【人道支援エスワティニ】はじめの一歩の一歩まえ~いい土壌を作る関わり~
みなさんこんにちは
人道支援家のTaichirosatoです。
先日、アフリカ南半球での短期派遣を終え日本に帰国しました。
日本滞在中の僕はというと、家庭菜園に勤しんでいます。
春に植えた、トマト、キュウリ、ナス、オクラが大収穫祭を迎え、これでもか!!というくらい我が家の食卓に並んでいます(食べきれませんw)。
今年の豊作の裏には、苗を植える前の土づくりに力を入れたという「準備」がありました。
大収穫を迎えるためには、野菜を植える前の環境づくりである土作りが欠かせないのかもしれませんね。
さて、今回の投稿は直近の派遣、エスワティニ王国での活動を綴っていくことにします。
エスワティニ王国を知ってるかぃ?
エスワティニ王国?聞いたことない、という叫びが聞こえてきそうだが、これを機会にぜひ知ってほしい。南半球アフリカ南部に位置し、南アフリカの隣国に当たるエスワティニ王国。名前になじみのない方も多いかもしれないが、旧名をスワジランドという。2018年にムスワティ3世が「エスワティニ王国」に変更することを宣言したことにより新しい1ページをスタートした国だ。
国土は1.7万平方キロメートルと日本の四国よりやや小さい。王国総人口は約120万人と大阪市の人口の半分以下(約270万人)であり、小さな国といえるかもしれない。
スワティ族、ズールー族、などいくつかの民族が存在しており、使用言語は英語とスワティ語。地元民はスワティで会話をするが、国内の文字はすべて英語で表記されており老若男女英語を流暢に話す。ほとんどの小中学校でキリスト教をベースに教育が展開されているが、街の中心部にはモスクもありキリスト教もイスラム教もバランスよく在るといった雰囲気であった。
エスワティニの医療レベル
街のどこを歩いていても非常に気さくにみんな話しかけてくる非常に穏やかでフレンドリーな国民性。
安定した治安がとても印象的だが、医療レベルを考察する。
まずはインフラ。隣国の南アフリカの首都ヨハネスブルグは大都会という印象だが、そこから飛行機で約50分程でエスワティニ王国へと到着できる。
エスワティに主要部は、僕の感覚では都会とは言い難いレベルでインフラが存在し(南アフリカの田舎街がエスワティニの主要都市のイメージ)、飛行機で立った1時間乗っただけでこんなに雰囲気が違うものなのかと、ギャップに違和感を覚えたのが僕の正直な感想だった。
医療をデータから少し紐解いてみる。
エスワティニの健康寿命は 51.1 歳。
妊産婦死亡率は 240人/10万人当たり(2022年)。我が国日本は世界的に水準がとても高く同死亡率は 2.5人/10万人当たり2021年度)。
5歳未満児の死亡率(赤ちゃんが5歳に到達する前に死んでしまう確率)が 出生1000人当たり 50.0 (2022年)。隣国南アフリカは 32.63(2020年)、日本は 2.30(2020年) とそれぞれに乖離がある。
これは医療レベルを総合して表す数字とはならないが、この国の医療をイメージするための参考にしてほしい。
僕の今回の活動実際
エスワティニ王国で今回僕はどんな活動をしたのか。
現地看護師たちに看護ケアの質を向上させるため、研修を作りトレーナーとして2週間ほど活動した。
MSF(国境なき医師団)は、2024年からエスワティニ王国で新たに地域中核病院の集中治療立ち上げのプロジェクトをスタート。スタッフ研修プログラムの一環として看護ケア研修をすることになった。
ここで働く看護師達のほとんどは集中治療の経験がない。彼らに、点滴ポンプや呼吸サポートの為の集中医療機器の使い方を教え、使用注意点、病状と合わせた管理方法などを含めた1週間の短期集中トレーニングコースを作成。限られた医療資源の中で集中治療をより安全に、適正レベルで医療機器を使用し、重症患者を治療するための基本を徹底してトレーニングするというものである。
30人の看護師たちを2組に分け、朝から晩まで1週間にわたりトレーニングをした。各々が徹底的に集中治療の基本を学び、機器に実際に触れ、患者シュミレーションを繰り返し実施した。
あくまでこの研修は彼らにとって始まりで、後続のプロジェクトチームにその後のフォローは引継ぎ、僕らはエスワティニを後にした。
緊急支援マネージャー?それとも先生?
