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午前28時のデッサン

夢の中で誰かを殺した。
濁った目は何も言わずに、
ただただこちらをじっと見ていた。
遠くですすり泣く声がしたが、
もしかしたらそれは、
僕のものだったのかもしれない。

パジャマ代わりのライブTシャツは
汗でぐっしょりと濡れてしまっていて
着替えを探さなければならない。
タイマーで切れてしまった冷房を
0.5度だけ温度を下げて、もう一度点けておく。

金属製の水が蛇口から流れるのを、
マクドナルドの透明なグラスで
ややこぼしながら受け止める。
半分だけ飲んだら、残りは捨てる。
それはある種の祈りに似ている。

ああ、この時間が嫌いだ。
母方の祖父が息を引き取ったのも、
ちょうどこれくらいの時間だった。
70余年積み立ててきた記憶は、
ずっと昔に天使に預けて、
ついに引き落とせなくなっていたのだろう。
晩年は、敬語で僕に話かけては、
もう何年も会っていないという孫の自慢を
ずっと、していた。

外からは始発電車の発車音。
車輪が軌道と擦れ合って、静寂を台無しにする。
動き出す街との比較で、
僕はやっぱり惨めな気持ちになる。

世界が終わればいい、とさえ思う。
ブレーカーのスイッチを下げるように、
ナイフでバターを切るように。
病める者も健やかなる者も
老いも若きも貧も富も
痛みや苦しみや孤独から
平等に救い上げられて。
イエスにしろ、弥勒菩薩にしろ、
つまり全的な終末論とは、
人類の夢であった気がする。

ベッドに戻り、
あなたの明るい額を撫でる。
目をつむったまま、
ゆっくりとした微笑みで
それに応えてくれる。
多分まだまだ世界は終わらずに、
だらしない秩序の中で、
連綿と続いていく。
これからもきっと夢の中で誰かが死ぬし、
鉄道が鳴けば、顔を洗って
コップ半杯分の水を飲む。
カーテンを開けて、
あなたにおはようと何度だって言う。



人はそれを希望と呼ぶ。



文:リョータコバヤシ


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