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十年樹木、百年樹人

タイトルに書いた言葉は人材を育てることの難しさを表現した言葉ですが、
私は太極拳を通じて人が自分を育てる手伝いをしたいと考えています。

私は1984年に大学を卒業して日本語教師として中国に渡りました。
そこで出会った友人の紹介で太極拳を学び始めました。

私が学び始めた時、兄弟子達は若い人ばかりでした。
老人が集まってやっている太極拳とはだいぶ雰囲気が異なりました。
老師は太極拳の研究家だったので幾つもの流派を習得していました。
入門した時がたまたま兄弟子達に陳氏太極拳を教え始めるところだったので
私の太極拳人生は陳氏太極拳から始まりました。

陳氏太極拳は動作に緩急があり、動きが複雑で当初は戸惑いましたが、
続ける内に一応型の順番は覚えることができました。

次の段階は型と並行して学んでいた太極拳の運動法則を型の中でしっかりと
体現することが求められました。練習日以外にも兄弟子達に説明を聞いたりしながら理解を深めていきました。

今、こうして当時のことを思い出しながら文章を書いていますが、当時は何も分かっていなかったなぁと感じてしまいます。

老師は何度も私に技を掛けて「私が思っている力と太極拳が求める力は異なる」ということを教えて下さいました。そのことが理解できたのは何年も後になってからでした。

老師は伝統を受け継ぐとか、型試合に出て高得点を得るということにはあまり興味は無かったようです。昔から伝わる武術としての太極拳を追求されていたようです。その為か、兄弟子達が参加する試合は太極拳の型の優美さを競うものでは無く、格闘技の試合でした。皆さん、それなりに良い成績を残しておられました。

老師は太極拳としての運動法則に重点を置いて教えておられたので、私たちは自分自身の身体の感覚を観察しながら身体を動かし、自分の頭で考えることが求められました。

老師が何か教えて下さるというのは課題を出すということであり、私たちはその答えを求めて練習を繰り返しました。

老師はある時海外に移住され、それ以来お目にかかることはできなくなりましたが、最後のお別れ会の時に私たち弟子は一生分の課題をもらいました。
その課題に取り組む内に色々な気づきがありました。

太極樹人会では30歳以上あるいは50を過ぎて第二の人生を歩んでいる方などが単なる健康体操としてだけでは無く、自分の中に新たな可能性を発見し、自分自身を育てていく為の「動禅」(座禅では無く身体を動かすことで気づきを促す方法)としての太極拳をお伝えしていきたいと思います。



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