セカンドハーフ通信 第11話 些細な日常にある真理

些細な日常にある真理 

ふだんなにげなくやっていることでも別の視点から見ると深い示唆に富んでいるように感じることが時々ある。先日、ターミナル駅のエレベーターに乗りながら思ったことがある。

エレベーターに乗る人は大きな川の流れのように整然と前に進んでいく。それはまるでそれぞれの人生そのものを象徴しているようにも見える。多くの場合、左側は止まってエレベーターの流れに身を任せている人だ。一方右側はなにかに急き立てられるように先を急ぐ人。

それぞれどちらかを選んでいくのだが大方の人は整然とルールに従っている。ごくたまに真ん中に立って両側をふさいでしまう人もいる。周りを気にしない人。あるいはルールがわからずに右側に立っている人もいる。片側に寄ることはなんとなく察知するものの、どうすればいいのかわからないのかもしれない。仮に慣れていないとしても周囲を観察すればルールは見えてくるはずだが、そこまで気がまわらないのだろう。

自分は今までいつも右側を急ぎ足で進んできた。特に急いでなくても右側ばかり使ってきたように思う。急いでいる時はともかく、理由もなく急ぐのはなぜなのだろう。

時には左側に立って周りを見ながらエレベーターに乗ってもよかったように思う。

エレベーターを使わず階段を歩くという選択肢もあった。エレベーターで行くか、階段でいくかというのも人生の選択を暗示しているようにも思える。

新しい生活が始まり、ゆっくり歩きだしたことで、日常のなにげない光景が今までと違って見えてきた。これからの生活についてのヒントを貰ったように思えて、不思議な気持になった。

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