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【人道支援スーダン】スーダンの話をしよう③~寄付の行方~

割引あり

みなさんこんにちは
人道支援家のTaichiroSatoです

※本投稿は完全に個人の意見で団体の意見とは一切の関連のないものです。ご理解ください。


今回から、スーダンの話をしようシリーズを書いていこうと思います。
僕は2024年1月から4月までの間、西地区で活動をしました。
その際の僕の思考展開を文字におこしていこうと思います。
ただ、僕の頭の中はまだ散らかっているので、僕が経験したストーリーが文字として走りだした順番に投稿することにしてみようと思うので、既に書き溜めてある約10本くらいのストーリーは順不同で投稿していくことになります。
投稿の横にあるストーリー番号は順不同であることをご了承下さい。


スーダンの話をしよう③寄付の行方


帰れない母親と捨て子
ある日、僕は現地スタッフのマハディから相談を受ける。

マハディは医療者以外のスタッフで、病院と病院周りのコミュニティをつなぐ大事な役割を担っていた。2023年のスーダンの戦闘が激しい間も彼と何人かのスタッフたちは戦禍の病院に残り(意図して残った人も、逃げることすらできなかった人もいる)献身的に活動をつづけたメンバーがいた。彼らのおかげで紛争中も現地病院は最小限ながらも活動を継続し、完全に機能停止することなく稼働することができた。僕らが2024年1月に現地で活動を再開した時、彼はなんでも知っている病院ボランティアスタッフたちのリーダー的存在で、彼を中心に病院再稼働計画が始まったのだった。
彼なしでは今回の僕らのミッションはなかったといっても過言ではない。

そんな彼が相談をしてきたので、どうしたの?といつものようにさらっと聞き返した僕だったが、いつもはなんでも解決してしまう心強いマハディが何だかさみし気な苦笑いしていた。
僕は、これは何か難しいケースなのだとすぐに察した。

マハディはいう。
実は、退院しても家に帰れない母親がいるんだ。子供が退院しても僕らの病院に寝泊まりしているんだよ。

僕は直ぐに、母親に事情を聴くためマハディを連れ直接話を聞いてみることにした。
家に帰れない母親がいる。それだけでも大きな問題だが、彼女は何人もの子供を連れていてその中にはなんと、捨て子もいるだという。
彼女は、MSFがスーダンで活動を再開したという噂をどこからか聞きつけ、なけなしの片道だけしかない交通費を支払って僕らの病院にきた。
そして無事彼女の子供は無事退院したのだった。

しかし、退院しても家に帰るお金がない。
さらには、捨て子の面倒を見ることになり、そんな余裕も到底ないという。

この頃のスーダンは紛争によって経済が完全に麻痺していた。とある報告によると2023年後半、僕らの活動するエリアでの給料支給率は0%という報告まで出ていたほどだ。要するに政府が機能せず、経済が停止しているため、誰も給料をもらえていないという状況だったのだ。

自体は非常に深刻だった。
栄養失調で治療を終えた子供たちが地域へと帰った後、結局食べるものがなく病院へ戻ってくるという事が実際に起こっていた。

帰りたいけど帰っても仕事がない。そもそも帰るためのお金すらない。
そんな彼女に更に捨て子の面倒を見るという問題までもがのしかかったのだ。

地域問題は僕らの医療活動に大きな影響を与える。
僕らは医療支援のために現地に入って支援をしているが、これらの問題は僕らに出来る範囲を完全に超えていた。
地域経済問題、食料問題、紛争で壊れてしまった社会システムの歪みは、多くの課題を生み出し、僕らがそれらすべてを解決できるわけではない。
それでも僕らは、出来ることを見つけこれらの問題と向き合っていかなければならない。
それは時に、
「どこまでの問題解決にチャレンジし、どこまでをサポートしないか」という非常に残酷な決断をすることにもなるのだ。

いつだって僕らの意思決定は簡単ではない。
ただ何も決めなければ、決断が遅れれば遅れるほど命が失われていく。

とにかく前へ物事を進める。
僕らはチームの限界を常に抱え、自分たちの範囲から漏れてしまう人達への葛藤を持って進んでいる。

 
夜の病院の姿

マ:タイ、夜の病院を知っているかい?夜にはマットレスをもって、いろんなところから人が病院に集まって来ているんだよ

僕:なんでわざわざ病院に人が集まってくるんだい?

