の「スッキリとモヤモヤ」、心の守り方について書かれている章を読みました。
 生きている中で遭遇する辛いことや理不尽なことで傷つくのを避けるために、人はそれぞれに心を守る戦略をとっている。例えば対人関係で傷つけられるような場面では、論理的に反論してやり込めたり、感情的に怒ったり泣いたり、まるでなかったことのように扱ったり、自然体で受け流したりなどがある。それはほとんど無意識的に起こる心の反応なので、その人の性格の一部であるとも言える。しかし心の守り方を意識化して色々な戦略を身につけておくことで、状況に応じて使い分けることが可能になり生き方に柔軟性が出てくる。
 心の守り方を考える上で、「スッキリ」と「モヤモヤ」という補助線を使って整理すると見通しがよい。「スッキリ」は、現在の自分にとって違和感のあるものを外部に「排泄」することで心を守る戦略である。不満や愚痴を誰かに吐き出したり、嫌な人間関係を解消することなどがこれにあたる。一方「モヤモヤ」は、違和感のあるものを「消化」して内部に取り込むことで心を守る。自分の短所を改善することで成長したり、過去の傷に向き合うことで捉え方が変化したりすることがこれにあたる。
 現代社会では、時間と労力をかけて重荷に向き合う「モヤモヤ」より、手っ取り早く身軽になれる「スッキリ」の方が好まれがちであるが、二つに優劣があるのではなく、その配分と順序がポイントである。著者は、まずは信頼できる相手に話すなどして「スッキリ」した後で、一人でじっくりと「モヤモヤ」に向き合うことを勧めている。また、状況によってどちらの戦略が有効かの見極めは大切で、パワハラなどの明らかな「毒」の場合は無理に「消化」しようとせずに速やかに「排泄」するべきであるとも言っている。
 先日、「悩むことと考えることの違い」について対話したことを思い出しました。ちょっと乱暴かもしれませんが、「考える」は「スッキリ」、「悩む」は「モヤモヤ」なイメージです。「排泄」と「消化」が支え合ってうまく機能しているから体が健康でいられるように、心にとって「考える」ことと「悩む」ことの両方が必要なのかなと思いました。

2022年3月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『チョコレートコスモス』
 
オーディションや演劇の話。小説。印象に残っているのは「いきなりできるのはだめ」ってこと。人間の片鱗ってなんだろう。生きていく上での葛藤や苦しみってその人の何に影響するのだろうと考えたりしました。
 あと、ソクラテスの望む2つの死の世界の話も孤独の話もなんだか繋がっているような気もしました。頭の中で考えていない静かな境地が無であり孤独なのかな?

よしだ『いつも「時間がない」あなたに』センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール著/大田直子訳
 目標や欠乏は集中も生み出すけど散漫も生み出すというところを読みました。
 消防士さんは交通事故死が多いのだそうですが、その理由はシートベルトをしていないから。なぜしないのかというと、現場まで急いでいるし、着くまでに段取りを済ませておく必要があるから。つまり移動の間も消火・救難活動に集中しているので、それ以外のシートベルトを締めるなどといったことには散漫になってしまうということです。こういった効果をトンネリングというのだといいます。
 期日があると頑張れます。期日がないとだれてしまいます。こう比較すると期日がある方が良いように思います。でも期日という目標(時間がないという欠乏)は、それ以外のことへの散漫を生じさせているのだと思います。そして何に散漫になっているのかはトンネリングしている本人はおそらく気づいていません。目標や欠乏の、表と裏なのだと思います。

2022年3月24日:読みたい本を気ままに読む読書会

匿名希望さん『こちらあみ子』
 参加者さんと多面的にものを見るデビルズアドボケートの話になったけど、私が読んだ小説も「ズレた主人公」側から見るのか「それに振り回され人生を狂わされる」側から見るのかでまったくちがう。あみ子が明るいのが唯一の救いだけど、その無垢さが刃物のように周りを切り裂いてる。苦しいながら一生懸命あみ子を守ろうしてきたお兄ちゃんを思うと切なくて苦しくなる。熱愛されてきた同級生の子のこころの傷も一生残るんかな。どの人も決定的には悪くないのに。

Soi Tomsonさん『地球 (ガイア) のささやき』龍村 仁 著
本について:
ドキュメンタリー映画「地球交響曲」シリーズを作成した映画監督のエッセイ。映画のこと、映画に登場する人物、場所、旅行などについて書かれている。

本日は”心で想う”という章を読んだ。
心で想うことが現実になるということを、著者は作家である宇野千代さん、そしてアフリカ象のエレナから教えられた経験が書かれている。アフリカ象エレナは著者の作品”地球交響曲”の中で野生動物保護活動家であるダフニー シェルドリックの回で登場する。孤児象だったエレナはダフニーに育てられ、その後野生に還る。その後も二人の関係はつながったままで、ダフニーが3歳くらいまで育てた孤児の象たちをエレナが養母となって野生で生きるさまざまな知恵を教えているというのだ。さらにエレナが自然の中でミルクが必要な孤児を見つけるとわざわざダフニーのもとへ連れてくるという。そのエレナの撮影中に著者が心の中で強くエレナへの感謝の気持ちを想ったところエレナが長い鼻で抱擁し、挨拶をしてくれたという。彼の想いがエレナに伝わったのだと感じたそうだ。種の違い、言葉、時、空間を超えて確かに伝わると。

本の感想:この章を読んだだけで著者の熱いエネルギーを感じた。地球交響曲シリーズどれもが自分の心に響いたのは登場人物が素晴らしいということもあっただろうが、彼の作品への深い想いがあったからなのだろう。今も映画のワンシーンである、ダフニーが草原の真ん中でエレナ!と呼びかけ、遥彼方からエレナがやってくる光景が思い出される。森のイスキアの佐藤初女、写真家星野道夫、宇宙物理学者フリーマンダイソンetc.. インターネットがまだ普及していない時代に私は彼の作品を通して世界を知ることができた。

読書会の感想:毎回感じますが、今回も皆さんが紹介してくださった作品、テーマ、感想がどこかでリンクしていてどれも大切なことに感じた。天災、戦争などによる社会不安がある中でこのように考えをシェアできる場、時間があることがとてもありがたいです。
本日もありがとうございました。

よしだ『はてしない物語(上)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 読書会全体を通して、人はイマジネーションとどう付き合っていけばいいのか考えさせられました。
 未来にどんなことが起こるかを想定して議論しておくことや、あの人は今なにをしてるか・思っているかを想像すること。これらは、今ここにないものを想像する力がなせることなのだと思います。
 しかし時に、イマジネーションは過激な行動を生むことも。その時周りは、あの人は妄想に取り憑かれているなどと揶揄をする。こっち側にいるときはそう思う以外にないし、そんなことはやめてほしいのだけれど、イマジネーションの結果であることにはおそらく変わりはないように思います。
 良いイマジネーション・悪いイマジネーションを分けるものは何か、そもそもそんな分け方ができるのか、そんな疑問が生まれ、同時にすこし怖さも覚えました。

2022年3月20日:読書のもやもやを話して考える時間

 今回のテーマは、「考えることと悩むことは何が違うのか?」でした。

としさん
 いつもと違うパターンで、皆さんの意見が聞けて、とても興味深い会でした。
 それぞれ考えていることが違い、近づくけどまた遠ざかるような、意見を例えると波にも似ていて、理解している間に次の話題に移っていました。メモしたのでもう少し考えて(悩んで)みます。
 私が言葉で悩むときは、英語で理解するのですが、皆さんが集まると英語、ラテン語、ドイツ語、古語と、沢山の解釈が出てきて、これもまた人が集まる醍醐味だなと感じました。
 私は、悩むってとても大切だと思ってたので、最後になるにつれ、悩みが悪いことのような流れになって少し残念に感じました。ですが、自分が思う反対の意見を聞くのが面白かったです。新しい主観を見つけました。でもきっと、やはり私はこれからも悩んでいくんだと思います。いつも有難うございます^^

Soi Tomsonさん
考えることと悩むことは何が違うのかについて思いを巡らしてみた。
様々な意見を聞き、知り、命題について深く考える良い機会だった。
しかし、悩む、考えるということのとらえ方は個人個人の主観的なとらえ方があるのだと感じた。
良い機会なので、語源について調べたところ
”悩む”は「ナユ/萎える」と「病む」の合成語という説があるらしい。身体に影響が及ぶくらい苦しい状態からきた言葉なのだろうか。読書会の中でWorryの語源も「窒息させる」からきたという意見があった。悩むという漢字からからみても「心」「凶+ひよめき」から成り立つ。

一方、”考える”は「かむがふ」からきており、「か(処/彼方)」と「むかふ(向かう/対ふ)」に分けられる。つまり「ことや先のことと向き合う」⇒「調べて/占って判断を下す(おおにしさんスゴイ!)」
という説があるそうです。

個人的には考えるの語源の方がポジティブで勇気ある行為だと感じ、悩むはどちらかというと心が深みにあるようなイメージを持った。
悩む、考えると同じ範疇にある言葉で”思う”、”想う”も浮かんできた。個人的には思い悩むという言葉もあるので悩む寄りなのかなあという印象を持った。

このようにアイデアをシェアしたり、時間をかけて思い・考えを巡らせることができるのも恵まれた環境にあるからであり、平和であるという状況に守られているからだと思います。
読書会の中でも言及されていましたが、このような限られた空間、グループの中で時事問題の話題に触れるだけでも何かのきっかけにつながるのではないでしょうか。

今回もありがとうございました。

よしだ
 今回は私が出したもやもやを(自分で)採用させていただきました。
 考える人・池田晶子さんが「考えると悩むは違う」「悩むのは考えが足りないから」とおっしゃっていたのを観たことがきっかけです。悩むことがなくなったらどんなにいいだろうと思って出させていただきました。しかしそんなに安易なものでもないように今回の時間では思いました。
 答えが出ないような問題だから悩む、そういうときは悩み続けるしかない。悩んだ末に直観が生まれるのではないか。悩むことの打開策は考えることだけではなく行動することもあるのではないかという考えが示される一方で、行動を阻むことそのものが悩みであるという考えも示される。ほかにももっといろいろな"考え"が示されました。私はこの時間は悩んでいたのではなく考えていたと確かに言えるのではないかと思いました。
 会の後の雑談の時間で、言葉にできないことに対して悩むのではないかという考えが示されました。語りえぬものはあるのだけれど、それを語り尽くしていると言えるのか、という格言(?)の紹介も。考えるとは言葉にしていくことそのものを言うのか、いや少なくとも言葉にしている間は悩んでいるのではなく考えていると言えるのではないかと今回思いました。しかし悩むことなしに考えることができるのか、悩む過程のない考えはやさしさに欠けるものになってしまうのではないかとも思います。悩むことと考えることは、それぞれに役割があるような気もしてきました。でもそこらへんはまだ分かりません。

2022年3月19日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』東畑 開人
 この20年ほどの間に私たちが生きる社会は大きな変化を遂げ、家族や会社などの共同体が解体されていく中で、私たちは自由になると同時に孤独にもなった。皆で安全な「大船」に相乗りして生きていくような時代は終わり、一人ひとりがリスクと責任を負って自分の「小舟」で航海せざるを得なくなった。それぞれが自分に合った生き方を模索していくことが求められる時代に、心の悩みを扱うカウンセリングの現場では、誰もに共通する解決策を与えてくれる「心の処方箋」だけではなく、複雑で個別的な問題の見通しを良くすることで解決への手がかりになるような「心の補助線」が求められる。本書では、(架空の)クライアントの物語を交えながら、現代社会をサバイバルする手助けとなる7つの「補助線」が紹介されている。
 今回は「働くことと愛すること」という章を読んだ。フロイトは「大人」の条件を聞かれて、働くことと愛することができることであると答えたという。「働く」ことは他者に貢献できる何かを「する」こと、「愛する」ことは他者を信頼してただ一緒に「居る」ことだと言い換えることができる。「働く」と「愛する」が独立した営みとして存在し、バランスよく支え合う関係が人間には必要である。しかし経済性や合理性が重視され自己責任が求められる現代社会では、容易に「愛する」ことが「働く」ことに侵食されてしまうという。
 例として、重度の不眠症を訴えるクライアントの話が紹介されている。彼女は誰もが好感を抱かずにはいられないような感じのよい女性で、職業面でもとても有能で外資系コンサル企業で順調にキャリアを築いていた。不眠さえ解消されればすべてが上手くいくはずだと訴える彼女だが、著者はその心の奥底に強い不安があり、それを抑え込むためにあらゆる不確定要素をコントロールしようと過剰な努力をしていることを見抜く。父親が極度の学歴主義者だったため、彼女は幼い頃から勉強で成果を出し続けなければ家庭に居場所がなくなるというプレッシャーに晒されながら育ち、処世術としてあらゆることに綿密な計画を立てて確実に遂行する習慣を身につけた。それは学業や仕事で成功を収めるのに役立ったが、他者との利害を越えた信頼関係を築くことを困難にし、遂には眠りという何かを「する」ことを放棄している状態を拒絶するまでに至らしめてしまった。これが彼女の不眠症の真相であった。
 ここまで極端ではないけれど、楽しければいいはずの趣味をしながら「何の役に立つのか」という思いがよぎってしまったり、人間性が一番大事なはずのプライベートな人間関係や自己への評価に社会的な評価基準が入り込みそうになったりと、「する」と「いる」の境界線がぼやけている自分に気づくことがある。いつから、何がきっかけなのかわからないまま、知らず知らずそうなってしまうのが、現代社会に身を置くことの怖ろしさだと思う。ただサバイバルするだけではなく、人間らしくサバイバルするために、この本に書かれている「補助線」はとても頼りになるのではないかと思う。

小澤さん『奇書の世界史2』
「奇書の世界史2」は「奇書」といわれるものを解説している本です。
ここでいう奇書とは、有名な日本三大奇書のようなものではなく(ドグラ・マグラなど)、歴史的な観点から奇書となっていったものを紹介しています。

本日読んだところは「ノストラダムスの大予言」でした。
少し今までの奇書と毛色は違いましたが、予言をこじづけする際にいろいろ考えるんだなと感心します。解釈は個人的には荒唐無稽に感じますが、新型コロナウイルスも予言していたといった説明もあります。

ただ、こういった予言などが流行するのはおそらく現代でも共通していて、人が人である以上、どうしても誰かのせいにしたり、すがったりする傾向があるなと感じました。(おそらくAIに類したオカルトとか)21世紀型の予言の書が出てきてもおかしくないなと感じます。

おおはらさん『それをお金で買いますか 市場主義の限界』
 この本に興味を持ったのは、「売買されるべきものと、非市場的価値によって律せられるべきものを区別するには、どうすればいいか」(書籍より引用)ということを考えたいと思ったからです。臓器売買、生命保険、命名権など多くの事例が紹介され、金銭で売買されることと、それによって失われる可能性があるものについての提示がされています。それぞれの事例についての感じ方は人それぞれだと思いますが、「これは特に道徳的倫理が問われる要素はないのでは?」と思うものもあります。著者の考察を読み進めるうちに、新たな見方で事柄に向き合うことになりました。
 売買されるべきものと、そうでないものを区別することは非常に難しいことで、またそれが本当に必要なのかどうかは、議論の分かれるところだと思います。私自身も答えは見つかりません。私としては、自分なりの価値基準というのを持ちながら生活していきたいということを考えています。

2022年3月16日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『いつも「時間がない」あなたに』センディル・ムッライナタン、エルダー・シャフィール著/大田直子訳
 「時間がない」と定期的に思ってしまう習慣(?)があるので読んでみることにしました。時間がないという焦りは、じっくり考えたり作ったりする活動を阻害し、生産性を下げるのではないかと感じています。でも、期限がないと延〜び〜て〜しまうし、適当でも何かを出すことで始まることもあるから難しい。。
 さて、今回は序章を読みました。この本の副題は「欠乏の行動経済学」です。欠乏について書かれていました。
 ある実験で被験者を飢餓状態にします。そして、1/30秒という短い時間だけ「TAKE」「RAKE」といった文字を表示させ答えてもらいます。結果は、満腹状態の人と飢餓状態の人とでは結果に違いは出ません。しかし表示する文字を「CAKE(ケーキ)」などという食べ物の文字にすると飢餓状態の人の方が正確に答えられたのです。食べ物に飢えているから、食べ物に関わるものに注意が働いていたためと考えられます。
 飢餓状態の被験者は早くこの実験を終えたいと思っていたと言います。それは、お腹がすいて仕方がないからという理由だけではなく、心が全て食べ物に占拠されてしまうから。「CAKE」をより正確に答えられたように、心のなかは常に食べ物のことでいっぱいになってしまい、他のことを考えられなくなってしまっていたのです。
 「時間がない」と思っているとき私は何に欠乏しているのか、考えながら読み進めたいと思っています。時間そのものではないような気がしています。

2022年3月14日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『14歳からの哲学』池田晶子著
 今日は「考える」の章を読みました。多分に解釈も交えて感想を書いてみます。
 「思う」と「悩む」と「考える」の比較がされながら「考える」について書かれていたような気がします。たとえば「人生は素晴らしいか」という問いがあったとき、「素晴らしいと"思う"」と「素晴らしいと"考える"」では、背景にあるこころの行為が異なるように思います。"思う"は既に自分のなかにあるものを言葉として発することで、"考える"はその場で作り上げたものを言葉で発することなのではないかとイメージします。だからその場にいる誰かと一緒に問いに答えていこうとするならば、"思う"ではなく"考える"が必然的に選択されるはずです。"思う"では互いに思っていることをただぶつけ合うだけになってしまう。"考える"であれば、お互いに発見があって別の新しい答えが見つかるかもしれません。(いや、でも"思う"はまだ固まっていない思考で、"考える"はある程度固まった思考という違いのような気もします。まだまだ考えが足りないようです。)
 "悩む"と"考える"の違いは、まだ分かっていません。でも考える力がある人が「悩むことと考えることは違う」と言っているのを何度か見かけたことがあります。著者の池田晶子さんもそうおっしゃっていました。悩むとは考えが行き詰まることを言うのでしょうか。この違いはもっと考えていくことが必要だと感じています。というか考えたい。なぜなら考えることがもっとできるようになれば悩むことも少なくなり、問題を見つけてもおもしろそうと思えることが増えるように思うからです。悩まずに考えるためには、問いの立て方が重要なのではないかと感じていますが、同時に知識の幅や深さも必要なのではないかとも感じています。なんだか、だから本を読んでいるような気がしてきました。

2022年3月13日:テーマのある読書会「会うこと」

つやまさん『THE LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか』ノリーナ・ハーツ
 孤立させられたマウスはお互いを攻撃するようになるが、人間も孤独になると共感能力が低下し他者に敵意を感じやすくなる。近年各国で(極右)ポピュリズムへの傾倒が起こり民主主義社会に深刻なダメージを与えているが、その大きな原因のひとつに孤独があると著者は言っている。数十年にわたる新自由主義、脱工業化、コロナ禍などによる不況により、社会や為政者から見捨てられているという孤独感や疎外感を感じる人が増えており、ポピュリズムが主張する排他的で分断的な社会に惹かれやすくなるという。哲学者のハンナ・アレントは、ナチスのユダヤ人虐殺に加担・追随した人々の背後にも孤独という要因があり、自己をイデオロギーに捧げることにより自尊心を取り戻すという心理があると指摘している。2016年の大統領選でドナルド・トランプが勝利したのは、収入や尊厳を奪われたと感じていた白人労働者階級に、自分たちの声を代弁し救済してくれると信じ込ませるのが巧みだったところに勝因があった。また彼らがはく奪され切望していたコミュニティへの所属意識を、熱狂的な政治集会で愛国心を煽ることを通して満たしてやることでも支持を高めていった。このような人々の孤独感につけ入って煽動する手法は、その後ヨーロッパのポピュリスト政党でも一般的になってきているという。これ以上疎外や不信が広がらないよう、政治家はコミュニティの再建に努める必要があるし、人々は多様な人々を受け入れる寛容さを身に付ける努力が必要である。
 読書会での会話についてですが、人間は孤独なときに不安や恐怖を煽られると抵抗しにくいので、手口を知っておくことが対策かなと思いました。「貧乏」より「貧困」の方が深刻な感じがするのは、関係性の欠如が含まれているからなのかと納得しました。孤独への対処として、コミュニケーション力を高めるより考え方を変える方が有効だったというのは興味深く、徒然草を読んでみたくなりました。あと、大食い動画が世界中でブームになっているのも孤独と関係があると書かれていました。

よしだ『皮膚は「心」を持っていた!』山口創著
 今日は耳以外でも音を聞いている、というところを読みました。割とよく知られた骨伝導では、耳が聞き取れる周波数(可聴域)外の音も聞き取れるそうです。そしてそうした可聴域外の音が心を動かす要素だったりもするようです。つまり、イヤホンで耳からだけ音を聞いていては感動が半減している可能性があるということです。
 耳だけで音を聞いているわけではないというこの例の他にも、目だけで色を感じているわけではない、頭だけで記憶しているわけではない、という例も示されています。人間は全身をフルに使っているのだと思いました。

2022年3月12日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『THE LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか』ノリーナ・ハーツ
 現代はインターネットなどの技術の進歩によって、簡単に人とつながれるようになったにも関わらず、多くの人が孤独を感じている「孤独の世紀」である。21世紀の孤独を考えるときかつてより広い意味で捉える必要があると著者は言っており、親密な人間関係がなかったり大切にされないということ以外に、仕事や社会、政治や経済から取り残されているという疎外感を感じることや、自分自身から切り離されているという感覚も孤独の定義に含めている。その原点は、サッチャー元英首相が「心と魂を変えること」を目的として推進したネオリベラリズム(新自由主義)の台頭にあり、現代人に共同体の繁栄より個人の利益を追及することを善とするマインドセットを植え付けたことにある。価値観の変化はポップソングの歌詞にも現れており、例えば1977年のデヴィッド・ボウイは「ぼくらはヒーローになれる」と歌っていたが、2013年のカニエ・ウェストは「俺は神だ」と歌い大ヒットした。この状況を変えるために、資本主義と公益、思いやり、協力をもう一度結びつけたコミュニティをつくる必要があると著者は言っている。
 他の方が紹介されたアウシュヴィッツ収容所の本で、収容所が地域の経済に大きな恩恵をもたらしていたため虐殺を止めることができなかったという話が印象に残りました。そこまで極端に集約された形ではないとしても、現代でも同じような構造はあるような気がします。読書会の後に「孤独」について話すことができたのもよかったです。

よしだ『はてしない物語(上)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 読んだ本とは全然関係ない感想ですが、孤独とはどういうことを言うのだろうかというのが気になりました。孤独とはネガティブなイメージで捉えられることが多いと思いますが、ときに孤独は孤立とは違うとか、孤独を大事にせよ、ということも言われます。ポジティブ、とまでは言えないのかもしれませんが、決して悪いことではないという考えです。
 孤独について考えるヒントが今日いくつか出たように思います。"みんな"と一緒にいても孤独を感じることがある、自分がしたいことがわからなくなる・自分が何を考えているかわからなくなると孤独を感じる、個人主義的であるアメリカの方が日本よりも人一般に対する信頼指標が高い(孤立感を抱いているわけではない?)、など。おおざっくりで主観たっぷりに考えると、良くない孤独とは自分を感じられないということ、悪くない孤独とは自分を感じられているということ、だったりするのでしょうか。ところで自分とは何なのでしょうか。…こうして沼にはまっていく。考えるって難しい。

