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「ありがとう」に変わるあいを

愛を。全ての人たちへ祝福を。

2020年も、もう今日で終わりだ。あと20時間も経たないうちに、私たちは新年を迎える。
窓の外には、昨晩から降り積もった雪が、太陽の光を吸って何も知らずに輝いているように見えた。そして、きっと溶け始めた雪をかき集めて遊んでいるのであろう、子どもたちのはしゃぎ声が聞こえてくる。

こんな年末は初めてだ。年末年始は母方の実家にお邪魔して、年を越すのがお決まりで、私もそれを楽しみにしていたのだ。だから、家で過ごしたこの数日はなんだかムズムズして、やけに静かな気がした。こんな経験は、生まれて初めてだ。父母も、家での年越しは結婚してから初めてだ、と話していた。

何も、年末年始に限った話ではない。今年は激動の年というのに相応しく、沢山の壁が私たちを押し詰めてきた。人に寄り添うことが絶対的な正しさを持たなくなり、距離を保つ優しさが生まれたことが、何よりも大きい。
愛は、やはり物質的な塊を持たないのだろう。

それでも私たちは、大勢の人に助けられて、ここまでやってきた。今日まで、生きてきた。それは、本当になんて素晴らしいことか。こうやって息が出来ていることが、何よりも変え難い宝物なのだ。

人との繋がりに生かされている。忌み嫌っていた母校が声高に掲げていたことだったが、それに生かされていることを思い知った。私たちはずっとひとりで、でも、独りじゃない。
私たちが生きるために必要なものたちを、作ってくれる人がいて、運んでくれる人がいて、販売してくれている人がいて、そして、守ってくれる人がいて。それが幾筋にも絡みあい、響きあっていたのだ。
そのことを痛感させられた。誰か一人でも欠けていたら、ダメだったのではないかと思う。

とはいっても、そんな綺麗事ばかりではなかった。変わっていく世の中で、荒んでいくような雰囲気が漂う中で、色々なことで悩み抜き、まだ心でくすぶり続けるものもあることだろう。手放さざるを得なかったこと。無くさなくてはいけなかったこと。どうしようも出来ずに、ただ見ていることしかできなかったこと。身を投げるしか、なかったこと。その全てが、私たちの決断で、それでいて人生だった。
そしてそれが脈々と受け継がれていき、文化になり、歴史になり、そして最後には無に還る。

私自身も、しょうもないことで沢山悩んで、泣いて、逃げて、たまに牙を剥いた。一番大きかったのは、部活を辞めたことかな。あともう一個あげるのならば、尾を引いた恋心にも雪解けの兆しが見えたこと。
学校での人間関係も大きく変化した。大嫌いな人もできてしまったし、逆に一生恩義を感じるであろう人もいた。自分の価値観が何度も揺らがされたし、逆に私が、誰かの思いを変えたかもしれない。そんな人々との関わりは、やはり暖かくもあり、冷たくもあった。それが、私の心を乱す要因でもあったし、また自らの信念を問われているようでもあった。

世界は平等に冷たく厳しく、生暖かく。身近にある花や木、空や光はいつだって傍に、何だって受け流してくれた。自然はちょっとやそっと、ましてや人の一生程度ではなんてことはない。それが心地よかった。

私は愛している。全ての人たちを、心から。と同時に、私は全てのものを憎んでいる。殺してやりたいと思うし、目につくものを片っ端から燃やしてしまいたい。生まれて来なければよかっただなんて毎日思う。だからこそ、私は世界が煌めいて、美しく見える。月も星も、草木もビルも、そして人間も。

それぞれが必死に生きて、そのままの姿を晒して。そんな世界が、世界で生きることが出来ているのが、私はとても嬉しい。

    

だから。
貴方も、どうかそのままで。

無理に変わろうだなんて思わないで欲しい。
貴方は、今の在るがままがとても美しいのだから。

  

来る年が貴方にとって健やかな、良い年になることを願って。
誰かの心の寄る辺になれることを祈り、変わらず文をしたためていきます。

   

それでは、良いお年を。

めっちゃ喜ぶのでよろしくお願します。すればするほど、図に乗ってきっといい文を書きます。未来への投資だと思って、何卒……!!