マ:それは病院が一番安全な場所だからだよ

マハディとの会話より

この頃、夜の病院はたくさんの人びとが集まる場所となっていたそうだ。
僕らはセキュリティ理由から日中の決まった時間でしか外での活動を認められていない。

なぜか。
夜のこの地域にはは暴力や強盗などの犯罪があちこちに出没した。紛争や災害が起こると社会的な秩序が突如として乱れ、犯罪率が上がる。非常に残念だが、これは一般的に起こる現象なのだ。

地域の人たちにとって、どこにも安心できる場所はなかった。
一方で病院には食べ物があり、電気があり、襲われる心配もない。

しかし病院を管理する僕にとって、不特定多数の人が出入りし、滞在することは悩みの種だった。
病院内での密度が上がれば適切な治療スペースや入院環境が悪くなり、感染症が蔓延するリスクが高まる。消耗物品の急激な増加や病院内での盗難までもが問題として顕在化してきていて、僕は管理に四苦八苦していた。

僕は複雑な心境だった。
今僕らが作っている病院という場所が、この地で生きる人たちにとって一番安全な場所となり、人々が集ってくる。
それによって、病院機能の一部が悪影響を受けているのも事実だったからだ。

 
ライフセービング
戦闘が激しかった2023年11月。
MSFはあまりの戦闘の激しさにスーダン国内での現地医療活動を撤退せざるを得なかった。

その間に経済が完全に陥落。上記したように給料が支払われず、病院に所属する100名を超えるスタッフは、彼らは働く時間に応じてMSFから給料という形で金銭的なサポートを受けた。

昨年、紛争が激化していた時もMSFは、ライフセービング(命を守るため、生きていく為の最低限の配給)目的で入院中の患者と家族だけでなく、病院で働くスタッフにも食事の供給がなされた。MSFは病院スタッフへも必要不可欠なものをサポートしている。もちろんすべての問題に対してカバーすることはできないが、人としてその地で生きるための最低限を確保するために僕らは日々最善を尽くす努力をしている。
この病院が安全で食事を配給する場所でもあり、完全に止まった社会機能の中で生きる人たちのライフセービングの為の機能をも担ったのだった。
 
僕らが母親に出来ること
僕を含めた各部署のマネージャー会議でこの母親のケースが話し合われた。
結果、(非公式にはたくさんの人々が病院内に滞在しているわけだが)特例としてこの家族の病院内での幾日かの滞在を認め、地域に帰るための交通費など少しばかりの金銭的なサポートもすることなった。子どもの面倒を見ることができる社会サービスとコンタクトをとり、この母親と捨て子のケースをつなぎ、支援を依頼した。それが当時、僕らに出来る全てだった。

僕らのチームのTOPであるムハマドはミーティングでこう話した。

皆、素晴らしいパフォーマンスと連携で毎日活動してくれてありがとう。
知っての通り、最近病院から人が退院しないケースが多い。
それによっていろんな問題が引き起こされている。

これらの問題を解決するのは簡単なことじゃないが、病院外の問題を僕らが全て解決できるわけじゃないのもみんなが承知のことだと思う。

事態は、かなり複雑だ。
ただ、僕らはこの地域を医療で支えるために今この地で今活動している。
激しい戦闘を何とか生き抜いた今のこの地域の人たちは、いまだに多くの困難に直面しているんだ。

