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ハリー・ポッターと炎のベンチャー part3

「無理というのは、嘘吐きの言葉なんです。」

ディメンターが優しい笑みを浮かべながら、研修生を諭す。欲望を寸前で保っていた先ほどの様子とは打って変わって、極めて丁寧な物腰だ。

いや、静かに狂っているのかもしれない。声は冷静だが、そのトーンはどこか獲物を前にした高揚を秘めている。

激詰めされている女性研修者は目に苦痛の涙を浮かべながら俯いている。

今行われているのは社訓の暗記だ。といっても、ペーパーテストじゃない。全員が(冗長とも思えるような)社訓を連続で完璧に諳んじることができるまで研修が終わらないという連座制の地獄。やっと研修生の最後尾くらいまでコンボをつないだところで、彼女が二度目のミスをしてしまったところだった。

僕らはもう何時間も立ちっぱなしだ。

「自分には無理です。。本当に。。。申し訳ございません。」

彼女のこぼれた声が、弱弱しくアズカバンの虚空に消える。そんな精一杯のギブアップも、ディメンターの耳には違った響きに聞こえているようだ。

「無理というのはね、途中で止めてしまうから無理になるんです。途中で止めなければ無理じゃなくなります。もう一度皆さんに謝罪して、チャンスをいただいたらいいんですよ。」

物事を成し遂げるには狂おしいほどの執着が必要だと、言いたいことは分からなくもない。けど、それにしてもあのディメンターは少しネジが外れてる気がする。

ディメンターの自己紹介によると、彼はもともと飲食チェーンで一山当てた経営者だった。

その後、訳あってアズカバンに投獄される運びとなったものの、今は模範囚として研修担当に回されているらしい。ビジネスオーナーも波乱万丈なんだな。と内心ため息が出てしまった。

研修生が涙を堪えながら会場全体に向き直る。

「私のせいで皆さんの成果を無駄にしてしまい、本当に申し訳ございません。何とか、またチャンスをいただけないでしょうか。」

会場からの応答はない。

別に皆今の彼女を責めるほど冷静さを欠いてはいないと思う。ただ、石を積んでは崩されるような研修に少しずつ魂を吸われて、彼女に励ましの一つもくれてやる気力すらないんだ。

彼女も、普段であればこなせていたタスクだと思う。でも、連座制という仕組み、ミスを繰り返してしまったこと、そしてコンボの最後尾に近い順にいるというプレッシャーが、重大なデバフとなって彼女のメモリを抑圧しているんだろう。

石を積んでは崩される。ホグワーツで受けた東洋文学の授業でJapanの地獄についてそんな描写があったなあ。確か、親に先立つ不孝を償うため、子供に課される罰なんだとか。いくらなんでも理不尽じゃないかという感想がぼんやりフラッシュバックする。少し立ち眩みがした。

隣にいるドビーがこそっと呟いてくる。

「あの女の子、次失敗したらもうメンタル持たねえだろうな。」

~~~~~

無限とも思われた初日の研修がやっと終わった。時刻は22時を回っている。

夕食は、アズカバン・ヨットスクール内で自動販売しているよくわからない人工肉やカサカサしたパン、サプリメントだった。

この食事風景には何となく見覚えがある。ロンドンを舞台にしたディストピア小説の1シーンだったかな?

そういえば、例の子は三度目の失敗をしてしまったんだ。ドビーが予想した通り、社訓を言い間違えた瞬間、彼女は完全に魂を抜かれたような表情で部屋を勝手に出ていった。

それからずっと自分の部屋で寝込んでいるらしい。

彼女が席を立った瞬間、ディメンターは少し嬉しそうな顔で「皆さん、24時間、365日働くという気持ちを持ってほしい。そういう姿勢がきっと皆さんのこれからの案件獲得でも必要になってくるんですよ。」と言い放ち、研修室からふらふらと去る彼女を尻目にまた最初の一人から暗唱を再開させたのだった。

あの瞬間、いろいろな意味で彼女は魂を吸い取られたのかもしれない。

