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【捨て身のクリエイティヴ】たかがアーティスト、命賭けもいい

“自然体”の時代、熱量高いアクションは痛々しく観える。しかし、無謀な連中の“バカ”は面白い。このトピックでは、「捨て身の価値」を、知ることができる。このまま無名で終えないためなら命がけも厭わないアーティストの、ために書く。

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アーティスト情報局:太一監督
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日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、
監督がスタジオから発する生存の記
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『 幸福な一般人より、アーティストとして死ぬ人々 』

幸福を求めるアーティストの評価は、低い。
異論多いだろうが、事実だ。作品と創作活動よりも“生活の安泰”を求める人物は、つまらないからだ。アーティストは、ぎりぎり死なない状態で創作を続ける。国際的に評価される成功者は、その中から、選ばれる。

そこで、日本に入っていないニュースをお知らせしておこう。

■ 最新国際ニュース:リチャード ブランソン、ジェフ ベゾスに先駆けて宇宙への旅を発表

ブランソンは自身のヴァージン ギャラクティック社の7月11日テスト飛行に、6人のうちの1人として搭乗すると発表した。リチャード ブランソン氏は、同じく億万長者のジェフ ベゾス氏よりも9日早く、宇宙に行くことを目指す。

ヴァージン ギャラクティック社の翼の生えたロケット船は、ニューメキシコ州から飛び立つが、社員を乗せての飛行は初めて。このニュースは、ベゾスのブルーオリジン社がベゾスを乗せて7月20日に飛ぶ、と発表した数時間後の発表だった。ブランソンは当初、来るべき2回目のデモに参加する予定だったが、ベゾスを出し抜くために前倒しした。

ブランソン氏は上場企業としての制約がありつつも、すぐにでも宇宙に行ける健康体であることを強調していた。「私は常に夢想家でした。私はいつも夢を見ていました。母は私に、決してあきらめないこと、そして星に手を伸ばすことを教えてくれました。7月11日、次の@VirginGalacticに乗って、その夢を現実にする」と語った。

ヴァージン ギャラクティック社は、航空機からロケット船を打ち上げ、およそ55マイル(88km)の高度に達する。ブルーオリジン社は、ニューシェパードロケットを地上から打ち上げ、カプセルは約66マイル(約106km)まで上昇する。両社のフライトは約10分で、そのうち無重力状態は3分ほど。ヴァージン ギャラクティック社のロケット機は、NASAの昔のスペースシャトルがそうであったように、2人のパイロットが担当して滑走路に着地する。ブルーオリジン社の自動カプセルは、パラシュートで砂漠に落下する。両社の宇宙基地は、320kmしか離れていない。

なお、イーロン マスクのSpaceX社はさらに、乗員も貨物も含めて、カプセルを地球の軌道上に打ち上げる。民間宇宙企業3社はいずれも、有料の宇宙旅行募集を計画している。
 - JULY 01, 2021 THE Hollywood REPORTER -

『 ニュースのよみかた: 』

Virginグループ会長のリチャード ブランソンが無茶して、Amazonのジェフ ベゾスより早く宇宙へ飛ぶ。という記事。

正真正銘の“冒険家”であるリチャード ブランソンは、世界初熱気球での大西洋横断、最高齢ギネス記録カイトサーフィンで英仏海峡、マッターホルン登頂、自転車事故で死にかけたり火事や遭難まで、話題に事欠かない。

映画とのゆかりも深く、日本で最もラグジュアリーでハイエンドなシネコンを広域チャネルで展開し、2003年2月25日 東宝株式会社に売却。映画「007 カジノ ロワイヤル」などへの製作協力にも積極的で、カメオ出演多数。「楽しむのがビジネスだ」と公言し、業界最大手との裁判戦争も隠さず公開。自身がメディアに顔を出すことを肯定し、コスプレや女装もいとわないヒッピー出身の、イギリス人大事業家だ。

輝かしい生と情熱を肯定する意味で、この人なら多分、死んでも面白い。

『 ブランドになる機会 』

アーティストは価値の創造者だと想われるが、実際には、なんでもない日常や「素材を価値化」するプロフェッショナルだといえる。“素材”が必要なわけだ。その中で最強なのが、“自身を素材として価値化”できる逸材たち。「ブランド」として生きる人々だ。

ブランドになったアーティストのことは語るまでもなく、無数に知っているはずだ。巨匠からムーヴメントまで、めんめんと途切れることなくブランドの誕生は続く。どの時代でもブランドは求められており、その機会はあるということだ。

『 作品 対 本人 』

ここ「アーティスト情報局」をフォローしている皆さんはもう、アーティスト評価が“作品では決まらない”ことを知っている。

「作品:アーティスト」の比率を数値化することはできないが国際映画界とハイブランド界で35年間を生きてきた肌感としては明らかに、“作品よりもアーティスト本人”の評価だ。

“素晴らしい作品を生むパリピ”や、“作品がしょぼい大御所”は、ブランドにはならない、ということだ。

創作活動への妥協無い我々はだからこそ、アーティストとして非の打ち所のない自身を生きねばならない。すべては減点法であり、いちどの甘え、些細な欲の積み重ねが、アーティストである貴方自身の未来を閉ざすことを理解すべきだ。

「“イメージ”を払拭するには、10倍の時間がかかる」
ブラッド ピットの言葉だ。美青年として浮名を流した1987年のデビューを経て、悲願のアカデミー賞受賞は、去年である。

『 8年先輩、だという覚悟 』

映画は、飛行機よりも8年早くに誕生した。実質的な同世代として、意識しない手はない。その後輩である飛行機は舞台を宇宙へとうつし、人類の生態環境の外にまで進出している。一方の映画はといえば、3DだVR.だといいつつもまだ、平穏なエンターテインメントの中にいる。

時代は、“自然体”を求めている。熱血教師や情熱主義のスポーツにも冷ややかな目が向けられ、映画を始めとする作品の中ではもはや“サスペンス”に分類される。熱すぎる活動とは、“サイコの域”なのである。

「サイコ サスペンス」だ。

映画が虚構だった時代は終わった。
現在の映画は社会のリアルを基軸としており、テクノロジーも思想重力も死生観にも、より現実的な表現が選ばれる。

ならばこそ、アーティストは「サイコ サスペンスの主人公」でいい。
護るものなんて、無い。

『 編集後記:』

バッハのクラシックと暮らしていて、ふと想う。この壮大な楽曲は、イマジネーションなのだ。心を奏でて生きた彼らは全員が恵まれていたわけではなく、弦楽五部16型総勢90名のオーケストラを夢描いたものだろう。多くのマエストロたちはただの一度も自身の“音”を耳にしないままに、アーティスト生涯を閉じたのだ。もう光の届かない瞳を閉じた65歳のバッハには、なにが聞こえていただろう。

わたしたちにはまだ、できることがある。

各国の仲間たちと描いた想いに声を与えるべく、映画製作の現場へ帰るとしよう。では、また明日。

■ 太一(映画家):アーティスト業界情報局 × 日本未発表の国際映画業界情報 あるいは、 監督がスタジオから発する生存の記