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【経済人実業家列伝】御木本幸吉【真珠の養殖に成功】

御木本幸吉(みきもとこうきち)

ミキモトといえば真珠、真珠といえばミキモト・・・

海外にまでこう思い込ませたところに御木本幸吉の偉さがあります。

「養殖真珠の発明」という栄誉の独占は、他の研究者の功績をあいまいにしたが、日本の真珠を世界に広めた功績は誰者が認めています。

自他ともに許した「真珠王」の称号です。

世界に伝説を広めた人物、御木本幸吉にひと目会おうと、占領軍も戦後、真珠湾の異名を持つ伊勢志摩の英虞湾に押し寄せたそうです。

御木本幸吉の年表

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1858年 安政5年  1月25日 志摩国(現在の三重県)鳥羽大黒町に、父御木本音吉、母御木本もとの長男として生まれる。幼名は吉松

1871年 明治4年  青物行商を始める

1875年 明治8年  足芸を披露して英国軍艦シルバー号に鶏卵、青物を売り込む

1878年 明治11年  家督相続により御木本幸吉と改名・20歳 東京・横浜へ視察旅行

1881年 明治14年  鳥羽藩士の娘うめと結婚

1888年 明治21年  大日本水産会幹事長・柳楢悦に面会、神明浦で真珠貝の培養を試す

1890年 明治23年  柳楢悦の紹介で箕作佳吉博士に面接、真珠養殖の指導を受ける

1893年 明治26年  相島(現ミキモト真珠島)で半円真珠完成

1896年 明治29年  箕作博士の援助で半円真珠特許権を得る・妻うめ死去

1899年 明治32年  東京銀座に御木本真珠店を開店

1905年 明治38年  赤潮被害の中で真円真珠5個を発見。明治天皇に拝謁する

1908年 明治41年  真円真珠特許権を受ける

1910年 明治43年  日英博覧会に「軍配扇」を出品

1918年 大正8年  養殖真円真ロンドン市場へ

1924年 大正13年  パリ真珠裁判決着

1926年 大正15年  欧米視察へ出発・フィラデルフィア博覧会に「五重の塔」を出品

1927年 昭和2年  欧米視察中、エジソンと会見

1930年 昭和5年  十大発明家に選ばれる

1932年 昭和7年  神戸で真珠の粗悪品を焼く

1951年 昭和26年  有限会社御木本真珠が島(現ミキモト真珠島)を創立

1954年 昭和29年  9月21日 死去 享年96歳

異名は真珠王

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