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【エッセイ】墓地は生きていることを感謝する場所かもしれない

川島 太一

「お花、出してね。ハサミも忘れずにね」
  車から出る際に母が父に声をかける。暑い日差しの中、私たちは父の生家近くに墓参りに来ていた。ちょうど去年のお盆の時期だった。

 私の両親はマメに墓参りをする。お盆やお彼岸はもちろん、年末や何か行事がある際は必ず来ているらしい。実家から離れて暮らしている私は、帰省するお盆の時期に一緒に行くことが多かった。

 両親が住んでいる家から30分程離れたところにあるその墓地は、小高い場所にあり、茶畑に囲まれている。そこからは広く街が見下ろせ、天気が良い日は遠くの山々まで見渡せる、私の好きなところのひとつだ。その墓地は全体的に整備されたものではなく、きれいな墓石が立てられているところもあれば、少し大きな石や小さな石が無造作に置かれているところもある。私たちの目的地は後者だ。花を生ける筒も土に直接埋められている。分かる人が見れば分かるが、他人から見たらただの石にしか見えないだろう。それでも慣れてしまえばお墓に見えるのだから不思議なものだ。

 父が水を汲みに行く間、母は生けるための花を選んでいた。私はその横でふと、裾に広がる街を見た。その瞬間、私の頭の中にあるイメージが浮かんだ。日本軍の軍服を着た若い男性が同じようにここに立ち、街を見下ろしているイメージだった。その男性は教科書で見たような、薄い茶色の軍服で、帽子を被り、ただそこに立っていた。遠くを見つめる目は少し寂しいような、でも安心しているような印象だった。

 私は『視える』人では決してない。しかし時々、本当に時々、頭の中に何の脈絡もないイメージが出てくる時がある。それが直感なのか、単なる妄想なのかは分からない。特に害もないため出てくるがままにしているのだ。

「こっちもお参りしておこう」
 父が残りの花を持って入り口近くにあるきれいな墓石に向かって歩いていく。これは本家のものらしい。墓石を水で洗いながら掃除をしていると父が「こっち見てごらんよ」と私と母に言う。墓石は4面あるが、父は街の方向に向いている面を見ている。私たち2人は移動して父の横に行く。母親は驚いて言った。
「こんなの今まで全然気づかんかったわ」
 その面には亡くなった人たちの名前が記載してあった。

 なぜ私たちが今まで気づかなったかというと、これまでは私たちが行く前に本家の人たちが掃除をしてきれいにしてあったため、私たちは花を生けるだけで済んでいたのだ。4面のうち、正面と裏、それともう1面はいつも見ていたのだが、街の方へ向いている面をこれまで見たことがなかった。今回はたまたま私たちが早く来て、時間もあるし掃除しておくかということになり、残りの1面に名前が記載されていることに気付いたのだった。両親なぞ40年以上墓参りに来ているにも関わらず今更気づくとは何というお間抜け家族なのか。

「結構若く亡くなっとるんやね」墓石を洗いながら母が言う。
「その20代の人は戦争で亡くなったらしいよ」父が答える。私はさっき見たイメージを思い出した。軍服で立っていた男性、もしかしたらこの人だったにかもしれない。
「こっちの子たちは双子やったんやねぇ。まだ赤ちゃんやったのに可哀そうに」母が呟く。2人とも1歳になる前に亡くなっていた。私には4歳離れた双子の妹たちがいる。双子を生んだ母はそれを見て何か思うことがあったのかもしれない。

 私は先ほど自分が見た日本兵のイメージについて母に話した。
「本当に戻ってきているかもしれんね」母親が呟いた。
 そうかもしれない。きっと毎年、ここに戻ってきているのだろう。ここから見る風景を私が好きなように、彼も好きだったのかもしれない。生きて会うことはできなかったけれども、何か不思議なつながりがあるような、そんな気がした。

 「今回もお参り出来て良かったわ。今回は色々知れたしね」
 車に戻る途中、母が言った。私は後ろを振り返って見た。日本兵の彼はまだそこに立って遠くを見ているような気がした。
 「また来るから」
 私は心の中でそう呟いた。

 『生きる』ということがとてつもなく難しかった時代もあったのだ。彼らももっと生きたかったに違いない。でも時代が、環境がそれを阻み、その願いは叶わなかった。そんな時代があったからこそ、私たちが平穏無事に暮らせている。当たり前に思えていた当たり前でないことをこの墓参りは教えてくれた。『生きている』ということは本当に奇跡なのだ。大事な人と暮らせたり、仕事ができたり、やりたいことができるということは幸せなことなのだと実感する。

 ここ3ヶ月くらいで日本を含めた世界中が変わりつつある。今はやれないこと、出来ないことも多くなってきているが、もし以前の生活に戻れたら、まずは両親とともにお墓参りに来ようと決めている。やりたいことにしては随分と地味ではあるが、『生きる』こと自体が大事だと気付かせてくれたあの場所に行きたい。

 実はその時の出来事で、ひとつだけ母に言っていないことがあった。色違いの着物を着た5歳くらいの双子の女の子たちが、日本兵の彼の周りで遊びまわっていたイメージも見ていたことを。

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