見出し画像

アーティスト、つながる時代

各国のアーティストたちに、動きあり。
SNS交流や友人関係のレベルではない、未来の共有だ。ストイックな単身で傑作を生むゴッコは過ぎ、アーティスト同士は、つながりはじめた。

--------------------------------------------------------------------------
太一(映画家):アーティスト業界情報局
×
日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
--------------------------------------------------------------------------

『 最近のはなし: 』

例年にもまして引きこもっているわけだが、とても出逢いが多い。
そもそもに監督という職業は、出逢いが多い。

企画開発時には事業家たちと、撮影準備に入ればプロダクションや俳優たちと、撮影が始まればスタッフたち、編集が始まれば配給宣伝のチームを介して企業広報と、完成してプロモーションが始まればローカルな事業家や大勢の一般人と交流することとなる。それが複数重なれば、出逢いに溺れる。

国際舞台で作品を創っているわたしのような亜種には例外も多いのだが、ワーク フロム ホームとリモートが一般化した今年は、何かの垣根が消滅した感がある。もともとわたしは一切、“電話”に出ない。営業電話が多すぎて機能していないことが理由なのだが、それが今は、SNSを介したDM.になっている。関心を持って貰えることはとてもありがたいのだが、その話ではない。

みんなどうやって、そんなに大勢の人々と交流できるのだろうか。

大勢の顔と名前を覚え、相互の関連を理解して紐付けつつアップデートを欠かさず、その上でなお、仕事、友人、親友、家族などと格付けして管理しているようだ。そんな技術、才能、労を、どこで学び、いつ習得したのか。

わたしはといえば、“好きな仲間”しか覚えられない必然、平等にはなれず結果、「近しい人びいき」というルールで生活している。不義理失礼している方がいらっしゃったなら、“しょせん幼児並みの交際力”だと、笑い流して欲しい。そばに現れてくれれば、“ひいき”する。

さて、はじめよう。


『 アーティスト、静寂の日常に危機 』

籠もって作業している日常は構わないしかし、その活動の場に、問題が残る。アトリエやスタジオ、その環境自体が、世界と繋がらねばならない時代だ。アーティストはもう、独りきりで作品を生み出すことはできない。

ここでも度々取り上げている「プロセス エコノミー」という概念、この信憑性が国際的に証明されつつある。“完成作品ではなくその課程を事業化する”ということ。

アーティストにとってみればつまり、「完成作品だけじゃなく、その課程でもアウトプット必須。なお、自分も出なきゃダメ」ということ。

『 なぜ創作環境は変化したのか 』

映画は、単純な創作活動ではない。事業と創作の両輪である。

エンターテインメント映画が牽引するこの映画産業においてはHOLLYWOOD超大作とアニメーションを中心に、“事業”の側面が強かった。

ストリーミング企業の参入でマーケットが分岐、全く異なる進化を続けた結果ふたたび、“創作”の比率が大きくなり、現状に至る。

そんな中に、「NFT」(※トークン化されたデジタル資産)が表れた。つまり、既存の配給や販売、放送やストリーミングではなく、SNS並みに早くて電子通貨と同じ仕組みで “作品を発表できる” ということだ。

(※「販売」だと説く人もいるが、そうではない。“マーケティング無くして販売無し”は劇場公開と同等であることからNFTそのものはつまり、“発表”である。)

このスピード、その規模が、アーティストの活動領域を爆発的に拡大しているのが、現在だ。この流れは加速し、やがて我々がまだ体験したことのない近未来に到達する。ルールも経験も一切通用しないその場所こそが、
映画産業の次のフェーズだ。

アーティストの創作活動はもう、個人で行える規模ではない。それは現状の話であり直近たとえば本年末にはもう、“正しい仲間”がいなければ滅ぶ時間の中に放り込まれる事実を、認めねばならない。たくさんの友人、無数の仲間など、まったく通用しない。

“正しい仲間”だ。
正しい仲間とはつまり、
近未来への路、ルール、装備、実行力を有している者のことだ。

『 本日:麻生太郎財務相発言@財政金融委員会 』

このムーブメントが注目されたのは、本年の1月。まだ半年も経過していないにもかかわらず、その勢いは今日の財政金融委員会で麻生太郎大臣が「NFTでイノベーションに取り組むことは喜ばしい」と発言する程度のリアリティと影響力がある。

選ぶかどうかは、関係ない。
乗るか滅ぶか、だ。

“NFTで作品を発表しろ”ということではなく、
この時代の全可能性が、観客の可処分時間を奪い合う、貴方のライバルだ、ということ。それに勝利せずして、貴方の作品は誰の目にも留まらない、という事実の話だ。真実など、どうでもいい。これが事実だ。

『 天才の発想など、無価値 』

企画開発段階から、方法発信を始めるべきだ。
それこそがプロセス エコノミー の入り口であり、練りに練り、大切に温めてローンチに備えるなど、昭和の所業。なんのための隠匿なのか、考えてみると良い。企画を隠し育てる、それは、ただの慣習であり、愚策だ。

