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【強く生きる必要無し】アーティストは、傷つくのが通常だ

慣れてはいけないが、“傷つくこと前提”でいれば、生きられる。
このトピックでは、「ダメージの少ない創作活動」を、知ることができる。日々苦悩しながらそれでも叫べないアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 傷つくこと前提で 』

アーティストの苦悩など、どうせ理解されないのが現代であり社会だ。ならば、アーティストが味方になってみる。保証はしない。同じく創作活動に没入しているわたしも言うほど、余裕はないからだ。

アーティストたる者、楽に生きることは許されないが、心のダメージを抱えた結果、創作活動に支障がでては本末転倒。ただの苦しみ損になってしまう。それどころか、身体を壊し、心を壊し、創作すらも手につかなくなるのが落ちだ。

ならばこそ、“ダメージ”への対応方法を知っていこう。

「慣れる」それは間違いだ。学者と博士に教わったのだが、心も身体も、ダメージへの対応に“鈍感”にはなっても、慣れることはないそうだ。着実に傷つき、痛むのみ。また、「鈍感力」という本がある。面白いが、アーティストには通用しない。心の機微に鈍感になってしまえば、創作ができない。

ただしくは、“傷つくこと前提”で、「対応方法」を持つ、だ。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:アカデミー賞受賞女優のジェニファー ローレンスが、タランティーノ監督にキャスティングをアドバイス

クエンティン タランティーノ監督の映画「Once Upon A Time In Hollywood」は、タイトルが決まる前から、ブラッド ピットとジェニファー ローレンスの出演を狙っているというニュースが流れていた。ピットは、役を演じて結果、オスカーを受賞することになった。しかし、ローレンスの出演は実現しなかった。

タランティーノ監督はローレンスと会っていたことを認めた。「彼女にチャールズ マンソンのカルトメンバー、スクーキー フロムを演じてほしかったからだ」そのキャスティングは実現せず、代わりにダコタ ファニングがその役を演じた。「プリプロダクションの初期に私は、ローレンス起用を考えていた。“ダコタ ファニング”というアイディアには、満足できなかったんだ。結果は、じつに素晴らしかった。ダコタの芝居は、映画の中で最高の演技のひとつだった。しかし初期の段階では、ジェニファー ローレンスを検討していた、ということだよ」とタランティーノ監督は語っている。

「彼女は脚本を読むために、僕の家に来たんだ。僕は彼女に脚本を渡して、“リビングルームか、外のプールサイドに行って読んでくれ” と言ったよ」。彼女はそれを読んだ、その後、少し話をした。彼女はこの作品に興味を持っていたが、何かがうまくいかなかったようだね。でも、彼女はとてもいい人間だし、女優として尊敬しているよ」

また、タランティーノ監督は、ローレンスが会談を終える前に、彼にキャスティングのアドバイスをしたことを明かした。

「彼女は、“キャスティングを推薦してもいいですか?”と言ったんだ。“エージェント役の男がいますよね。あれにマーク マロンを起用してはどうでしょうか?”ってね。“彼ならすごく良いとおもいます”って。まぁ、実際にはもっとかなり年上であるべきだったけれど、彼女の言いたいことはわかるよ、うん。」その役は、アル パチーノが獲得した。タランティーノ監督は次作を最後に、長編映画監督を引退する。
 - JUN 28, 2021 IndieWire -

『 ニュースのよみかた: 』

タランティーノ監督からの出演オファーを、ジェニファー ローレンスが断っていた。その席で彼女が監督に“キャスティングのアドバイス”をしたことに、不満そうなタランティーノ監督が全暴露、という記事。

彼女は、定期的にやらかす。
無名の少女時代からずば抜けた技量と“心の幅”を表現できる逸材でありながら、“業界のタブー”を駆け抜ける。この場合、女優が監督にキャスティングのアドバイスをする、というタブーだ。女優はキャスティングの素人でありましてや、その作品の生みの親に対して可能なアドバイスなど、無い。

「質問」ならば可能だったかも知れないが、“オファーを断った瞬間”であることを考えれば、それすらもあり得ない。天才ゆえの欠落だろう。ちなみにタランティーノ監督の発言を推察するならば、よくて“激怒”だろう。彼は、語尾を濁すタイプではない。

『 ※ 注意点 』

ここ「アーティスト情報局」では時折、“極端な物言い”が散見される。それは社会的なタブーであったり、非常識であったりする。だが、非常識な方法でタブーを描くことが創作活動の大きな要素でもあるので、理解頂きたい。

では、書く。

『 ダメージへの対応方法①:打ち返す 』

自身が受け止めることなく、そのままの圧で打ち返す方法だ。常に不測の事態をシミュレーションできているアーティストたちが得意なジャンルだ。常に、合法、非合法を問わないことが必須条件となる。運が悪ければ社会的なダメージを負うが、創作活動上の問題は無い。

問題もある。
今回の場合、相手がアーティストの機嫌を損ねる程度の“些細な悪意”で挑んできた場合、決定的な一撃を与えられず、ダメージの残り屑に心が汚れる場合がある。

『 ダメージへの対応方法②:攻める 』

絶対的なダメージの解消を求めて、過剰な言動を用いる方法だ。実のところアーティストに最も多い例であり、ニュースになることも珍しくない。

社会的な無敵の人であるアーティストにとっては容易い選択肢だが、その意味で、面白みに欠ける。まるで、早朝の繁華街のようなグロテスクさだ。知性に低く短絡的でまず、美しくない。

『 ダメージへの対応方法③:創作の中で復讐する 』

今回の記事の中でタランティーノ監督がやった、あれだ。自身の立場を利用し、メディアを活用してジェニファー ローレンスの言動に対応している。

あなたは作品を生み出してる。また、そのための“発表方法”を持っている。そのどちらもが、貴方の復讐領域だ。作品の中で晒し挙げることもできるし、社会的な場で退治することもできる。アーティストに護るものなど無いのだからもちろん、怯えることもない。相手が誰であろうと“負け”は無い。

なお、
「復讐」という言葉にネガティヴな印象を受ける人々がいる。だが、“復”は「元の道に戻る」、“讐”は「むくいる」という意味であり、 「元の道に戻って報いを返す」という言動に、攻撃や悪意は含まれない。善も悪も、相手次第である。

『 編集後記:』

アーティストのような社会から外れた存在を受け入れてくれる人がいるなら、人生を賭して返すべきだろう。「感じた想いに言葉を射る」という意の“感謝”では、足りようもない。

言葉を越えて伝える想いに愛をこめて、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記