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「進撃の巨人・最終回」願望的結末

進撃の巨人 The Final Season 完結編(後編)を観ました。
1st Seasonが始まってから 足掛け10年。途中何度も空白期間があり、気持ち的に折れ掛かった時期もありましたが、何とか最終回まで視聴し切ったことに 感無量な思いがあります。🙂

そもそも、私は原作は全く読まない派を通していたので、アニメ放送が無い空白の期間は全く情報が入らず、邪推と妄想の世界に生きるしかなく、先の見えない焦燥感みたいなものに苛まれちゃったりもしました。🤪

それでも、無事最終回を視聴することができ、気持ち的には一区切りできたと言う安堵感で一杯です。最終回では、初回から物語のそこかしこに埋められた伏線の回収がされたようで多くの謎が解決されつつも、見る側の想像に委ねるようなシーンで終わっていたりと 終わりのないストーリーに「進撃」らしさを感じました。🤔

さて、物語の終わり方については、人それぞれ受け止め方は異なると思います。これは、原作者の諫早氏の世界観に共感できるか?と言うことなんですが、例えば、主人公のエレンの結末。人類の8割までを殺りくし、途中で「地ならし」は阻止されましたが、その咎の重さは余りにも重大。死をもって償うしかないと言うのは致し方ないと思います。ジークもまた然り。なので、この結末は倫理的にも客観的にも必然であると納得できました。😐

ただ、ミカサについては、自らの手で愛する人を殺めなければならなかったと言う気持ちを察すると 余りにも不憫としか言いようがなく、この一点に何となくわだかまりを感じました。🥲

今さら、完結してしまった物語に何か言いたいというわけではありません。ただ、この引っかかったものを解消する物語を想像するのは自由かなと・・

(だいぶ禰豆子にインスパイアされていますが・・・)でもまー こんな結末は「進撃」には似合いませんね。だって、「この世界は残酷」なんだから。😱

お付き合い、ありがとうございました。😌


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