2022年3月9日:読みたい本を気ままに読む読書会

おおはらさん『死とは何か』(池田晶子)
(本の感想)
 池田晶子という人は、世の中に対してとてつもなく厳しい視点を持っています。しかし、私にはこの人が、その知性で考え抜いたことをもってして、どう生きるかを迷う人々を助けたいという希望を持っていた、と感じています。そういう意味では、人間に対するやさしさを感じることも私にはあります。これは憶測でしかなく、私の願いかもしれません。
 池田さんが言っていることは非常に難解で、「この点がこうだ」という風に説明できる言葉を私は持ちません。ただ思うのは、「人は考えることができる」という希望を、彼女の死後もなお示してくれていることに、「死とは何か」の答えがあるのかもしれない、ということです。

(読書会で感じたこと)
 読書会に参加したことはほとんどありません。
 私はモノを読んだり、書くことで、自分の考えを表すことのほうが好きだと感じていましたが、新たなものを見つけることができました。
 それぞれが「何者でもない自分」として存在しているように感じました。また、本というものを通じて、それぞれが感じたことを話すということは、互いの気持ちの「やりとり」というより、「共有」しているという感じがありました。そしてそれは、たいそう豊かなものだとも思いました。
 とてもよい経験をしました。
 少々大袈裟でしょうか。でもすなおな気持ちでお伝えします。
 吉田さん、今日ご一緒させていただいた方、ありがとうございました。

おおにしさん『スピリチュアルズ 「わたし」の秘密』
 タイトルの「わたし」とは”スピリチュアル”(霊魂というより無意識という意味で使用)が創造する”人生の物語の”ヒーロー/ヒロインのキャラ(パーソナリティ)のことを示しています。本書は心理学の最新理論「ビッグファイブ」を使って我々のパーソナリティの仕組みを解説する科学書となっています。

 著者はこの「ビッグファイブ」理論を拡張した「他者に出会ったとき我々の無意識が注目する8要素(ビッグエイト)」というものを提唱しています。以下がその8項目です。
(1)明るいか、暗いか
(2)精神的に安定しているか、神経質か
(3)みんなといっしょにやっていけるか、自分勝手か
(4)相手に共感できるか、冷淡か
(5)信頼できるか、あてにならないか
(6)面白いか、つまらないか
(7)賢いか、そうでないか
(8)魅力的か、そうでないか
 誰でも初対面の相手をこの8要素だけで値踏みしていると著者は言っていますが、果たしてそうなのでしょうか?
 最後まで読んで著者のパーソナリティ論を吟味してみようと思います。

読書会の感想
 皆さんの話を聞いていて、大野 晋の日本語論、池田晶子の哲学エッセーを読んでみたくなりました。また、「はてしない物語」については昔とても感動したのにどんな話だったかすっかり忘れてしまったので再読してみたいです。
 最後にマンガの話題で盛り上がったので、マンガに限定した読書会があってもいいなと思いました。

よしだ『はてしない物語(上)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 ファンタージエン国の王女さまを救うには迫り来る虚無に飛び込んで人間の世界に行かなくてはなりません。しかし虚無に飛び込むと、ファンタージエンの住人はそのままの姿ではいられず変わってしまいます。人間の頭の中の妄想に。それは良い妄想ではなく、不安や欲望や絶望だというのです。
 どういうことなのでしょうか。おそらくエンデはこの本でも近代への批判を込めているのではないかと思っています。人間の豊かな想像力が、不安や欲望や絶望を妄想する力に変わってしまったということでしょうか。

2022年3月6日:読みたい本を気ままに読む読書会

としさん『日帰り宇宙旅行 プラネタリウム散歩』
日帰り宇宙旅行 プラネタリウム散歩
マーブルブックス:編

 プラネタリウムは旧東ドイツで(約100年前)生まれ、日本初のプラネタリウム施設は大阪で(約60年前)誕生した。今やプラネタリウム大国になった日本、10年前の本で古いですが、当時のおすすめ情報とともに気になるプラネタリウムをピックアップしました。
 プラネタリウムの基本構造は、光学式投影機、コンソール、デジタル映像システム、音響システム、ドームに座席となっています。座席の配列は、同心円と一方向の2種類。ドームの形も、傾斜型と水平型の2種類。ドームが半円状なのは、私たちの目から見るのと同じように本物の空を再現するためだそうです。光学式投影機は、惑星投影機と恒星球で構成されていて、装置を分離することで、地球以外の惑星から見た太陽系惑星の動きを表現することが可能になるそうです。
 世界最大級のプラネタリウムは愛知県の名古屋市科学館。水平型ドームで、座席は円形状350席あります。座席数だけでも大きいのが分かります。
 ちょっと変わったプラネタリウム紹介では、東京ではお寺でプラネタリウム、京都では豪華客船の中、また、コンサートホールや公民館が一緒になった複合施設、空港、バー、高速のSA。あると思わないところにあるというのは、本当に不思議ですね。
 プラネタリウムは、公営もあれば、民営のものもあり、規模もいろいろ。大きいドームのほうが映し出される星は遠くに見えるため実際の星空に近く感じられるそうです。ピックアップした施設へ機会があれば行ってみたいと思いました。

 今回の読書会では、聴覚の話が印象的でした。普段の生活では、視覚よりも聴覚を特に意識していることに気が付きました。聞こえないのが私には一番辛いかもしれない。

mtさん『クオリアはどこからくるのか?』土屋尚嗣著
 
従来、哲学で扱ってきたクオリアを、科学によってアプローチするという内容に興味を持ち、読んでみることにしました。

 本書は、統合情報理論を紹介するためのものといえると思います。新しい研究領域は2005年に提起され、現状、なにがわかっているのか、わかっていないのか、今後、どのような研究を行うのかが、整理され述べられています。

 ロゴス的なものについて明らかにできる可能性はあると思うのですが、クオリアはどうかなと思いました。

よしだ『はてしない物語(上)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 自分の読書の感想ではありませんが、他の方の本で音楽セラピーの話は興味深かったです。
 読書会の前の「質問「   」について考える時間。」の質問は、「暗闇でしか見えないものは何ですか」でした。そこで話されてことを思い返しなながら聴くことができました。
 音に興味が出てきました。またその一方で、感覚器のなかでも強大な権力を有する視覚にも興味が出てきました。目が大きな地位にあるからこそ、それが断たれた暗闇では普段見えていないものが見えてくるのではないかと思いました。

2022年3月5日:読みたい本を気ままに読む読書会

小澤さん『線の冒険』
 本書は線をテーマとして歴史的なものを取り扱っている本です。
 著者が歴史家ではなく、デザイナーということもあり、線に関する図表が散りばめられていました。図表には書いた人の思考が出てくるのでそれを見るだけでも楽しいです。

 今回読んだ章は「垂直の快感と恐怖」。
 垂直に上がる方向にはゴシック建築、落ちる方向はギロチンや空爆の歴史の話の話などがありました。読んでいる途中は気づかなったですが、上がってい方向は快感で落ちていく方向は恐怖という構成になっていると感想をいうときに気づきました。

サイハさん『はじめまして現代川柳』
 私が詩歌や文学に触れる理由として、他の方からの受け売りですが「自分の中に窓を作るため」というのがあります。
 その窓は他者を知るためのものでもあり自分自身の内面や思考を改めて掬い出すものでもありますが、「今立っている世界から外れた異界」に繋がる接続点でもあると解釈しています。

『はじめまして現代川柳』
 この本には現代川柳の作者三十五人の作品をそれぞれ七十六句ずつ収録しています。
 どの句も日常から足を踏み外してしまったような、十七字で世界の見え方が少しずれてしまうような魅力にあふれています。
 読み終えた後は自分の中に合計二千六百六十個の大切な窓が出来るような句集です。

 他の方に紹介して頂いた本では、まず乱歩の圧倒的な物語構築力、あらすじを聞いているだけで小説の光景が目に浮かぶようでわくわくしました。
 仏教・禅の本からは現実世界と浄土とに同時に生きていた人のお話がとても興味深く、これまで深く関心を抱いていなかった仏教の部門に入る糸口を見つけたような気持ちになりました。
 河合隼雄・吉本ばななの対談本からは「対話は必ずしも結果や解決を出さなければならないものではない」「コミュニケーションの目的は論破ではない」「アウトプットの重要性」などの話題が弾み、自分自身を省みるに限らず、保護者や教育者として子供たちの発育環境を考える機会になりました。

よしだ『はてしない物語(上)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 主人公はファンタジーを読んでいる。つまり本の中で本を読んでいる。ファンタジーに出てくる少年の勇敢さに時には劣等感を覚え時には勇気をもらう。主人公は想像力が豊か(という設定)だからきっとファンタジーの不思議な世界を、自分のことのように体験している。本の中で本を読んでいる主人公の話を読みながら僕は、本を読むことは実体験と遜色のないものに思えてきた。つまり本を読むことは何かの手段というわけでもない。僕にとっての「時間」そのものなのだと思う。
 読書会の前の雑談の時間にVRやメタバースの話になった。たぶん今の価値観だと仮想現実は現実に劣るもの、現実には勝てないものと考える人がほとんどではないだろうか。しかし仮想現実で自由に空を飛べたらどうだろうか、昔憧れたヒーローの必殺技をくり出せたらどうだろうか。しかも自分の意思と連動してだ。それは自分にとってのもう一つの現実になっていくのだろうと、なんだか素直に思えてしまった。

2022年3月4日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『問いからはじまる哲学入門』
 本書は、人間の言語活動である問いを視座として哲学の基本問題を概説している。
 問いには答えがあるでしょうか?とはじめにくる。
 考えても仕方のないようなことをなぜ考えるのかを考えることができるような気もしました。

2022年3月1日:読みたい本を気ままに読む読書会

早川麻子さん『親の期待に応えなくていい』鴻上尚史
 「親の期待に応えない≠親を大切にしていない」この本では、コミュニケーション力があるというのは、誰とでもすぐ仲良くなれることではなくて、「お互いが納得するベターな落とし所をみつけること」。親から期待されることが自分が望むことではない場合は、ちゃんとコミュニケーションをとっていくことが大切。親が理解をしてくれるかは置いておいて…。また、親は育ててきてくれているので、自分の特性などをわかってくれてると思うが、全てを知っているわけではないし、必ずしもいいアドバイスができるわけではない。親子だけど、親も子どももそれぞれ別の人間なのだから、他の人に対するのと同じように、話し合ったりしてコミュニケーションをとることが大切だとわかった。

 大西さんのベイトソンの言うダブルバインドが、親子関係にもあるという話になった。別々の本を読んでいるのに、内容の共通する点が出てくるのはおもしろい。

 私は常々読書会の皆さんは色んなことを知っていて、お話も上手で、教養がある方たちだなと感じています。話を聞いて、知らなかったことや考え方を学ばせてもらっています。ありがとうございます。

Soi Tomsonさん『日本はなぜ地球の裏側まで援助するのか』 草野 厚 著
本について:国際協力とは何かを知る、考える本。著者は国際関係、外交、メディアに詳しい政治学者。
日本の世界における国際協力はODA(JICA, 旧JBIC) 、国連拠出金、世銀、草の根、NGO、自衛隊など多岐にわたる。またその国際協力の意義について著者は人道的観点、経済大国(?) としての責任、日本企業への援助、WWⅡの補償、戦後に日本が受けた援助の返報、安保理非常任理事国への選挙活動などがあるという。

本の感想:長年疑問に感じていたのでこの本を手に取った。しかし、援助の構造や種類が複雑で読み進めるのに大変時間がかかっている。日本の財政状況から援助額は年々縮小されているとはいえ、現在も国連拠出金はアメリカ、中国に続き第三位ということに驚きである。経済規模の違いがあるとはいえ、GDPがOECDの平均値よりも低い日本にとって、国際協力にこのような多額の予算を割り当てても大丈夫なのだろうか。身の丈に合ったバランスの良い国際協力という形を新たに模索できないのか(言うは易しではあるが)。一方で、世界の様々な国に行っても日本人は比較的好意的にみられる(例外はあるが)のは長年の献身的な国際協力のおかげだともいえる。

読書会の感想:ユーモアがありシュールで時に残酷な星新一作品。久しぶりに読み返したくなりました。ベイトソンのダブルバインドについて知り、深く自分を反省し、虚無が広がるという考えに恐怖し、親子の関係は友人関係のように対等であるという考えに”仰る通りです”と再び反省した。皆さんの本やご意見を共有させていただきながら教養を深めることを目指し、これからも読書会に参加させていただきます。ありがとうございました。

おおにしさん『デカルトからベイトソン』 モリス・パーマン
 著者は「グレゴリー・ベントソンこそ、デカルト的二元論を超えた科学の全体像を提示できた二十世紀最大の思想家である。」と述べており、本書はベイトソンによる科学認識論のパラダイム・チェンジを論じたものとなっています。(原著の刊行は1981年ですが、復刊リクエストにより最近再刊されました)

 デカルト以降、人々は神と人間、善と悪、聖と俗など2項対立により世界をとらえてきましたが、ベイトソンは自己も神も悪魔も同じネットワークの中に内在し、それぞれが相互作用しているという全体論的世界観を提唱しました。

 ベイドソンを有名にしたのは、ダブルバインドというコミュニケーション障害の研究であり、統合失調症の原因の一つがダブルバインドにあることを提唱しました。現在の精神治療ではベイトソンのコミュニケーション理論が応用されています。

 私とベイトソンとの出会いは、大学生だったころにさかのぼります。当時、精神世界のジャンルでニューエイジ・サイエンスが注目されていて、そこでベイトソンを知り「精神と自然」を読んで感動したことを覚えています。ベイトソンのことは長い間忘れていましたが、ずっと版元品切れだった「精神と自然」が今年になって岩波文庫として刊行されたのを機会にもう一度ベイトソンを学んでみたいと思っています。

よしだ『はてしない物語(上)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 なんとなく、虚無がテーマなのかなと思って読んでいます。同著者の本である『モモ』では近代のシステム化されすぎた社会への批判がなされていました。この本では、虚無感を生み出す社会への批判や警鐘なのでしょうか。
 読書会では他の方が、想像力がなくなったり現実に呑み込まれすぎたりすると虚無が生まれるということをおっしゃっていて共感できました。想像で生み出すのは虚実の世界。現実と虚実、人間にはどちらも大事ということなのでしょう。その2つの世界をうまく行き来して生きることがバランスがいい状態なような気がします。でも、虚実がないと生きていけないなんて、人間ってなんだか変だなぁ。不思議です。

2022年2月27日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『やせる! 若返る! 病気を防ぐ! 腸内フローラ10の真実』NHKスペシャル取材班
・遺伝子解析などを用いた最新の研究により、腸内フローラ(腸内細菌がつくる生態系)は1つの臓器に匹敵するほどの働きをしていることがわかってきた。また、その影響は一般的に考えられているよりはるかに広い範囲に及び、全身の不調や心の病気の原因にもなっている可能性がある。
・これまでの医学では腸内フローラの働きが見落とされてきたため、腸内フローラの研究は画期的な発見や発明をもたらすかもしれない。原因不明とされてきた病気のメカニズムが明らかになったり、腸内細菌に働きかけることで穏やかに作用する薬などが開発される可能性がある。
・腸内フローラの研究成果は、私たちの人間観にも根本的な影響を与えるものであり、「人間は遺伝子の乗り物にすぎないし、その操縦席に座っているのは細菌かもしれない」と言っている研究者もいるほどである。
・腸内フローラは人間の性格にも影響を与えている可能性がある。遺伝的に臆病な性質をもつマウスと、遺伝的に活発な性質をもつマウスの腸内フローラを入れ替える実験を行ったところ、臆病マウスは少し活発になり、活発マウスは少し臆病になるという性格の変化がみられた。
・腸にある神経細胞の数は犬の脳ほどあり、単体でも判断する能力があると考えられるため、第二の脳ともいわれている。生物の進化の過程を考えるともともとは腸だけですべての判断をしていたのであり、後からできた脳を絶対視するのも考えものである。腸と脳は迷走神経によって密に連絡を取り合っており、相互に影響を及ぼし合っている。うつ病や自閉症などの心の病気と腸との関連も指摘されている。

Takashiさん『死に至る病』キェルケゴール著 岩波文庫
 非難された時、「気にすんなよ」と励まされる。気にしないことは大事で、気にしてばかりじゃ生きていくことさえ難しい。そして「気にしない」人は強い人と見られ、そうありたいと願う人も多い。

 しかし、絶望先生ことキェルケゴールは違う違うと言う。

 気にしない人は快と不快、ラッキーとアンラッキーだけの世界で生きている人で、刺激に反応するだけの虫みたいだと手厳しい。本書には書いていないが、そういう人は「お金がすべてだ」とか「なんで人を殺しちゃいけないの」とか言い出すのだろう。

 じゃあどうすりゃいいの?絶望先生教えてよ!

mtさん『Portrait in Jazz』和田誠・村上春樹著
 タイトルからわかる通り、ビル・エヴァンスのリバーサイド時代のアルバム名が本書のタイトルになっています。和田誠さんが演奏者たちのイラストを描き、村上春樹さんがアルバムを選びエッセイを書いた、という内容です。単行本で出された2冊を1冊の文庫本にまとめ、前半が1冊め、後半が2冊めとなっています。

 演奏者と演奏の簡単な解説、それにまつわる村上春樹さんの回想や感想が生き生きとまとめられていました。前半は知っている演奏者が多く、後半は知らない演奏者が多かったのですが、しかし後半は、スイングしながら文章を書いているのではと思いたくなるような比喩もあり、退屈しないどころか、聴いてみたいと思わせてくれました。演奏者の中には、被差別的な立場やドラッグの影響などでシリアスにならざるを得ないものもあるのですが、笑いの要素が随所にちりばめられ、読みやすくなっています。音楽というかたちのないものが、知識と経験と語彙力、そしてセンスによって表現されていて、見事だなと思いました。

 和田誠さんは、演奏者たちの特徴をよく捉えたおなじみの筆致で、こわそうな人相であっても親しみやすさを感じさせ、こちらも見事でした。両著者ともさすがです。

yuさん『獄中シェイクスピア劇団』
 シェイクスピアの「テンペスト」を現代風に語り直しをした話。一回読んで映画見て読み直しをしていました。どんな話がわかってから読み直した方が、対になる人物が見えてきてよかったです。映画になっている書物は映画から入った方がいいなと感じました。

シロウさん『トランス男性によるトランスジェンダー男性学』
 自分が普段読まないジャンルの本が多くあったので、とても面白かったです。金融の本はとても気になりました。老後の資金を自分で蓄えなければならない時代になってしまった現代に生きる上で、お金との付き合いかたが学べそうだなー、と感じました。

よしだ『はてしない物語(上)』ミヒャエル・エンデ著/上田真而子・佐藤真理子訳
 『モモ』を読んで以来、エンデの他の本も読んでみたいと思っていたので、満を辞して(?)読み始めることにしました。
 まだ序盤ですが、内容としては主人公の少年が、学校の屋根裏でファンタジーを読んでいる描写が続いています。つまり本のなかで本を読んでいるのですが、本の中の本の方が文量に占める割合が大きいという不思議な構造です。屋根裏で読んでいるのは学校にあまり馴染めていないから。少年は自分で想像を膨らませるのが好きだからファンタジーに夢中です。
 エンデの作品には時代を批評するメッセージが込められているように思います。この本がどんなメッセージにつながっていくのか楽しみです。

2022年2月26日:読書のもやもやを話して考える時間

 今回のテーマは「小説はなんで読むのか?」でした。
 ほかにもいくつかテーマが出ましたが、「小説はなんで読むのか?」に通じるものがあったので、今回はこのテーマを起点として話してみました。全体的に、本や読書そのものに関するテーマが多かったように思います。

Takashiさん
 いつもと違った感じの会で面白かったです。
 喋ることをお酒に例えると、普段は読んだ本をつまみにお酒を飲む感じですが、今日はお花見しながらお酒を飲もうか、みたいな感じでした。
 普段の読書会を含め、喋れる会ってニーズがあると思うんですよね。勿論お金儲けにはなりませんし、よしださんみたいに上手く司会される方がいないと続かないので、誰でもできるもんじゃないですけど。
 とにかく喋るのって快感なんですよね。

しょうごさん
 普段できない非常に刺激のある会でした。
 なかなかうまく喋れなかったですが、次の機会があればもっと積極的に話したいと思いました。

つやまさん
 「なぜ小説を読むのか?」という問いは、小説を読むのが自然な自分は、あまり疑問に思ったり言語化したりしたことがなかったので、今回の対話は新鮮でした。自分は科学技術や資本主義に基づいた合理性重視の価値観(これらもある程度必要だとは思いますが、、)へのカウンターとして文学作品を必要としている気がしますが、あまり小説を読まない人がどうやってバランスをとっているのか気になっていたので、そういった話もできて興味深かったです。科学と文学はまったく性質が違うものだが、対立するのではなく寄り添ってあるべきという意見にも同意します。また、どちらも真摯に突き詰めると人間中心の狭い価値観から脱却していくようなところが共通点なのかなと感じました。

よしだ
 私は科学書をよく読むのですが、科学書と小説との対比のなかで話されたのはおもしろかったです。印象的だったのは、科学書は言われてみれば分かるものの先端を突き詰めていくもの、小説は分からないものを描くもの、という考えが示されたことでした。それぞれ好きな方を気ままに読めばいいとも思ったりもしますが、違いが分かるとその時に応じて読み分けてみたくなるような気がしました。

2022年2月24日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『腸を鍛える――腸内細菌と腸内フローラ』光岡 知足
 著者は腸内細菌研究のパイオニアで、「善玉菌」「悪玉菌」という言葉を作った人でもあります。最近「腸内フローラ」(腸内細菌の構成)と全身の健康が深く関わっていることが知られるようになってきましたが、一般に広まっている情報には誤解されている部分も多いそうです。例えば、ヨーグルトなどで生きたビフィズス菌を取り入れることが重視されていますが、実際にはその菌を定着させるのは難しいため、むしろエサとなる食物繊維や発酵食品やオリゴ糖を摂取した方が腸内環境の改善に効果的であるそうです。ただし、死んだビフィズス菌でも腸の免疫システム(腸管免疫)を活性化させる働きがあるので、大量の菌を含むサプリメントには間接的に腸内環境を整える効果があるとのことです。進化的に古い免疫システムである「自然免疫」が活性化されることで、進化的に新しい「獲得免疫」の負荷を減らし、病気に早い段階で対処したり、免疫の過剰反応であるアレルギーを抑制したりできるそうです。腸内細菌の研究は著者の人間観にも影響しているようで、悪玉菌を殲滅しなくても善玉菌が2割いれば全体のバランスは保たれる、などの点は人間が腸内細菌たちから学べることかなと思いました。この本をきっかけに、自分が好きな食べ物ばかりでなく、腸内細菌が好きな食べ物も考えて日々の食事をしようと思いました。と言いながら、ついついお菓子に手が伸びてしまいます。。

yuさん『マスク』
 菊池寛の短編が9つ。タイトルのマスクは8pくらい。
 100年前のスペイン風邪がはやったころの体験。マスクをつける、つけない。自分と同じ、違うことに対するこまかな観察が、面白いことを書いてるわけでもないのに、他人事だからかくすっとついしてしまう。

 また、腸の環境についての菌の比率の話が印象的でした。

よしだ『ビッグ・クエスチョン』スティーヴン・ホーキング著/青木薫訳
 ホーキング博士が、人類がもつ難問に答えていく本です。2019年3月に第一刷が出ましたがホーキング博士は2018年3月に亡くなりました。この本が、ホーキング博士が直接つくった最後の本になるのだと思います。その難問の1つ目は「神は存在するのか?」で、なんとも刺激的です。
 この本を読むにあたっての私の関心ごとは、ホーキング博士が難問にどう答えるのかにもありますが、答えがないであろう難問に取り掛かる人は何を動機としているのだろう、というのもあります。もっというと、人は何のために考えるのだろう、ということです。物理の世界でもおそらく、ある理論が生み出されてはそのほつれを整えるかたちで新たな理論が生まれることの繰り返しなのではないかと思うことがあります。人間や社会について考える人文系の世界では、なおのこと最終解はないのでしょう。しかしそれらの世界で問いをたて立ち向かい続ける人がいます。