~~~~~

日付も変わろうという頃、相部屋になったドビーがこんな提案をしてきた。

「なあ、違う部屋とか遊びにいこうぜ」

学生のノリだ。僕もそういうのは嫌いじゃない。

「でも、外出ガッツリ禁じられてんだよな。何より、アズカバンの敷地内を深夜に歩き回るなんて正気じゃねえかもな。」

ドビーもその辺は慎重なタイプらしい。

僕は、あるアイテムを持っていたことを思い出した。

「透明マント、あるよ。」

やるなあお前、とドビーが感心する。

取り出しておいてあれだけど、彼の巨体をカバーしきれない気もする。

とにかく僕らは夜の危険なお散歩を始めることにした。

~~~~~

深夜のアズカバン・ヨットスクールはこの世のものとは思えなかった。(昼間の研修の時点で既にこの世のものじゃなかったけど)

野生のディメンターがうようよ徘徊しており、拷問道具の置かれた部屋もある。予算不足なのか、牢獄だったころの名残を除去しきれていないようだ。あまり楽しい散歩にはならなそうな予感。

やっぱり、他の部屋を訪問するのはよしておこう。ディメンターに見つかって万一死人でも出たら寝覚めが悪いし。

ふと、明かりの漏れている部屋があることに気づく。研修生の部屋ではないようだ。

慎重に近寄って、隙間から中を伺う。社員が誰かと話し込んでいるようだった。

あの顔は、、

(CEOじゃんかよ。)

ドビーが聞こえないほど小さな声で耳打ちする。最終面接で会った代表取締役社長その人だった。ユニクロ白Tシャツにデニムという、今やベンチャーの制服と化したようなコーデをしている。なぜ世のベンチャー社長はあの服装が好きなんだろうね?

立ち聞きは気が引けたが、ドビーが面白がっているので部屋の中の会話にしばらく聞き耳を立ててみることにした。

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[まあ、2割使えたらいいほうっしょ。]

[新卒で来る世界じゃないって理解できねえ情弱が大半だよ。]

[でも生き残った奴らはいい鉄砲玉になるからさ、ここでしっかり砂金洗いしとかなきゃ。幹部候補っていうか、特攻隊長候補的な笑。]

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僕とドビーは顔を見合わせる。

会話から察するに、新卒の僕らの処遇についての話し合いらしかった。

え??僕はホグ卒だしインテリ枠だよね??

一抹の不安がよぎったが、社員たちが部屋の奥のほうに移動してしまったためそれ以上の話は聞き取れなかった。

(ハリー、どうやらご愁傷様だな笑。)

ドビーが煽ってくるが、僕はめげない。最新の魔法を駆使したM&Aコンサルティングを自分の強みとして、エクセレントな業務経験を積んで、そして金持ちマルフォイに...。

なんだか散歩なんてしてる気分じゃなくなった。もっと強みをアピールできるように知恵をしぼらなきゃ。今のままじゃアップサイドが鉄砲玉だ。

ドビーの巨体を必死に透明マントで隠しつつ、その夜は部屋に戻った。

~~~~~

翌朝。

施設内にクイーンのメドレーが流れて僕らは起床した。流行をワンテンポ外していく、公共施設にありがちな選曲センスだ。

朝食会場では昨日の女の子のことが話題になっていた。どうやら、相部屋の子たちが帰ると暗い部屋で体育座りをしながら深夜のテレビを食い入るように観ていたという。

そのテレビは、砂嵐が移るだけで何も放送してはいなかったそうだ。彼女は今朝施設を出てどこかへ搬送されることになったとのこと。

一人の人生が捻じ曲がる瞬間に立ち会い、栄養バランスだけ考えられた朝食がより一層ディストピアを想起させる。あの世で食物を口にした者は現世に帰れないと言われるが、僕らは大丈夫なんだろうか。

昨日の社員の会話といい、今の僕はあまりにも不安に飲まれている気がする。今夜は金持ちマルフォイの箴言を朗読して心を落ち着かせよう。

朝食を終えると、今日の研修内容の発表があった。異常なほど活力にあふれる人財トロールが大声を張り上げる。

「えー今日はー、社会人としての一般常識をクイズ形式で学習してもらうから。昨日よりは楽かもしれませんが、気を抜かないように。」

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研修会場に移動すると、僕らは二人一組でペアを組まされた。一ペアにつき一部屋が割り当てられ、今日は少人数での研修となるようだ。

他のペアの声は全く聞こえない。各部屋は完全に隔離されているようだった。

ここでまた腐れ縁でドビーとペアになってしまった。まあいいか。

研修部屋は何か大学の実験室のような雰囲気となっており、小奇麗にされている。

しかし、その小奇麗な空間の真ん中に明らかに異質なものが置かれていた。電気椅子のような外観だ。

「なあハリー、これって...。」

ドビーが何か言いかけると、ドアがばたりと開いて昨日のディメンターが現れた。

「さて、よろしくお願いします。今日は社会人としての常識を覚えてもらうため、教師役と生徒役に分かれてみっちりロールプレイングをしてもらいますからね。」

ディメンターの嬉しそうな顔つきが、僕らの心を大いにかき乱した。

(続)














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