僕の人道支援は、今回で7回目の派遣。
全ての派遣が緊急支援プロジェクト(コロナや紛争への医療対応)だった。
緊急支援は、命の最前線。医療マネジメントの役割を担う僕にとって、大きな責任とマルチタスクが数か月間にわたってのしかかる。携帯電話やトランシーバー、パソコンを抱えて寝る日々がこういったプロジェクトの常だ。
しかし今回のエスワティニは、それとは違うものであった。
上記活動実際でも記載した通り僕は緊急支援を専門とする看護師であると同時に、MSFの集中治療の看護師トレーナーでもある。今回のようにニーズがあれば、現地看護師を集中治療研修を提供するため、僕らのような専門トレーナーが現地へ出向く。
自分を先生と呼ぶことは今後もないと思うが、一般的には先生のような立ち位置であるのかもしれない。
先生として教育に関わる僕は、毎日目の前で命が失われていくような緊急現場とは違い、緊迫したストレスを抱えることはない。
今回の出発前に家族から、いつもよりも出発前の表情が穏やかだね、と言われたゆえんはそこに現れていたのかもしれない。
僕の意向
基本的にMSFで派遣先が決まる際、個人が行先やポジションを選ぶことは出来ない。世界中のプロジェクトの中から必要な人材がリスト化され、自分の専門性やパフォーマンスレベルが一致すればマッチングとなり、両者承諾の上派遣が決定する。
僕のように少し派遣回数が増えて僕自身に出来ることが増えてくるといくつかの仕事の中から派遣を選べるようになってくる。実は数年前から研修のポジションの依頼は来ていたのだが、緊急現場が続いていた為受けれずにいた。今回はようやくタイミングが合い、僕から希望しトレーナーとしてのポジションを獲得し、ついに実現したのだった。
今回僕がトレーナーを希望した一番の目的は、マネージャーとは違った立場からスタッフ一人ひとりの医療の質を上げるためにじっくりと関わる、そんな時間を作りたかったから。
マネージャーとしての僕は、プロジェクトを前に進める大きな責任とマルチタスクを抱え、全体のバランスをみながらスタッフたちと関わることになる。もっと患者や家族、医療スタッフたち一人ひとりにじっくり関わりたいが、マネジメントポジションではそうもいかないことが多かった。
いつもと違うポジションでプロジェクトを見ることは、今後の活動視点の幅を広げることにもなる。マネージャーとしてだけでなく、新しいポジションにチャレンジしてみたかった。
もう一つ。
僕自身の「息つぎ」の時間を作ったという意味もあるのかもしれない。2020年から4年間休みなく最前線へ身を置き、全力で泳いできた。7回の派遣で世界の流れやプロジェクト運営の全体像が見えてきたところで、一回 ぷはぁ と息つぎ、いろんな角度からプロジェクトを見て見たくなった、というところもあるかもしれない。
これは実は僕自身の気持ちもあるが、5回目や6回目の派遣終了時に担当者とディブリーフィング(派遣の振り返り)をした際に、少し息抜きをしてみたらどう、と言われて考えてみた事でもあった。
今回のトレーナーとしての派遣は、1か月未満でプロジェクトへ関わる、僕にとって新しい人道支援への関わり方が出来たきっかけになった。
エスワティニ派遣を終えて思うこと
じっくり現地医療スタッフと向き合い、一つひとつ僕の経験をシェアすることが出来た貴重な時間だった。
プロジェクトの立ち上げや運営など、時期出来なものだけでなく同じ看護師でもプロジェクトに関わる時期や役割が違うと見えるものが全く違う。
エスワティニプロジェクトの看護師マネージャーであるドイツ人のロミと、マネージャー目線で、とここが大変だね、こんなところが難しそうだね、なんて会話をしながら、彼女は全体のことをバランスをとりながら考え、走り回っていた。僕のようなトレーナーは、マネージャーでは行き届かないであろう、個ー個のきめ細かなサポートをする。
集中治療の基本をトレーニングでサポートし、彼らが現地医療をリードする中心になっていく。
多くの命が救われるサイクルのきっかけを作る。
そんな形のスタートができた気がする。
もちろんこれですべてが上手くいくわけがない。
そんなに簡単に回っていかないことも知っている。
ただ、何もしなければきっかけは生まれないし、根付くまで根気強く気長にサポートをすればいい。
僕は、また緊急現場に戻るだろう。
緊急マネージャーに戻ったら、遠慮なくトレーナーを呼ぼうと思った。
一人では抱えきれない事ばかりだ。
今の自分に出来ないことを仲間の手を借りて実現する。それでみんなが打ち込める環境ができる。みんなハッピーじゃないか。
そして時々は、トレーナーとして、自分が緊急マネージャーを支える立場になって、いろんな角度から人道支援の一助になっていけたらいいなと今は思う。
報告
「息抜き」の話が上記であった。僕にとっての「息抜き」の延長線上にあるかわからないが、今回の派遣が終わり、2024年8月から新しいチャレンジが始まる。
それは、短い期間であるがMSF日本オフィスでの仕事が決まり、日本から活動を支えてくれるスタッフたちと共に活動することになった。彼らの仕事を理解し、手伝えることをとても嬉しく思う。この日本滞在期間で、発信(講演や教室、記事など)と国際社会への働きかけ(外務省や製薬会社との関わり)など、様々な新しい活動が僕を待っている。そして、プライベートの時間を使って、僕なりのアウトプットの時間を作っていきたいとも思っている。
おわりに
はじまりのきっかけを作る
僕はエスワティニに
種を植える前の土を作りに行ったのかもしれない
後の人が種を植え、水をやる
いい土があれば、力強く良い芽がすくすく育っていくだろう
時間が経ち 全ての過程がつながって
彼らは雨にも風にも負けない強い幹になっていく
僕らは医療者を支え
彼らが患者を支える
つながる医療の
はじめの一歩の そのまた一歩前
土づくりから始める医療支援
そんな先の長いつながりを意識した今回の派遣だった。
次は一体どんな時期に関わるのだろうか
苗植えか、水やりか、それとも収穫に関わるのか
日本での活動も含めてワクワクが止まらない
Best,
Tai
※投稿内容は全て個人の見解です。
最後まで記事を読んでいただきありがとうございます!
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また次回お会いしましょう。
尚、ぼくの投稿は全文公開にしていますが、有料記事設定しています。
応援し応援される関係になれたらこんなに嬉しいことはありません。
今後ともよろしくお願いします。
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