「不快なもの」を絶対見たくないけど、お金もそんなに出したくないので、わたしのための世界になれ。
だれしもに「不快なもの」はありますね。あなたにも、何かしらあるでしょう。納豆のにおいを不快に感じる人は多いですし、労働は不快なものとして扱われがちですし、そもそも生きることがだいたい不快です。「不快なもの」に縁のない人生はなく、それはあなたも決して例外ではないはずです。
さて、近年「不快なもの」への対処がよく問題になるようです。
社会は「不快エネルギー」で回っている
相当な富裕層をのぞき、あらゆる都市部での快適で文化的な生活は、その立派さとはほど遠く「格安なサービス」として我々に提供されますが、それはたいてい「広告を見せられること」で発生した収益でまかなわれています。
広告とは、そもそも広告を見たくない人に見てもらうためにあるわけですから、広告とは不快なものです。その「不快エネルギー」を我々は企業に提供することで、運営費に釣り合わないほど格安で良質なサービスは運営されているわけですね。つまり、社会は不快エネルギーで回っている。
いくらするのかわからないバカデカエンジンを乗せて都心を休みなしでぐるぐる回り続けているデカくて四角い鉄の箱に、なぜか200円ポッキリで乗れたりするのは、そういうわけですね。
さて、そんな「我々の生活のための広告」に、一部の人たちの「不快だ!」といった抗議が、いたるところで発生し、その都度盛り上がりを見せているようです。
回転ずしが「1皿100円」なワケを考えてみよう!
寿司好きな石油王が趣味で運営してるからではありません!
「回転ずし」が100円なのは、「1000円する寿司」よりも、徹底的にサービスを最小化し、その「最小化されたサービス」に合意したユーザーだけが、そこを利用しているからです。
水はセルフサービスですし、上着をかけてくれることもなく、接客も最小限で、匂いのする納豆巻きはレーンを流れていきます。それが嫌な人は「1人1万円する寿司屋にいく」か、おうちでお寿司を食べてもらうことになっています。
こうして、我々は「不快エネルギー」を通貨にして、文明からハイクオリティなサービスを考えられないほどの低価格で受け取ることができるわけです。お金を払えば不快エネルギーを支払う必要はへっていきますし、お金がないなら不快を許容する。社会は、そうして回っています!
リプライを見てみよう!
上記のツイートに反応が集まっているので、せっかくだから実例を使って考えてみよう!
新聞は「フレンチレストラン」??
「フレンチレストランで嫌いな納豆を突然出されることに対しての文句」ということだけど、これは一体なんの話なのだろうか?
いや、まさか「コンビニで売られている160円のニュースペーパー」のことじゃないよな・・・?
もしかして・・・
フレンチレストランって・・・
すかいらーくグループのことかな?
男性向け一般漫画は「犬の死体」?
どうやら「月曜日のたわわ」という一般紙に連載されている男性むけ漫画について話しているっぽいんだけども。
おすしたべる