 読書会では、詩について書かれた本を読んでいる方がいて、そのなかでは「言葉は道具ではない」という考えが示されていたようです。何かに対して、「目的はなんですか?」と問うことがよくあります。しかし時折思うのは、目的を問うから手段や道具としての意味を考えなければならなくなるのではないかということです。本を読むとき、対話をするとき、ただそれを楽しんでいる、それに集中している。しかし目的を問われると、「なんのためにやっているんだっけ?」と考え始めてしまい、目的的であったそれが手段的になってしまう。「考える」も、似た側面があるのではないかと思ったりもしました。

2022年2月20日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『語りえぬものを語る』野矢茂樹著 講談社学術文庫
 「言葉で表せないものがある」ということを知っている人の方が、言葉で説明し尽そうとする人よりも偉いみたいな感覚が私の中にある。一方で、そこで終了してしまうと人と人とが理解し合うことはできないとも思う。一度言葉による説明を頑張ってみて、そこから言葉で表現できる世界とそうでない世界を分けるべきだろう。

 でももう一人の自分が自分を誘惑する。
 「それって疲れるばっかで意味ねーし。何言われても俺が正しいんだから。俺は俺を信じる。以上だ!」

mtさん『ヘーゲル〈他なるもの〉をめぐる思考』熊野純彦著
 今回は長いこと積読してあった『ヘーゲル』を読んでみることにしました。ヘーゲル理解とは別に、著者の思考の道筋がわかりやすく示されていることに感心しました。先に『精神現象学』を読んだほうがいいのか迷いましたが、本書を先に読むことで『精神現象学』がスムーズに読めるかもしれないなと思いました。

 副題の「他なるもの」については、著者がレヴィナスについて論じていることから、「他者論」を連想しました。しかし、本書はヘーゲルなので、どのように論じられているのかはこれからのお楽しみです。

 ということで、「他なるもの」について質問をいただきましたが、質問の意図がわかりませんでした。この段階で?とも思いました。緒を探ってみようともしたのですが、わからないままでした。私の力不足だと思いますので、「他なるもの」について関心をお持ちならば、直接、本書あるいは「他なるもの」について論述された書を読まれることをおすすめいたします。

 「厳密な」という感想をいただきました。よくご存じなのだなと思いました。ギリシャ哲学との比較も興味深く、うれしくなる感想でした。ありがとうございました。

KENさん『お父さんが教える13歳からの金融入門』
本書は、著者のビアンキ氏が13歳になる息子さんに、お金と投資の基本を伝えるために書かせた一冊になります。

「13歳から」とある様に中学生でも読める様に分かりやすく書かれていながら、
大人の方でも金融について基礎から学べる1冊になっています。

「自分が稼げる収入の範囲で生きていかなければならない、ということだ。
 収入の一部は貯金しなくちゃならない。」P20-21
という第1章の言葉がとても印象深かったです。

金融やお金の話となると、ついどれだけ稼ぐかが頭を過ってしまいますが、
まずは収支のバランスをとること、そして、貯金の重要性を教えていることから始まる所に
とても好感を持ちました。

他にも第9章の「お金を借りる」や、第12章の「税金」も興味深く読ませて頂きました。

金融やお金の流れについて、基礎から学びたいと思っている方にオススメの1冊になります。

としさん『100のトピックでたどる 月と人の歴史と物語』著者:デイヴィッド・ウォームフラッシュ、訳:露久保由美子
 今回は、紀元前7世紀と6世紀を読みました。
 紀元前7世紀
 月の女神セレネは、何世紀にも渡って口承の対象とされていた。
それをギリシャ人がギリシャ神話として残し、今もセレネの恋愛物語が残っている(ギリシャ神話の多くが恋愛物語)。
 学者の間では当時のギリシャ人がギリシャ神話を信じていたか疑問視されているという。もしかするとギリシャ神話は、物語にすることで人々が理解が出来、伝わりやすくなったため残った。つまり、小説のような娯楽の部類だったのではないかとこの章を読んで感じた。

 紀元前6世紀
 現代物理学がバビロニアの数学へのアプローチに依存していること、また、ギリシャの天文学がバビロニアの数学とギリシャ式の定性的で概念的なアプローチの組み合わせで示されており、それが、月、太陽、惑星の理解を深めるために必要となること、そして、タレスと弟子のピタゴラスが出てきたが、数学的な話、宗教的な話があり、自分が何の本を読んでいるのか途中で分からなくなった。
 現在勉強している物理学、天文学、数学等は元は一緒だったと聞いてはいたが、改めてそう感じた内容だった。

よしだ『完全なる人間』アブラハム・H・マスロー著/上田吉一訳
 今日は、知る・探求する欲求に関するマズローの考察を読みました。
 マズローは安全に対する欲求との対比のなかで知る・探求する欲求について考えています。安全が確保されていなければまずはそれを満たそうとするから、知ろう・探求しようという欲求は安全を求める欲求に消されてしまう。だから知る・探究するためには安全が満たされていなければいけない。つまり、探究の欲求や動機づけは安全のそれと並行して考えていかなければいけないというのです。
 ここからは私の解釈も入りますが、安全とは身体的な安全だけではなく、所属や存在に対する安全も含まれるのではないかと捉えています。だから所属や尊厳を自分は得られているという実感がなければ本当の探究心は生まれにくい。何かを探究したり学んだりしていても、それは実は所属や承認を得るためのものかもしれない。この論理でいくと、大きな功績を残した芸術家や研究者などは、安全が確保されていた・既に満たされていたということになります。しかし、本当にそうなのだろうか…?ということが気になりました。

2022年2月19日:テーマのある読書会「あいまいさ」

小澤さん『AI監獄ウイグル』
 本書はいわゆるウイグルに関する問題を取り扱ったドキュメンタリーです。

 ウイグル監視システムの立ち上げに参画したイルファンさんや実際に洗脳なども行われたメイセムさんの話などが載っています。イルファンさんの話を聞くと2010年後に発生したウイグル人によるテロなどを防ぐための施策として信じていたが、途中から政府の意図との違いを感じ始めたという記載があります。

 今回の読書会の中で「地獄への道は善意で舗装されている」という言葉が出ていたが、まさにこれはそれを示したものだと感じました。

 監視システムはもちろんいきなり出来上がったわけではなく、中国を代表する企業の民間技術が転用されていることも驚かされます。今現在もこういった事態が発生しているということは隣国として意識すべきことに感じました。

YUKIKOさん『わたしを離さないで』
 「あいまいさ」がテーマだったので、この本を選びました。

 第一部では子供の日常を描いているのですが、何か雰囲気があいまいで大人達が何かを隠しているのですがその肝心の「何か」は先を読まないと分からない設定になっています。
 その「何か」を知りたくて、この本を読み進める感じです。

 この本で起きた事が未来に起こらない事を祈るしかないのですが、科学技術が進んでそして人の倫理観が変わってしまったら、こんな怖ろしい事を人は簡単にやってのけてしまうかもしれないという警告の意味も込めてのノーベル文学賞なのかなとも思いました。

 読後の感想で「答えのない世界を生きる」、「AI」、「腸内フローラ」の話、楽しかったです。
 今日の昼と夜ごはんは自分の「善玉菌」の為に食物繊維があるもの(善玉菌を増やす)とヨーグルトを食べてみました。
 でも昼はラーメン食べたし、夜はアルコール(糖分は悪玉菌を増やすそうです)飲んだし、あまり大腸に善玉菌が増えていないような気がする・・・。

よしだ『答えのない世界を生きる』小坂井敏晶著
 答えはないと言われると、ではいったい何を目指して生きていけばいいのかという困惑を抱くが、きっと答えがなくても生きていける。それよりも、正解を見つけた!我が意を得たり!と思ってしまうことの方が危ない。現実を見る目を曇らせてしまう。

2022年2月17日:読みたい本を気ままに読む読書会

Soi Tomsonさん『ドキュメント 精神鑑定』 林幸司著
本について:
著者は16年間医療刑務所に勤務した精神科医。
重大犯罪者の ”精神鑑定”(精神鑑定とは正式な法律用語ではないらしい)について書かれた本。本書の前半は司法の場においてどのようなやり取りがなされるのか、後半は様々な犯罪ケースを例に挙げて被告人に責任能力の有無をどのように鑑定するかが細かく描かれている。

本日読んだ箇所:後半のケーススタディを読んだ。ここに登場するいずれの犯罪者もある程度の被害妄想、強い独占欲、嫉妬心があるようだ。犯罪者それぞれの言動をより詳しく分析することで彼らの責任能力の有無を決定する。
またカウンセリングのことに触れられており、非行少年をカウンセリングを受けるグループ、受けないグループに分けて長期間にわたって追跡調査した例が紹介されていた。
驚いたことに、犯罪率では差がなかったが、重大犯罪率はカウンセリングを受けたグループの方が高かったということだ。つまり、カウンセリングを受けることで良い結果がおきるのではと過剰な期待をし、カウンセリングに依存してしまい自分自身で人生と向き合う気力がそがれてしまったのではないかと著者は考える。カウンセリングを受ける人は自己の持つ問題を自分のものとして認め、解決したいという姿勢が最低限必要だとある。

感想:白黒つけることができない心の内面をはかる作業に精神医療の難しさを感じた。
また鑑定を行った精神科医が自ら法廷に立ち、法律の専門家たちに向かって説明する大変さも書かれており、少しも気を緩めることができない現場に後継者が少ないということも理解できた。最後の部分は精神鑑定を受けた犯罪者のその後に触れられているので最後まで読み進めたいと思う。

読書会の感想:アートや本、音楽が現実社会を生きる心の支えになっているんだなあと改めて感じた時間でした。

早川麻子さん『13歳からのアート思考』末永幸歩
「1枚の絵画を前にしてすら「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界のなかで、果たしてなにかを生み出したりできるのでしょうか?」絵が上手になったり、過去の作品の作者や年代を覚えたりすることを目的とした授業ではなく、美術の授業を通して自分の答えや考え方の持ち方を習得していく授業の提案を、6つのライブ形式の授業としてまとめられている。それぞれのクラスのはじめには読者に問いかけがあり、はじめと終わりで自分の絵に対する見方の変化にも気がつけて面白い。絵を描くことが苦手でもいいんだ、自分なりに絵を楽しんだらいいんだと思えて、早く何かの美術展に行きたい気持ちになった。

soiさんの本→十代の犯罪者に対するカウンセリングをするのとしないのとでは、カウンセリングをした方が再犯率が高いという結果に驚いた。カウンセリングを受ける側に土台が無いことに原因があるようだった。どんな犯罪をしたか解らないけど、窃盗癖や薬物、ギャンブル依存など、本人同士が話し合って回復を目指す自助グループなどもあるみたいなので、そういう方法に切り替えればいいのにと思った。
吉田さんの本→最近の道徳授業では、こうあった方がいいとはわかってるけど、できないときってあるよねっていうことについても話し合って、自分だったら何ができそうか自分なりの考えを持てるようにするという形になってきている。倫理と似たような形になってきている気がした。
他にも、子どもの自由発想をほめるばかりはどうなのかとか、他者性の話とか、幸せな人生とはなど、聞いていて考えさせられることが沢山あって、充実した時間が過ごせました。ありがとうございました!

原有輝さん『体験と創作』
 
文章が書けなくなったので、本書を読みはじめました。創作の仕方が具体的に書いてある訳ではないですが、アリストテレスやカントやスピノザやライプニッツが重要だったりと、いろいろ参考になります。

よしだ『手の倫理』伊藤亜紗著
 身体的な障害をもつ人たちとの対話などを通して研究に取り組んでいる伊藤亜紗氏の本です。今日は倫理とはどういうものなのか、というところを読みました。道徳との対比のなかで書かれていました。
 道徳も倫理も、「〜すべき」という規範意識をもたせるという意味では類似していますが、倫理は「できる・できない」を受容するという点に違いがあるといいます。たとえば、「困った人がいたら助けるべき」という道徳や倫理の規範があったときに、道徳は助けることがすなわち正となります。しかし倫理の場合は、できれば助けられた方がいいのだけど、自分に余裕がなかったり・本当に今ここで助けるのがいいことなのかと迷いが生じたりして助けることが「できない」ということも受容されるべきものとされるというのです。そして、その「できる・できない」という悩みや迷いが思索を生み、新しい概念や考え方などの創造につながっていきます。
 今日は読書会のあとの雑談の時間で、「人生は素晴らしいもの?」という問いが自然と生まれたような気がします。似たものとして、幸せとは?という問いもよく出くわすものですが、こういった問いは知らず知らずのうちに「幸せであるべき」「素晴らしくあるべき」という規範意識を植え付けるものかもしれません。規範から外れることはこころの負担になります。こういった「あるべき論」には、倫理的に自分なりの考えを深めていくことが大切なのではないかと改めて思いました。

2022年2月16日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『行く,行った,行ってしまった』
 ドイツの小説です。書評に掲載された本で読み始めました。中東や北アフリカでの戦争を機に2014年からドイツに250万人以上の難民が流入したことを基に書かれたそうです。
 ひとりの定年退職近い男が職場を片付けているところからはじまります。妻をなくし子供もない男。社会問題とは遠いところにいそうです。

 腸内細菌やマズローの欲求、詩についてなど、目に見えにくいけど感覚的なものについて手探りで話した気がします。腸はかしこい。

よしだ『完全なる人間』アブラハム・H・マスロー著/上田吉一訳
 自己実現、5段階の欲求仮説などで有名なアブラハム・マズローの本です。タイトルがすこしあやしい。。
 しかしおもしろいのは、本の序盤でマズローが「自己実現という呼び方はマズかった…」などと後悔していること。その理由は、自己実現は利己的なイメージを植え付けるが、マズローが言う自己実現的な人は愛他的で自己というよりも課題に目が向いている人だからだそうです。しかしマズローがどんなに注意を払ってそう説明しても、利己的なイメージで受け取られるのだとか。なにか時代背景なども関係していたりするのでしょうか。
 この本では、欠乏による欲求(生理的・安全・所属・承認)と成長に向かう欲求とを分けて考えられており、おおまかに言って後者の欲求に突き動かされている方が健康的であるといいます。そのためには欠乏による欲求がある程度満たされていないといけないとも。そういう意味では5段階の欲求仮説という表現は妥当なのかもしれませんが、そこまで、登り詰める、みたいな印象も本からは受けません。ひとつの健康的な生き方として、理解を深めていきたいと思います。

2022年2月13日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『何者かになりたい』熊代亨
 青少年向けの本のようですが、30代が読んでも刺さるところが多かったです。全体を通して印象的だった内容です。
・「何者かになりたい」と願い、「何者にもなれない」と悩む「何者問題」に、人は向き合わずにはいられない。何者問題は古くからあり、心理学的には承認欲求と所属欲求、アイデンティティの確立で説明されるが、21世紀の社会では、グローバル化や情報化により以前より問題が複雑になり、かつてとは異なる向き合い方も必要になる。
・SNSで多くのフォロワーを得ることで一時的な充足感は得られるが、それを維持するには本来の自分と異なる偶像を演じ続ける必要があり、ギャップに苦しむことになりがちである。
・アイデンティティの確立は基本的には思春期~20代の課題であり、この時期に自分を構成する要素を取捨選択していくことで、青年期までには安定した自己像をもてるのが望ましい。
・アイデンティティの確立がうまくいかないと、自分のアイデンティティの穴埋めに他者を利用するような人間関係しか築けなくなる。
・アイデンティティの確立には人間関係が重要な要素になるため、育った家庭環境や持って生まれた資質で決まる部分も大きく、社会全体としての課題でもある。
・社会的に善くないものを自分の構成要素とする「負のアイデンティティ」も人や場合によって必要になることもあり、安易に否定することはためらわれる。
・中年期の何者問題は、手にしたアイデンティティの構成要素を失っていかなければならないことに起因することが多く、深刻な危機に陥るのを避けるには、構成要素を広く分散させておくことが大事である。
・老年期には多くのものを失いながら、何者でもなくなりながら生き続け、現代社会では軽んじられがちだが、本来は偉業であり敬意に値することである。
・私たちはアイデンティティのために生きて死んでいく儚い存在でもあるが、だからこそ個人の成長や人とのつながりといった様々な営みがあり、決して無意味ではない。

よしだ『居るのはつらいよ ーケアとセラピーについての覚書』東畑開人著
 読書会のあとも読み進めて最後まで読み終えました。
 タイトルの「居るのはつらいよ」には、さまざまな意味合いが込められていました。全体としては著者の経験も交えた物語でそのつらさが描かれつつ、最後の方はもうすこし構造的に居ること(=ケア)のつらさが書かれていました。

 こころのデイケアの場では、おなじような毎日をくりかえす。著者の表現を借りると、経済やビジネスの世界が線的な時間だとすると、ケアの場は円環的な時間。だからその場にくる人は、飛躍的な急成長など遂げるわけではない。
 読書会である人が言っていたが、国家は納税できる人が育つことを望む。僕もそういう話を聞いたことがある。その考えにもとづくと、ケアの場で円環的に過ごす人は望まれないということになる。だからたとえば、ケアの場に3年通った後はその人が通うことで施設が国から受け取れるお金は減る、という制度もできたりするらしい。施設もお金を媒介とした持続的な経営を目指すから、ケアだけではダメでもっと積極的に働きかけるセラピーも行うようになる。でもセラピーのような線的な時間を受け入れられない人もいるし、一律で◯年というわけでもないだろうし、本を読むかぎりは3年よりも時間はかかるものだと感じた。

 これを資本主義の限界とみるのはすこし待った方がいいとは思います。最近読んだ別の本からは、(少なくとも現在までの)社会主義・共産主義は統制的なシステムで、資本主義は自律的なシステムであることが、ひとつの違いなのではないかと思いました。自律的なシステムの方が、個々のやる気や創造性が発揮されて発展が起きやすい、ということなのではないかと。問題は、発展や成長の目的や価値基準にどのようなものが組み込まれているのか、なのではないかと今回の本から改めて思いました。お金的な価値観が強くなりすぎた社会は、きっと、生きるのがつらいよ。

としさん『世界の学者が語る「愛」』レオ・ボルマンス編、鈴木晶訳
愛そのものはいつの時代も存在してきた。愛は普遍的だが、同時に、様々な形を取りうる。愛は極めて力強い感情状態だ。100人以上の学者が一人当たり約5ページ程度で、愛について分かっていることを語ってくれる。「幸福」シリーズもある。

今回は、2箇所読んだ。
儒教的な愛。ヨン・ファン博士。
同じ「愛」でも恋愛と思いやりでは愛の種類が異なるという。孟子は3種類の愛を区別するという。物、人々、親。儒教によれば、人は家族愛から出発し、それを他人に対して拡大していく。儒教的な愛のもう一つの点は、外面的な幸福のみを願うことではなく、相手の内面的な幸福を願うことが最も重要だという。

7つの原理。ヴォルフガング・グラツァー博士
原理を7つ挙げ、人生に必要なのは、要求と価値観のバランスだそうだ。通常では秩序をもたらす原理だが、時には混乱をもたらす。それが、人生で出会ったすべての人と関係を構築できないから、排除という行為に出るそうだ。それが特に働くのは、恋人や夫婦の場合。自分のパートナー以外、家庭外での人間関係が減る。人生に必要なものは愛だけではないが、愛は人生にとってもっとも重要な要求であると博士は言う。

今回の全体的なテーマは、「死」や「言葉」だったように思います。
人によって違う話だったり、違う本に掲載されてる内容でしたが、本質的には同じことを言ってるのだと解釈しました。途中何度も落ちましたが^^;
いつもありがとうございます。次回も楽しみにしています。

Tomoyaさん『信長、鉄砲で君臨する』
 最先端のテックがいかに受容され、広まっていったかを鉄砲視点で見ることができます。鉄砲を用いた信長の台頭の発端が真言宗と天台宗の対立というのは伏線として面白いと思いました.

mtさん『見えるものと見えないもの』モーリス・メルロ=ポンティ著、滝浦静雄・木田元訳
 本書は著者の最晩年に書いたもので、草稿と研究ノートが収録されています。著者の思考のプロセスを見ているかに思われ、興味深い内容です。

 方法である現象学では、見えているものに対して、あえて判断しないという態度を取ります。そして、なぜそんなふうに見えるのかを問うのです。すると、当たり前だと思っていたことが、実は憶測に基づいているだけだったり、常識やしきたりとして無条件に受け入れてきただけだったりということに気づくのです。つまり、私たちは物や出来事をありのままに見ているわけではなく、なんらかの認知バイアスをかけて見ているといえるのです。

 上記を踏まえ、著者の論述となります。見えるものとは物であり知覚されるもの(諸感覚によって捉えられるもの)、見えないものとは意味であり思考であるとのこと。身体は私自身でありながら、他者との交叉が可能な物(対象)としての二重性を持つとしています。さて、その先は…。

 ひさしぶりに読んで思ったのは、段落が長いということです。それだけに、たびたび、論点はどこ?なにに対する結論?とあたふたしました。以前、読んでいた時は、どうやって読んでいたのだろうかと記憶をたどり、フッサールを思い出しました。エポケーとか現象学的還元とかノエシス・ノエマとか内在と超越とか。用語は大事だなと。いくらか読めるようになりました。とはいえど、ちゃんと読めているのか、理解できているのかと問われると、自信はないのですが、ゆっくりと楽しみながら読み進めたいと思います。

yuさん『独学大全』
 辞書のような参考書のような経験談のような分厚い本です。
 英語独学の骨法と数学部分を読みました。独学って学生時代で言えば自主学習。それをやろうと毎日続けられる人はなかなかいないだろうからこそ気になるし、どうやってやるんだろうと興味を持ちました。

 他の方々とは命について話しました。明日どうなるかなんてわからないけどそのことを考えたたりすることはほぼないなあ。生きる死ぬって仏教だなあなどと考えながら発言をお聞きしていました。

YUKIKOさん『話し足りなかった日』
作者は女性で韓国人でミユージシャン、エッセイスト、作家、イラストレーターです。

南海キャンディーズの山ちゃんは「妬み」をガソリンにして、お笑いをやってきたそうですが、この本の著者は「怒り」をエンジンにして創作活動をしてきたそうです。

そんな風に尖がって生きていたら生きにくいでしょう?と本人に言ってあげたいですが、
彼女の生い立ちを見ると「怒り」を芸術に昇華しなくては、生きていけないような困難な人生が垣間見えるのでした。
著書の中で
「こんなにも生きづらくほとんど地獄同然とも言えるような世界で今まで生きていたことに、よくやったと、未来に受け取るご褒美を前もって準備できたような気がする」
という言葉に私自身が救われたような気がしました。

2022年2月12日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『獄中シェイクスピア劇団』
 小説です。語り直しシェイクスピアの邦訳第1弾として刊行された本で喜劇かな。自分を陥れたかつての腰巾着に劇を通して復讐しようという話で、そこに至るまでの経緯が日記のように何月何日と書かれています。マクベスなどのセリフの引用も随所に散りばめられています。
 皆で話したお金の価値とSNSのいいねと承認欲求は管理社会を生きる上で繋がっているなあと思いました。自分がよしとするものをいいとするにしても自分がどの程度それが理解できているかにもよるなと考えさせられました。

Takashiさん『語りえぬものを語る』野矢茂樹著 講談社学術文庫
 「哲学は役に立つのか?」という質問に対する答えは「人による」としか言えない。教養とか知識のために学ぶなら、それが職業にでもならない限り役に立たないと思う。自分は何かおかしいんじゃないか、と思う人にとってだけ哲学は役立つに違いない。

 哲学の一部分を切り取ると、専門用語ばかりだし何を言っているのか皆目分からない。「こんなの意味ないよねー。知識でマウントを取りたい人達でやってればいいよ」と言いたくなる気持ちもわかる。