「企画を盗まれたら大ごとだ」

という可愛い大人も存在するが、天才の発想ですら同時に300人が想いついていると言われるアイディアに、なんの価値があるというのか。
重要なのは、アウトプットである。「完成品」ですらなく、制作過程もアウトプットしてこその、価値だ。

『 国際機密情報規約 』

ある世界最高峰の映画メディアについて、「情報収集規約」を公開しよう。
二大映画メディアのどちらか、だ。友人が多いので、口外は避けたい。

■ 機密情報共有窓口規約:
☑ 匿名維持の手順
・ 自宅や職場のコンピューター、ネット接続から連絡してはいけない。
・ 監視カメラから、モニター画面が見えない場所を選ぶ。
・ 公共のWi-Fiネットワークを使用して、特定されない状況をつくる。
・ 通常使用するアカウントとは別のアカウントを使用する。
 → Torブラウザをダウンロードし、Tailsのような安全なオペレーティングシステムを使用することを検討すべき。
・ 電子メール、電話、またはソーシャルメディアを介した私たちとの個人的なコミュニケーションは避けるように。
・ 情報流出を調査している人は、あなたの習慣をたどることであなたを発見できることを理解し、日常ルーティーン下での連絡をしない。
・ あらゆる記録は、すべて削除する。
 → ドキュメント、Web履歴、メッセージ、連絡先の証明を消去し、通常アクセス可能な場所に通信やアクティビティの痕跡を残さないこと。
・ あなたが情報源であることを、誰にも言わないこと。

スクープ狙い、だ。
実に古い。現代は、巨大な本社ステージで大々的な中継と群衆を前にポケットから新製品を取り出してみせる時代ではない。国家間の最重要な決定事項も個人アカウントから、140文字以内のツイートで発表されるのが通常だ。

そこから更に、時間は進んでいる。
アーティストは、正しい仲間と組み、これまでの業界常識を捨てて、制作過程からいや、企画開発段階から直ぐに、公表を開始すべきだ。

あぁ、ところで。
まだ日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際News:監督のすばらしいアイディアはどれも、それほど独創的ではない。

映画監督たちは、すばらしいアイディアを持っている。彼らはそれを守り、騙されないための努力をしている。だがそのアイディアは監督が想っているほど、独創的ではない。知的財産弁護士であり、脚本家でもあるJohn L. Geigerが語る。「“偉大な文学はすべて2つの物語に収まる”とは、トルストイの言葉です。あなたのアイディアは、貴方が考えているほどの保護対象では、ないかもしれません。ジャンル、キャラクター、設定、構成は、既に確立されたある種の典型に当てはまるかもしれない。監督が守りたいアイディアは、保護できないのです。たとえば、パンデミック映画のアイディア。映画アウトブレイクに抵触する構成を検証していても、それは同時に、1971年の映画アンドロメダと同様です。しかし実際には、最古期の古代ギリシア詩作品のイーリアスか、旧約聖書の2番目の書である出エジプト記であったかもしれません。すべての例に必要な類似性があり、それらの要素は、著作権では保護することができません。」落胆した監督たちに、アドバイスがある。侵害されない作品にするために、映画監督は何をすべきなのか。「より独創的で、良い作品にすることです。」映画人たちはこの答えに、落胆するかもしれない。ガイガー氏は続けている。「発想のインスピレーションを都度、記録しておくことが、E&O保険(専門職業賠償責任保険/エラーズ・アンド・オミッション保険)に加入するための事項として重要です。"映画監督であれば、製作中の作品の注釈を残しておくことで、“素材”がどこから来たのかを知らしめることができます。そして、もしあなたが他人から引用する場合、誰かが腹を立てるような範囲や方法では行わないことです」 - MAY 17, 2021 IndieWire -

『 編集後記:』

オリジナルのアイディアなんてもう、存在しない。
独創性を守りたいなら、誰も真似できないオリジナリティを生み出せ。
パクるなら、相手を怒らせないようにやれ。という記事。

なかなか大胆で、痛快な記事だ。
たとえば、こんな映画がある。なんの映画だか判るだろうか。

退屈な日常から新世界に飛び込んだが、
大混乱の末に、退散。日常のありがたさに気付く。

「ドラえもん」「ジュラシック パーク」「七人の侍」に、
共通するフォーマットだ。メジャータイトルだけでもあと、100作品は該当するだろう。たしかに“オリジナル”はもう、生み出せないのかもしれない。

しかし、

既存の“完全シナリオ型映画”を発展させて、
モキュメンタリー型(※ドキュメンタリー映像のように見せかける演出)で、プロセスエコノミー(※製作段階からプロセスを発表し続ける)でありながら、スピンオフ映画にまで派生させる、
「成長し続ける映画」なら、史上のオリジナルにも勝てると信じている。
それもまた、“ディズニー ワールド”との共通フォーマットだが。

映画を完成させるための“プロセス”を発信すべく、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記