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そこのみにて光り輝く



時刻は、28時50分。


どうも。
木曜日担当のそーかいです。


ぼくは、TAIDENの中で、
唯一、関東の外に住んでいます。


杜の都、仙台。


今から400年ほど前、江戸時代。
仙台藩祖である伊達政宗公は家臣たちに


「飢餓に備え、屋敷内に
 栗・梅・柿などの実のなる木や竹を、
 隣との境に杉を植えなさい。」


と、奨めました。

こうしてできた屋敷林と、
お寺や神社の林、そして
広瀬川の河畔や青葉山の緑が一体となった
仙台は、まち全体が緑に包まれていました。

この「まち全体が緑に包まれる姿」は
明治42年に『森の都』として
仙台の観光案内書に記載があり、

昭和に入って間もない頃から、
『杜の都』と称されるようになったそうです。


『杜の都』は、
山などに自然に生えている
樹木や草花だけではなく、
そのまちに暮らす人々が協力し合い、
長い年月をかけて育ててきた
豊かな緑を指す言葉です。

「神社や寺、屋敷を取り囲んでいる緑、
 人々が丁寧に手入れをしてきた
 緑こそが仙台の宝」

という市民の想いが込められているそうで、


太平洋戦争の仙台空襲で、
まちの緑は焼けてなくなってしまいましたが、
その後の復興により
『杜の都』は、
青葉通や定禅寺通などの街路樹や、
青葉山公園や西公園などの緑に代わり、
今もなお、繁栄し続けているのです。



そんな、仙台に住み始めたのは
2019年の7月。

およそ2年前のことです。


ぼくは、就職活動時に
「総合広告代理店にしか行かない」
という決意をしながら、

圧倒的力不足ゆえに
D・H・Aとご縁がなく、

今の会社に拾って頂きました。


そして、その拾われ方が
「仙台支店採用枠」でした。


「総合広告代理店にしか行かない」
という決意を持っていたぼくは、


「仙台か。まあ、いいや。
 縁もゆかりもないところに住むのも、
 これまた一興。」


という気持ちのもと、
ふるさと高知県から1,175km離れた
この土地へやってきました。




「東京」が好き。




仙台に来たからこそ、
強くそう思いました。


大学時代に過ごした
4年間の東京生活から、
離れたからこそわかる


「東京」の価値と、
「東京」に対する執着。


これは、ぼくの
生まれ故郷に対する
コンプレックスが
影響していると考えています。


高知も好きです。大好きです。


ただ、一生暮らしていく場所に
高知は選ばない。おそらく。


それは、なぜか。



「東京」が纏う、
一都市として収まりきらない、莫大なオーラ。
魑魅魍魎な空気感。



幾千もの黒鉛筆を輪ゴムでまとめ、
それを両手で抱え、
真っ白な画用紙が
真っ黒になるまで
ぐるぐる円を描き続けたような世界観。


「大」を前につけても許されるのは
「東京」ぐらいだろうという
圧倒的上位層の面構え。


そんな「東京」に
ぼくは魅せられてしまったのです。



東京一極集中型の
今の時代は、
かたちや意味合いが変われど、
終わりが来ることはないでしょう。


そんな「東京」に、

そんな「東京」で、

そんな「東京」から、


世界へ向けて、
ぼくは大声で叫んでいきたい。


「誇り高き日本人」という
嘘と違和感を塗りたくった言葉を
偽りなく、
ためらいなく、
みなが口にできるよう、
ぼくは、大声で叫んでいきたい。



君がいるかな
君とうまく話せるかな
まぁいいか
でもすごくつらくなるんだろうな
君が素敵だったこと
ちょっと思い出してみようかな
君がいるかな
君がいるかな
君がいるかな
君とうまく話せるかな

 by 「東京」 from くるり





文:そーかい






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