 しかし私は、私自身を何かおかしいと思っているからか、読むのを止められない。

よしだ『居るのはつらいよ ーケアとセラピーについての覚書』東畑開人著
 今日はケアとセラピーの違いについて、著者の考えがまとめられているところを読みました。
 ケアは「傷つけないこと」を前提として接したりコミュニケーションしたりすること。でも傷つけないことは案外難しい。たとえば相手が話しかけてきたときに、自分が思ったことをそのままに応答してもいけない。相手は同意や後押しを求めているのかもしれない。アドバイスや別の視点からの意見など求めていないかもしれない。だからそんな建設的なことを言っては傷つくかもしれない。でも、そういうのが面倒だからと距離をとったりしても相手は孤立感を感じて傷ついてしまう。相手にはニーズがある。そのニーズを汲み取ってなるべく応えてあげるのがケア。
 それに対してセラピーは、傷つくことをいとわずに介入していくこと。悩んでいたら、その悩みを一緒に整理して問題を明らかにし、解決する方法を模索していくこと。矛盾や葛藤を抱えていたら、それになんとか頑張って向き合うように促していくこと。
 著者が働いていたこころのデイケアの場は、その名の通りケアを中心におくのだけれど、たまにセラピーのような働きかけも起きる。その結果混乱して不安定になる人もいるけど、それを越えて次の一歩につながる場合もある。
 ケアとセラピーに優劣はなく、補完関係にあるものに感じました。セラピーだけだと疲れてしまうし、ケアだけだと困難を越えるための成長が起きないような気がします。普段の生活でも、そのバランスが大事なように思いました。

2022年2月11日:読みたい本を気ままに読む読書会

きじねこ堂さん『平家物語』
 また第一章だけですがそれでも祇園精舎の鐘の声から始まる栄枯盛衰の悲劇のストーリーにどうしようもなくひかれます。今の世は戦乱ではありませんが平家物語の流れや人物たちは読むたびごとに共感や発見があります。どれくらいかかるか分かりませんが少しづつ読み進めていきます。

カンシンさん『芸術としての建築』
 とても身近で生活的かつ、広く深い学問的要素の建築を、芸術としての立ち位置を崩すことなく深堀した本です。

yuさん『独学大全』
 752pの辞書みたいな本で、国語独学の骨法を読みました。普段、日本語で話しているし学ぶことに特に必要性を感じにくい国語ですが、きちんと自分の思いを書けるのか?話せるのかなど難しいなと考えさせられました。
 また、最近読んだ「空色勾玉」を読んである方がいらっしゃり感想をお聞きできよかったです。輝宮が「かぐや姫」に関わるのではというのはない視点でした。

よしだ『居るのはつらいよ ーケアとセラピーについての覚書』東畑開人著
 こころのケアの場(施設)の長的な存在が、ある日の朝突然「今日で退職するから」と去っていくところが印象的でした。
 ふつうは、退職するにしても退任するにしても、1ヶ月なり1週間なり事前に伝えて、徐々に去っていくイメージです。そのあいだに別れを寂しがり、居なくなる前提に徐々にこころを切り替えていっている、ような気がします。(ちなみに僕は学校の卒業などでも、メールすればすぐ会えるじゃん?なんで寂しいの?と安易に思っちゃう派だけど…)
 でもケアの場で、長はいきなり去りました。物理的に一気に距離をとる方が、こころが不安定な状況にある人にとってはいいと考えたようでした。居なくなったのだから仕方がないと、寂しさは一気に押し寄せるけど一気に去り、切り替えられるからでしょうか。そういう去り方・去られ方のイメージがもてず、印象に残りました。

2022年2月9日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『私の個人主義』
 まだ本文どころか、はじめの解説すら読み切っていないですが、とても面白く読みました。根無し草や自己本位の言葉が響きました。

よしだ『答えのない世界を生きる』小坂井敏晶著
 まえに読んでいた『社会心理学講義』の著者・小坂井敏晶氏の自叙伝?エッセイ?的な本です。フランスに40年以上住んでいるようですが、日本にいた頃の話から綴られていました。
 著者は一言でいうと、困らせ屋、でしょうか。日本にいた頃は新興宗教にはまり親を困らせ、フランスの大学に就職しては実験を中心とする心理学の世界に哲学的な論考をもちこんで困らせ、今この時点では読んだ僕を困らせています。意志は責任を負わすために生み出された虚構である、正しさを根本的な部分から示す原理はない、などと言われれば困ります。何のために考えるのか、何のために学ぶのか。
 しかしそうした、ある意味では真摯な姿勢であり毒でもあるそれは、著者自身にも返ってくるものなのだと感じました。安住や居心地の良さを、自分の考えをもって、ちゃぶ台のひっくり返しをいつもしている。こういう人を思想家というのだろうなと思いました。きっとこうしてつくられた考えが時代が変わったときに採用され、それをもとにまた新しい社会がつくられていくのだろうと思います。
 次は『正義という虚構』を出すとか出さないとか。出たら、買っちゃいますねこれは。 

2022年1月30日:テーマのある読書会「あいまいさ」

Takashiさん『人間的、あまりに人間的(Ⅰ)』ニーチェ著 ちくま文芸文庫
 本書はニーチェの短文集だ。なかなかパンチが効いている。例えば、
「愛されたいという要求は、自惚れの最たるものである」(P435 )

 今度恋愛ドラマで相手に愛情を要求する場面があれば、自惚れを自覚しているかどうかを見てみたい。自覚のある方が心の機微は細やかだし、ドラマも面白くなりそうだ。

としさん『共に生きるスピリチュアルケア 医療・看護から宗教まで』編著:大村哲夫、瀧口俊子、和田信

 「あいまいさ」がテーマだったので、これを選びました。
 スピリチュアルケアとスピリチュアリティは、決まった定義がなく曖昧です。
 それを、この業界の先生たちがそれぞれの観点からスピリチュアルケアに関して教えてくれます。

 今回ぱっと開いた場所を読みました。3章1の「宗教性とスピリチュアルケア」でした。
 スピリチュアルケアは、身体的、精神的、社会的なペインを総称してトータルペインと言いますが、そのケアになります。ホスピスや緩和ケア、介護、福祉などで使われている言葉です。
 この3章1では、宗教学研究者である上智大の島薗進先生が、それを宗教と掛け合わせて書いてありました。日本のように特定宗教に所属していない人がケアする場合のアプローチは、自助グループやグリーフケア、アートセラピーと考えるといいそうです。

 「あいまいさ」の会で気が付いたのは、私自身が曖昧に物事を理解していることでした。だから、色々説明できないんだと(笑)
 皆さんとお話しすることで色々な気付きがありました。とても有意義な時間が過ごせました。感想を書くことは、自分の考えをまとめるのにも役に立っています。いつも有難うございます。

yuさん『空色勾玉』
 あいまいがテーマ。

 古事記と日本書紀をテーマにしたファンタジー小説を読みました。
 出自が明らかでない主人公のみる夢。

 あいまいであることと、はっきり明らかにすること、あることの良し悪しはないのではないかと考えました。どちからといえば日本はあいまいでそれを良くないとするのは外国からの目線であり、同じでなくてもいいのかなと思いました。

よしだ『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著/富永星訳
 今日おもしろかったのは、世界を場の重なりの総和としてみるということ。たとえば万有引力はその名の通り、質量をもつ全ての物体は距離に応じた引力を発生させるという法則であり、その力は周囲の全ての物体に働きます。だから物体がひとつ置かれると、そこだけ空間が凹むようなイメージでその凹みに他の物体が転がっていくように引き寄せられます。でも目の前のたとえば大きな岩に引き寄せられないのは、引力を感じるほどには質量が大きくないから。なんだけれども確実に引力は働いており、目の前の岩だけではなく、横を通過した車も隣にいる人も空間を凹ませるような場を作り出してます。そのような、それぞれの重力場の総和のなかで生きているということです。なんか酔いそう。

2022年1月29日:読みたい本を気ままに読む読書会

Soi Tomson『The reason I jump』 by Naoki Higashida (Translated by David Mitchell & Ka Yoshida)
東田直樹著:邦題『自閉症の僕が跳びはねる理由』を英国出身の作家David Mitchellと妻Ka Yoshidaによる英訳版。今回は冒頭のIntroduction (Mitchell)とPreface (Higashida)を読んだ。
Introductionでは自閉症とはある人の心(頭?)の中で逃げ道のない部屋に20チャンネルもの異なったラジオ局が一斉に流れている状態。唯一安らげる瞬間は起きていることに疲弊しきったときのみと表現する。Mitchellには自閉症と診断された息子がおり、親として息子を理解するために足掻いてきたこと、本書に出会うまで、そのあとの気持ちの変化が描かれている。
Prefaceでは13歳の東田直樹自身の自己紹介、自閉症として生きること、学校の先生、母親への感謝、読者へのメッセージが書かれている。

感想:本の冒頭部分、特別なケアを必要とする子供を持つ親としての訳者の言葉に深く共感した。本の内容がどのように展開していくのか楽しみである。しかし、本文をチラ見したところ健常者とおもわれる立場からの質問に答える形で話は進められており、その質問の内容だけ読むとなかなかストレートな問いで少々戸惑っている。13歳の東田はこれらの質問をどのように咀嚼し答えを導びきだしているのだろうか。
冒頭の英文について自分の知らない形容詞や言い回しが使われており勉強になった。

読書会全体の感想:視点を変えることで物事の良い側面、そうでないと思われる側面が逆転すること、または良いも悪いもないということを改めて気づかせてもらいました。

としさん『月と人の歴史と物語』著者:デイヴィッド・ウォームフラッシュ、訳:露久保由美子

 45億年前の月の形成に始まり、歴史に刻まれた数々の「時」に焦点を当てながら、月の来歴を辿っていく物語。著者は、宇宙生物学、宇宙医学研究者。
 天文学に興味を持ち、莫大な本のどれから読めばいいのか分からなかったため、タイトルに興味を持ったこの本を読むことに決めた。

 今回は、紀元前18世紀から紀元前8世紀。
 紀元前18世紀のバビロンのハンムラビ王の時代、「朔望月」と「恒星月」の長さの違いにより、古代シュメール人は29日と30日の太陰暦(朔望月)を交互に使っていた。数十年経つと農業で使われている太陽暦(1年365日)とずれが生じ、様々な都市が13か月目を加えるようになり、帝国に混乱を起こした。紀元前8世紀のバビロニアでは、月の満ち欠けの周期235回が19太陽年とほぼ一致することを発見した。これにより、太陰暦と太陽暦を融合した太陰太陽暦が出来た。(1年を12か月とする12年に、13か月とする7年を特定のタイミングで加え、19年周期で繰り返される)

 この時代に、明治まで使われていた太陰太陽暦が出来たことに驚きました。簡単な歴史が書かれているため言葉以外は読みやすいですが、古代の地域や人物を調べながら読み進めています。中々思うようには進めませんが、やっと5分の1読めました。

 本の内容を話し合いながら聞くことは、新たな発見にも繋がるため、面白いと思いました。皆さん様々な本を読んでいて、知らないこと沢山で興味深かったです。いつも有難うございます。

高橋さん『なぜ、DXは失敗するのか?』
 本を読んで印象に残ったのは、過去の産業革命の例として、100年ほど前のニューヨークでは馬車のメーカーがたくさんあったということ、そして数十年でほとんどなくなってしまったということです。第四次産業革命と位置付けられているDX(デジタルトランスフォーメーション)の内容には至りませんでしたが、これから世界で、日本でどのような技術革新が起きるのか読み取れたらと思います。

 他の方の本も興味深くお聞きしてました。「人は必ず異常な部分を持っている」という一節は、他の方の本の内容にもつながりがあるように思い、個人的な気づきがありました。

よしだ『社会心理学講義』
 今日は、日本は他のアジア諸国などに比べてなぜ一気に欧米化が進んだのか、というテーマのところを読みました。江戸時代にたしかに黒船が襲来したけど植民地にされたわけでもない、他の国々も欧米の先進性は知っていたはずだけど日本の衣替えとも言えるほどの欧米化にはいたっていない、などといった疑問から導き出されたテーマです。
 まだ結論までは読んではいませんが、推察するに、日本は「日本」というものをそれほど強くもっていないことに要因があるのではないかと思っています。宗教も含めて自分たちの文化を固辞するわけでもない、他国と比べて何が優れているなどと意識することもすくない、だから何やらすごそうなものが来たときにすんなり受け入れられてしまう(あくまで推察です)。すこし短絡的かもしれませんが、読み進めて理解を深めていきたいと思います。僕はそういう節操のなさみたいなの、嫌いじゃないです。

2022年1月27日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『獄中シェイクスピア劇団』
 本書はマーガレット アドウッドによるHag-Seedの全訳で、ホガースプレスから刊行されているシェイクスピアシリーズの日本語版第一弾として2020年に訳されたものです。これを読むとシェイクスピアを読む気になるかと聞かれました。語り直しなのでなんとなくの感覚をつかむことはできるかもしれないと思いました。シリーズが訳されたらまた読んでみたいと思います。

 「饗宴」、「清少納言を求めてフィンランドから京都へ」、「「愛」という名のやさしい暴力」どれもお話をお聞きして読んでみたいと思いました。

よしだ『水中の哲学者たち』永井玲衣著
 今日はエッセイのようなところから。心理テストや〇〇占いなんかは、生きることへの意味を付けるものなのではないか、みたいなことが書かれていました。言われてみれば、今日はどんな日とか、あなたは動物でいうと黒豹だからとか、それは今日という日や自分という存在に意味というか道筋みたいなものを付けられていることのように思えます。
 他の方が脳の本を読んでいたのですが、たとえば私たちがものを見るとき、脳が予測をしてそれをみてから細部を認識していく、というようなことをおっしゃっていました。脳は予測をする。占いに予測される。人間と予測というのは、結構な強い結びつきをもつものなのかもしれません。

2022年1月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

おおにしさん『活動の奇跡 アーレント政治理論と哲学カフェ』 三浦隆宏   
 本書はハンナ・アーレント政治理論の中核に位置する「活動」という営みを著者自ら推進している哲学カフェと関連させながら解説したもの。

 アーレントは哲学者の内省的な思索を批判して、思索により得た内的自由では世界から孤立することになり全体主義支配を受け入れる格好の下地になると考えた。そして、他者との交わりによりえられる「政治的自由」が内的自由より重要であり、人と人とが平等に自分の意見を開示しあう営みが、全体主義へ陥らない「政治的自由」を得ることができるとして、この営みを「活動」と名付けた。

 一方、哲学カフェは街中で市民が集まり、普段あまり考えないようなテーマを皆でじっくり話し合い考える場であり、議論して争ったりせず、それぞれの意見を一つ一つ吟味して物事を考えていく場のことをいう。
 著者の解説を読んで、哲学カフェがアーレントの「活動」が目指す「政治的自由」を得るための第一歩になりうるのではないかと感じた。

 ハンナ・アーレント政治理論を理解することは難しいが、哲学カフェは気軽に参加することができる。
 今後も哲学カフェに参加して、その意義について考えていきたいと思う。

Soi Tomsonさん『生物と無生物のあいだ』 福岡伸一著
本著の前半は20世紀最大の発見ともいわれるDNA二重らせん構造について、後半はこの本のもう一つの命題である動的平衡についてふれられている。本日は前半と後半の境目を読んだ。

第7章:DNAの二重らせん構造の発見をめぐり研究者の人間くさい(らしい)謎解競争が描かれている。この競争をからチャンスをつかみ取ったのは「準備された心」を持っていたワトソンとクリック(特にクリック)だった。
第8章:この章では前章の終わりにある物理学者シュレディンガーの二つの問いに対する答えからはじまる:
① 遺伝子の本体はおそらく非周期性結晶ではないか
② 原子はなぜそんなに小さいのか
これらがもうひとつの命題”動的平衡”のカギとなる。

感想:著者の言葉選びがよく、素人でも大変理解しやすい。またときにアイロニックな表現なども使われ読んでいてワクワクし、表舞台に立てなかった研究者たち(unsung heroes)の切ないくらいの真摯な姿勢に涙し・・と論理的でありながら読者の感情にうったえてくる。

会全体の感想:本日も学びの多い時間でした。ありがとうございました。

としさん『マザー・テレサ 愛の言葉 「それでもなお、人を愛しなさい。」』 マザー・テレサ研究家 もりたまみ
 マザー・テレサは「ごく普通のおばさん」。マザー・テレサ研究家のもりたまみさんの言葉です。テレサが凄いのは、その思想でなく、当たり前のことを極めた人だった。だから、テレサのような生き方は、特別のものではなく私たちにも出来ると語っています。本の中では、マザーテレサの言葉と生き方を作者の観点からそれぞれの章に分けて解説してくれています。

 とても読みやすい本でした。テレサの言葉と解釈が私にはいまいちピンとこないものもありましたが、書いてある内容はどれも今の自分の生き方を考えさせられるものでした。

 その中で一番心に残っているものを紹介します。

 「生きる」の章にある全盲のアメリカ人エリック・ワイヘンメイヤーがエベレストに登頂出来た話です。目が見えないのに彼はどうやって登頂できたのか。彼の答えは「ただ、一歩ずつ足を進めただけです」まず始める、そして、一歩づつの努力を続ける。これがあれば、エベレストのような高い目標もいつか到達できることをエリックは教えてくれると紹介してくれています。
 ここでのテレサの言葉はこうでした。
「最高の仕事。それは、愛をもって ごくありきたりな仕事を 心を込めて最高に楽しんで行うことです。」

よしだ『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著/富永星訳
 今日はアリストテレスとニュートンの時間観の違いのところを読みました。
 アリストテレスは時間を変化を計る尺度のように捉えていたようです。だから、1週間も太陽が7回昇ったという変化の回数で捉えるし、同じ24時間を過ごしても刺激的な経験をした24時間の方が長い時間として捉える、のだと思います。
 それに対してニュートンの時間観は、アリストテレスの考えを否定はしていないようですが、なにがあろうと一様に流れるものと捉えました。現代の私たちの時間観はニュートンのものを多く取り入れているのだと思います。
 1日は24時間だし、1年は365日です。でも、今日はなんだか長く感じたなとか、今年はあっという間だったなとか、感覚的な違いを私たちはたしかに感じていると思います。ニュートンの時間観だけに囚われる必要もないように思えてきました。この後、アインシュタインの時間観が登場します。

2022年1月23日:読みたい本を気ままに読む読書会

小澤さん『暇と退屈の倫理学』
 本書はタイトルのとおり、哲学者が暇と退屈について倫理してみましたという本。

 結論の章から先に読むと、結論だけ読んでも仕方がなく自分のやり方を見つけるしかないという警告があり、見透かされた印象。ざっくりというと以下のような記載があり、言葉としてはその通りだけど、退屈を克服するのはやはり難しいなと感じた。
 ・消費ではなく贅沢をすること
 ・ものそのものを「楽しむ」こと

 今回は第1章までを読んだ。「退屈」とは事件が起こることを望む気持ちがくじかれたものという定義でラッセルを引用している。事件とは今日と昨日を区別してくれるものという意味。

 そして、退屈の逆は「楽しみ」ではなく興奮であるという記載があった。
 確かに退屈をしのぎたいだけの人は射幸性が高いような興奮するものをやってしまうのだろうなと感じると同時に知的なものに興味を感じる人もいるだろうし、必ずしもそうではないかなと感じた。

 平和な日本にいると退屈を感じることがある。贅沢な悩みに感じるが、本人にとっては重要な問題のはずだ。また、退屈が文化を生み出すと個人的には思うので、それはそれで必要なものに感じる。

mtさん『映画篇』金城一紀著
 映画をモチーフとした連作短篇です。最初の短篇タイトルが「太陽がいっぱい」。主人公の僕が中学生だったころ、同級生と自転車をこいで、たくさんの映画を見に行きました。少年たちは、「大脱走」のスティーブ・マックィーンや「ドラゴン怒りの鉄拳」のブルース・リーがかっこいいと胸をときめかせ、どんな映画が面白かったかと言いながら、映画タイトルを挙げていきます。そんな彼らはやがて、人生の岐路を迎えます。「太陽がいっぱい」は光と影のコントラストを描いたフランス映画。僕の心情を入れ子構造で表しているかのように思われました。

 3つめの短篇まで読みましたが、登場人物たちは人生の一コマで、自分ではどうすることもできないことによって苦悩や絶望と向き合うことになります。身動きできない登場人物たち。いつまでならば立ち止まっていてもいいのか。どのタイミングで踏ん切りをつけなければいならないのか。正解など、どこにもないことはわかっているのです。

 「ニュー・シネマ・パラダイス」という映画があります。映画館を題材とした名作ですが、ラストの試写室の場面は、モリコーネのテーマ曲とあいまって秀逸です。おそらく主人公の意識には、目の前の映像を通して、懐かしく美しい思い出の数々が甦り、そのことによってかつての目の輝きを取り戻すのです。映画はそこで終わりますが、グダグダだった主人公がそこから歩き出すであろうことは想像に難くないことです。

 短篇という短い紙数を連作にすることで、重層感や多様性、関わり合いの妙が描かれ、懐かしい映画タイトルにワクワクしながら、構成の見事さに感心しました。

Yukikoさん『羅生門』
 子供の部屋に置いてあった芥川龍之介の「羅生門」。
 表紙が今風の漫画風。ちょっと新鮮に見えて読んでみたくなりました。

①羅生門
②鼻
③孤独地獄

 ③の孤独地獄が意外なほど今の自分の気持ちにハマって、若い頃読んでいてもこの気持ちわからなかったよなあと思ったのでした。
 「天才」という人達は凡人には分からない孤独を感じながら暗闇の中を手探り生きてとても孤独な存在なんだと思いながら読みました。

 人は本当の意味おいてお互いを分かり合えない(だいたいしか分からない)と自分自身の心に折り合いを付けて生きていればもうちょっと長生き出来たのかなと思ったりしました。

 今、あなたの名前の小説の賞があってそれはとても名誉ある賞なのですよと芥川龍之介に教えてあげたいです。

 そして私達はあなたの書いたものに敬意を抱いて、その文学性をとても尊敬しているのですよと。

2022年1月22日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『「豊かさ」の誕生(下)』ウィリアム・バーンスタイン著 日経ビジネス文庫
 経済史の本だ。下巻はオランダがどうやってヨーロッパの中で先陣を切って経済発展したのか、イギリスとアメリカがどうそれに続いたのかというところから始まる。

 16世紀くらいに遡って解説されているが、過去の順列がほぼ現代にも反映されているという記述があったので、2018年ごろの国民一人当たりの総所得を別の資料から調べてみた。(データブック オブ・ザ・ワールド 2020、二宮書店より、数値は四捨五入)

 オランダ 47,000ドル
 イギリス 41,000ドル
 アメリカ 59,000ドル
 ドイツ  44,000ドル
 日本   38,000ドル

 アメリカは別格として、オランダがドイツよりも高いのは驚きだ。本書導入部の記載のとおり、これらの違いは歴史的背景からも説明できるのだろうか。楽しみに読み進めたい。

原有輝さん『暗黙知の次元』
 暗黙知は、暗黙のルールというか、不文律のようなものでしょうか。
 人は言語化できる以上のことを知っているため、言葉にするのは難しいです。
 本人でも、なかなか自覚がない場合が多いようですから。
 ですが、この暗黙知が、科学と哲学の重要な問題であることは間違いないようです。
 名医の診察もこれにあたるようです。

