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ぷろおごマガジン

3分で読める文章を、ほぼ毎日のように書きます。おれにケーキとコーヒーでも奢って話を聞いたと思って。まぁ、1日30円以下だけど...。
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2024年6月の記事一覧

6/29 「印象と実態について。」

今回は月末ということもあり、マガジン読者に向けて少し高度なお話しを。あんまり告知を考えず、ひっそりと書いていく。 最近はかなり外側の世界に意識が向いており、なるべく社会的に振る舞おう、なるべく国内に存在する「多数派」のひとたちを意識しながら暮らそう、そして、そこから生じるアウトプットを活かそう、というフェイズだったように思う。 なんといっても「印象」がものを言う時代だ。いかに印象をコントロールできるか、ということが、ほかのあらゆる重要項目よりも飛躍的に重要視されているよう

6/27 「ポンコツの私でも、『子育て』をした方がいいですか?はい。むしろ、ポンコツほどしてください。」

「私もアラサーになり、子育てについて考える。無能ポンコツの私でも、結婚して子育てすべき?🤔」という問題だよね。 うん。そう思うよ。いや、むしろ強くそう思う。あなたが無能でポンコツであればあるだけ、あなたには結婚・子育てをするメリット、いや、むしろ必要性があるんだ。説明してみよう。 たとえば仮に、あなたがめちゃくちゃ美人で、それなりに仕事ができて、「多くのひとから求められる生き方」をできているとする。 それでも、あなたは劣化するよね。歳をとる。すると、見た目も老けるし、体

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6/26 「コミュニケーションを怠ると、なにが起きるか?非モテ男子から考える『コミュ障』について。」

コミュニケーションについて最も感じるのは、多くのひとが「それを怠ることで生じた不利益」によって苦しめられている、ということだ。 何故あなたはコミュ障なのか。非モテ男子とはなにか?

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ひとりでさみしい/家族のような関係がほしい(1)【ぷろおご伊予柑の大預言】

対談:ぷろおご伊予柑の大預言をアーカイブしています。 収録は2024年4月です。 自由のつぎに欲するのは、家族のような関係だった 伊予柑:久々の収録です。今回は聴衆として、22歳以下の若者が8人ほど集まって、収録を眺めています。みなさんぷろおご図書館のメンバーです。 今回のテーマはこちら。 【ひとりでさみしい/家族のような関係がほしい】です。 伊予柑:大学生たちに切実な悩みを聞いたところ、すごくストレートな「ひとりでさみしい」というのをもらいました。大学生たち、とくに

6/22 「どのように生きていくかについて迷ったとき、『なにを考えるべきか』について。」

わたしたちは、よく「ひとに流されて生きるのはよくない」といったメッセージを受け取るけれど、これまで散々にひとに流されて生きてきたわたしからすると、「じゃあ、どうやって生きたらいいんだ?」と思ってしまう。そこに流れがなかったら、やっぱり船をだすのは難しい。 どのように生きていくかについて。それに迷ったとき、なにを考えるべきかについて。ひとに流されて生きることの是非について。

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6/21 「わたしのビジネスに関する考え方について。」

自分で言うのもなんだけど、わたしはビジネスが上手いと思う。たしかに大儲けする能力はない(主にそこに存在する、大きなモチベーションという絶対的な素質に欠ける)けれども、昔からひとを10人食わせる程度のビジネスなら、なんなく作ることができた。そして、これに関しては「再現性がある」と考えている。つまり、能力ではなくて、だれでもわかる理論なのだ。 わたしのビジネスに関する考え方について書いてみる。

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6/20 「あらゆる『ドン底の人生』を抜け出すために。」

