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【短編】しろいつばさ

「だめだよ、こちらに来たら」

今日も見つけてしまった。ああやっぱり、この世はほんとうにつらいことばかりなんだね。何時になってもこの世は変わらない。私が此処を眺め続けて、もういくつの生命が巡り続けたのだろう。眼前に広がるパノラマには、今にも思いつめた顔をして、わっかの形をしたロープを手にしている好青年。対して私は、ゆらゆらとあの世からこの世を漂うユーレイ。もうどれだけ、こんな人間を目にしてきたことだろう。目も鼻も口もなくなって、身体の質量の法則からも仲間外れにされてしまった私は、ふと気が付けばいつも此処に居た。たったひとりきりの劇場で、名も知らぬ彼らの最期が上映される。白と黒の映像を目の当たりにすると、かたちもないココロとかいったものが、その時ばかりはギュウと痛む。

此れは私に与えられた罰なのだ。そう思った。

もう思い出せない程にとおいとおい昔のこと。私はこの世で罪を犯しました。だからそう、これはその贖いで。目を背けることも、眼前に手を翳すことすらも許されず、ただその事実を直視することが私に与えられた贖罪。ふわふわりと何処か知らぬところを漂っていたとしても、たとえどんな所に居ても。ふと途端に、重力に引き付けられるみたく、どうすることも出来ずに気が付けば此処に居る。その法則だけは私を私たらしめているような気がして、その先に起こる出来事すら分かりきっているはずなのに、逃れようとも思えない私が居た。たったひとり、私しか観客の居ない大劇場。逢魔が時を束ねたひかりに照らされて、ぐるり、丁寧に鞣した皮で上品に模られた、重厚な座席に取り囲まれて。妖しくその光を反射するシートの感触だけがやけに生々しい。やがて日が沈んでいき、血の色をした深紅の緞帳が重く、重く揺れて開かれていく。開演のブザーがけたたましく鳴り響く。
――私はユーレイになってからというもの、たくさんの人たちが私の『仲間』になってしまうところを見てきた。覚えている限り何度も、何度も、何度も。ぷつん、と命の緒の切れる瞬間の、断末魔に射抜かれ続けた。モノクロのフィルムがカラカラ回り続ける。エンドロールには彼らの名前すら載らない。主演も演出も監督も、このおかしな舞台装置を用意した存在すらも、載っていない。繰り返し見続けた光景はもうその記憶すらも擦り切れて無味乾燥としていて、いつしか私の内に、何も残さなくなっていって。その走馬灯すら分かち合うことも出来なくて。ああきっと、キミもそうなんだろう。鈍い灰色をした魂が、命運を使い果たしたようにその肉体から滑り出していくのだろう。
そう、想うのに。私がどんなに願ったってもうどうすることも出来ないのに。何故か、見えてしまった。ふと見開いた視線の先。愕然とした。映し出された映像は、途端に世界に彩りを与えて、四次元の街が廻り始める。ああそうか。キミの魂の煌めきが余りにも眩しいから。そのぎゅうぎゅうに詰め込まれた脳みそと、それらが織り成す奇想天外、天空を飛び廻るかの如きその創造力。それでいて、それらを統べて動かすキミの内に秘められた工房は、滅多にない程繊細かつ精巧で。それがいつか垣間見えた天国みたいで、とても、綺麗な。――堕としてはいけない。キミを、キミだけは。その極彩色の輝きは、きっと。私が永久に愛した永遠そのもの。

まだ、こっちに来てはいけない。
死んではいけない。

キミは、まだ生きていかなくてはいけない。

パノラマから手を伸ばす。ああ、どうしようもなく君が愛おしい! そう乗り出したからだは、するりと空を切った。
何も、起きなかった。それはそうだ、だって私は、私は……。何故。なぜ、私は幽霊なのだ? どうして、どうして、こんな無間地獄に囚われている? なんで君に何も施せない?? なんで、いやだ、どうして、どうしてっ……!!

「死んだらだめだよ。君も、ユーレイになってしまうよ、」

…ああ駄目だ! 私の声は、彼には届いていない!!

私の自我が溶融していくのを感じる。キミと私の境目がわからなくなって、一コマ一コマ再生されるフィルムが引き延ばされ、ゆっくりと、虹色の木漏れ日を放ち始める。君の魂は美しい。それこそ、全てを焼き尽くしてしまうほどに清く正しい純白を背負った。

私の唯一の、光だ。

「こっちは、本当にさみしいところなんだ。だから、君は此処に来てはいけないんだよ」

……そしてやっと、私は気が付いた。

此れこそが私に与えられた罰。

この魂が君を欲しい、という。
その運命が、惨たらしく引き千切られ永劫に手に入らない宿命。
輪廻転生を重ねても何光年先も重なり合えない、その真実。

こころが、砕け散っていく音がした。心臓がぐちゃぐちゃに握り潰されて、痛い。次から次へと瞼を押し上げる涙が、頬を温く何度も伝い、溢れて、落ちていく。唇に触れた水滴は酷く塩辛くって、また視界が滲む。

ああ神よ。私の犯した罪は何なりや?

「だったらボクもそっちに行かせてよ。きっと、ここに居るよりはマシだ」

ひとつになれないと目を伏せた魂が、歪に愛した運命を共にできず、命を絶った。
巡り廻る運命は、どんな未来すら分かち合えずに。

めっちゃ喜ぶのでよろしくお願します。すればするほど、図に乗ってきっといい文を書きます。未来への投資だと思って、何卒……!!