よしだ『実力も運のうち』マイケル・サンデル著/鬼澤忍訳
 今日読んだなかでは「アメリカが偉大なのはアメリカが善良だから」という論法を政治家が用いてきた、というところが印象的でした。つまり、偉大であるという結果に対して、原因を善良だからと結論づけているということ。結果と原因が1対1で結びついています。
 善良とは何か・偉大とは何かという疑問はさておき、このようなシンプルな対応関係は、人々を鼓舞し動機づける強さも発揮するけど、逆に脆さもあるという、諸刃の剣であるように感じます。なぜなら、偉大でなくなれば自分たちは善良ではない、という論理にいたってしまうかもしれないからです。
 物事をしっかりみようとすればするほど、複雑さが明らかになり、余計にわからなくなっていくように思います。それはあまり気持ちのいいものではないのですが、複雑に捉えられるようになることで、100から-100のような大きすぎる振れ幅に脅かされることが少なくなるのではないかなどと思いました。

2022年1月19日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『獄中シェイクスピア劇団』
 翻訳小説です。刑務所の構成プログラムの講師となった主人公が巻き起こすお話。現実は厳しいんだろうけれど、どこか軽快で次には何が起きるのだろうと思いながらよみました。今日読んだところは、視察団に見せる劇が決まり、過去の配役に声をかけるというところです。地位も名誉もお金もあった主人公は裏切りにより全てを失っています。現実にそんなことが起きたらどう自分と折り合いをつけるのかなと思いました。

kenseiさん『ワインバーグの文章読本』
興味の無いことは書くな(書けない)

太古の時間の感覚に思いを馳せたり、
囚人のコミカルな役者っぷりを想像したり、一人では押せないツボを押してもらいました。

よしだ『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著/富永星訳
 今回読んだところは、現代物理学的なものではなく、歴史的・文化的な視点からの時間の話でした。
 今でこそ、時間は世界共通です。共通といっても時差はあるので、日本と他の国とでは現在時間は違うのですが、何時かはわかります。それは国や州などの単位で、何時か、が決められているから。
 しかしよくよく考えると不思議で、仮に太陽が最も高くなった時を正午とするのなら、北海道と沖縄はもちろん、港区と八王子でも、もっと近い隣接する地域でも、正午は違うときに訪れるはずです。でも日本列島に正午が訪れるのはみな同じ時。
 共通的な時間が生まれ始めたのは、科学革命や産業革命の頃なのだそうです。ニュートンが一定に流れる時間がある(そうではないのが時間であると認識されていた)と導き出したり、電車の時刻表を作るときに共通の時間がないと時刻表をみるときに混乱したり(ちょうど海外へ向かう飛行機のなかで混乱するように)。そういう、世界がつながり、連動し出したことをきっかけとして時間は整理されていったようです。逆に言うと、それ以前は、もっとムラ単位での時間がつかわれていたのだそうです。
 読書会では、昔は時間はもっとまわりの人と共有するものだったのですね、というような話が出ました。たしかにそうなのだと思いました。もっと身近な人と共有するもの。一日の長さが日の出から日の入りまでと定められていた時代や地域があったようで、季節によって一日の長さが変動していたという話も本にはありました。もしまわりの人が怠け癖がある人たちだったら一日の長さも短くなりそうだな、なんて思ったりしました。

2022年1月17日:読みたい本を気ままに読む読書会

よしだ『水中の哲学者たち』
 前に読まれている方がいて、気になって手にとってみました。全体的には、哲学対話を学校に赴いたりしながら行っている著者が、そこでの出来事を紹介しつつ自分が感じてきた世界のことも織り交ぜているような内容です。テーマとしては、考えるって何だろう、しかも人と一緒に、ということのように個人的には受け取りました。
 哲学対話をしていると、バリバリバリっとなにかが壊れていくような音がすると書かれていました。しかしそれは、なにかが新しくつくられていくきっかけにもなると。
 読書会のほかの参加者の方の本では、勉強は壊すことと書かれていたようで、通じるものがあると感じました。
 壊さなければいけないのか、新しくつくりなおさなければいけないのか、考えなければいけないのか、そんなことも考えてしまいます。破壊して創造して破壊して創造して破壊して創造して、そのくり返し。しかしそんなことをしなくても明日は来て生活は続いていく。あ、気づいたら水中の哲学をやっていた。

2022年1月16日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『健康的で清潔で 道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』
 令和時代の日本社会は、昭和の頃と比べて豊かになり、法規制が徹底されることで人々のマナーが向上し、都市も現代的に整備されて清潔になった。私たちは以前より格段に便利で快適な生活を送れるようになったが、それは裏を返すと、人々に自立した個人としての高いクオリティが求められること意味しており、メンタルヘルス、健康、子育て、清潔さ、コミュニケーションなど、様々な面で歪みが生じてきている。
 今日読んだところは子育ての話。大人社会での秩序の向上にともなって、子供にも秩序あるふるまいが求められるようになり、本来動物的である子供を生み育てるということが大きなリスクになっている。親は子育てに神経質にならざるをえず、子供の心に与える影響が懸念される。昭和の子供では取っ組み合いの喧嘩や飲酒喫煙など秩序を外れる行為が問題であったが、現代の子供ではいじめなどの秩序の中で起こる問題に変化してきており、また何がいじめにあたるかという定義も拡大してきている。かつては子育ては地域社会全体でオープンに行われていたが、現代では各家庭に閉じ込められてしまい、親の責任の増大や様々な知識を学ぶ機会の格差などの問題が起きている。
 参加者の方の感想もお聞きして、社会が便利になれば子育てをしやすくなるわけではないんだなと、考えさせられました。

mtさん『憲法という希望』木村草太著
 著者は、国家権力には三大失敗があるといいます。その失敗とは、①無謀な戦争、②人権侵害、③権力の独裁であり、①に対して憲法9条、②に対して憲法13条、14条1項、15条、③に対して三権分立が対応しています。

 前の政権では9条の改憲に積極的でした。当時、その考えは同意できるものだと思っていました。武力で攻められた場合、自国を守るために応戦できるだけの準備があるほうが心強いだろうと思ったのです。他国に守ってもらうだけでいいのかという疑問や、自衛隊の位置づけのあいまいさと不名誉な言われ方に対する異和感もありました。また、永世中立国のスイスが、強い軍隊を持っているのは有名な話です。

 しかし、自衛隊が戦地に派遣された際に、そこに暮らす人たちの生活をフォローし喜ばれていたこと、戦わないことが信頼につながっていたことなどを知り、改憲は必然ではなく、日本には戦闘以外のやり方や役割があるのではないかと考えるようになりました。

 著者は、単体の条文を読むだけでは十分ではなく、文脈で読むことが重要であると述べています。

 たとえば、9条では戦争放棄となっていますが、武力によって侵略をされた際、人権侵害として13条、14条1項、15条に抵触すると見なし、抗戦は可能ということです。

 憲法をはじめとした法律の条文は、さまざまなケースに対応するため抽象度の高い文章で書かれています。結果として、同じ条文であっても、思想信条や立場などから違った読み方をすることは十分あり得ますし、情報量によっても違った見解に至る場合もあると思います。だからこそ、憲法にはどのような意義があるのか、どのように使いこなすのかを知ることが、タイトルにある「希望」へとつながっていくということに、なるほどと思いました。

 2章の頭くらいまで読みましたが、歴史的経緯や対立する考え方を偏ることなく示したうえで、具体的な観点を整理しつつも、ユーモアをまじえた語り口に好感が持て、クスクスと笑いながら読んでいます。

シンカイ ダイキさん『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』
 ビッグデータを使い、継続して観たい監督や俳優を使ってオリジナルのコンテンツを作り、1シーズンまるごと配信するという強気な戦略で、F(フェイスブック)A(アマゾン)N(ネットフリックス)G(グーグル)、FANG(牙)と呼ばれるまでのIT関連事業をもたらす企業の内幕を描いているノンフィクション。大変興味深いです。

2022年1月15日:テーマ「あいまいさ」の読書会

Yukikoさん『ゆるく考えよう』
 今日は資本主義の行く末、子育て論などを読後の感想でゆるゆると考えてみました。

 昭和、平成、令和と生きて30年前には考えられなかったテクノロジー(スマホやネット社会)、自然災害、中国の台頭、コロナで変わってしまった社会、そしてこれから来る未来、考えても考えてもナナメ上を行く事態がやってきます。

 結局は自分の好きな事を続ける、人生を楽しむそれに尽きるのかなあと思ったのでした。

Takashiさん『「豊かさ」の誕生』ウィリアム・バーンスタイン著 日経ビジネス文庫
 本書は経済の歴史の本だ。まだ上巻の六割くらいしか読んでいないけど。
 歴史はストーリーが無いと理解できない。著者は経済という切り口でストーリーを提示してくれている。色々とつながれば楽しいだろうな。

よしだ『昭和の不思議101 隠蔽された真相解明号』
 すこし前の読書会で、秩序立ちすぎている今の社会は逆に生きにくさを生んでいるのではないかというような本を読んでいる人がいました。共感を覚えるところもあったので、今よりももうすこしいいかげんなイメージがある昭和に触れてみたいと思い、この本を選びました。電子書籍の雑誌です。
 本では昭和の事件やニュースが紹介されており、「こっくりさん」や「カシマさん」など、オカルトも紹介されていました。こっくりさんは、全国の学校で禁止令が出るほど、危険なものだったのだとか。ある生徒が具合悪くなったときに「こっくりさんに呪われた」と言い出して、一緒にこっくりさんをやってた生徒も一緒に具合悪くなっていくというカラクリ(?)なのだそうです。今でも学校でオカルトが流行っていたりするのかな、などと気になりました。

2022年1月14日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『全世界史(上)』
 人類の歴史は、温暖化と寒冷化を繰り返して来て、寒冷化すると民族大移動で戦乱や民族大移動があったり、気候がすごい影響するのがわかりました。
 また、歴史には、グランドデザインを考える人とそれを踏襲する人がいて、グランドデザインを考える人は短命だが、踏襲する人は長期政権を築くのがわかりました。
 人類史のはじめのうちは、才能ある個人が一代で国を築くも、すぐに内紛など政権交代が起こる例が多いですが、帝国が出来て道路や官僚機構を整備するようになってからは、長期政権が続いたようです。

シンカイさん『ユニクロ対ZARA』
 ユニクロが、ユニセックス、低価格、ロードサイド店舗など独自の戦略を持っていることが印象的でした。

よしだ『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著/富永星訳
 現代物理学では時間は重い物体の近くに寄るほど遅くなると考えられているそうです。だから、より地球に近い地上の方がエベレストの上よりも時間は遅いことになります。でも無視できるほど小さい違いだから、一定の時間としているだけ。
 宇宙にはさまざまな星があり、それらはまた違う星々に囲まれて時間的な引っ張り合いをしています。だから時間の流れも、それぞれに違うのです。ものすごい遠くにある星を望遠鏡で覗くことができたら、もしかしたら地球よりも遅い世界か速い世界が見えてびっくりするかもしれません。

2022年1月11日:読みたい本を気ままに読む読書会

おおにしさん『水中の哲学者たち』永井玲衣著
著者は哲学研究者で哲学対話のファシリテーターをしている女性です。
子どもの時から対話が苦手で特にホームルームでは一言も発言しない少女だったのですが
大学に入って哲学対話に出会い、その面白さに魅かれ哲学対話の普及活動をしています。

本書では哲学対話を行っている様子がいろいろ紹介されていますが、これがなかなか興味深いので引用します。

(1)「死んだらどうなる?」というテーマで話し合う小学生たちの中で最後に発言した女の子

「みんなは、生きるということがメインで、そのために死んだり生まれ変わったりするっていっているような気がするんだけれど、そもそも、生まれ変わるということ自体が目的で、そのために死んだり生きてるだけだったらどうする?」

(2)「神は存在するか?」という問いで対話した中学校での休憩時間に著者に話しかけた女生徒

「神さまって、酸素だと思うんです。神さまって見えないじゃないですか。酸素も見えない。てことは、神は酸素なんじゃないかって」
”じゃあ神さまはそこら中にいるね”と著者が言うと、「でも、吐いたら出て行っちゃう」とはにかんで笑った。

このように哲学対話は子供から大人まで誰でもできるもので、どんな意見も頭から否定はせずよく聴き、ひとつひとつ吟味することで、様々な気づきを得られるものだと理解しました。

リベルの読書会でもときどき哲学対話をしているのではないかと思う瞬間がありますね。

早川麻子さん『長い長い殺人』宮部みゆき
 殺人事件にかかわる人物の財布が話を進行していく。今日は目撃者の財布と死者の財布の話を読んだ。財布が語ることから、持ち主の人柄や、事件の真相が少しずつわかっていくのが、面白い。それぞれの財布の語り口調も違う。財布が持ち主のことを心配しているところから、私は自分の財布にどう思われているのかなぁとも考えてしまった。

 今日はモヤモヤして終わった。この世のことをどう思っているか…?死んだら自分のしていることの意味が無くなってしまうから、無意味ではないか、とか、親の思想を受け継ぎ、自分の思想を子どもに引き継ぐから生と死の境が無いのでは、とか色々な考えが出てきた。私はこの世でどう生きたいのか?丁度、今年の目標、人生の目標を考えていたところだったが、こちらもなかなか見出せず、さらにモヤモヤに…。(折角生まれたのだから、楽しく生きたいよな。何か残したいよな。でも、何が残せるのかな?残ってて良かったと言われるものを残したいよな。残ったら困るかもよ。)哲学は面白いけど、すっきりしない。

Soi Tomsonさん『日本人が誤解している東南アジア近現代史』川島博之著
本書について:東南アジアについて書かれた本。人口、歴史、経済、華僑をテーマに四章で構成。著者は元農林水産省の研究官、専門は開発経済学。

本日読んだ部分:タイの近現代史
タイは中国やインドに比べると文献として残る歴史は浅く、約700年前のスコタイからはじまるといわれている。もともとこの地域は様々な部族が入り乱れて住む地域で、国境が曖昧であった。現在の国境は19世紀の列強の意向で決まったといわれている。またタイは巧みな外交手段で東南アジアにおいて唯一植民地にならたかった国である。第二次世界大戦時には日本と同盟を組んだにもかかわらず戦局を読みつつ曖昧な関係を保ち、結果敗戦国にはならなかった。

感想:長年農業の研究(主に稲作)に携わってきた著者の切り口が大変面白い。特に一章の人口問題は食料自給率、出生率などと関連付けて述べており、これまでの自分の思いこみの部分について修正できた。タイの歴史はその地域に多くの民族が居住し、陸続きだということを考慮すると歴史的に処世術が身についてきたのだと感じた。そんな経験値の高いタイに日本軍はむしろ踊らされている(利用されている)印象を受けた。(もちろん日本軍が行った歴史的事実も受け止めたうえで)

読書会全体の感想:社会を構成するうえで、個人主義的、集団主義的な考えのそれぞれの利点をうまく使うことが大切なのかなあと感じた(社会の何かに躍らせれているのかも知れないが)。また、財布はその持ち主のキャラクターを反映するのかもということで、自分の財布をおもってちょっぴり財布に申し訳ない気持ちになった。

よしだ『社会心理学講義』小坂井敏晶著
 自分の行動の原因は自分の意志にあると考える個人主義的な人ほど、周囲の影響に気づきにくいというところを読みました。さまざまな心理的操作の上にその行動をとったのだとしても、自分がそう決めたのだという前提のもとに、自分がそれをやった正当な理由を後からつけていくのだそうです。反対に個人主義的傾向が弱い人は、「あの状況ではああするしかなかった」と、ある意味では冷静な理由を述べることができるのだそうです。
 これは個人主義的な思想観念がいいのか悪いのかという話ではなく、人間に本当の自由は存在しないのではないか、という科学的な問いかけなのだと思います。自由のもとに個人の意志をもって生きていると捉えすぎてしまうと、責任に囚われすぎてしまったり、周りに委ねることが難しくなったりするように感じます。人間は自分のことを自分で抱えきることはできない。物質としては他と離れている個体なのだけれど、人としては個体ではありえない。他の方の話も合わさっていろいろなことが巡る時間でした。

2022年1月9日:読みたい本を気ままに読む読書会

とらさん『ナビ・タリョン』
 李良枝作の短編小説をよみました。
 蔑視にさらされるのを避けるために国を隠して京都の所管の皿洗いと布団敷きをしていた家出少女の話。深く意味も考えずに発した一言がどれだけそれを恐れている人を傷つけるのかなどを考えました。

シンカイさん『アウターライズ』赤松利市
 東日本大震災後、再び震災が起こったが被害者数はたったの六名。その後、東北は独立を宣言。著者の圧倒的な物語のスケールに驚かされる長篇小説です。

mtさん『オードリー・タンの思考』近藤弥生子著
 本書は全4章で構成され、1章でオードリー・タン氏という人となり、2章で生い立ち、3章で活動と仕事、4章で考え方が書かれています。今回は3章の途中まで読みました。
 前代未聞のコロナ禍対策としてマスクの必要性が叫ばれていたころ、台湾では国民に平等にマスクが行き渡る仕組み(マスクマップ)を構築・実施していました。そのときにクローズアップされたのが35歳でデジタル大臣になったオードリー氏でした。そのころ日本では、転売屋によるマスクの値段の高騰、対策としてのアベノマスク配布、中には自分でマスクを作るという方も多かったと思います。
 台湾の情勢を補助線としてみると、今までブラックボックスだと思っていた日本の情勢が見えるようになるのではないかという気がしました。台湾には政府が議論をする前段階として、国民が直接意見を述べ、政策に参加できるvTaiwanという仕組みがあるそうです。そのような仕組みは羨ましく感じますし、政治に対して特定の思想を持つ必要はなく、私たちが私たちの生活を向上させるために意見を述べることが身近なこととして捉えやすくなりそうに思われました。そのvTaiwanを作るうえで困難だったのはメンツとのこと。国の違い、文化や規模の違い云々という見方もあるとは思いますが、どのような枠組ならば人間はどう動くのかには共通することもあると思います。
 リーダーというとイデオロギーや大きな物語を連想してしまうのですが、オードリー氏の立ち位置はリーダーではなく、実現したい政策にとって必要な枠組を協働で構築したりアイデアをフォローするといった役目を担っているということでした。

Soi Tomsonさん『生物と無生物のあいだ』福岡伸一著
2007年に出版され、当時新書系の間でベストセラーだった。再読。
”生命とは何か”が本書のテーマ

本日読んだ部分:第一章、第二章(途中)
NYにあるロックフェラー大学の様子からこの本ははじまる。(著者はこの大学で研究員として在籍していた) ロックフェラーでは過去に野口英世も在籍しており、野口の業績(梅毒、ポリオ、狂犬病そして黄熱病の解明)について、当時ははもてはやされた。しかしその後の研究で間違いだったことが判明する。このような事実を野口の生い立ちと彼自身の抱えていた心の葛藤をうまく描きながら話は進んでゆく。
第二章ではある病原体がその病気の原因だと立証する過程を細かに描くことからはじまる。

感想:過去に読んだ時の記憶として、面白かったこと文章が上手だという印象しか残っていなかったが、初めの部分を再読し全くその通りだと思いました。科学書なのにまるで文学作品を読んでいるような気分になります。
第二章ではウイルスについてふれており、それによると:
・ウイルスは限りなく物質に近い存在(一切の代謝をしない)
・物質のようであるが細胞に寄生することで自己複製する
という生物なのか物質なのかわからない性質があるということに驚きました。
この新型コロナウイルス感染が世界中に広がり久しいのにウイルスについてあんまり理解していなかったことを自覚しました(再読だけど)。出版から15年たっているので本書で書かれている事実についてupdateはあるのかもしれないが現在でも十分楽しめる本だと思います。

読書会全体の感想:皆さんがそれぞれ読まれた本が大変興味深い。(毎回感じますが)
特にFP2の試験のための本については色々考えされたし、ご自身の将来のことをしっかり考えていらっしゃる姿に敬服します。

よしだ『実力も運のうち』マイケル・サンデル著/鬼澤忍訳
 海外有名大学への不正入試の話から始まりました。富裕層は自分の子どもをいい大学へ入れるために、受験詐欺のプロに大金を払います。ある受験詐欺師は8年間で25億円を超えるほどのお金を懐に入れていたのだとか。
 しかし問題の焦点は、受験不正にあるのではないといいます。そんなお金を払ってまで有名大学に入れたいという能力主義にあるというのです。
 たしかに詐欺師に大金を払えるほどの富裕層であれば、一生生きるのに困らないだけの資産を余裕で子どもに残すことができます。しかし子どもがただ生きるだけでは不十分であると感じ、能力があるという(偽の)証明書を子どもに与えようとするのです。ちなみに、受験に受かった子どもは不正の結果だということは知らされません。
 この、一つの価値基準に偏りすぎた世界からどう抜け出せばいいのか。昨日の読書会で話された、人を手段としてではなく目的としてみる価値観の話を思い出しました。存在していることそのものに価値をみるような感覚をもてなければ、周りも自分も落ち着きのある幸せを手に入れられないのではないか、というような話でした。活動の源泉としての競争は大事だと思いますが、それに取り憑かれすぎてしまうのは避けたいと思いました。

2022年1月8日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『「豊かさ」の誕生(上)』ウィリアム・バーンンスタイン著 日経ビジネス文庫
 今読んでいるのは上巻の前半部分まで。イギリスから見た世界経済史といった感じの本だ。

 古代から現代に至るまで、小金持ちが沢山いる国は経済発展してきた。

 では今の日本はどうだろう。株高でお金があまっている印象だが、同時に貧困層も拡大し続けている。日本から小金持ちがどんどんいなくなっているのかもしれない。かといって富裕層から沢山税金を取って再分配するのも、やりすぎると良くない。お金を集めて配る人達の権力が肥大して、行きつくところは自由のない全体主義と衰退だ。

 数十年先は分からないが、今の日本はどうやっても西欧の枠組みの中で生きなければならない。ならば西欧が何と戦って何を勝ち取ってきたのか、本書の切り口から眺めてみたい。

Yukikoさん『世界を歩いて考えよう!』
 今、一押しのちきりんさんの本が紹介したくて今回、読書会に参加しました!

 ちきりんさんは社会派ブロガーという肩書で本やブログ、ツイッター、ボイシーなどで社会を俯瞰でみた意見を発信しています。
 その考え方、視点が特異で面白いのです。でもとても理論的です。

 この本は世界を旅行した旅行記ではなく、その訪れた名所や人々、美術館、通貨などの背景を独自の視点で解説したもので、平易な文章ですがものすごく考えさせられて読むのに結構な時間がかかります。
 大学受験の試験問題としても使われているそうです。

 リプトンの紅茶の話ですが、私も最初読んだときどうしてそのような状態で出てくるのかわかりませんでした。
 でも、解説されると納得で東南アジアに行った際には確認してみたいエピソードでした。

よしだ『社会心理学講義』小坂井敏晶著
 今年も引き続き読んでいます。今日は、人の心は、矛盾を解消するように考えを補正するという話でした。
 たとえば、本当は大好きなマヨネーズを批判するようなレビューを書いてくれと言われたとします。もちろん報酬付きです。その報酬が一万円のときと千円のときとでレビューの内容がどう変わるのかという話です。
 常識的に考えれば、一万円の報酬をもらえる方が、より強烈な批判を盛り込んだレビューを書きそうなものです。その報酬に見合った分だけ、本当は好きなんだけど頑張って嫌いになった気持ちでレビューを書こうとすると考えられるからです。
 しかし結果は逆になるようなのです。報酬の低い千円の方が、より強烈に批判するようなレビュー内容になるようなのです。それはなぜか…?
 一万円もの大金をもらえれば大好きなマヨネーズを批判することも正当化されます。みなそれぞれに生活があるため、ほんのすこしの間だけマヨネーズを裏切ることも許してくれるよね、と自分を納得させることができるからです。だからマヨネーズを好きなまま、批判レビューを書くことができ、結果的にやんわりめの批判になるのです。
 その一方で、千円では正当化されません。たかが千円のために愛してやまないマヨネーズを裏切るのかという葛藤が自分のなかに生まれます。そうして導かれるのが、本当はマヨネーズは悪い食べ物なのではないか、それほどおいしくないのではないかと考えるという、心の補正です。千円でマヨネーズを批判する自分を正当化させるために、矛盾を解消させるために補正するのです。結果的に、魂のこもった(?)批判レビューになります。たぶん、レビューを書き終えた後、マヨネーズを少なからず嫌いになっているはずです。
 本で紹介されていたのはマヨネーズレビューの例ではありませんが、類似の実験で同様の結果が示されているとのことです。人の心とは一体なんなのだろうと考えさせられます。でもすくなくとも、その人が示す考えや意志は、必ずしもその人個人だけに帰属するものではない、ということは言えるのだと思います。

2021年12月28日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『生きることとしてのダイアローグ: バフチン対話思想のエッセンス』桑野隆
 近年教育や精神医療の分野で再評価されている、ロシアの思想家ミハイル・バフチンの対話思想がわかりやすく解説されている本です。バフチンがいう『対話』は、二人のひとが向かい合ってことばを用いて話し合うという意味だけにとどまらず、ひとが相手に呼びかけて相手が応えるという関係一般を指している。今回読んだ『「わたしはひとりで生きている」という幻想』という節では、ひとは生きている限り、眼、唇、手、魂、精神、身体全体、行為でもって、全身全霊で対話に参加しているということである。現代社会に生きる私たちは、自分ひとりでいる状態を起点としてものごとを考えがちであるが、人間の本来の姿とは対話的関係の中にある状態なのだ。というようなことが書かれていました。充実した生き方というのは、自分が参加している『対話』にいつも鋭敏でいることなのかなと感じました。
 今年もたくさん参加させていただき、ありがとうございました。読書会での読書や対話を通して、学んだり深めたり楽しい時間でした。また来年もよろしくお願いいたします!