経済が機能せず、こんなにも情勢が不安定の中で皆生きている。
そんな中僕らの作った病院が、一番安全な場所として地域に受け入れられ始めているんだ。

僕らの注目は、さらにムハマド集まる。
彼は続けた。

僕らの作った病院では、医療が受けれる。
水が飲めて、ご飯を食べることができて、襲われる心配もすくない。

まだまだ病院機能としては足りない事ばかりだが、これだけの短期間でそれを作ることが出来た。
この地で暮らす彼らにとって、ほんのひと時の間かもしれないが、
一番安心できる場所が作ることができた。
ひとまずそれでいいじゃないか。
あとは、今から、ここから、整えていけばいい。


僕はこの話を聞きながら、捨て子の母親のことを考えていた。

安心できる家も、帰る場所もない。
仕事もなく、生きるためのお金もない。
さらには性暴力などで望まない妊娠というケースだってある。

一見、子供を病院に置いていくという極端な行動も、明日もどうなるかわからないこの状況の中で、病院という安全な場所を見つけ、そこに子供を置いていくことが母親にとって賢明だった、ともとれるのかもしれない。
僕はこれら一連の物事に善悪を付ける立場ではないし、ただ目の前に複雑に絡み合った事象の結果があるだけだ。
ただ、それを何とかするのが僕の仕事。

少なくとも、僕が関われる範囲の人たちが、今より少しでもよくあれるように仲間たちとアイデアを出し、少しでも納得できるものを実現していくしかないのだ。
 
捨て子の母親を誰が攻めることが出来るだろうか。
捨て子の母親は社会を、そして自分自身を憎んでいるのだろうか。


点でなく線で見る
僕は現地で活動する時に、大事にしていることがある。

現地を点でなく線で見ること。

何か問題に直面している時、僕かその対応をするときは、その時一瞬でしかない。
必ず過去があり、今がある。
何が起こっていたのか、どんな背景があったのか。
そこを見落とすと、本当に大事なことを見落とすこともあるのだと常に意識するようにしている。

結局、帰れない母親は子供たちを連れ、MSFから移動の為のお金と少しばかりの生活費を受け取り地域へと帰って行った。

僕はふとした拍子に、この母親や子供たちはどうなったのだろうかと今でも時折思い出すことがある。あれ以来、彼女らは僕らの病院には戻ってきていない。
安心した場所と生きるために必要なものが彼らの周りにあることを願うばかりだ。

知ってもらいたい寄付の行方
ここでは厳しい状況を書いているため読んでくれている方達には想像が難しいかもしれないが、
僕が現地で常々感じていることは、
どんな社会情勢であれ、その地で生きる人たち、母親も子供たちも、病院スタッフであっても、彼らは本当にたくましい、ということつたえたい。
そうでなくてはならない、と言い換えることもできる。

僕だったらこんなにたくましくあれるだろうかと思うことがよくあるが、苦境も笑いに変える、なんとかなるさと前を向き続けるたくましさを、いつも彼らは見せてくれる。

しかし、ただたくましくあるだけでは生きていけない。
環境があまりにも整っていない場合は、やはりサポートが必要な人たちがいる。 

MSFへの寄付は医療アクセスを作るためだけではなく、
母親や子供たちへ、そして、社会的なライフセービングの為にも必要に応じて使われることがある。 

そこに生きる人たち一人ひとりにストーリーがある。

寄付の行方。
物を買って、現地に送るだけじゃない。
とても不安定な彼らの「生きる」が少しでも確実なものになるように。

あなたの想いのこもった寄付は、誰かの人生の時間になっていること。
そんな事実がこれを読んでくれた誰かに少しでも伝わったら嬉しく思う。



※この投稿は決して寄付を集うための投稿ではないことを理解してもらいたい。

※投稿内容は全て個人の見解です。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございます!
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また次回お会いしましょう。
Best,
Tai

尚、ぼくの投稿は全文公開にしていますが、有料記事設定しています。
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今後ともよろしくお願いします。

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