【4限目】「サンチャゴみたいな人だよね」と言ってみる(『老人と海』/ヘミングウェイ)
まえおき
第1・2回は、日本の文学作品を取り上げてきたが、本日は太平洋を越え、アメリカ文学に挑戦していく。本日取り上げるものは、誰しも作者と作品名は聞いたことがあるであろう、ヘミングウェイの『老人と海』である。
ヘミングウェイと聞くだけで、教養のにおいがプンプンしてきそうだが、返す刀で「そもそもヘミングウェイってどんな人なんだっけ?」と言われた時に備えて、まずは前提知識を入れておく。
ヘミングウェイはどんな人物?
ヘミングウェイは、1890年代に生まれた作家で、ロスト・ジェネレーション(失われた世代)と呼ばれる世代に属する。何が失われているかというと、1914年からの第一次世界大戦と1930年代の世界恐慌を経験したという意味で、こう呼ばれているらしい。ヘミングウェイを扱うだけで、世界史の知識もさりげなく披瀝できるのもオススメポイントである。
そして、その作風は、圧倒的に男性的で、作中に出てくる主人公は、ことごとく闘争的、自らの負った傷を無視して敵と戦い、敗者に対して容赦しないような非情さも備えている。
老人と海
それでは『老人と海』を使った、頭をよく見せる方法を考えていこう。なお、『老人と海』は、新潮文庫から出ているもので、100ページ強の中編小説で、そこまで時間をかけなくても読めるので、「『老人と海』読んだけどさ~」と、しっかり原典に当たっているアピールも容易にできる。また、後書きで翻訳家の福田恆存氏が書いているのだが、ヘミングウェイは、回りくどい心理描写がなく、つらいときはつらい表情をしたり、体が傷ついていたり、登場人物の内面と外面が常に一致しているので、読みやすいとも思う。
本題に入る前に、『老人と海』の物語を一行で要約しておくと、漁師である老人サンチャゴが、一人、船で海に出ていき、巨大なマカジキと死闘を繰り広げる話である。我ながら情緒もへったくれもない要約である。
ハードボイルドな、性の喩えとして
日常生活の中で、他人を誰かになぞらえて表現することは、結構あるのではないかと思う。友人や同僚との会話の中で、「『ONE PIECE』のルフィの人のように底抜けに明るい人なんだよね」とか、「あの部長、ドラマの半沢直樹みたいに策略家だよ」みたいに。勿論、漫画やドラマの登場人物を持ち出して、喩えるのもよいが、それが、文学作品からの引用であったら、頭を少し良く見せることができるのではないだろうか。
今後、こういうタイプの人を表したい場合は、この作品!というのを取り上げていきたいと考えているが、今回は、ハードボイルドな男性を形容するときに、『老人と海』の主人公であるサンチャゴがうってつけであるということをお伝えしたい(そもそもハードボイルドという言葉が「感情に流されない様子」を表すようになったのは、ヘミングウェイの小説がきっかけだとか)。
それでは作中において、サンチャゴは「どれだけハードボイル」なのだろうか?以下のエピソード・描写を見てもらうだけで、そのハードボイルドっぷりが分かってくれるものと思う。
ゆとり全盛の現代社会において、ハードボイルドな人は減ってきている気もするが、そんな人に出くわした時には是非「サンチャゴみたいな人だな」と使っていただければよいのではないかと思う。
不撓不屈な精神を伝えたいとき
『老人と海』のもう一つの頭を良く見せるポイントは、最も有名な一節にある。
前述のとおり、サンチャゴが、カジキとの死闘に勝利したところで、この物語は終わらない。ここらあたりがヘミングウェイワールドなのではないかと思うが、カジキを倒して安心したのも束の間、そこから港に帰るまでの間に鮫との戦いが相次いで発生する。上記の言葉は、最初の鮫と相対した時にサンチャゴが発したものである。鮫との戦いに敗れるかもしれない。その結果、仮に命を落とすことがあるかもしれない。しかし、それらは負けではない。サンチャゴが負ける時は、己の漁師としての闘志が消えたときであり、そして、人間としての誇りを失わない限り負けることはないと、自らを奮い立たせている一言と捉えることができる。
そうだとすれば、この一節は、結構汎用性が高いのではないかという気がする。サンチャゴのように生死がかかった場面でなくとも(そんな場面そうそう訪れない)、スポーツで負けそうなとき、仕事のプレッシャーに押しつぶされそうになったとき、受験に失敗したとき・・・。我々は常に様々な困難に直面している。そんな時に自らを励ます言葉、そして、友人や同僚を励ます一言として、「ヘミングウェイの『老人と海』のサンチャゴが言っていたけど、「人間は負けるようには造られていないんだぞ」」というように使えれば、深いところで意味は分からなくても、何か励まされているということはきっと伝わるだろうと思う。
おわりに
以上、本日は、初の海外文学を取りあげてみたが、海外文学にも精通している感じを出せれば、それはまた、各人の「厚み」にもつながってくると思うので、今後も定期的に扱っていきたい。