だいぽんさん『群像 「オン・ザ・プラネット」』島口大樹
 「オン・ザ・プラネット」が、ジム・ジャームッシュ監督の映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」から来ていたり、ロバート・デ・ニーロ主演の映画「タクシードライバー」への言及など、なかなか純文学というよりは、エンタメかな? と思ったりしました。芥川賞候補作です。

ねこさん『ラ・カテドラルでの対話』
 1940年代から1950年代にかけて8年ほど続いたペルーの独裁政権下での人々の様子が描かれた小説です。作品に直接言葉が出てくる訳ではないですが思想犯ってどういうものかなと考えていたところだったので意に沿わない思想を持つことが犯罪になるってこういう政権下では顕著なのかな?と思いながら読んでいます。アプラ党員が取り締まられています。ペルーは国民の80%以上が先住民速との混血で、そういう社会は日本にいると想像が難しいなと思いました。

 読んだ本を紹介するところで、言葉を気になった蜜柑に例えている本の紹介があり面白いなと思いました。

よしだ『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著/富永星訳
 今見ている太陽は、およそ8分前の姿となる。なぜなら光は、地球と太陽のあいだを光の速度をもって伝わってくるからだ。この事実を、対人関係にもっていくと、遠くに見えるあの人もほんのわずかだけど、過去のあの人を見ていることになる。そして隣にいるその人も。
 私たちは、「同時」を共有していない。みんなそれぞれに時間の小空間のようなものをもって生きている。

2021年12月27日:読みたい本を気ままに読む読書会

持田育美さん『ライフシフト』
 本日は参加させて頂きありがとうございました。ゆったりと本が読め良い会でした。
 私もコロナになってからオンラインで朝活を開催しているのですが、吉田さんのお人柄なんでしょうねゆったりとした、落ちついた会で参加しやすかったです。みなさんタイプが違う本を読まれていて、毒島さんの話は年末読んでみたいなと思いました。また参加します☺️

よしだ『哲学な日々』野矢茂樹著
 年末なので読みやすいエッセイを、と思って読み始めたら、思いがけず難解な方向へ…。
 「犬」に対する認識の仕方から。ジョン・ロックは、犬という一般概念が自分のなかでできて、その概念と言葉が結びつけられて犬という言葉に意味をもたせている、というような説明をしたらしい。それに対して著者・野矢先生の師匠の大森先生は、目にしたものを犬か犬でないか見分けられることそのものが認識であると反論したらしい。この反論は、犬とはどういうものかを説明できないのに、一般概念があるとどうして言えるのか、ということ。
 ジョン・ロックの説明を聞いて納得していては、哲学者とは言えないとのこと。哲学とはその態度をとることがまず難しい。年末に変なものを読んでしまった。おもしろい。

2021年12月25日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『超訳モンテーニュ』
 今朝は読めませんでしたが、モンテーニュは、フランス・ルネサンスの戦乱の時代に生きたようです。モンテーニュは、かなり争いの調停をしたらしい。おそらく、モンテーニュにとって「エセー」は、戦乱の時代の癒しだったのでしょう。話題は、誠実や幸福や判断力等、多岐にわたるようです。村の領主をしていただけあって、いろいろ考えることがあったのでしょう。

小澤さん『データ視覚化の人類史』
 本書はデータ視覚化(Data Visualization)をキーワードに歴史としてまとめた本です。

 視覚化という意味では古くはラスコー洞窟までさかのぼることができますが、データ視覚化(≒図表)という意味では17世紀あたりから盛んになっていることが分かり、ここらへんからデータ可視化というものが発生して、近年は黄金期を迎えたといえます。

 データ視覚化といっても、最初は手探り感のある図表を作成したりと当時の人が苦労したことがうかがえるのが個人的に興味がわきました。コレラ菌流行に対する様々な調査をした事例でいえば、コレラ死亡者数と標高の関係を表した図を自分がみたときに最初読み解くのに時間がかかりました。しかし、そういったデータ視覚化という観点も様々な歴史があって、現代にやってきていると考えると当時の人には敬意を覚えました。

2021年12月24日:読みたい本を気ままに読む読書会

早川麻子さん『産む、産まない、産めない』甘糟りり子
 会社で部長代理というポジションの40代彼氏なし未婚女性。昇進の話も出ていたし、仕事も楽しく取り組んでいたが、たまたま関係を持った人の子どもを妊娠してしまう。産むかどうかわからないが、無意識にカフェインを取らないように気を付けている自分もいる。会社に伝えると、昇進話は無かったことにされた…という話。短編8つのうちの1話目。

 仕事で一人前になるためには時間がかかる。だから、結婚や出産は後回しになりがち。出産となるとどうしても休まないといけなくなるので、責任ある仕事が任せられないのも一理ある。でも女性にはリミットがある。若ければ若いほうが体力があるし、卵子の質もいい。子どもを望む人が時期を逃さず、職場に申し訳ないと思わず産休育休がとれ、また会社で活躍できるようにするには、周囲の支えや理解も必要。soiさんが、これからの日本を支えてくれる子どもを産んでくれるんだから、周囲の人達が大きい規模で見てくれるといいとおっしゃっていたので、その通りだなと思った。

 今年最後の参加でした。皆さんの選書や意見、感想を聞いて、興味が広がるし、とても勉強になっています。ありがとうございます。来年もヨロシクお願いします。

Soi Tomsonさん『BEFORE』 by Jim B. Tucker, MD
【本の紹介】アメリカ、ヴァージニア大学での40年以上にわたって調査、研究されている”前世の記憶を持った子供たち”について書かれた本。
すでに出版されている "Life before Life", "Return to Life"を合冊し、改めて出版(2021年)された。

【感想】本日はReturn to LifeのChapter4,5の途中までを読んだ。
おそらく、これまで著者が直接関わった調査研究の中でのハイライトと思われる事例を紹介している。
・アメリカ、ルイジアナ州に住むJamesは2歳ごろから ”自分はこのJamesとして生まれてくる前は戦闘機のパイロットとして第二次世界大戦に参加し、硫黄島作戦で日本からの攻撃を受けて戦死した” ことを当時搭乗していた飛行機や戦友などの詳細を加えながら語り始める。その後両親はインターネットやアメリカ政府の記録などを通じてJames の語る話と実在していた飛行機の機能や人物(名前や所属)がほぼ一致していることを確認する。

・著者はJames, 両親の発言にどれだけ信憑性があるかをくまなく調べている。その過程はまるで数学の解答を証明するかのようで大変細かく、非常に忍耐とエネルギーを要すると感じた。
もしもこれが子供や家族が仕込んだ壮大な嘘であるならば、多くの研究者、親戚、隣人を巻き込んでいるので相当な悪ふざけだと思う。しかし2,3歳の男の子にそのようなことが果たしてできるのだろうか、と感じた。チャプター4の最後に彼は思春期を迎えて前世の記憶のほとんどを失っていると知り安心した。この人生では多くのことを経験し幸せな人生を送ってほしいと思った。

【ほかの方の本から】「社会心理学講義」の紹介の中で私の記憶が正しければ、社会規範、道徳的な考えは(価値体系が内在化されたもの?)実は信用ならない(違っていたらすみません)ということを知り、それはアメリカにおけるトランプ政権時代をおもい起させた。
人間は過去に学ばず同じような過ちを無意識に起こしてしまうのだろうか。もしくはそもそも社会規範と深層心理にある価値は全く違うものなのか。
「15歳の短歌・川柳・俳句」このように凝縮された強い言葉を思春期真っ只中の人々はどのように受け止めるのでしょうか。ご紹介いただいたユーモアを交えた作品は壮年期の自分にも大変刺さりました。

Haruoさん『東京タクシードライバー』山田清機
 タクシードライバーを10何人取材してまとめたノンフィクションです。今日読んだ第5話は、女性ドライバー2人の話でした。小さい子どもがいるのに、夫から「会社勤めに向いていないと分かったから、ごめん」と言われて、夫に主夫をやってもらって働きに出ることにした、という女性ドライバーの話はいいなと思いました。
 もう一人の女性ドライバーは、初っ端に「あなたはこの仕事に向いていないから辞めた方がいい」と3人の人から言われたそうです。タクシードライバーというのは、お客さんからの文句(時に暴言)に耐えなくてはならない仕事のようです。安易に「仕事がなくなったら、最悪タクシードライバーにでもなればいい」なんて言えないなあ、と思いました。「この世にたやすい仕事はない」というわけです。

よしだ『社会心理学講義』小坂井敏晶著
 僕のなかで、今年のベスト本です。認識や常識がことごとく覆されます。
 意志とは責任を個人に持たせるために社会的に創られた虚構的な概念であるとか、本人の思想に反した行為を人間は簡単に行なってしまうとか。
 思想や考えが行動に反映されない(されにくい?)のであれば、なんのために学んだり自分なりに考えたりするのか。パニックになります。
 しかしこの本のなかで再三言われていることは、人間の期待にもとづいて人間理解が進められる側面があること、期待に合うようなかたちに歪曲されてしか社会には受け入れられないことでした。
 そう思い込んで生きることは必ずしも悪いことだとは僕は思いません。でも、思い込みが窮屈さとか不自由さとかを生じさせているのであれば、その認識は変えていきたいとも思ったりもします。僕のなかではベスト本、でも決してオススメはしない危険な本。

2021年12月23日:読みたい本を気ままに読む読書会

ねこさん『ペストの記憶 100分de名著』
 作者デフォーの生い立ちだとか、今、コロナの時代に読むべき読みどころなどが書いてある2020年9月放送の解説本です。1722年にイギリスで出版された書物が「ペストの記憶」です。当時の人々の不安や行政の施策や金儲けを企む人々などフィクションとノンフィクションを織り交ぜて書いてあり小説というよりもルポに近いと思います。

 命の危機に見舞われると例えば対立していた宗派もだんだんそうではなくなり、また平時に戻ると対立も元に戻ると書かれていて宗派だけでなくいろんなことに当てはまるかもしれないなと思いました。

だいぽんさん『ダムヤーク』
 『時間は存在しない』。ペンの説明で、引力が存在しなくて、時間が存在しているのでは? と少し勘繰ってしまいました。機会があれば読んでみたいです。

よしだ『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ著/富永星訳
 まえに本屋で見かけて気になっていた本がなんとkindle unlimitedに…!ということで早速ダウンロードして読み始めました。
 物理学にもとづいて、時間とは何かを考察していく本なのだと思います。なんと、物体は周囲の時間を減速させる、という驚愕の考えから始まりました。アインシュタインの物理学ではそう考えられているのだそう。だから低地では時間が遅く、山地では時間が速いのだそうです。
 私たち個人個人は、地球、月、太陽や、その他の惑星との距離がそれぞれに異なります。ということは、それらの物体との距離の総和に応じて、時間が速い人や速いタイミングがあったり、その逆もあるということです。つまり、それぞれの時間軸で生きているのです!
 なるほど、そうなんだ、とはならない…。読み終わったときに認識にどういう変化が起きるのか、楽しみにしながら読み進めていきたいと思います。

2021年12月19日:読みたい本を気ままに読む読書会

だいぽんさん『下級国民A』赤松利市
 作者の生涯の一部を知ることができて、良かったと思いました。

つやまさん『こころと脳の対話』河合隼雄、茂木健一郎
 脳科学と心理学の専門家同士の対談で、科学万能主義の危うさなどの話が興味深いです。箱庭療法は砂の手触りを感じながら自由に人形を配置していくことでその人の意識化されていない心理が現れるところが醍醐味だが、科学万能主義が強いアメリカに輸入されると定量的な評価をしやすくするために砂が排されたり人形の数に制限が設けられたりなどの標準化が行われ、その本質が失われてしてしまったそうである。脳科学のクオリアも主観的な感覚なので科学的な手法での定量的な評価が難しいという点で、心と似ているそうである。
 今日はおもしろい本屋の紹介も(少ししか聞けませんでしたが)面白かったです。

Yukikoさん『学び続ける知性』
 本の表題を見て、読みたい!と思って手に取った本です。
 読んでから気付きました。ビジネス書でした。

 スティーブンジョブズはアイフォンを作った時に「私は私が欲しいものを作る!客は関係ない。」と言ったそうです。
 あの独自のデザイン、フォルム、そして何の説明もないホームボタンはジョブズの美意識そのものです。
 新しい時代を作るということ、イノベーションとはそういう普通の感覚とは違う、その人の信条、信念から生まれるものかもしれません。

原有輝さん『小さな声、光る棚』
 本屋Titleのこぼれ話。本屋の日常、創設秘話、本に対する愛情が溢れています。

よしだ『モード後の世界』栗野宏文著
 賃貸物件を探していると、「築浅」「三口コンロ」「追い焚き」「対面キッチン」などの言葉がおどる。写真でみると、新しくてハズレはなさそうにみえる。しかし実際に見にいくと、たしかにそういうものはついているのだが、どこか薄っぺらい。ウソはついていないのだが、どこか期待していたようなものではない。人を惹きつけるには冒頭のような言葉と仕様で十分なのだろう。でも満たされることはなく逆に欠乏が生まれる、ような気もする。
 この本は、ファッションのこれまでの潮流をふまえた上で、これからの姿を思考しているような本だ。バーニーズニューヨークの経営破綻やファストファッションブームの終焉についても触れられていた。どこか、僕がいつも最近の賃貸や分譲のマンションに感じていたことが書かれていたような気がした。

2021年12月15日:読みたい本を気ままに読む読書会

だいぽんさん『詩集 君の見ているものが僕に少しも見えなくても』
 難しくなく、平易で、読みやすい詩集でした。また、続刊を読みたいです。

yuさん『象の旅』
 旅をする時に象 人間、馬、ラバ、牛などさまざまな生き物がいて歩幅が違うから待つ場面がありました。これって人間だけいてもそうだよなあと思いながら読みました。参加者の方からポルトガルと象が結びつかないと言われて答えられなかったんですが、無理な場所に連れてこられてたからなと後で考えました。

 詩集を読んでいる方がいて、みんなが興味を持っていました。わたしも読んでみようかと思いました。

Yuさん『WIRED (Vol.40) Food :Re -generative』
 「真の意味でサステイナブルな食を考えると、自然を再生するために育てられた食べ物を食べるべき」という、割と尖った理念を提唱したWIREDの特集号でした。一方で、同号で紹介されていたレストランのコース料理の価格は2万5000円。サステイナブルって難しいなと感じました。

Soi Tomsonさん『最強脳』著:アンデッシュ ハンセン(訳:久山 洋子)
 この本のテーマ:最強脳になるには (”脳の能力を最大限に利用してポジティブに生活するには”と理解した)
 本書はスウェーデンの子供向けに出版された本で、大変読み進めやすい。

【感想】
 今回は本書の第3章「サバンナ脳」を読んだ。
 人間の脳はいまだサバンナでの狩猟生活に最適化されているそうだ。
 その後の農耕、産業、デジタル社会まで及ぶ年月は(人間が必要とする進化期間として)あまりに短く、これらの社会の変化に脳が追い付いていないらしい。
 つまり、現在の我々の脳のパフォーマンスを最大限に高めるにはサバンナ狩猟生活(ずっと体を動かす=運動)だと著者は述べている。全ての章で ”運動をすることで脳がご褒美をくれる”ということに帰結している。運動といっても散歩、サイクリングなど息が上がる動きであればなんでもよいらしい。

 グループディスカッションの方々が読まれた内容(ホモ ルーデンス、行動最適化最善)も我々の持つサバンナ脳と関係があるのかもしれないと感じ、大変興味深い。

よしだ『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ著/高橋英夫訳
 人間の本質を「賢いヒト(=ホモ・サピエンス)」にではなく、「遊ぶヒト(=ホモ・ルーデンス)」に求めていこうとする本です。

 今回、言われてみればたしかに、と思ったのは、人は遊びで得た評価が、そのまま生活の場での評価になっていくということでした。遊びとは、食べる・寝る・危険を回避する、などといった生きるための活動とは空間的にも時間的にも一線を画して行われるものです。言ってしまえば、生活とは隔絶されたこと、ともみることができます。しかし不思議なことに、遊びで勝つ人には、みな、なぜか一目おきます。遊びが遊びで終わるわけではなく、生活のなかに混在してくるのです。遊びは人類社会になにをもたらしてきたのでしょうか。という本です、たぶん。

2021年12月10日:読みたい本を気ままに読む読書会

小澤さん『知ってるつもり 無知の科学』
【概要】
 人間は知ってる「つもり」になりがちである。本書は人間のほれぼれするような知性とがっかりするような無知をあわせもっているのか、そんな人間がなぜ多くのことを成し遂げられたのかについて書いている。

 本書の中で「説明深度の錯覚」という考えが出てくる。以下のような実験をする。
 1.あなたはファスナーをどれだけ理解しているか七段階で評価してください
 2.ファスナーはどのような仕組みで動くのか、できるだけ詳細に説明してください
 3.もう一度、あなたはファスナーの仕組みをどれだけ理解しているか、七段階評価で答えてください。

 こういう実験をすると3.の段階では多少控えめな評価になる。どうして人間は知っていると勘違いしてしまうのだろうかと思ってしまうが、実はそんなに悪いことでもないようだ。人間は記憶力強化や高速計算ではなく、「行動」することに最適化して進化してきたためだ。

 それに対する例としてフネスの超記憶力の話がある。
 フネスは超記憶力を持っている。過去のことをすべて覚えていていつ何をしていたかもすぐに思い出せる。なんて便利なんだと思いがちだが、フネスは抽象的な能力においては少し怪しいところがある。数分前に見た犬が同一なのかどうか怪しく感じてしまう。

 一見すると人間の知ってる「つもり」というものは非合理に感じるが、実は合理性があるものであることが分かる。

【感想】
 知識の錯覚は私たちに新たな領域に足を踏み入れる自信になる。冒険家などがその例で一見知識の錯覚により無謀に思えるが、そういったことが人類を発展させていくこともある。
 一見すると無駄や不足に感じるが、長期的には実は大切といったことが世の中にはあると改めて感じた。

yuさん『象の旅』
 16世紀ポルトガルからオーストリアに象が贈られることになり、象の輸送手段は徒歩という史実を元に書かれたお話です。象使いは象についてインドからきてまた旅で大変だなと思いました。王様は思いつきでものを言うけど周りの人はどれほど振り回されるかには思い至らないだろうなあ。まだ初めなのでどんな旅になるのだろうと思いました。

 他の方はホモルーデンスを読まれていて遊びのことの話になり仕事も遊び??という話になり考えさせられました。生きるのに必ずしも必須でない活動を遊びというならその範囲は広いなと思いました。

よしだ『ホモ・ルーデンス』
 人間は自然と遊んでしまう。それを遊びと意識せず遊んでしまう。今は、遊びか仕事か、とか、遊びは真面目ではないもの、とか、そういう区分があるから"遊び"を意識してしまうが、元来はそうではなかったようだ。
 元来備わっているものだから人間にとって不可欠なものに違いない、というのはショートカットしすぎだろうが、遊びがないと調子が崩れるような気がする。すくなくとも、今の文化的・文明的な社会は、遊びの心がなければ実在していないという気はする(ホイジンガもたぶんそう言っている)。どうにも遊んでしまって、それがエラい壮大なものにまで発展して、実社会におとしこんでしまう、それが人間ということなのだろうか。

2021年12月8日:読みたい本を気ままに読む読書会

Soi Tomsonさん『わたしを離さないで』著:カズオ イシグロ
本書の舞台:イギリスのとある町
 前半はナレーターおよび主人公である介護人キャシーHが、生まれ育った施設 ”ヘールシャム”での回想から始まる。ヘールシャムは寄宿舎のような場所に思えるが、文章の中に様々な奇妙な出来事、キーワードがちりばめられており物語は徐々に真実を明かしてゆく。

【感想】
 本日は第5、6章を読む。ここでは思春期初期のキャシーと友人ルースとの出来事や心の細かい動きを丁寧に拾い上げ言葉にしている。この時期特有の、本人にもなぜそうしてしまうのかわからない些細なうそや、子供たちの独特な行動の描写に引き込まれ共感し、自分も物語の中に入っているような錯覚を感じる。

 この本はSF小説のカテゴリーとして取り上げられることもあるが、自分はもっと広い人文学的な要素のほうが強い作品ではないかと思っている。

原有輝さん『ゲンロン戦記』
 東浩紀さんは、せっかく成功していたのに、もったいない気もしますが、反骨精神がふんだんにある方なので、文化人としてメインストリームで活躍することには、抵抗があったようです。せっかく成功しても、自分軸に合わない成功だと、居心地悪くなるようで、東さんは既存の枠にはまるには優秀過ぎ、せっかくの成功を投げ捨ててしまったようです。
 論点はずれますが、少し個人的なことをいうと、あまりに身に余る光栄を受けると、逃げ出す人はいるようです。僕もそのタイプです。

匿名希望さん(途中から参加)
 用事から戻った時間が遅く遠慮しようと思いましたが、図々しく参加させてもらいました。不条理を文化によりどうとらえるか、とか、フィルターをかけずに著書に向き合うとか。絶対の答えのないことをみんなでシェアし合う時間は自分の考えが深まる貴重な時間です。
 いつもありがとうございます。

2021年12月7日:読みたい本を気ままに読む読書会

シンカイダイキさん『下級国民A』
 赤松小説の原点が知れる随筆。まだまだ、読めていないので続きを読みたいです。

原有輝さん『本屋、はじめました』
 個人で本屋を立ち上げるには、物件の下見やらなにやら、かなりいろいろ準備する必要があるようです。カフェの併設をどうするか、取次をどうするか、本屋にどんな本を並べてどんな個性を出すか、POSレジを使うかどうか、釣銭や店舗の備品の準備など、山ほどやることはあるようです。

2021年12月5日:テーマ「出合いたいもの」の読書会

mtさん『教養としての数学』キム・ミニョン著、米津篤八訳
 対話形式により、1章では数学の概念、2章では歴史上重要な3つの数学的発見を紹介しています。そして3章では、確率論が取り上げられています。

 確率論は、もともと賭博ゲームの研究として始まったとされています。本書では、賭博ゲームを予期せず中断しなければならなくなったとき、かけ金をどう分けるのかという観点から話が進められます。まず、成績の割合によって分けるという考え方が示されます。一見、妥当だと思われるのですが、異が唱えられます。確率論は、「過去ではなく未来を考えるための概念」との見解によるものです。つまり、現状を結果として算出するのではなく、現状に可能性を加えて算出するという考え方です。

