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【エッセイ】たまには悪あがきをしてもいいかもしれない

*このエッセイは2020年に天狼院書店HPに別名義で掲載されたものです。一部追記修正しています。

 その日は朝からなぜか落ち着かない気分だった。特段何か嫌なことがあったわけではない。しかし、気分が晴れなかった。なぜだろう?ようやく出張が終わり、これから日本に帰国するというのに。もやもやしながら私はパリの空港へ向かった。
 
 ドイツのフランクフルト経由で日本に戻るため、フライトの時間を確認する。私の気がかりは1点、フランクフルトでの乗換だった。この時間が1時間ちょっとしかない。地方の小さい空港なら1時間あれば余裕で乗換ができるが、今回はフランクフルト空港だ。これがかなり手強い相手なのだ。
 
 フランクフルト空港は欧州の玄関口とも言われており、国際線の重要なハブ空港でもある。そのため空港自体がかなりの面積である。ドイツ国内、欧州圏内、中距離、長距離とそれぞれエリアも違う。パリからの便の到着後、私は日本行きの長距離線用ゲートに向かわなければいけない。これがまた遠いのだ。しかも、着いたらすぐに次のゲートに行けるわけではない。その間にまた荷物チェックを受け、更にパスポートチェックを受けなければならない。搭乗時間を考えると、今回は1時間以内でそれらを済ます必要があるため、かなり厳しい。
 
 ちなみに乗換時間が短い場合は、予め機内で客室乗務員に伝えておくと優先的に早く降ろしてもらえることがある。そのつもりでフランクフルト行きに搭乗したが、待てども飛行機はなかなか出発しない。機体の調子が悪いのか、点検にかなり時間がかかっているとアナウンスがある。海外の飛行機あるあるだが、周りの乗客も少しずつイライラし始める。乗客のほとんどがフランクフルトで乗換のある人たちだった。
 
「間に合わないかも……」
 呑気にしていた私もさすがに焦り始めた。日本行きの便はそれ程多くないため、振替便になると明日の出発になるかもしれない。ホテルに1泊か、他の経由便になるか、ああ、どうしよう。私の頭の中は少しずつパニックになりつつあった。不安だけが募っていく。機内も重苦しい雰囲気に包まれている。そんな中気付く。今朝、嫌な気分になったのはこれだったのか。
 
 結局、飛行機は当初の予定時間から1時間遅れで出発した。単純に考えれば、乗換時間の1時間がなくなることになり、次の便に間に合わない可能性が大きい、というか間に合わない。他の乗客たちも不安そうだ。
 
 そんな中、到着まで30分前ぐらい突然に機内放送がかかった。ドイツ語と英語のアナウンスを必死で聴き取る。
「当機はフランクフルト空港に当初の時間よりも遅れて到着致します。乗換のお客様は、到着空港にバスが3台待機をしておりますので、客室乗務員の指示に従い、それぞれの方面に分かれて乗車ください。それらのバスでゲートに一番近い入口までお送りします。その後はできる限り早く次の搭乗ゲートへお向かいください」
 
 どうも簡単に諦めさせてくれないらしい。バスまで用意するとは、さすがに航空会社も乗客に悪いと思ったのだろう。というか、振替便を用意する手間と時間を考えたら、バスを用意する方が楽だったのかもしれない。
 
 ゲートに一番近い入口ということは搭乗口までそんなに遠くないはずだ。私は少し安心した。しかしその考えが甘かったことにすぐに思い知るのだ。
 
 到着後、すぐにバスに乗り込む。私を含む10名程度を乗せ、バスは降車場所まで全速力で走る。
 
 バスが留まった入口には空港職員がおり、大声で「あっちの方向へ向かって!」と指示する。言われたとおりの方向へ走って向かう。行く先々で空港職員が「こっちへ!」「次はあっちへ!」と指示する。走りながら気が付いた。あれ? 思っていた以上に距離がある?
 
 あちらこちらに立っている職員からはしきりに「頑張れ!」「もっと走って!」と声援が飛ぶ。さながら徒競走のようだ。私はとにかく走った。すれ違う人たちは不思議そうな顔をしたり、職員と一緒に声をかけてくれたりした。
 
 息切れをしながらパスポートチェックまで辿り着く。
「こっちだ! 早く!」
 そこにもいた空港職員が急かす。ガラガラの列に案内され窓口でパスポートと搭乗券を見せると、チェックをした職員はニヤッと笑い言った。
「まだゲートまで先は長いぞ。頑張って日本に帰れよ!」
 まだあるのか……、すでにハアハアと呼吸しかできない私は手を挙げて職員に「分かった」との合図をし、再び走り始めた。
 
 パスポートチェックを抜けると、様子が変わる。免税店や様々な店が並び、人も多くなる。指示をしてくれる空港職員はもういない。あとは、とにかく指定の搭乗ゲートに向かうだけだ。
 
 しかし人混みのため、先程よりも走りにくくなる。それでも人と人との隙間を縫いながら進む。とにかく足を前に出すことだけを考える。ゴールである搭乗ゲートエリアのアルファベットが目に入った。もう少しだ。
 
 搭乗ゲートまであとは直線だ。私はリュックを背負い直し、ラストスパートをかける。
 
 走りながら思った。私、何でドイツの空港でこんなに一生懸命に走ってるんだ?間に合うかどうかも分からないのに。むしろ間に合わない可能性が高いのに。まるでひとりで運動会をしているみたいだ。
ドイツの空港でひとり運動会、そう思ったら笑いが込み上げてきた。
 
 最初から間に合わないと諦めればこんなに苦しい思いをすることもなかった。早くに諦めれば楽だった。しかし、色々なものがそれを許してくれなかった。バスや空港職員や声をかけてくれた他の人たち、そして自分の悪あがき。
 普段であれば簡単に諦めていたことも、なぜかこの日は諦めきれなかった。たまにはこうやって悪あがきしてみるのもいいかも、走りながらそう思った。無駄だと分かっていても頑張ってみるのも悪くない。むしろ楽しい展開が待っているかもしれない。もしかしたら奇跡が起こるかもしれない。次に何が起こるかなんて誰も分からないのだから。
 
 走り続けた私はとうとう搭乗ゲートの番号を見つけた。搭乗ゲートに到着すると、ちょうど搭乗は始まったところだった。私は悪あがきをし切って間に合ったのだ!
 
 私は膝に手を置き、背中を丸めて呼吸を整えながら思った。次回以降は、フランクフルト空港での乗換時間は必ず2時間以上は確保しよう、と。

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