津波の木 |展示会リポート❶
16:00
玄関を開けて、ちょっとだけ違和感を感じる。何か忘れ物したかな。鍵を閉めながらぐるっと一周頭を巡らす。財布、スマホ、鍵。大丈夫。
3歩歩いて気がついた、涼しいんだ。
もう夏が終わる。
畠山直哉「津波の木」と福島の記憶
今日向かったのは、六本木にあるTaka Ishii Gallery。3つほど小さなギャラリーが入ったComplex665という立物の3階にあり、ワンルームの家くらいの広さだから、何かのついでにふらっと立ち寄るには丁度いい。今開催されているのは、写真家・畠山直哉の「津波の木」展。
畠山直哉は岩手県陸前高田出身の写真家で、自然と人間の営みの関わりを映し出す作品を撮る。震災後は被災した地元に度々戻って破壊された土地と復興の過程を撮影してきたそうだ。今回の個展は、津波の痕跡を残した樹木や風景を載せた写真集「津波の木」の一部作品が展示してある。
私は2021年から5回ほど被災地を訪れているけれど、震災から10年以上経った今でも行くたびにその変化に驚かされる。この前は通れなかった道路が車で入れるようになっていたり、管理が行き届かず津波に襲われてぐちゃぐちゃのまま残っていたFamily Martが跡形もなく撤去されていたり。
震災や津波の傷跡が見えなくなることと、復興することは全く違う。災害の跡地に見違えるほど新しく綺麗なものができることも、災害前と同じ姿を取り戻すことも、どれか一つが"復興"という言葉の正解ではないと思う。
傷を忘れずに、そこから学んで、地元民も新しく住む人も心地よい街を一から作る。その道のりの険しさは、部外者の自分も被災地を訪れるたびに痛感した。だから、被災地出身の写真家が記録に残そうとしている傷跡を見てみたかった。
半分の木
3階までエレベーターで登ると、シンプルな四角い部屋と受付の方が1人。こんにちは、写真撮影大丈夫ですか、と尋ねると受付の女性が黙って頷く。小説にこういう人はよく出てくるけど、現実にいるとちょっとびっくりする。
展示室に入って一番目を引いたのは、展示を象徴するこの一枚。
綺麗に半分、枝に葉が生い茂っている。写真は全て2018年以降に取られたものだから、直接津波に葉が攫われたわけではない。津波や津波に流されたものに傷つけられ、幹の半分が死んだ状態になっているため葉がつかないのだ。
他に印象に残ったのは、この写真。
2枚組で、一見どこにでもあるのどかな景色に見える。防砂林だろうか。しかし、近づいてよく見ると津波の跡が伺える。
手前にある木々は全て葉がついていない。それだけでなく、いくつかの幹はびっしりとツタに覆われている。こんな木は見たことがない。葉がつかなくなってから幾年も経過しないと、こんな様子にはならないだろう。
けれど不思議なことに、これらの写真に痛々しさは感じられなかった。震災や津波の記録写真となると、破壊された人の暮らしや人工物にどうしても注目してしまう。あくまで自然現象が自然物に対して作用したこれらの景観は、必然的な自然の循環に思えるからかもしれない。
来てほしくない未来に備えて
4面ある壁のうち、一面を閉めていたのが高知県の津波避難タワーを被写体とした作品たちだ。東日本大震災から学び、南海トラフに備えた一時避難施設が高知県にはいくつか建てられているそうだ。
のどかな田園風景にはあまりに異質に見える避難タワー。異質ではあるが、これによって将来救われる命があるかもしれない。それでも、不確定な未来が身近な景観を壊すこと、見たくない未来を毎日のように意識させられることには、きっと反発もあるだろう。
いつか心から「あってよかった」と思う日が来てしまうのだろうか。
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