引き算の夢について @わっせ

こんにちは、taidenのノートにようこそ。月曜担当のわっせです。

先週はPCの不調により、お見苦しい文章を書いてしまい、申し訳ありませんでした。

今回はきちんとスマートフォンを使って書いておりますので、気軽に"あ行"の言葉が使えます。「さらさら肌な赤っ鼻、作家なあなたは魚が川じゃなかなかかからなかった。朝から待ったままなら雨ガッパ買ったら?」。ほら、この通り。

自由に文章が書けるということはうれしいものですが、制約があったからこそ、ちょっとだけおもしろい文章になった、ということもじゅうぶんに考えられます。これからぼくの文章にどんなボロが出てくるのか、注目しましょう。

さて、今週のテーマは夢です。

眠っているときに見る夢、目標としての夢、叶わぬと知っていてもつい想像してしまう夢……さまざまな夢がありますよね。

今回は、ぼくの将来の夢について書いてみます。

ぼくの将来の夢は、「好きなものに囲まれて暮らすこと」です。

好きな土地に住み、好きな家を整えて、好きな人と、好きなことをして、好きな時間を過ごして、好きなものを食べて、好きな時間に寝る。それがぼくの夢です。

しかし、それはとても困難な道のりです。なぜなら、なにが好きかの判断を、ぼくは引き算で行っているからです。

世界のあらゆるものから、嫌いなものをひとつずつ引いていく。そうして残ったものが、自分の好きなもの。

引用風に書いてみましたが、ぼくの言葉です。

よく、この考えは「損だね」と言われます。嫌いなものを見つけて、それに触れないということは、嫌いなもののなかに何かを見出すこともできない。つまり、なにかを得る機会を失っている。おおむねこんなふうな批判を受けます。まったくそのとおりです。ぼくは損をしていると思います。

でも、突き詰めて考えて、自分に正直に生きていきたいと考えたとき、やっぱり引き算の考えをしてしまいます。しかしそれではやはり損をしている……。そんなぐるぐる思考にたいして、どうやって言い訳をして、折り合いをつけていくか考えてみると、次のような答えができるなあと思いいたりました。

ぼくは、好きの範囲が広い

世界中のあらゆるものから、嫌いなものだけ抜いていくと、好きなものしか残らない。言葉遊びのようですが、そこに「フツー」はありません。「フツー」という言葉を使うことはありますが、基本的にはそれは好きなのだと思います。だって嫌いじゃないんですから。こう考えてみると、ぼくはぼくの考えを少しだけ認めてあげることができそうです。

ぼくの世界には、好きか嫌いかの2つしかありません。それが本当にさびしく、残念で、損をしているのか、それはわかりません。だれかの批判にたいして、ぼくは有力な反論を持っていないのです。

嫌いを取り除いていったぼくの世界がどういうものか、そういうものを映像で伝えられたらいいな、とぼくは思っています。もちろん、映像をつくるためには、嫌いなものへのまなざしも忘れてはいけません。何が嫌いで、引き算をして何が残ったのか……つまり、ぼくの夢を構成する世界であり、夢そのものであるものを、映像を通じて、お伝えできたらいいな、などとぼくは考えています。


🐶♥


文:わっせ

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