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nakameguromt
5/14 「ただ『多くの大人』と関わってきた恩恵について。」
なんでもかんでも、やたらに「質がたいせつだ」と言いたがるひとは多いのだが、そういうひとほど全体的に質が低くて、質を判断できるほどの質がない、という(服を買いにいく服がない、といった種類の)問題がある。
さて、わたしが質を判断できる質があるのかについての判断は、ウォッチャーのひとびとに任せるとして(仮説がどこまでも宙に浮いてしまう)。きょうは「人間関係の、純粋な量の恩恵」ついて語ってみることにする。わたし自身も、これまで多くの人間に関わってきた。
いまでこそ、質的にもかなり多様な人間との関わりを得ているわけだが、それはあくまでここ10年程度のはなしで、それ以前は環境に規定された数限りあるバリエーションの大人たちと関わってきたわけだ。あえて、その時代にフォーカスしたい。ただただ、量を追うことの恩恵を追う。
以下のスレッドの続きでもある。
『毒親』についての問題になると、皆なんとなく「最近の親は質が低下してる」みたいな話を始めがちだけど、個人的にはまったく違う見方をしてるんだよな。これまで5000人に奢られた中で、親子関係についてもかなり触れてきたけど、俺は「子育ての協力者が著しくへった」というのに問題があるとおもう。
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) May 14, 2023
「親が偏った考え」だと、それが必ず「毒親になる」というわけでもない。たいせつなのは、「そっか。親の考えも、たくさん存在する大人の考えのひとつにすぎないんだな」と気づける環境があるかどうか。だから、それこそ文字通りに「家に大人がたくさんいる」のが一番よね。おれんちは10人いたけど。
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) May 14, 2023
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