わたしもこれまで散々な人生を送ってきたと思っていて、小学生の段階で「多重債務」を抱えていたし、高校では「うつ病」と「自立神経失調症」の診断をうけて、その後、気が狂って金を持たずにいったチェコやらオーストリアでは家もなく金も友人もなく、強盗・餓死・凍死の危機に瀕死ながらも、なんとか無傷で帰ってきたりした。その『ドン底』に比べれば、今のわたしはいくらか悠々自適に暮らしていると言える。 わたしはどんなにドン底の場面であっても、ものごとに「優先順位」をつけることだけは常に忘れずにい

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6/18 「儲かるスキームの中に潜む」

ひさしぶりに、ここ最近の個人的な話でも。 じぶんに起きつつある変化とか、そういう自省的でとくにオチも内容もない文章を書く習慣。

6/17 「わかりやすい『たとえ話』をするための『5つの能力』について。」

わたしはよく「たとえ話がわかりやすいですね、なにを考えているんですか」と聞かれることがあるんだけれど、ちょうど数時間前にもおなじようなシチュエーションがあった。彼は工学系の修士で研究をしているひとで、まさに「そういう聞き方」をしてきた。 そうだなぁ。すこしぼーっとしてみる。なんとなく、情景がうかんだ。そうそう。ちょうどね、『シュミレーター』みたいなものを動かすんですよ。頭のなかにある、そこに『いままでのデータ』が入っていて、そこに『今回の数値』を打ち込むと、あるフィードバッ

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6/16 「なぜ『レンタルなんもしない人』は増えないのか。あるいは、『おもしろさ』について。」

なぜ「レンタルなんもしない人」が一人しかいないかというと、それは、彼が「ただレンタルされているだけの人」なのではなく、「レンタルされたあとにツイッターでバズることを言う人」であるからで、それが他の人には難しいからである。 このように、あらゆる「競合がいないサービス」には、じつは「みえづらい独自性」が存在している。では、ツイッターの「奢られているだけのひと」は、ほんとうに「奢られているだけのひと」なのだろうか? よくみるアイツは、なにをする人なんだろう?

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6/15 「愛嬌とは、卑屈さを感じさせないことなのかもしれない。」

あんまり「役に立たない」のに、なぜか「煙たがられていないひと」には、かならず「愛嬌」があると思っている。それが誰しもにそうと分かる形をしているわけではない、しかし、そこにはかならず「愛嬌と呼ぶべきはずのもの」があると考えている。もしもなにも見つからないのなら、おそらく「わたしがしらない愛嬌」がそこにあるはずなのだ。

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6/14 「すべてを『環境のせい』にすれば、人生は好転しはじめる。」

「環境のせいにしてはいけない」という意見をよく聞くけれど、わたしはあらゆる出来事を環境のせいにして生きてきたし、それでうまくいったし、これには再現性もあるとおもう。つまり、これを読んでいるあなただって「環境のせい」にして生きてもいいのだ。

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6/13 「承認欲求をきらう人ほど、それに乗っ取られる。」

ひとには、チヤホヤされたい気持ちがある。それは食欲や性欲とおなじように、わたしたちの先祖が繁栄の過程で、遺伝子という箱に残した「遺品」だ。その呪いは、死んでも解けない。 「チヤホヤされたい」という気持ちを否定する流行りがある。「チヤホヤされなくたっていいんだ」と、その欲求を突っぱねるスタンスだ。わたしはすこし、懐疑的になってきた。

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6/12 「ある出来事から『おもしろさ』を切り抜くテクニックについて。」

これまで、そこそこ村上春樹の作品をよんできたのだけれど、そのなかでも何度でも読みたいとおもうほど個人的にフィットしたと感じたのは『騎士団長殺し』という作品だった。 その作品のなかで主人公は「肖像画家」をしていて、肖像画におけるメソッドを心中で呟いているシーンがある。わたしは、この部分に「わたしのライフワーク」との共通項を感じ取らずにはいられない。 一見、ほかのひとからみれば退屈におもえる作業の中にねむる、べつのベクトルを持った洗練的な仕事について。 「おもしろい出来事が

¥300