 さらに、トロッコ問題(決定ゲーム)にも言及され、「確率論は善でも悪でもない」だけでなく、「善か悪かも確率論に支配されている」とのこと。ここでの「支配」とは、意図しない結果を指すようです。

 「はじめに」にワイルズ博士の名前もありました。著者と同僚なのだそうです。以前、フェルマーの最終定理の証明について書かれた本を読んだことがあります。証明が完成した瞬間、博士は嗚咽します。感動的な場面です。しかし証明は、博士ひとりの手柄というよりも、時代を経た数学者たちの連携作業との印象を持ちました。数学者たちのドラマチックな生涯に加え、数学の向こうにどんな面白いことが隠れているのだろうかと思いました。残念ながら私は数学の言葉は理解できないのですが、「はじめに自然数nを置く」と聞くと、物語の始まりのように思われ、なぜかワクワクしてしまうのです。

Soi Tomsonさん『BEFORE』 by Jim B. Tucker, MD
 本書はヴァージニア大学知覚研究学科 (division of perceptual studies)での約40年以上にもわたる輪廻研究について書かれた本である。著者であるTucker氏は本書をスピリチュアルのカテゴリーではなく科学書として論じようと試みている。
 研究はまず輪廻に関するケースとして、アジア諸国の過去の記憶を持ったまま生まれた子供たちにフォーカスしているが、現在はアメリカのケースを中心に研究している。

【本書で述べられている内容について個人的に驚いた点】
1)生まれ変わりは割に近場で起きていることが多い(同じ国内、村、家族など)
2)傾向として前世の記憶を持っている人は強い気持ちを持ったまま前世の人生を終えた人が多い(殺人、後悔、悲しみ、事故など)
3)認識と脳はどうやら別のところで機能しているらしい。(子宮に居る赤ちゃんが母親の洋服の色やデザインを詳細に覚えている例や臨死体験など)

【感想】
 全体のまだ半分しか読んでいないが、内容はただただ面白く本を閉じることができない。
 100%輪廻は起きるとは本書でも明確に言及してはいないし、私自身もどうなんだろうと思ってはいるが、この本を読み想像することで死ぬことに対しての恐怖心が薄らいだような気がする。また本当に輪廻があるのであれば亡くなった家族や友人が次の人生を楽しんでいるかもしれないと想像すると気持ちが明るくなる。

 遠藤周作の ”深い河” で知ったヴァージニア大学の輪廻研究が、数十年を経た今も続けられていることにアメリカの懐の深さを感じる。

 余談ではあるが、本書は邦題:”転生した子供たち”、”リターン トゥ ライフ”の二冊に分けて翻訳されている。

 是非読まれた方のご感想を伺ってみたい。

よしだ『モード後の世界』栗野宏文著
 コム・デ・ギャルソンを設立したデザイナー・川久保玲氏は、デザイン画は描かず、技術的な知識にも依存しない(?)ようです。しかしコンセプトはしっかりともち、川久保氏と仕事をする人はその対話を「禅問答」と言うのだそうです。先を歩くということ。

2021年12月4日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『本屋、はじめました』
 子供の頃から本に囲まれた、両親も本好きな家庭に育った書店店主の書かれた本。本がたくさん売れる、最後の時代に学生時代を過ごしたようです。個人で書店を立ち上げるのは、最近では珍しいようです。

よしだ『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ著/髙橋英夫訳
 ヒトの本質を賢さ(サピエンス)ではなく遊び(ルーデンス)に求めようとしている本です。
 …たしかに、金属を精製したり、五重の塔をつくったり、ドローンを飛ばしたり、宇宙に行ったり、賢さの延長線上にそれはなかったように思えます。遊びだからー、とリミッターを外さないと…!

2021年12月2日:読みたい本を気ままに読む読書会

シンカイダイキさん『ダムヤーク』
 太宰治の「駆込み訴え」を、宗教の観点から読み解いていらっしゃるのが、すごいと思いました。僕も、太宰のその短編は読んだことがあるのですが、そこまで精読出来ていないので、また再チャレンジしたいと思いました。

yuさん『シブヤで目覚めて』
 主人公はチェコの大学1年生。日本が好きで日本文学について学んでいる。気がつくと渋谷のハチ公前にいた・・別の次元にいるのかどうかわからない。初めの方を読みました。なぜ日本なのかを今後知りたいです。

 太宰の短編「駆け込み訴え」の紹介がありました。読んだことがなかったので読んでみたいと思いました。

2021年11月30日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『心が整う「論語」86の言葉』
 論語の言葉を編集して解説を加えたもので、道徳や生き方を考え直してみようよ、というような内容です。戦前回帰は行き過ぎですが、少し歴史を見直してもいいかもしれません。

Soi Tomsonさん『人類の未来 AI, 経済, 民主主義』(吉成真由美 編)
 本編では五人の知識人へのインタビューがまとめられており、今回はRay Kurzweilの項を読んだ。Ray Kurzweilは発明家、未来学者。インタビュー時はグーグルにてAI部門の技術責任者。
 本書で彼は従来の人間の直感的な考え方は線形的であった(1,2,3,4...)。これからは指数関数的なものの見方 (1,2,4,8...)を直感的にできるようにすることが大事だという。
 この指数関数的な発展速度によりテクノロジーの進歩はさらに加速し2045年には「シンギュラリティ」と呼ばれる新時代に達するという。

【感想】終始SF小説を読んでいるような感覚になった。すでにテクノロジーなどから置いてけぼりをくらっているのに今後はさらに加速する(グーグルのAI技術者が言うので本当なのだろう)ということに少し恐怖を感じた。果たして彼のいう技術革新が人間を幸せにするかどうかは人によると思うが、個人的な思い、また世界における医療、エネルギーなどの問題解決への熱意は敬服する。

よしだ『ホモ・ルーデンス』ホイジンガ著/髙橋英夫訳
 前に読みかけて途中でやめていた本をまた開いてみることにしました。文化人類学系の本なのだと思います。
 ホモ・ルーデンスとは「遊ぶヒト」という意味です。ホモ・サピエンスはよく聞くと思いますが、こちらは「賢いヒト」の意味です。自分で賢いと言っちゃった人間…。
 まだ最初の方しか読んでいませんが、著者のホイジンガはきっと、人間の遊び、特にルールや設定が決められた文化的な遊びが、文明を築く礎になっていると考えているのではないかと推測しています。遊びではサッカーでもおままごとでも、その設定やつくられた世界観にしたがっていきます。仕事や行事でも、おなじ感じなのではないかと、ホイジンガはそんなことを言っちゃうのではないかと思ってドキドキしています。

2021年11月28日:読みたい本を気ままに読む読書会

シンカイダイキさん『ほんのよもやま話』
 恩田陸さんと辻村深月さんの対談で、作家デビューしても兼業作家として書く人が多いのを知りました。恩田陸さんの兼業期間は8年、辻村深月さんは4年と長いのには驚きました。また、読み進めて色々と知りたいです。

Takashiさん『和解』志賀直哉著
 よくボケ防止のために趣味を持つと言ってる人を見ると、私はいつも「そんなぬるい事を言ってないで、町内会とかボランティアとか親戚関係のややこしい人間関係の中に飛び込んで、損と言われる役回りを引き受けてくれねえかな」と心の中で思ってしまう。絶対口にしないけど。

 最もボケ防止に効くのは、複雑な人間関係の中に身を置き、矢面に立って妥協点を探すことだと思う。それが一番頭を使うし、世の中に望まれていることの一つだ。

 さて、私がそういうにっちもさっちも行かない状況に身を置かれた時、なんとなく読みたくなるのが志賀先生の本だ。頑固な人が出てくるが、その頑固さはまったく単純ではない。そんな機微を志賀先生特有の強い言葉でがっつんがっつん掘り下げていく。

 「そこまで言う?、素直じゃないなあ、この人かわいそう、何でこうなっちゃうの?」など、いろいろ突っ込みながら読んでるうちに、逆に何だか自分の悩みを聞いてもらってる様な気がしてくる。いいなあ、志賀直哉。

つやまさん『野の医者は笑う: 心の治療とは何か?』東畑開人
 前に読んだところの続きを読みました。
 医療人類学という学問分野があり、先進国の現代科学に基づいた医療から伝統社会のオカルト要素が強い医療まであらゆる医療を対象として、科学的根拠があるかどうかに関わらず、文化的な観点から病を癒すことの根底にあるものを明らかにしていくそうだ。著者は精神療法にも同じことが言えるのではないかというアイデアを思いつき、沖縄の怪しい治療者たちに接触をこころみる。最初に選んだのはオーラソーマという謎の道具を使う、新米の魔女系治療者だったが、空間の雰囲気や彼女の言動の「いかにも」な感じに居心地の悪さを感じてしまう。このような治療者たちの話を聞くと、自身もかつて複雑な生育歴や精神的なトラブルを抱えていたというケースが多く、ユングのいう「傷ついた治療者」という概念に当てはまるそうだ。
 というところまで読みました。怪しい治療者への心理士目線からの率直なツッコミと考察が面白いです。人の身体や心は何をもって癒されているのか、改めて考えてみるとけっこう深いなと思いました。

mtさん『美学への招待』佐々木健一著
 作品に力があるならば、よけいな知識は不要だと思っていました。しかし、紹介頻度の高い作品や小説や映画で取り上げられた作品などは、親しみがあるせいか、よい作品だと思ってしまいがちです。少しづつですが、作品が作られた時代や象徴的小道具(アトリビュート)、なにを描こうとしたのかといった作品の背景なども意識することで、作品の見え方が違ってきたように思います。

 私たちは、やや面倒な問題でも公式を使うことで、ちょっとだけ便利に速く問題を解くことができます。その公式には、使える問題と使えない問題があり、万能とはいえませんが、場合によっては力を発揮するものだと思います。本書も、ちょっとだけ便利に藝術作品に近づくために、そして引き出しを増やすために、読んでみようと思いました。

 本書は美学入門として、近現代の美学の基礎知識という位置づけで書かれています。近代という言葉には曖昧なところがあるので調べてみたところ、封建主義の後の資本主義社会・市民社会の時代を指すそうです。年代でいうと16世紀~19世紀ごろ。本書によると、この時代は、天動説から地動説へ移行した時代であり、神の不在による不安定な闘争の時代とのこと。そうした中で、平和な社会を築くために時代が必要としたものは、創造的な力を持った天才であり、新しい価値を測るための感性という考え方です。1750年、バウムガルデンは、『Aesthetica』(感性=美学)を著し、その中で「藝術の本領が美にあり、美は感性的に認識される」と述べています。この「藝術」「美」「感性」は、近代美学での重要な3つの要素なのですが、現代では「美しくない藝術」が登場し、感性ではなく知性によってしか理解できない状況が進展しているといいます。「本書では、」「そのような状況に注目」と著者が述べたところまで読みました。

よしだ『ソフィの世界』ヨースタイン・ゴルデル著/池田香代子訳
 今日で読み終わりました。本全体としては、哲学の大まかな歴史を3000年前の神話的な世界観の時代から近代まで学べるものでした。また、ファンタジー小説なので、途中からすこし不思議な展開に…。

 各時代の哲学の各論もおもしろいのですが、本としては、人間の考えてきた歴史、世界の認識の仕方の変遷を表現していたのではないかと思います。最後は、ネタバレになってしまいますが、並行世界の存在をにおわせる内容になっていました。

 物事や人間に対する認識はコロコロ変わってきた、そしてまだまだわからないことはたくさんある。世界は不思議にあふれている。主人公は14歳の少女でしたが、著者がこれから大人になっていく・あるいはすでに大人になっている読者に伝えたかったのは、そんなことのように感じました。不思議への興味を失くさないこと、そして疑問から目を背けないこと。
 今あるものをただ受け入れるだけではなく批判的に考えていくことが自立するということである、物語の展開からはそんなメッセージも感じました。著者は元高校教師らしいですが、そんなことを考えながら先生をしていたのかな、なんてことも思いました。

2021年11月27日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『思想史としての「精神主義」』
 嫁姑問題は、いつの時代も絶えないと思いました。本書は、福沢諭吉や清沢満之や暁烏敏等の明治知識人による、ヨーロッパの文献学に基づく、語り直しです。福沢諭吉の愚民観や、親鸞、蓮如、歎異抄解釈や、家族問題に触れています。

Yukikoさん『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
 イギリスで中学校生活を送るイギリス人と日本人のハーフの男の子の毎日をその母親である著者が描いています。

 日本にいると意識出来ない、「日本人」、住んでいる国「イギリス」そして人種差別を日々、感じている著者の息子さん、子供はやっぱり考えが柔軟でその世界に割と早く適応するのだなあとか、やっぱり小さい頃から色々な人達と出会い、考える事がその後の人生を豊かにしなやかに生きていけるのかなあと思いました。

 大人の私も見習いたいです。
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 昨日の感想の補足です。
 感想の時間でこの本の章「プールサイドのあちら側とこちら側」を読みましたか?と聞かれ、まだそこまで読んでいないんです。と話ましたが、読んでいました!
 あの章はよかったです。
 日本人にはあまり身近に無い他人種同士の養子縁組、しかも経済的にも人格的にも優れた親に引き取られたラッキーな子供の話。
 そんな状況で丁寧に愛情深く教養や教育、お金をかけて育てるとこんな素晴らしい才能がある子供に育つんだという事が書いてあります。
 みんながみんなそんな風に育つとは限らないけれど、日本でも子供が欲しくても授からない人達に養子縁組という選択肢を選んでくれる人が増えたらいいなと思いました。
 話は変わりますが、
 YouTubeで保護猫を保護するサイトがあります。その保護猫をお風呂に入れて、トリミングして、餌や暖かい寝床を用意して、愛情深く接していると猫の表情がみるみる穏やかで優しい顔になります。
 人間も同じではないのかなあとサイトを見る度に考えさせられます。

シンカイダイキさん『ビットコインとブロックチェーンの歴史・しくみ・未来』
 ブロックチェーンは、従来の中央集権型ではなく、分散型のシステムを取り入れている。デジタルファイルは簡単に複製できるが、ブロックチェーンは複製ができない。

つやまさん『日本が壊れる前に——「貧困」の現場から見えるネオリベの構造』中村敦彦、藤井達夫
 ノンフィクションライターと政治学者が、現代の日本社会に蔓延する閉塞感や不信感の一因である「ネオリベ」について、政治的な面からとらえて対談している本です。若干話を盛っているようなきらいはありますが、日本社会にネオリベが浸透してきた経緯や、様々な政策とネオリベの関係などが整理できると思いました。

・「新自由主義」「ネオリベラリズム」は、選択の自由と競争が最重要とされる思想である。ネオリベの下では、労働・教育・医療・社会インフラなどあらゆる人間の活動が市場化され、その結果ブラック労働や格差拡大による階層の分断などが起き、社会が不安定になる。本来選択や競争が向かないものまで無理に市場化される危険もある。
・経済の問題ととらえられることが多いが、政治の問題である。昭和の時代は市場の自由と政府がかける規制との間で均衡がとれていたが、経済成長の低下やアメリカからの規制緩和の圧力などを受け、ネオリベの目指す小さな政府を実現するような政策を推進していった。ネオリベという観点から政治に関心を持つ必要がある。
・多くの一般的な国民はそこまで自由や競争を望んでいないが、マスコミが自己責任論や起業家精神などの価値観を植え付けることで、ネオリベ的な人間を作り出していった。

・平成の不況では若者や女性がしわ寄せを被っていたが、今後は中年男性にとって苦しい時代になる。「公助」が崩れたときに頼りになるのは地域社会などの「共助」だが、男性型タテ社会に慣れた中年男性は、そうした協調的な人間関係に適応できない場合も多い。幅広く教養を学ぶことで、自分は偉くないということを思い知る必要がある。

2021年11月26日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『インディゴ』
 「インディゴ」は架空の病気インディゴ症候に罹患した子供をめぐる話です。作者も作中に登場して何が現実で何が架空のことか読んでいるうちにごちゃごちゃになってきました。もしかして私たちが現実と思っている世界もそう見せられてるだけなのかななんて考えたりしました。

 今日は言葉に宿る力みたいなものの話で繋がっていた気がしました。ボルヘスわたしも読んでみたくなりました。

JPさん『詩という仕事について』
 今日読んだところは、英語の詩の訳が出てきたりして訳語を確かめながら読んでいたら、すぐに時間が経ってしまいました。短い時間のなかでも詩のなかに潜り込めたような、あまりたくさんは読めませんでしたが、時間の奥のほうに行ってきたような感覚になりました。
 私は、夜の読書がいいなと思います。
 今日の読書会には静けさを感じていました。
 これから寒くなるので、あたたかいものでも飲みながら参加させていただきたいです。そういうときににぴったりな本を探しに本屋さんにいくのもまた楽しみになりました。

シンカイダイキさん『ヴァルカンの鉄槌』
 超高性能のコンピュータの初代「ヴァルカン」が開発されたのが、1970年とされており、「第一次核戦争の初期」とあります。1992年に第一次核戦争が終わり、世界連邦のもとで新秩序が構築される。翌93年に最新の「ヴァルカン3号」が造られ、すべての政策決定がこのコンピュータに委ねられる。それに反対する「癒しの道」教団も登場し、フィリップ・K・ディックの描くディストピア小説として、1960年に刊行されています。

つやまさん『野の医者は笑う: 心の治療とは何か?』東畑開人
 腕の悪い医者を意味する『ヤブ医者』は、もともと『野巫医者』と書かれ、朝廷に仕える正規の医者ではなく、在野で治療行為を行うシャーマンのような医者のことを指していた。沖縄ではいまだに民間信仰が強く残っており、精神疾患などになった人は『マブイ(魂)を落とした』と言われ、マブイを見つけて戻すことで回復するとされる。著者は現代の心理学を専門としてカウンセリングを行う心理士だが、著者のもとでどうしても効果が現れなかった難しいクライアントが、怪しいヒーラーの診療で見違えるほど回復したことに衝撃を受け、自ら民間療法の世界を体験しながら、現代の心理療法と伝統的な民間療法の関係について調査を始める。というところまで読んでまだ序盤ですが、帯の「軽薄でないと息苦しい時代だから、軽薄なものが癒しになる」という言葉にどう繋がっていくのか気になります。

2021年11月22日:読みたい本を気ままに読む読書会

おおにしさん『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』信田 さよ子
(拾い読み範囲での要約)
 一般にカウンセリングに必要なものは共感であると言われるが、著者は考えることがより大切だという信念でDVや虐待の歴史的・構造的背景を考えてきた。
 そして得た結論はタイトルにある「家族と国家は共謀する」という暴力被害のパラダイムシフトである。
 軍隊という組織の中で起きた暴力と、家庭という閉鎖空間の中で起きた暴力とは相似形であり、前者は戦争の正当性という国家イデオロギーを守るため、後者は男性中心社会のイデオロギーを守るために、その被害が隠ぺいされてきたと著者は考える。
 米国では1980年代に、ベトナム戦争帰還兵の戦争被害者救済のために、トラウマやPTSDという病理的概念が作られた。
 その後DVや性虐待の家庭内暴力についても、被害者の認定や救済(治療)が進むようになった。

(感想)
 日本政府は古きよき家族の伝統を重んじる「家族の日」制定など反ジェンダーフリー的政策を掲げており、夫婦別姓さえ認めない。
 政府(自民党の一部?)は、日本の家制度の崩壊を心底恐れているようにみえる。
 口先ではダイバーシティを唱えながら、DVや性虐待の対策に消極的である政府は個人の多様性を認めず、家族単位で国民を管理しようとしているとしか私には思えない。

(その他)
 読書会の雑談の中で私が紹介した本は平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』です。平野さんの分人主義で私も救われました。ぜひ、手に取ってみてください。

Soi Tomsonさん『グローバリズム以降』エマニュエル トッド (聞き手:朝日新聞)
 朝日新聞の記者が1998年から2016年にかけて文化人類学者、人口学者であるエマニュエルトッドへのインタビューをまとめたもの。
 2021年の現在において彼の予想通りのもの、そうでないもの様々であるが、グローバリズムのその先に彼が何を見ようとしていたのかを人口統計や民族文化の視点から知るのがとても興味深かった。

よしだ『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』杉田俊介著
 ほかの方が読書会で読んでいて気になっていた本です。男性としては、軽々しく感想を話していいものかはばかられるテーマの本でしたが、読書会で読んでみました。

 とても難しい問題だと思いました。この本では、差別や抑圧を感じていない人はマジョリティであり特権階級であるとしています。つまり、特別な境遇になくても、いわゆる一般男性であるというだけで特権的な地位にあるとされています。そういう人は、自分が特別だと思っていないから実は生じている差別的な社会構造に目がいきにくい。

 本を一冊読んだところで、社会的に問題だと知ったところで、特権的な立場にある人が、自分ごととして本気でその問題に向き合うようになるとは、あまり思えません。もうすこし抽象化して、偏りがある社会のなにが問題なのか、深いところでの問題認識が必要なように感じました。

2021年11月21日:読みたい本を気ままに読む読書会

小澤さん『人工知能のための哲学塾 未来社会編』
【概要】
 人工知能を哲学した本。未来社会編とあるように本書では、技術的な面(内側)ではなく、社会(外側)から人工知能を考察している。
 そして技術サイドを著者である三宅さんが、哲学サイドを大山さんが担当して、それぞれ違う入口から山を登っていくという構成になっている。
 本書は図が豊富に用いられているため、書かれている内容の俯瞰がしやすい。
 ざっくりといえば、AIは単体でできあがるものではなく、他者とのつながり(社会)を持たせることで高度なAIになるということが書かれていた。

【感想】※読書中の状態
 人工知能に五感センサー+身体をつければ単体としてはそれなりに人間のように見えるとは思うが、それは人間で例えれば、ヒトという動物にすぎない。
 これに社会や文化というものを加えていくことで人間になっていくので、AIも社会や文化をいかにインストールさせるかは将来の課題だろうと思う。

 本書は社会という観点からAIを形作るというアプローチで記載されているが、AIが社会に対してどのようにフィードバックをすべきかみたいなところまで踏み込めたら、AIによる社会参加まで考えることができて面白いだろうなと感じた。
 人工知能はシリコン製の脳でできた人間を開発していくことに近いので、おのずと人間そのものを考察する必要があるので、哲学とも相性がよいのだなと感じた。

mtさん『本心』平野啓一郎著
 2040年代初頭(※)の日本では、安楽死が「自由死」という呼び名で合法化されています。主人公・朔也の母は自由死を希望しますが、朔也の同意を得られないまま事故死します。なぜ、母は自由死を希望したのか、その本心が知りたいと思った朔也は、ヴァーチャルフィギュアによって母を甦らせます。ヴァーチャルフィギュアとは、生前の情報から人工知能によってその人を再構成する装置であり、生前の姿で、聞いた話は情報として蓄積し、統合論的に返答するというものです。ただし、心はないとのこと。

 朔也はリアルアバターとして働いています。リアルアバターは、VRによって依頼主が現地へ行かずに現地での体験ができるよう代わりに現地へ出向く仕事です。感謝されることもありますが、暑い日の外出など、人が嫌がるような依頼も少なくないようです。リアルアバター従事中は、自分の意思で動くことができません。社会的には底辺の仕事として認識されています。

 自由死は個人の尊厳の問題といった文脈で語られてしまうと、社会の問題という側面が見えにくくなるように思います。しかし本書では、経済格差の問題と絡めて、社会の片隅に追いやられた人たちが自由死を選ばざるを得ないことに言及しています。ならば、金持ちは楽しんでいるのかといえば、そう単純な話でもないようです。

 属性にかかわらず人間とは記号的な存在ではなく複雑な存在であること、自分との関わりや情報によって知っている他者がその人のすべてではないこと、わかったつもりになることの傲慢や暴力性にも言及されているように思いました。ということで、分人主義だなと。

 最近、ブランディングが進んでいるなと感じる著者です。

※感想を述べる際に「30年後の未来」と言っていたかと思いますが、「2040年代の入口」と記述されていました。大変失礼いたしました。

yuさん『焼跡のイエス』
 短編でした。敗戦直後、上野のガード下の闇市で、主人公の私が浮浪児がキリストに変身する一瞬を目にする話です。なぜキリストなのか、唐突で分かりかねましたが、作者はフランス語を学びカトリック思想、社会主義思想を深めていたようです。特に浮浪児の描写が何行にも渡り綿密なのが印象的でした。

 参加の方はいろんなジャンルに分かれていて江戸川乱歩の話になったりしました。

だいぽんさん『ビットコインとブロックチェーンの歴史・しくみ・未来』
 デビューしたときからファンになった三島賞・芥川賞作家である上田岳弘さんの『ニムロッド』にビットコインの話が出てきて、興味を持ちいろいろな関連本を買い、その中の一つです。わかりやすく、ビットコインやブロックチェーンについての入門書として良かったです。
 一度、通読しているのですが、また再読したいと思い選びました。ビットコインの考案者である、サトシ・ナカモトについて大変気になります。また、次回も読みたいと思います。

2021年11月20日:テーマ「出合いたいもの」の読書会

yuさん『燃えよ剣』
 鳥羽伏見の戦いあたりで、急に作者がその跡地を訪ねるところを読みました。信じているもの、信念のようなものを持っていたとして、それが永遠でないことを薄々感じることはどんな心地かなと思いながら読んでいました。出会いたいものは真実かもしれなかったもの?

