見出し画像

【作品主義】映画監督は映画のために、どこまで闘うべきなのか

予定通りに完成する映画は、存在しない。精鋭スタッフの貢献を前にその誕生は、監督とプロデューサーそして出資者の覚悟に支えられている。
このトピックでは、「イレギュラーの強さ」を、知ることができる。ルールと方程式よりも作品のために生きたいアーティストの、ために書く。

--------------------------------------------------------------------------
アーティスト情報局:太一監督
×
日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
--------------------------------------------------------------------------

『 業界常識は、ルールではない 』

経験と英知に富んだ先輩に学び我々は、業界を生きてきた。“業界のルールとマナー”を遵守しながら。しかし、学ぶべきは「マナー」であり、ルールではない。ルールとは、一般化したルーティンに過ぎないことを忘れてはいけない。業界が、観客が作品に求めているのは、“常識を覆す勇気”であるはずなのだから。

映画の誕生は、監督とプロデューサー、そして出資者の覚悟に支えられている。精神論を語ってはいないむしろ、人間としての生存に関しての話だ。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:カンヌ国際映画祭が選出した香港の抗議活動を描いたドキュメンタリー映画の監督が、身の安全のためにの権利を売却

カンヌ映画祭の最終日に上映され、物議を醸したドキュメンタリー映画の香港人監督Kiwi Chowが、この映画の権利を処分したと発表した。

"Revolution "は、2019年半ばに始まった香港での民衆蜂起と、その運動に対する政府の強権的な弾圧を描いている。カンヌ国際映画祭では、中国の映画制作者に打撃を与えたり進行中のイベントに影響を与えたりするような外交的反応を最小限に抑えるため、映画祭の終盤に、ファンファーレなしで本作をワールドプレミアで上映した。

しかし、監督のChowは映画「Revolution of Our Times」の“著作権”をヨーロッパの配給会社に売却した。また、この作品の“すべての映像素材を処分”したという。「リスクアセスメントです。香港では映画の配給は行わず、撮影したクリップも一切持っていません」

Chow監督はカンヌ国際映画祭に参加せず香港に留まることを選択したが、監督とこの映画のプロデューサーはそれ以来、Varietyからの最新の問い合わせには答えていない。香港からの制裁を受ける可能性があるためだ。民主派の新聞「アップルデイリー」は閉鎖され、8人のスタッフが逮捕された。

中国政府は映画検閲制度を強化、香港の映画館に圧力をかけ、民主主義映画の上映予定を中止させた。これらの映画の合法性は、香港の裁判所では検証されない。4月には、アカデミー賞授賞式の再放送を中止している。

Chow監督は、恐怖に屈することはないと言う。「しかし、自分が逮捕される可能性があることも受け入れていて、6歳の息子ともその可能性について話し合っている」

映画「Revolution of Our Times」のエンディングロールには、監督の“名前だけ”が記されている。資金提供者やスタッフはすべて匿名だ。「裕福なビジネスマンから声をかけられて、この映画を作ったんだよ」
 - JULY 22, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

香港の映画監督がカンヌ国際映画祭選出のドキュメンタリー映画を完成させたが、中国当局からの圧力に身の危険を感じ、香港に残ることを選んで作品を手放した。作品製作に協力したスタッフと出資者の名を伏せて。ただし安否不明、という記事。

やむを得なくも、妥当な手段ではあると想う。監督として作品のために逮捕されることなど何とも想わないが、勇気ある協力を申し出てくれたスタッフと出資者を巻き添いにするわけにはいかない。護るためのあらゆる手段は、講じる必要があるその上で、監督は我が身を賭して、同志を護り抜く責務がある。

当然だ、映画製作とはそういうものなのだから。

『 イレギュラーという生き方 』

監督とプロデューサーに重要なのはドラマツルギーでもマーケティング力でもなく、業界常識を覆す勇気である。

「いい企画があるんです、ご興味ありませんか?」
時折、こういう奇妙な話しを持ちかけてくる方々いる。その人物はどんな世界に存在してきたのだろうわたしが知る限り、この“映画界”に存在している企画は、「すべて いい企画」である。

映画の企画開発に重要なのは、「いい/ 悪い」の判断ではない。“いい”中で悲鳴を上げている爆発的なエネルギーを、救い出すことだ。綺麗ごとに聞こえるだろうか。「石の中に、魂が閉じ込められている。彫刻家の仕事は、それを発見する事だ」巨匠ミケランジェロの言葉だ。

業界常識を覆す勇気とは、“自身を護らない生き方”のことだ。アーティスト各位に問いたい、この時代に反したストイックな生き方が許されるのかどうかを。自身を護ろうなどとは一切考えない、各国の同志たちとともに。

『 製作とは、あきらめ続けるものである 』

企画開発の最中に監督とプロデューサーは、震えるほどの高揚感と、倒れるほどの絶望を繰り返す。どれだけ覚悟していても爆発的に喜んでしまうし、体調不良を引き起こして入院することもある。それは通常運転であり、誰にとっても特別なことではない。むしろ、何度もそんな経験をしていない映画人が存在するなら、同情したくもなる。その人物はまだ、国際映画界に足を踏み入れていない証明だからだ。

日本は、映画市場における1/193ヶ国に過ぎない。あなたの目の前のモニターはいま、“オリンピックの開会式”を映しているのだろうか? 国際映画人はこの瞬間も作品を描き、同志との会議を続けながら、ブログを通じてメッセージを送ろうとしているものだ。

企画開発の興奮は、絶望は、はじまりに過ぎない。映画はその“過程”ごとに、大切な要素を手放し続けることとなる。映画製作とは、“あきらめ続ける”作業なのだ。SCRIPT(映画脚本)開発の過程で1/10に、撮影時点で更に1/3に、逆に編集では“倍”に良くなり、マーケティングでまた半分になる。

我が身を引き裂かれる想いを続けながら護り抜いた魂を我々は、「映画」と呼ぶ。

『 編集後記:』

“平和の祭典”が、各国対抗成績比べなのは矛盾している。真に平和を求めるなら争わず、手を取り合うべきだ。優劣をつけることが英雄という輝きを生む一方で、劣等感の漆黒の闇を生むことを忘れてはいけない。

などと言い続け、ただの一度も応援したことのないわたしはいま、同志からの連絡を受けた。

「どうせ観ていないですよね。でも、 国を代表する1万人の人々がいま、“日本”に集結してくれてるんです。感謝したくありませんか?」

“感謝するために観る”

わたしは映画人として、大切なことを無視していた。申し訳ない。テレビをつけよう。ケーブルを探さねばならないが。

「早く!聖火が灯る!」

ひとときの“感謝を捧げ”た後に、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

この記事が参加している募集

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記