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末寺の末事 154

 こういった伝統行事を、続かないからやめちゃうというのは安易過ぎる、それではダメだ!みたいな話は耳にタコだが、母がやったように、誰かひとりが犠牲になって持続しているように見せかけるのもダメだ!と思っている。

 そうして誤魔化しているうちに、母も高齢化した。今も続けているが、老々介護状態で、正に布施というより、犠牲という表現の方がしっくりくる。

 やめるのではなく、変容させて仏婦の活動に取り込む。『ご法座』をもっとライトにして、母や尼講の高齢者がゲスト、仏婦がホストの『サロン』、『お斎』(おとき)みたいな食事も良いけど、当番が大変なら簡単なお茶菓子で『茶話会』でも十分楽しめるだろう。

 みんなが楽しむ必要がある。基本的で単純なことだけど、軽視し過ぎだ。(何となく)続けてきたから、やれば(何とか)できるから、みたくボンヤリしたノリでやれているうちに工夫して欲しかったな。

to be continued



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