 他の方は、深夜特急でインドからロンドンまでバスで行ってみようと思い立って旅行した話や原田マハさんの食べてみたいものなど。旅行や食べ物ってワクワクするなと思いました。

だいぽんさん『ほんのよもやま話 〜作家対談集〜』
 作家同士の対談、オススメ本など興味が尽きない内容がぎっしりと詰まった本でした。

Takashiさん『ブッダのことば』中村元(訳)
 自分とか自己についてブッダはどう言っているのか?

 解説書ではブッダは自分自身というものは有ると言ったり無いと言ったりしているらしい。原典に近いものではそれをどう説明しているのだろうか。私はそれを知りたい。

 しかし今日の読書時間ではそこまで辿り着けなかった。いやひょっとして何度熟読しても見つからないのかもしれない。

 速読の世の中だが私はそこに乗れないし、かといって遅読にも程があるという気もする。まあ自分が面白いならそれでいいか。でも自分って何だ?

つやまさん『心はどこへ消えた?』東畑 開人
 ここ20年のグローバル資本主義の台頭や、新型コロナのパンデミックという大きすぎる物語の前に、個人的でプライベートな小さすぎる物語はかき消されてしまい、それを拠り所とする心もどこかに失われてしまった。しかし心は何度でも再発見されなければならず、そのためには小さなエピソードが語られ続けなければならないーー
 エッセイでは日常の何気ない出来事に対する洞察の切り込み方が、さすが心理士という感じで面白いです。今回読んだのは、著者と心理士を目指す仲間が、揃って学生時代に野球部の補欠だったという発見から、補欠はいつも世界を外から見ている存在だったので、同じように恐れながらも世界と交わりたいと願う補欠的な魂を癒す心理士という仕事を選んだのであり、補欠と心理士には魂のつながりがあるという仮説を立てる話で、本当かどうかわかりませんが妙に納得してしまいました。補欠的な魂、良いじゃないかと思いました。

2021年11月13日:読みたい本を気ままに読む読書会

Takashiさん『哲学入門』ラッセル著
 哲学の価値という最終章まで来ました。読了したら読了記念パーティーを開かなきゃ。一人で。

 畑を耕すみたいに少しずつ読んでまとめて感想を書いて、なんとなく理解したなと思って最初の方を読み直すと、あら不思議、全然わかってなかったことがわかるっていう、そんな感じです。

 人を自分の都合で見るな、自分の都合で人を見ていることに気付け、そういう風に読んでいます。今のところは。

2021年11月12日:読みたい本を気ままに読む読書会

つやまさん『居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書』東畑 開人
 臨床心理学が専門の著者が実体験を描いたエッセイで、最初の部分を読みました。著者は博士号をとって大学院を卒業し就職先を探しますが、著者の希望として、クライアントの話し相手になったり身の回りの世話をする『ケア』ではなく、心理学の高い専門性を生かして心の深い領域での交流を通じてサポートをする『セラピー』を中心にした仕事がしたいというこだわりがあり、そこに家族を養えるだけの安定した収入という条件をつけると就職先がほとんどないという現実がありました。苦労の末にようやく条件に合う精神科を沖縄で見つけて勤めはじめますが、そこは治療による回復が難しそうな重度の患者が多く、まともな会話も成り立たないため、ただそこに『居る』ことだけが求められます。役に立たない自分に対する周囲の目や、学んできた専門性が活かせないもどかしさに、「これに意味があるのか?価値を生んでいるのか?」と自問自答をせずにいられなくなるさまが、生々しくも面白おかしく描かれています。経済性や効率が重視され、何もしないことは悪とみなされがちな世の中ですが、患者や職員たちとの関わりを通して著者の価値観がどう変わっていくのか(いかないのか)、読んでいる自分はどうなのか、先の展開が楽しみです。

よしだ『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル著/池田香代子訳
 哲学にまつわる歴史が、手紙を通して順々に14歳の少女に教えられていきます。今日は、ローマ帝国の衰退から中世に突入し、1000年にも及ぶ長い中世を経て、ルネサンスに突入する前夜のところでした。
 人々は、お金を手にしたりしながら、すこしずつ自由を手にしていきます。違うクニの人と話す機会も出てきたようです。活版印刷機も登場し、教会に閉じたかたちで収容されていた聖書も身近なものになっていくはず。きっとここから、封建的な社会や、聖書に書かれた世界の成り立ちなどに、疑問を抱いていくのではないでしょうか。

 読書会では、それまでは人々は考えることをしなかったのか、という質問をもらいました。そこについては描かれていませんでしたが、一つの考えが記された本が手元になければ、それを基礎として対峙することもできず、抽象度や複雑性が高い問題を考えることは難しかったのではないかと思ったりします。もちろん、農業などの日々の仕事がよりうまくいくようにとか、目の前にある問題については考えていたはずです。でも引いた目線で世の中をみて疑問に感じたり、論を組み上げたりということは難しかったのではないか、などと思っていますが、どうなのでしょう。

2021年11月11日:読みたい本を気ままに読む読書会

原有輝さん『100分de名著 ガンディー「獄中からの手紙」』
 ガンディーの断食で、宗教対立が止むのは、何とも不思議な話です。ガンディーは身体を張ったから、インド人に支持されたのでしょうか。そこまで身体を張るのは、常人の真似ができることではないですが。そこまでできるのは、ガンディーはやはりすごい人だったということでしょうか。

yuさん『青い麦』
 夏休みに毎年過ごす海辺の町での10代の恋愛の話。植物や海の情景描写がとても綺麗だと思いました。半分くらいよんだところで、解説を読みました。青い麦が発表されるまで1920年代のフランスでは同じ階級同士の若い恋愛を描いた小説はなかったそうです。ありふれた題材のようで、そうではないところが意外でした。

 他のかたの話の中で、科学者は宗教を信じてた。サイエンスじゃわかんないこともあるというのが印象的でした。目に見えないものの存在って宗教を信じていたら感じるものなのかなあ?と思いました。

2021年11月7日:テーマ「出合いたいもの」の読書会

yuさん『獄中シェイクスピア劇団』
 テーマが「出会いたいもの」
 何かなと考え、「ちょっとした希望」だと思いました。

 獄中の囚人に演劇を教える話のようですが、読んだところは、2人のビジネスパートナーがいて客からの苦情処理や理事会への参加など雑用をひき受けてくれているように見せかけていたトニーに実は裏切られていて、職を失うところでした。読んだとこに希望はなく思い通りにはいかないものだと思いました。実と形式があり、雑用は形式だという意見になるほどと思いました。

 他の方の4大文明が出てくる舞台がイラクのフタコブラクダの話が、ワクワクするそうでよんでみたくなりました。

Takashiさん『罪と罰』『死に至る病』(2冊)
 ドストエフスキーは、どうしようもない人間がどういう風にどうしようもないかということや、100%どうしようもない人間はいないことを書いている。人間はとても複雑だ。

 キェルケゴールの「死に至る病」は、その人間を信仰という立場から解説している。どちらも非常に繊細な人間観察の書だ。

 「罪と罰」の登場人物が「死に至る病」でどの様に説明されているのかを探す作業は、宝探しに似ている。いつか一連の読書感想文として書き出してみたい。

 私が小説や哲学書を読みたいと思ってしまうのは、自分の中にどうしようもない部分があるからなんだろうな、多分。

mtさん『ヒトコブラクダ層ぜっと』万城目学著
 「出合いたいもの」とはなんだろうと考え、「ワクワクするもの」ではどうだろうと思い、『ヒトコブラクダ層ぜっと』を取り上げることにしました。上下巻あるうちの上巻を読み終えたところです。

 著者の作品には、誰もが知っていそうな固有名詞がたくさん出てきます。いわゆる「つかみはOK」です。それらの歴史的な背景などがよく調べられているなと感じる蘊蓄を披露しつつ、これがブリコラージュかと思うような見事な構成によって描かれる物語は、日常と非日常を織りなすファンタジーとして、随所に見え隠れする小ネタと確かな結末により、万城目ワールドと呼ばれています。そんな世界を描く著者を、内心、天才ではないかと思っています。

 舞台は日本からイラクへと移ります。メソポタミア文明は、今は砂漠となってしまったイラク辺りとのこと。そのイラクでのとある場面で、奇跡のような美しい風景が描写されながらも、「寿司桶」という喩えが出てきます。なんてことをと思い画像検索してみたところ、たしかに寿司桶のようだなと思いました。

 四大文明のメタファかなと思われる表現や、ギリシャやアンデスなどの文明も入れ込もうとしているのではと深読みしたくなる場面もあり、ワクワクは下巻につづきます。

よしだ『モード後の世界』栗野宏文著
 ファッションブランド・ユナイテッドアローズの創立メンバーである栗野宏文氏の本です。ファッションの世界の人は、時代の読み方と、そこにどういう表現物を合わせていくかという思考がおもしろいと思っています。

 2019年はグレー色のものが流行ると考え、実際によく売れたそうです。背景としたのは、たとえばトランプ大統領などの極端な言動に世は混乱させられており、まともな大人であれば、冷静に知的になろうという気持ちが湧くのではないかということだったそうです。グレーは黒でも白でもない中庸な色。まわりからすこし距離をとって、染まらずに考えてみようという気持ちを表す色のような気がしてきます。

 まだ前半しか読んでいませんが、これからの世界のことも書かれていそうです。それにどんな実利や実益があるのかはみえにくいのですが、意味づけというのは、なんだかとても大切なことのように思えてきました。

2021年11月6日:読みたい本を気ままに読む読書会

なかとみさん『対話する社会へ』暉峻淑子
 住民が自発的に立ち上げた「対話的研究会」の例。従来通りの受け身でやりとりの乏しい講演会を機に発足した会。各自が関心のあるテーマについて報告をし、参加者が討論をする。7年続いていて、皆勤の人もいる。

「人間である以上は誰もが考えを持たないなんていうことはあり得ません。ただそれを言葉にする仕方にためらいがあるだけです。誰もが、本当は自分の考えを語ることができる社会人の一人として、主人公の一人でありたいのです。ですが、これまでそういう場がなかっただけなのです。」

 自分もそういう場に参加してみたいと思ったし、伝統的・構造的に対話の乏しい社会で、人は対話に飢えているのかもしれないと思った。考えてみると、この読書会も本をテーマにした対話の場所なのかもしれない。

yuさん『けものたちは故郷をめざす』
 1945年の敗戦後に満州から日本を目指す少年のお話。
 突然明日、南行きの列車が出ると乗りこんだものの。母の死があり脱線があり。その世界に引き込まれました。墓に塩を盛る場面が文化を感じました。運がいいとかいうけどあの時代は運が良くないと生きていられない気がしました。

 アマゾンの民族の話で今しかないというのが印象的でした。

小澤さん『ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観』
 アマゾンにいるピダハンという部族の言語学的な調査(+宣教師の役割)に関するフィールドワークを纏めた本。アマゾンという地域なので、マラリアが家族が死にかけたり、タランチュラなどが普通に家にいるようなタフな環境のため、単なる研究結果のみではなく、そういった生々しい苦労もうかがえる本。

 この部族は言語的な面でいうと、我々からはかなり特殊に感じる。たとえば以下のような感じだ。
 ・SOVが原則の文法。ただし、Vが多様で複雑。
 ・おはよう、こんにちはといった言葉はない
 ・比較級や色に対応する言葉がない。赤だったら「あれは血みたいだ」といった表現になる

 この中で「イビピーオ」という単語の話が面白かった。
 最初、飛行機が現れたり消えたりしたときにイビピーオという言葉を使っていたので「たったいま」という言葉だと思ったが「マッチがイビピーオする」という表現をしていたため、どうやら違う。

 いろいろ考えてみるとどうやら直接的な体験をしたときにイビピーオを使う、と仮説をとったらうまくいったらしい。この部族は直接的な体験(今)を重視していて、未来のことばかり考えて不安になっている我々に思わせるものがあると感じた。

2021年11月3日:読みたい本を気ままに読む読書会

Yukikoさん『依存症ってなんですか?』
 文化の日に依存症の本を読むってどうかなと思いながら読みました。
漫画とエッセイで構成されている本です。

 依存症と言ってもアルコール、薬物、ギャンブル、買い物、ゲーム、家族、恋愛、宗教、スマホ依存など世の中は依存症になりそうなもので溢れています。
 その中で上手く、それらと付き合うヒントがあればいいなと思いながら読みました。

 この本は依存症に悩んている本人ではなく、アルコール依存症だった父との思い出を綴った子供の目線で書いたものになっています。
 依存症になった本人もさることながら、そのまわりで悩む家族、そしてそれを囲む社会の在り様や人間関係が見えてきて、依存症は本人のものだけでなく、社会や家族関係のものなのかもしれないと思いました。

 雑談の中でプラトンの理想の世界という話がありましたが、理想の社会というものプラトンがいた世界(数千年前)からイメージ出来ているのに、未だに実現出来ないというのはこれからもずっと続いていく命題なのかもしれないと思いました。

よしだ『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル著/池田香代子訳
 この本は1995年に邦訳版が出され、その当時、結構な大ブームになったそうです。僕の持っているのは「2019年5月25日 第102刷」です。

 なんでブームになったのか、当時はバブルも崩壊した頃で、、、なんていう話になったりしました。

 本の内容自体は、哲学の歴史を振り返っていくもの。哲学者たちがなにに焦点をあてて、どんな考えを示してきたのかが順々に記されていきます。

 それ自体に、今を生きるわたしたちをパワーアップさせてくれるような新しい知はおそらくありません。もっと新しいものを学校で習っているからです。

 でも、オリンピックを見て人間の身体や心の可能性を見るように、過去の哲学者たちには、頭や考える力の可能性を見るような気がします。本などの知の蓄積や、教育システムや、科学的な実験機器などが無いなかで、現代の知の基礎となるような考えを示しているからです。徹底的に理性的に考えることでどこまでいけるのか、そんなことを感じられる気がします。

 混沌としているところから物事を整理していくとはどういうことなのか、過去の哲学から学べることは、そんなことでしょうか。仮に意味づけするならば、ですけど。単純に読んでいておもしろいです。

yuさん『だれも死なない日』
 読んだところは、死ねない国があって隣の国の国境を越えたら死ねることがわかって・・というところ。死ぬから生物なのかな。死は怖いけどいつまでも生きるのも怖いな。ちょうど、質問の時間での質問が何歳まで生きればいいかみたいなことで。好きなことをすればいいのか。たとえばビーチで1日中本を読むような生活。でも毎日だとどうかなど。何がしたいことでどうなればいいのかなど考えました。

 また、スヌーピーのストーリーが哲学的だと聞き読んでみたくなりました。

2021年11月2日:読みたい本を気ままに読む読書会

yuさん『だれも死なない日』
 ジョゼ・サラマーゴ:「翌日、誰も死ななかった」人が死なない世界で人々がとる行動が書いてある小説です。殺人や寿命なんかはどうなるかと質問を受けました。まず初めに葬儀社が騒然と。ポルトガル語圏のノーベル賞作家です。

 他の方の100分de名著 ブルデュー 「ディスタンクシオン」でネットの時代はブルデューはどう見るだろうというのがわたしも聞いてみたいなと思いました。

だいぽんさん『ニッポンの思想』
 「ニューアカ」の代表的な存在である、浅田彰さんと中沢新一さんについて書かれていたが、紹介されている内容が難しく、あまり理解できなかった。もうちょと、頑張って勉強したい。

2021年10月31日:読みたい本を気ままに読む読書会。

mtさん『あなたもこうしてダマされる』ロバート・レヴィーン著、忠平美幸訳
 著者の関心事として「人はいかに操られ、自分がやると思ってもいなかったことをやってしまい、あとになって悔やむのか」が挙げられていました。仮に操られたとしても悔やむことがなければ「ダマされた」とは思わないのかもしれません。そこには、なにかしらの心理的負担が潜んでいそうです。本書は社会心理学の立場から、合法・非合法を問わず「ダマす」ことを分析したものですが、世の中には思った以上に「ダマす」テクニックが蔓延していそうです。

 一方に「ダマす」側があるとするならば、他方に「ダマされる」側があります。「ダマされる」側は、なぜ「ダマされる」のでしょうか。本書では、得ることの喜びよりも失うことの心理的負担のほうが大きいことが述べられていました。「ダマす」側にとっては、最初の扉を開けてしまえば、というわけです。そして、有名なミルグラム実験やスタンフォード監獄実験が取り上げられていました。自分の行為によって他者が死ぬ可能性があったとしても、権威による命令があればそのまま実行してしまう被験者が、全体のうち65%存在したミルグラム実験。看守役の被験者が逆らえない立場の囚人役の被験者に対し、攻撃的になり理不尽な命令を強要することが明らかとなったため、警察沙汰になったスタンフォード監獄実験。どちらも怖い話です。どちらも途中で役目を降りること、つまり失うことの心理的負担を受け入れれば大事には至らないであろうことが指摘されています。

 他国の話だからと一概に言い切れない内容でした。「ダマす」テクニックはコミュニケーションを逆手に取っているので、なかなか避けがたいもの。「ダマされないゾ!」とがんばるよりも、受け流せるようにしたほうがいいのかなと思いました。

よしだ『ソフィーの世界』ヨースタイン・ゴルデル著/池田香代子訳
 今日はソクラテスとプラトンが登場しました。名前しか知らない二人です。

 ソクラテスは、奴隷から知識人から、ときには政治権力にも、対話をふっかける人。ソクラテスと相対した人は、自分が物事をわかっていないことを実感せざるをえなくなっていく。人によっては、ソクラテスに怒りを覚える。政治権力は自分たちの立場が危うくなるので危険人物と見なしていく。

 ソクラテスは「無知の知」を自覚していた。自分はなにもわかっていない、それが怖かったらしい。だからいろんな人にいろんなことを聴いていった。

 しかしその結果、処刑されてしまう。ソクラテスが弁明すれば処刑は免れたとされているが、ソクラテスは自分の主張や行動を変えようとしなかった。

 「無知の知」がソクラテスの生き方の核であるように感じられ、どんな価値観だよと理解が追いつかないでいる。一度でいいから、いや二度目は結構だから一度だけ、会ってみたいものだ。

Yukikoさん『幸福の資本論』
 幸福には三つのインフラが必要なんだそうです。
①金融資産
②人的資産(仕事など)
③社会的資本(家族、恋人、地元など)
 この三つの中の二つを持っていることが貧困女子(一番不幸な状態)にならない秘訣なんだそうです。

 一つしか持っていないと幸福のヒエラルキーの最下層になってしまう可能性が高いので二つ持っているという状態が大事だということです。

 ①~③の状態を組み合わせると8タイプの人間にカテゴライズすることが出来るそうですが、ではその中で自分はどのタイプだと思うとどれにも当てはまらない事に気づいて、人ってそんな単純なものじゃないよねと思いながら読んだ本でした。
 でも読み物としては面白かったですよ。

2021年10月30日:テーマのある読書会「価値観の色々」

yuさん『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』
 他人事のように誰かを非難し槍玉にあげるのは理解が足りないからなのか。世界には性・民族・障害など複合差別を交差的に問うことがもはや回避できなくなっているそうだ。今日は、ジョーカー、パラサイト、バーニングと見た映画の読み解きの部分を流し読みしました。この世界は何て複雑なんだと思いました。

 「反教育論」を3巡目読んでいる方がいて、皆で小学校や高校の頃の教育環境について話したりしました。塾など久しぶりに思い出しました。

つやまさん『落ちこぼれ、バンザイ!-スヌーピーたちに学ぶ知恵』河合隼雄+谷川俊太郎
チャーリー「ぼく退屈なやつだと思われるのがすごく怖いんだ・・」
チャーリー「退屈するのもすごく怖い・・」
チャーリー「いままで一番何に退屈した?」
ルーシー「たったいまはぬきにして?」

 アメリカ社会では退屈している人間や相手を退屈させる人間は魅力がないと見なされる風潮が強く、みんな強迫観念的に楽しいことや新しいことを求めているところがあるそうだ。上のチャーリーの問いかけに対するルーシーの返答はひどいが、ひどすぎて笑ってしまうようなところに、そういう強迫観念から抜け出せるような効用がある気がする。また、日本と比べて弱さや悲しさなどのネガティブな感情を日常の中で出せないので、その代償行為としてスヌーピーが長く愛されているという面があるそう。日本でも近年は大人の漫画として受け入れられてきている背景には、西洋化による心の問題の増加という事情もあるのかもしれないというのに複雑な思いがします。読書会前の時間にちょうど暇と退屈について雑談していたのもあって、なんとも考えさせられる漫画と二人の対談でした。

だいぽんさん『インスタグラム 野望の果ての真実』
 価値観の表現としてインスタグラムに代表されるSNSを利用される方が多いと思われます。わざわざ、インスタ映えする写真を撮るために食べきれないほどの大きさのものを頼んだり。最後まで読み進めたいと思いました。

2021年10月28日:読みたい本を気ままに読む読書会。

原有輝さん『思想史としての「精神主義」』
 江戸時代の「歎異抄」解釈と、明治以降の「歎異抄」解釈との違いや、福沢諭吉の宗教観や井上毅の宗教政策がどのような影響を及ぼしているか、興味を持ちました。まだ序章を少し読んだだけですので、続けて読もうと思います。

yuさん『ノーベル文学賞のすべて』
 ノーベル文学賞とは何かを読みました。ノーベルの生涯とノーベル賞設立の経緯。遺言に「最も卓越した理想主義的な作品」に与えるとあるが、その解釈も難しいようです。せっかくだからいろいろ読んでみたいなと思いました。

 長い本を再読している人がいらっしゃり見習いたいものだと思いました。

だいぽんさん『テスカトリポカ』
 メキシコからアメリカに向かう人もいれば、南に下る人もいる。最初に出てくる女の子ルシアは後者だった。それからペルーで働き、太平洋の端、日本という国の存在を知り、太平洋を渡ることになる。大阪の違法カジノで働く中、警察のガサ入れを幸運にも免れ、川崎のキャバクラで働くこととなり、何とか暮らしていくことになったが。

2021年10月25日:読みたい本を気ままに読む読書会。

よしだ